二章 第12話

「…………え?」


 ニムニリトが呆然と呟く。

 手から袋が滑り落ち、床にぶつかって鈍い金属の音を鳴らす。


「そいつは今月の給料と、手切れ金だ。今日中にそいつと自分の荷物を持って出て行け。夢とやらも諦めるんだな」

「待ってください!」


 さすがに黙っていられず、ジークは声を上げた。

 思ったより大声が出てしまったことに驚き、落ち着くよう自分に言い聞かせながら言葉を続ける。


「……どうして急に、彼をクビにするなんて言うんですか?」

「言っただろう。いい機会だと。こいつの才能が伸びないことは、前から思っていた。見切りのつけ時だ」

「彼を……二ムを捨てるっていうんですか」

「職人の――いや、我々『得られしものブレスド』の世界は、才能が大きくものをいう。それはお前自身、よく分かってるのではないか?」


 ダイアモンの視線が鋭く突き刺さる。

 冒険者になってから、いや、それ以前からも、ジークはずっと底辺だった。

 運よく『得られしものブレスド』の才能を開花させたはいいが、その出来栄えは名も知れぬ雑草レベル。

 大きく育つことも、美しく咲くこともなかった。


 ――それでも。


 一歩間違えれば玉砕になろうとも、夢をもう一度追いかけることを決めた。

 才能なんて言葉で、自分を終わらせたくなかった。

 だから、ダイアモンの言葉をここで認める訳にはいかない。


「……分かりました」


 二ムが言った。

 床に落ちた袋を拾い、ゆっくりと頭を下げる。


「今まで、ご指導ありがとうございました」

「ちょ、ちょっと二ムくん!」


 イルネスが慌てて少年に駆け寄る。


「ダメだよ、諦めちゃ! 夢だったんでしょ?」

「……夢を諦めるつもりはありません。ボクは、勉強を続けます」

「よせ。時間の無駄だ」

「いい加減にしてくださいっ!」


 とうとう我慢の限界が来て、イルネスはダイアモンに近づくと肩を掴んだ。


「どうしてさっきから冷たいことばっかり言うんですかっ! 二ムくんは、辛い目に遭ってもずっと修行してきたし、聖魔具のことだってすごく詳しくて、頑張ってきたんです! それなのに、諦めろとか、無駄だとか、ヒトの大切な夢を何だと思ってるんですかっ!」


 ダイアモンは少女の手を振り払うこともせず、ただ下から睨みつけた。


「お前こそ何が分かる。職人の世界は、自由気ままに生きていける冒険者とは真逆の世界だ。王都で修行したこともある二ムニリトならもう知っているはずだ」


 二ムが、ぐっと口を結んで視線を落とした。

 イルネスは二ムの言葉を待っていたようだが、彼が何も言わないので、どうしたらいいか迷っているようだ。

 

「聞かせてもらえますか」


 ジークは話を促す。

 もし、ダイアモンなりの理由があるのなら、きちんと二ムに聞かせるべきだ。

 二ムは分かりましたと返事をしたが、内心では納得いかないに違いない。

 それでも師匠の言葉だからと、すべて飲み込んだのだ。

 そんな理不尽を、見逃していいとは思えなかった。

 ダイアモンは、ギロリとジークを睨みつけたが、視線を逸らさないジークに根負けしたのか、少し間を置いて口を開いた。


「……まあいい、教えてやる。我々職人は、どの国でも保護され、囲い込まれる。最も優秀なものは王都が、次に領主貴族が。仕事さえすれば生活には困らない。食事も住居も上等。当然、給金もな。だが、手に入らないものはある。何か分かるか?」


 ジークが答えに窮していると、俯いていた二ムが、ぽつりと呟いた。


「……自由」


 ダイアモンが一瞬視線を向けて、小さく息を吐く。


「その通りだ。召し抱えられた職人は、指示されたものを作らねばならん。開発や研究を任されるごく一部の優秀なものも、あくまで雇い主の要求が第一。では仕事以外に自由はあるか? ……否だ。職人は武器製造の最先端に携わる。知識や技術の流出を防ぐため、職人の行動範囲は狭い。国外はおろか、城下町から出ることすら滅多なことでは許可が出ない。これはヒューマンの国でも、ドワーフの国でも大して変わらん」


 ひとたび職人になれば、外へ出ることは簡単ではなくなる。

 だが、引き換えに高給と安全は手に入る。

 そこに不満を覚えるのは、いささか贅沢のようにも見える。

 そんなジークの考えを見透かしたように、ダイアモンは言葉を続けた。


「ヒトは、目標を持たねば腐っていく。そもそも職人というものは、より高みを目指したいという本能がある。食うに困らず、しかし仕事は与えられたことをやらねばならん――そんな職人たちが次に目指し始める目標は何か、分かるか?」

「……序列、ですか?」


 思考を巡らせて何とか答える。

 冒険者だって、多くは上を目指している。

 最初は下級冒険者から始まり、中級、上級……それは収入に直結するとはいえ、目的は金だけではないだろう。

 それは強さの証明であり、成功者の勲章だ。

 ある意味、ジークの目指す『英雄』だってそうだ。

 そうなりたい、到達したいという目標。

 職人たちだって、頂点に立ちたい、誰より優れていると証明したい気持ちがあるはずだ。

 ジークの答えに、ドワーフの頬が皮肉げに緩んだ。


「まったくお笑いだ。どの若手も、最初は一流の職人を目指して王都へ弟子入りにやってくる。自分の理想や才能を信じてな。それが働くうちに、誰が王に認められて昇格するか、誰の商品が売れて評価されるか、そんなことしか考えなくなる。職人の上下関係は絶対だ。師匠に捨てられたら弟子は明日から路頭に迷うことになる。誰もが師匠の顔色を窺い、他の弟子を蹴落とし、生き残ることだけを思う」


 二ムが、ぎゅっと拳を握っている。

 過去の出来事を思い出しているのだろうか。


「見習いのうちならまだいい。秘技を教わる前にクビになれば、王都を出て、どこかで店でも開けることはあるだろう。だが本職人になったら最後、王都から出ることは容易ではない。狭い庭の中で、優劣を競い合う一生になる」

「でっ、でも!」


 二ムが顔を上げた。


「自分の理想を信じ続けている職人だって、きっといます!」

「そんな奴は出世しない。弟子を引き抜かれ、足を引っ張られ、売れる品を作れずに立場は悪くなる。評価が落ちれば、使える工房も与えられる素材も悪くなっていく。やがて失意の中で何も考えずに商品を量産する二流職人になるか、方針を変えて他の職人と同様に競いだすか……絶望して自ら命を絶つか」

「…………っ!」


 二ムの顔が悲痛に歪む。

 それも……もしかして、見てきたことがあるのか。

 想像もできない熾烈な職人の世界を、この二人は見てきたのだろうか。


「……先生は、理想を捨てなかった」


 二ムの言葉に、ダイアモンが驚いたように目を見開いた。


「王都で弟子入りしたことあるボクだから分かります。先生の知識や技術は、ボクのように弟子として少しかじった程度のものじゃないって。先生は、一流の職人として働いていた……違いますか?」

「むう……」

「王都の場合、正式な職人になる時、契約を交わします。知識や技術を外に漏らさないこと、特殊な事情がない限り王都を出ないこと。自ら引退し、王都の外へ出る場合には……指を、切り落とすこと」

「え……っ!」


 イルネスが声を上げかけ、咄嗟に自分の口を塞ぐ。

 それでも驚きが顔に広がっている。

 指を失う……それは武器や道具を作る職人にとって致命的だろう。

 酷な仕打ちだと思うが、そんな契約を前提にしてでも、見習いたちは職人になりたいと思っているのだ。

 ダイアモンは、ここで初めて二ムニリトに向かい合った。

 そして、自分の両手を広げて見せた。

 今も仕事を続けている彼の指は、切り落とされておらず、すべて揃っている。


「この指がどういうことか、分かっているか?」

「……はい。先生は、きっと……脱走されたんですね」

「そうだ。ワシは職人たちの醜い争いが嫌になった。だが、職人を捨てる気もなかった。だから契約を破って逃げたのだ。秘技だけを習得し、その代償は支払わずにな。今でも王都や貴族連中のいる街では、ワシは指名手配犯だ。捕まれば死刑か投獄か。二度と太陽は拝めまい」

「オレたちにそれを教えてしまって、いいのですか?」


 ジークは僅かに警戒しつつ質問する。

 この話を近くの町の役人に話せば、ダイアモンは終わりだ。

 もしかしてここでジークたちを……という想像がよぎったが、ドワーフの様子は変わらなかった。


「そろそろ潮時……という奴だ。ワシも、疲れてしまってな」


 王都から逃げ出し、隠遁生活のようにこんな場所で仕事をする。

 そんな日々が耐えられなくなった、ということか。

 ジークが納得しかけていると、二ムがテーブルに近づき『ライカ』を手に取った。

 ウエストポーチから道具を取り出し、素早く分解していく。


「二ムくん……?」


 突然の行動に困惑するイルネス。

 二ムは構わずに解体を続け、石板のようなものを中から取り出す。

 芯盤、といったか。

 以前に見た時と同じ、表面にルーン文字と思わしきものが大量に彫り込まれていて、これぞ聖魔道具と思わせてくれる。

 その文字に指を這わせるようにして点検していく二ム。

 そして、ある一か所で指が止まった。


「……やっぱり、先生……だったんですね」


 その言葉の意味を、ジークはすぐに察した。

 アグロアーの街で起きていた、偽造聖魔具の流通。

 二ムは「知らない」と言っていたが、もしかしたら予感はあったのかもしれない。


「おまえ……いや、そうか……気づいたのか」


 ダイアモンは驚いて腰を浮かしかけたが、再びどっしりと座り直した。


「並みの職人程度では見抜けないと思っていたが……おまえに気づかれるとは、ワシも耄碌したものだ」

「え、ちょっ……どういうことですか?」


 イルネスが戸惑いつつ、ジークに尋ねてくる。


「見ての通りだ。ダイアモンさんが、偽装修理の犯人だった」

「そんな、まさか……二ムくんが、あれだけ尊敬してたのに!」


 ダイアモンは自嘲するように笑った。


「聖魔具は、作るのに専用の工房が必要となる。脱走の時に職人時代の稼ぎを持ち出したが、まったく足りんほどに高価な設備がな。いや……仮に資金があったとしても、新しく聖魔具の工房を作るなんてことをすれば、すぐに情報が王都に届く。ワシはここにいますと宣伝するようなものだ」

「じゃあ、ここはいったい?」

「どうやって知ったかは分からんが、ワシのことを嗅ぎつけた奴が、ここに連れてきてくれたのだ」


 ジークの背中に、じわりと汗が浮かぶのを感じる。

 ――嫌な予感がする。


「ワシは、どうしても聖魔具を作りたかった。だからワシは『交換条件』を受け入れた。使い物にならなくなった聖魔道具を『修理』するという、な」

「どうして……こんな、ことを」


 震えながら問う二ムに、ドワーフはテーブルを見る。


「道を踏み外したワシが、職人として生きていくには、これしかなかった。おまえを拾ったのも、単なる同情だ。雨に濡れた野良犬を気まぐれに拾ったに過ぎん」

「じゃあ、その気まぐれのままでいいです! ボクは、先生からもっといろんなことを教わりたいんです!」

「……おまえの、そんな姿を見たせいかもな。ワシがやっていることは職人の仕事でも何でもない、ただの犯罪だということに、ようやく気づいたのだ。そして気づいた以上は、終わらせなければならん」

「そんな!」

「おまえは、こんな犯罪者の弟子ではなく、違う道を選べ。自分の初心を忘れてはならん」

「先生……」


 涙ぐむニムニリト。

 その一方でジークは、ダイアモンからの情報を整理していた。


「ダイアモンさん。この施設を用意したのは、誰ですか?」

「詳しいことは、ワシも知らん。奴らは壊れた聖魔具を置いていき、そして『修理』の終わったものを引き取って金を置いていく。日用品を届けてくれるのも連中だ」

「そのヒトたちの種族はヒューマンですか?」

「クォルトも多かった気がするが……何故そんなことを聞く?」


 王都を脱走したドワーフ職人の情報を掴み、勧誘する。

 国や領主に知られないよう密かにこの工房を用意。

 そして壊れた聖魔具を集めて彼に修理させ、密売する。

 こんな大がかりなことが簡単にできるとは思えないが、できるとしたら『裏社会』に通じている彼らしかありえない。


 ――リトルズギルド。


 ジークの動悸が激しくなっていく。

 ダイアモンは、相手の組織を知らないようだ。

 というか「どうでもいい」のだろう。

 脱走した時点で犯罪者と同じなら、今さら何をしても変わらないと自暴自棄になっていたのかもしれない。

 だが、ニムニリトが誘拐されかけたと聞いて、自分の「仕事」のせいではないかと思い、今こうしてすべてを話し、幕を引こうとしているのだろう。

 しかし、そんな単純な話ではない。

 相手は当然、二ムとダイアモンの関係を知っている。

 その上で二ム誘拐を狙ったということは、ダイアモンに対する脅しか、人質として使うつもりだった可能性が高い。

 それを妨害したジークたちのことも、調べられていると見て間違いない。

 そして今、人里離れた場所に、集まってしまっている――


「今すぐここを離れましょう!」


 ジークが立ち上がると同時に、玄関の扉が開いた。


「そういう訳にはいかないんだよなぁ」


 背の低い男が、そこに現れた。

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