二章 第14話

「師匠、少し休んでください!」


 気が付くと、イルネスが隣にいた。

 ジークが先導して走っていたはずだが、いつの間にか追いつかれていたようだ。

 視力もかなり回復しているようで、少女の目はジークを正面から捉えている。


「……すまん、急ぎすぎたか」


 一度、足を止めて乱れた呼吸を整える。

 大きく息を吸う度に、胸に激痛が走った。

 殴られた顔の左側と顎も、じんじんと熱を持ち、感覚がぼやけている。

 おそらく、酷く腫れ上がって青アザにでもなっているだろう。

 イルネスを見れば、怪我はなさそうだったが、顔を紅潮させて息を乱している。

 胸に疾患を抱える彼女は、長時間の運動ができない。

 本人の言によると、少し跳んだり走ったりは問題ないそうだが、胸の鼓動が激しくなるにつれて、締め上げるような痛みが襲ってくるらしい。

 少しでもこの場から離れ、町へと向かいたいところだったが……いや、これ以上無理を重ねると、追手に追いつかれた時点で終わりだ。

 ジークはイルネスを伴い、山道から敢えて外れて山の中へ踏み入っていく。


「イルネス、山での活動は得意か?」

「はい、もちろんですっ! 私の田舎はほとんど山みたいなものだったので」

「さっきの山道へ戻れるよう、場所と方向を意識してくれると助かる」

「それはもちろんですが……二ムくんと、ダイアモンさんを助けに戻るのは……」


 言いながら、イルネスの語尾がしぼんでいく。

 できないと、分かっているからだ。

 【魔術士ウィザード】には相当な深手を与えたはずだが、そいつを除いても五人が相手。

 しかも、二ヶ月前の盗賊とは違い、彼らは訓練され、統率されている。

 二ムの機転、敵の油断――脱出できたのは本当に幸運だった。

 戦力差ですら相当厳しいのに、人質までいるとあってはどうにもならない。


「……二人は、必ず何とかする。だから、今は生き延びて、アグロアーまで帰ることを考えよう」

「は……はいっ!」


 イルネスの表情がぱっと明るくなったが、またすぐに陰る。


「でも、大丈夫なんでしょうか……?」


 ここからアグロアーまで帰るのに約二日。

 そこから対策を練り、再び救出に向かっても間に合わないのでは、とイルネスは心配しているのだ。


「連中はダイアモンを利用して金儲けを続けたいと考えている。そのダイアモンが渋っているので、二ムニリトを人質にして言うことを聞かせたいんだろう。そのためには、どっちも失うわけにはいかないはずだ」


 ただ……二ムが拷問を受けないかどうかが気掛かりだ。

 口での脅しで済めばいいが、ダイアモンが抵抗を続ければ――二ムの職人への夢は永遠に断たれることになる。

 だが、今すぐ助けに戻るという選択肢がない以上、その心配をしてもどうにもならない。


「とにかく今は、アグロアーまで何とか戻って、手立てを考えるしかない」

「山に入ったのは、追手を振り切るためですか?」

「そうだ。満足に走れない以上、逃げ切ることは難しい。ここで隠れて時間差を作るんだ」


 ここからアグロアーまで帰るには、徒歩以外では乗り合い馬車を利用するしかない。

 当然、相手もそこを押さえにくるだろうが、時間が経っても姿を見せなければ、焦れて他の場所を探しに行くかもしれない。

 ジークは近くの岩に腰を下ろした。

 山道からは三十分程度しか歩いていないが、これ以上は体力が持つかも怪しい。


「山狩りとかされないでしょうか……」

「その線は薄い……と思う。リーダーの男に『組織から斬り捨てられる可能性』を意識させておいた。あいつは今、失態を晒すことを怖れているはずだ。あの場にいた部下たちは使えても、それ以上の人員を組織に求めるのは避けるだろう」


 だから、追手として探しに来るのはせいぜい二人か三人。

 もしダイアモンと二ムを工房から移動させようとするなら、追手すら出せない可能性もある。

 リーダーの手下が他にいるかもしれないし、楽観視もしていられないが。

 

「師匠、すごいです! 私はただ、二ムくんが攻撃されないように気を引いているだけだと思ってました」

「……何もすごくはないさ。二ムがああやって突破口を開いてくれなければ、あのまま拷問されて死んでいた」

「でも、仲間を信じるのも大切です。自分じゃできなくても、誰かが何とかしてくれることだってあります。師匠が敵の気を引いて、苦痛を引き受けてくれたからこそ、二ムくんはアレができたんです。何が起きたのかよく分かりませんでしたけど」

「二ムは別に仲間じゃないんだけどな」

「そうでしたっけ?」


 イルネスのきょとんとした表情に、つい笑ってしまう。

 おかげで少しだけ気が紛れたので、ジークは簡単な野営の準備を始めた。

 とはいっても火を焚くわけにはいかないので、食事と寝所の用意くらいだ。

 食事は携帯非常食と、イルネスが探してきたいくつかの木の実で済ませる。

 山育ちだけあって、あっという間に見つけてしまったのは見事だ。

 寝所については、大木を見つけてその横で寝ることにした。

 適当な枝葉を集めて地面に敷く。

 こうすることで地面との間に空気の層ができて、身体が冷えすぎるのを防いでくれる。

 枝集めのついでに、イルネスが何かの植物の茎を持ってきた。

 ロアーという植物だそうで、その茎を薄くスライスしていく。

 これを打撲や内出血部分に貼ると、腫れと痛みが和らぐらしい。

 薬草採取の依頼を受けることの多いジークすら知らないので、おそらく地方の民間療法のようなものだろうが……彼女の厚意を素直に受け取る。

 頬と胸、脇腹に張り付け、包帯代わりの布で軽く縛っておく。

 布の量が足りなかったので、イルネスにも借りてしまった。

 最初は半信半疑だったが、実際にやってみると思ったよりひんやりとして、落ち着く香りもする。


「かなり楽になった……助かるよ」

「どういたしまして、です! えへへ」


 少し照れたように笑うイルネスだった。

 日も落ちたので、外套を毛布代わりにして体を横にする。

 冬にはまだ早いため凍死の心配はないと思うが、それでも夜は少し冷える。

 連中や、魔物に見つかる可能性もあるので、睡眠は二時間おきに交互だ。

 イルネスが起きてくれなかったら自分が見張りを続けようと思っていたが、きっちり目を覚ましてくれた。

 むしろジークの怪我を心配して長めに寝かせてくれたくらいだ。

 田舎育ちで純朴なので、冒険者として不安要素があると思っていたが……彼女の育ちはむしろ強みにもなりうると知った夜だった。

 自分はまだまだ勉強不足だ。


「……ししょう……師匠」


 軽く肩を揺すられ、目を覚ます。

 遠くの空がうっすらと明るみ始めている。

 夜明けだ。


「すまん、熟睡していた」

「いえ。すぐ宿場町まで行きますか?」

「ああ。ただし山道へ戻るのはギリギリまで避けよう。このまま山の中を行けるところまで突っ切りながら向かう。食事は、残りの木の実を食いながら進もう」

「了解です」


 イルネスのくれたロアーの茎のおかげか、顔と脇腹はかなり熱が引いた。

 痛みも昨日ほどではない。

 ただし胸の方は相変わらず、動くと激烈な痛みが襲ってくるが、こっちはおそらく骨をやっているので仕方ないだろう。

 野営跡は放置だ。

 ほぼありえないと思うが、万が一、連中がこの跡を発見したとしても、その頃にはこちらはここを離れているか、再び捕まって終わっているかのどちらかだ。

 しばらく、黙々と歩く。

 こんな森の中でも、彼女の動きはほとんど音を立てない。

 邪魔そうな杖も木の枝に引っかけることなく、すいすいと足を進めていく。

 対してジークは……ごく普通に音を出している。

 もちろん冒険者として、山歩きの基本は守って移動しているはずなのだが、イルネスの隠密さと比較すると、どうしても粗が目立ってしまう。

 いずれ彼女から、こうした技術も教えてもらうとしよう……。


「もうすぐです」

「ああ、見えてきたな」


 山も終わりかけてきたので、山道へ合流する。

 待ち伏せを警戒していたが、ここにはいないようだった。

 足早に、乗り合い馬車の駅まで直行する。

 ちょうど朝一番の便が出発するところで、幸いにも敵の姿はなかった。

 ここを出れば、襲撃される確率はぐんと低くなる。

 こちらを見つけたとしても、馬車ごと襲ってくることはさすがにしないはずだ。

 そんなことをすれば騒ぎとなり、他の冒険者たちに盗賊狩りの依頼が出たり、衛兵が動いたりする可能性が出てくる。

 途中の宿場町で一泊する行程は、出発時と同じだ。

 急ぎたい気持ちはあったが、夜に動くのはさすがに目立って危険だし、宿場町に貸馬屋があることはほぼなく、急ぎようがないのだ。

 再び朝になり、馬車へ。

 昼になる頃には、アグロアーの街に帰ってくることができた。


「何とか、帰ってこれたな。それじゃあ、まずは――」

「聖教会で治療です!」


 ジークが目的地を言うより早く、イルネスが手を引いて歩き出す。


「待て、それは後で――」

「ダメですっ!」


 予想以上に大声で否定されてしまい、驚く。

 道を歩く人たちも、何事かと視線を向けてくるが、イルネスはお構いなしにぐいぐい引っ張って先を歩いていく。


「完治とまでは言いません。でもせめて、胸の骨折だけはすぐ治療してください。気づいてないかもしれませんが、師匠……ずっと真っ青な顔してます」


 手を引かれつつ、空いている手で自分の顔に触れる。

 表情には出していないつもりだったが、さすがに顔色までは分からない。


「本当は、気絶しそうなほど痛いんですよね?」

「……まあ、否定はしないが」


 山を下りてから、アグロアーに着くまでジークの怪我の心配なんてしてなかったと思うのだが、何かきっかけがあったのだろうか?

 そんなジークの思考を読み取ったかのように、イルネスは振り返りもせずに言う。


「ずっと心配してましたよ。ただ、血を吐いたり、倒れたりしなかったし、黙ってついてこい的な雰囲気を出してましたから、聞かなかっただけです」

「む……」


 図星だった。

 ジークやイルネスのスキルでは治療しようのない怪我なので、心配されても仕方のないことだ。

 もちろんロアーの茎は嬉しかったし、気が紛れたのも事実だ。

 だが、後はもう、我慢して進むしかない。

 宿場町にも聖教会の施設はあるが、アグロアーに戻るまで極力、宿と駅以外の場所には寄らないほうがいい。

 あくまでジークたちは逃亡者なのだ。


「二ムくんや、ダイアモンさんを助けたい気持ちは、私も一緒です。今も、酷い目に遭わされてるかもしれません。……でも今、あの二人を助けられる可能性があるのは、私たちだけなんですよ?」

「……だから、すぐにでも行動を」

「今にも倒れそうな人が真っ先にする行動は、治療です!」


 足を止め、振り返ったイルネスは、涙目になっていた。


「焦り過ぎです、師匠……まずは落ち着いて、しっかり動ける身体にするべきです。私、あんまり頭が良くないので、どうやったら二ムくんたちを助けられるのか分かりません。……でも、師匠ならきっと、いい作戦を思いついてるはずです。だからこの街に戻ってきたんですよね?」

「……ああ」

「怪我を治したら、すぐにやりましょう。師匠が、二ムくんたちを助けたいと思ってるのと同じくらい、私も師匠を助けたいと思ってるんです」


 ――焦り過ぎ、か。

 そうかもしれない。

 イルネスを助けに向かった時と同じように、ニムニリトに対しても「今度こそ助けたい」と……無力な過去を変えたいと思ってしまっていたのかもしれない。

 

「……そうだな。冷静に考えたら、めちゃくちゃ痛い」

「痛みを忘れるほど焦ってる証拠です!」


 冗談のつもりで言ったのだが、まじめに返されてしまった。

 ……どうやら自分にジョークのセンスはないようだ。


「聖教会へ行こう。付き添いを頼む」


 イルネスの顔が、ぱぁっと明るくなる。


「はい、お任せください! 歩くのが辛ければ、私の肩でも、杖でも貸します!」

「いや、そこまではいい。少し歩くペースを落としてくれ」

「あっ、す、すみません」


 そんなやり取りをしつつ、ジークたちは聖教会へ向かった。

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