二章 第9話

 夜が明けた。

 ジークの家に泊まったニムニリトは、終始緊張した様子だったが、簡単な夕食を振る舞った後には早々に寝てしまった。

 初めての街、さらに凶悪な事件に出くわしたこともあり、疲労が溜まっていたのだろう。

 二ムを残して早朝訓練に行くわけにもいかないので、今朝は遅めに起床。

 昨日の夕食よりもさらに簡素な、パンとソーセージ、リンゴ半分をそれぞれ食べて家を出た。

 二ムを連れて冒険者ギルドに入るなり、赤髪の少女が飛んできた。


「師匠! これはどういうことですか!」

「いきなりどうした?」

「どうもこうもありませんっ! 私がお邪魔した時には迷惑そうな顔をしていたのに、どうして見ず知らずの人は平気で泊まらせるんですか!」

「あの時のお前もほぼ『見ず知らず』だったじゃないか……」

「だから! 何で私とこのコで、扱いに差があるんですか!」


 イルネスが、ジークの後ろに隠れるように立っている二ムニリトに指をさす。


「落ち着け……というか、オレが迷惑そうにしてたの、分かってたのかよ」

「今はその話はいいですっ!」


 後回しにしていい話でもない気がするが、今それを伝えても会話にならないだろう。

 ジークがため息をついていると、イルネスの後ろからやってきたウルウェンテが、諦めたような顔で両手を挙げていた。

 どうやらずっとこの調子のようだ。


「そもそも、オレの家に客を泊めただけで、どうしてイルネスが怒るんだ?」

「だったら私も泊めて下さい!」

「無茶言うな。女性を男一人の家に泊められるわけないだろう」

「じゃあそのコは何なんですか!」

「……ん?」


 ちらりとウルウェンテを見ると「あ」という顔をしていた。

 彼女が昨日のことをだいたい説明してくれている事は察していたが、まさか二ムの性別を説明し忘れていたのか……。


「ニムニリトは男だ」

「嘘をつくならもっとマシな嘘をお願いします! こんな可愛い男の子がいるはずありません!」

「うう……」


 二ムが何とも言えない表情で困っている。

 これはちょっとイルネスの失言だろう。


「イルネス。前にも言ったが、他種族の容姿や年齢について、迂闊に判断しないほうがいい。それは性別も同じだ」

「えっ、でも、このコは……」


 ジークの声のトーンが変わったことを感じたのか、イルネスの勢いが萎む。


「ニムニリトはノーム族で、間違いなく男性だ。イルネス、お前は今、勢いに任せて失礼なことを言ったんだぞ」

「ジークさん、その、ボクは気にしてませんから」


 ジークが厳しいことを言おうとしている雰囲気を察して、二ムがフォローに入る。

 本当に気にしていないならそのフォローを受け入れてもいいが、我慢しているのは顔を見れば分かる。

 ここは師匠として、筋は通さないといけない。


「オレも出会った時、判断がつかなくて二ムに直接、性別を尋ねた。だから謝罪した。誘拐という事件性を考えて聞いたことだが、彼には失礼な質問だと思ったからな」


 言い訳のように付け足したが、二ムが女の子だった場合、誘拐の意味合いも少し変わってくる。

 男と女では奴隷の価値が大きく変わる。

 はっきり言ってしまえば、女性奴隷には「男の性欲を満たすことができる」という付加価値がつくからだ。

 値段の桁が一つ変わるくらいに。

 それがノームの『得られしものブレスド』ともなればなおさらだ。

 あの統率された男三人が、そうした「奴隷として上質の獲物」を狙った集団ならば、街中に侵入してまで二ムを狙った理由にもある程度納得がいく。

 だが二ムは男で、おそらく所持金を狙った犯行とも思えない。

 そうなると、昨日の一件がますます不可解になるのだが、それはそれとして。


「…………」


 ジークは、じっとイルネスの返事を待った。

 ここまで言えば、ジークが何を促しているのか、彼女も理解しただろう。


「あの……」


 みんなが黙っていると、イルネスがおずおずと二ムを覗き込みながら、頭を下げた。


「ごめんなさい、私の勘違いで……」

「いえ、そんな、慣れてるので……」


 何故か二ムも頭を下げて、二人で謝罪し合うような形になってしまった。

 しかしイルネスの直情的な性格は、今後も注意していかないと危なっかしい。


「とりあえず誤解は解けたな」


 少女の後ろではウルウェンテが小さく「すまん」と口を動かしていた。

 二ムの性別を伝え忘れたことについてだと思うが、それに関しては彼女が悪いわけではないだろう。

 ジークは軽く手を挙げて「気にするな」と意思を伝えつつ、ギルドのベンチに全員を誘導する。


「さて、今日の予定だが、まずは二ムの買い出しを済ませようか」

「いえ、あの、さすがに二日続けてお世話になるわけには――」

「いたいた、ジーク!」


 突然、名前を呼ばれた。

 声のしたほうを振り向くと、入り口から手を振って歩いてくる男がいた。

 ルインだ。


「すぐに見つかってよかったよ」

「ルインさん、どうしたんですか、何か分かったことでも?」

「……ちょっと、二人だけで話せないか?」


 ルインの顔色は悪く、目の下の隈も大きい。

 おそらく寝ていないのだろう。

 そしてその表情から、かなり深刻な話であることが窺える。


「分かりました。二ム、すまないがここで少し待っていてくれないか?」

「少しくらいなら構いません。でも予定が遅れているので、あまり長い時間は……」

「大丈夫、すぐ済むから。ジークを借りるよ」


 ルインが答える。

 短時間、かつ短い内容なら、ギルドの相談室を借りるのが最適か。

 ジークはそう判断し、受付で使用の旨を伝えてから二階にある小部屋に入る。

 冒険者ギルドには相談室という小部屋が三つほどあって、ギルドの認識票を持つ者なら誰でも使用できる。

 冒険者には『補助』がいる都合上、会話の内容が漏れやすい。

 特に聞き耳を立てなくても聞こえてしまうことが多々あるのだ。

 冒険者同士は同業者であり仲間だが、同時にライバルでもある。

 受けた依頼や実行する作戦、報酬の分配など、他のパーティに知られたくない情報はたくさんある。

 それらの秘密を守るため、また余計なトラブルを避けるため、遮音性の高いこれらの部屋がギルドによって用意されているというわけだ。


「ジーク、あの少年は何者なんだ?」


 厚めの扉を閉めた途端、ルインが質問してくる。

 かなり焦っているように見えた。


「とりあえず、座って話しましょう」

「いや、いい。……自分でも焦っているのは分かってる。だけどな、偽装品を扱ったとなれば、聖魔具商人としちゃ死活問題だ。潔白を証明しなきゃならない」

「でも、知らなかったことでしょう?」

「そうなると、今度は俺の鑑定眼が疑われることになる。商人は信用を失ったらお終いなんだ。特に個人の店は……いや、むしろ店だけで済めばマシなほうかもしれない」

「もっと大きな罪に問われる、と?」

「……ああ。元々、聖魔具の売買については厳しい管理が求められる。例えば店で盗難があった場合、犯人はもちろん裁かれるが、盗まれた店側も『管理不十分』で処分を受けることがあるほどだ。そんな中で、偽装品を売ったことが領主に知られたら、どんな罪になることか……」

「過去の判例はどうなんですか?」

「偽装は、基本的にすぐバレる。本来の機能を出せなかったり、中古品を新品だと偽って売ったりな。だから売り手もそれを承知で売っているケースがほとんどだ。だから……ほぼ有罪。極刑も珍しくない」


 そんなに重いのか。

 しかしそうなると、潔白を証明するには、確かな証拠を掴まなければならないだろう。

 裁判をする領主や国の審問官だって、聖魔具の専門知識が豊富とは限らない。

『良く分からないが、過去の例を見ても、お前が知らないはずがない』

 と言われてしまっては、証拠を提示しなければ敗色濃厚だろう。

 比喩ではなく、本当に「死活問題」というわけか。

 ジークはどうするべきか考えて、すぐに中央の椅子を引いた。


「事情は分かりました。ですが、やっぱり座ってください。いったん落ち着きましょう」

「…………」


 ルインは何か言いたげだったが、それを飲み込むと黙って椅子に座った。

 大きなため息をついたルインは、疲れた目でテーブルを見つめた。


「情けないよな……いいオッサンが、うろたえちまって」

 白髪の多い頭髪を掴むようにして頭を抱える。

「いえ……そんなことは」

「俺が冒険者をやっていたことは、昨日話したよな。まあ『得られしもの(ブレスド)』として生まれたら、だいたい人生の選択肢に入るだろ?」


 ジークは黙って頷いた。


「だけど、一年も経たずに辞めた……魔物と戦うのが怖かった。自分がいつか殺されたり、手足を失うほどの大怪我を負うかもしれないと考えると……」


 その気持ちはジークも少し分かる。

 冒険者になろうとする者、なったばかりの者は、戦うことの恐怖を知らない。

 むしろ『持たざるものエンプティ』とは違うという特別感や、神魔力がもたらす能力向上によって「戦っても勝てる、活躍できる」という思いを抱きやすい。

 田舎なら子供の頃から村を守るために実戦に加わったりするが、少し大きな町ならばヒトに囲まれ、ヒトの開いた道場などで訓練することが多い。

 冒険者になるまで、魔物の姿すら見たことない者もいる。

 戦闘スキルと、命のやり取りをする覚悟はまったく別の話だ。

 そしてそれは、本当の実戦を経験してみないと分からないことでもある。


「冒険者をやめて、次にやりたい仕事を探した時に思いついたのが聖魔具職人だったわけさ。冒険者やってた時も、道具の準備とか裏方作業が好きだったしな。猛勉強して、技術を磨こうと弟子入りもしたが……これも一流にはなれなかった。予想以上に厳しいシゴキに耐えられなかった。ははっ、こうして思い返すと、逃げてばっかだな、俺の人生は」


 ルインが、力ない笑みを浮かべて顔を上げた。


「俺は、あんたが羨ましいよ、ジーク」

「オレが?」


 予想外の言葉に面食らう。

 

「下級冒険者の底辺……しかも『死神』なんて酷い渾名で呼ばれるほど、死の恐怖を味わって、それでも今なお、冒険者を続けている。あんたが戦い続けられる、その勇気はどこから湧いてくるんだ?」

「勇気とか……そんな大層なもんじゃないですよ。しいて言えば、意地のようなものだと思います」


 いつまでも捨てられない夢。

 そのためだけに、今も体を張り、しがみつき、やる気を絞り出している。


「意地……か」

「オレにとっては、その意地を失くすことが死ぬより怖い……のかもしれません」


 冒険者を続けられなくなった自分。

 年齢的に、それは遠くない未来に訪れる。

 そうなった時――自分は、どうするだろうか?


「なるほど……ますます、あんたを応援したくなったよ」

「それはどうも」

「……っと、すまん。こんな話をしに来たわけじゃないんだ」


 ルインは我に返ったように、懐から何かを取り出した。

 昨日見た『ライカ』の中身だ。


「下にいる、あの少年……一体何者なんだ?」

「何者と言われても……昨日、成り行きで知り合っただけなんです。将来の夢が【創具士フルクリエイター】だとは言ってましたが――」


 ルインの目が、鋭くなっているのに気付く。

 まるで、ジークの言葉から何か裏を嗅ぎ取ろうとしているかのようだ。


「――二ムに何か気になることでも?」

「昨日、あいつが言っていたルーン文字の偽装についてさ。あいつが示した箇所をよく調べたら、確かに不自然と言えなくもない状態だった」

「引っ掛かる言い方ですね。不自然なのか、そうでないのか」

「そのくらい微妙な差だったのさ。丁寧に、注意深く調べてようやく分かるくらいの、な」


 ルインの言いたいことが分かってきた。

 長年、聖魔具を扱ってきたルインが慎重に調べて、ようやく気付くくらいの偽装に、ニムニリトは短時間で気付いた。

 それは何故か?


「……あいつは、この偽装の方法を知ってるんじゃないか?」


 ルインの一言に、ジークの背がすっと冷えていく。

 まさか、二ムがこの偽装を――

 浮かびかけた疑問を、ジークは否定する。


「二ムが偽装するなんてありえないですよ。もしそうなら、昨日、それを明かしてしまうのはおかしいじゃないですか」

「俺もそこまでは考えてない。だが、この偽装の方法を予め知っていなければ、ほとんど一目で見抜くなんて無理だよ。問題は……こんな邪道で特殊な方法を、どこで知ったかということだ」

「……二ムが、偽装した者と関わりがあると?」

「その可能性は、低くはないと睨んでいる。もちろん、あの少年が積極的に協力していることはないだろう。昨日、偽装をバラしたくらいだからな。ただ、誰がこの偽装をしたのか――くらいは気付いていても不思議じゃない。それを、聞き出してくれないか?」


 ――やっぱり、そう来たか。


 ジークは苦いものが胸中に広がるのを感じた。


「こっちが聞いても、警戒して黙ったり、嘘を教えられる可能性がある。昨日の様子を見る限り、少年はジークには心を許しているようだからな。……もちろん、気が進まないのは分かる。だけど、これは俺だけの問題じゃない。偽装聖魔具による被害を広げないためでもあるんだ。あ、もちろん依頼料は払う。何なら、俺の店にある聖魔具をつけてもいい」


 ルインは何とか引き受けてもらおうと、必死に頼んでくる。

 ジークとしても、二ムが無関係かどうか、調べるべきだとは思い始めていた。

 彼の無実を信じたいが、あの鑑定の早さは確かに疑念を生む。

 ジークが確かめることで、逆に彼が関わっていないことを証明すればいいのだ。


「――分かりました。オレが聞き出してみます」

「本当か、助かるよ!」

「ただし、聞き出すタイミングは任せてください。今日すぐにとはいかないかもしれません」

「……そうだな、焦って口を閉ざされても困る。この件はまだ誰にも口外してないから、何日かは耐えられると思う。でも、できるだけ早く頼む……」

「分かりました」

「ありがとう。口約束で悪いが、報酬はきちんと払うから」


 ジークは小さく頷いた。

 リトルズギルドの依頼に加えて、個人依頼か。

 しかも内容はどちらも内偵のようなもの。

 これはクラスを【密偵スパイ】にするべきかと自虐的な冗談を思いついたが、口にはしなかった。

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