二章 第8話

 話を終えて店を出ると、外は暗くなっていた。

 大通りは聖具街灯の明かりで照らされているだろう。

 二ムは小脇に抱えるほどの素材を買い、革袋に入れて背負う。


「さて、次の店へ――」

「いや、もうよそう」


 歩き出そうとした少年を、ジークは引き留めた。

 ルインの店は大通りより少し外れた場所にあるため、周囲は薄暗い。

 この店に限らず、冒険者ご用達の店は大通りにはほぼない。

 目立つところに建てなくても冒険者は来るし、客単価も高く儲かるからだ。

 その分、整備された大通りからは離れるため、街灯も少ない。

 つまり……今襲撃されたら、対応が難しくなる。


「昼のこともあるし、今日はここで切り上げるべきだと思う」

「時間も経ってるし、もう大丈夫なんじゃ……?」

「甘く考えんじゃねーよボウズ」


 ウルウェンテが少し厳しい声で忠告する。


「ああいう連中はメンツを気にする。舐められたら負けってな。当初の目的を忘れて、相手をぶっ殺して終わりって考える単細胞も多い」


 彼女の言う「ああいう連中」とは、貧民区に潜むゴロツキのことだろう。

 さすがに数十年も旅を続けているだけあって、そうした者たちの行動原理についても詳しい。

 ジークも彼女の意見に賛成だが、それ以上のことも考えていた。

 もし二ムが何らかの目的のために狙われていたとしたら、油断できない。


「でもボク、今日中に街を出るつもりでいたので、旅費が……」

「金の心配より、自分の身を案じたほうがいい。冒険者が多く泊まっている宿を紹介するから――」

「でも、材料が買えなかったら、先生に申し訳ないです! ボク、ただでさえ先生に面倒を見てもらっているのに、素材の仕入れさえ満足にできないなんて思われたら……」


 俯いて答えるニムニリト。

 聖魔具などの材料費については詳しくないが、あれだけの所持金があってもギリギリなのかもしれない。

 それに、詳しいことは知らないが、ノームが聖魔具を作るという話は聞いたことがない。

 そういうのはドワーフが圧倒的に多く、次いでヒューマンをポツポツと見かける程度である。

 きっと、二ムが先生に弟子入りすることも、並大抵ではなかっただろう。

 そう思うと、これ以上強くは言えない。

 本来なら警備のしっかりした場所に泊まってほしかったが――仕方ない。

 

「……よし。じゃあ、オレの家に行こう。泊っていくといい」

「えええええっ!」


 湯気が出そうなほど真っ赤になりながら、二ムが飛び上がる。


「と、ととと、泊まっ、と……」

「トマトじゃねーよ。泊まれって言ったんだぞジークは」

「で、でで、でも、その、準備とか、いろいろあって……服も汚れてるし」

「洗濯すればいい。洗い場くらいはある。体を拭くこともできるぞ」


 アグロアーは王国内でも発展した都市であり、水の供給も整備されている。

 ジークの家にも生活用水は瓶に溜めてあるし、足りなければ公共の水場に行って汲めばいいだけだ。

 特にジークは、毎日のように汗だくになって訓練する日課があるので、水浴び用の洗い場を用意しているくらいだった。

 遠方の地域には、桶に湯を張ってそこに浸かるという風習があるようだが、それを取り入れようかと検討したこともある。


「かっ、身体を、拭くって……」 


 モジモジと体を揺すって、ジークの顔を覗き見るようにする二ム。

 ウルウェンテが、眉間に奇妙な皺を寄せて呟く。


「……ボウズ、お前、男だったよな……?」

「え……はい。見た通りです」


 ――いや、見た目では少し難しいと思うぞ。


 ジークは心の中で呟く。

 他種族の性別は判断が難しい場合があるが、ニムニリトは特にそれである。

 後から「実は女の子でした」と言われたら普通に信じてしまいそうだ。


「アタシは個人の自由だと思うけどよ、そういうの」

「そういうのって?」

「自覚はねえのか……ま、頑張りな」


 二ムに向かってそう言うと、ジークの肩をポンと叩いて耳打ちする。


「今んとこ、不穏な気配はないけど、一応気を付けな」

「ああ。……すまないな、オレの勝手な判断で」

「いーって。アンタのそういう真面目なところ、嫌いじゃねーから」


 ククッと含み笑いする褐色のエルフ。

 ふと、ジークは小声で尋ねる。


「この後、単独で動く時間はあるか?」

「嬢ちゃんに見つかって付きまとわれなければ」


 嬢ちゃんとはイルネスのことだ。


「もし時間が取れたら、噂話程度でいい。【聖魔具士クリエイティ】や、関連の職人で行方不明者がいないか探ってみてほしい」

「……そういうことね。了解」


 すぐに意図を察したウルウェンテが小さく頷く。

 故障した聖魔具を直したように装って売りつけるのは完全な詐欺だ。

 もし今回の件が、明らかに詐欺だと判明すれば、領主どころか国が動くレベルの騒動になりかねない。

 当然、加担した製作者――無理な修理を施した者は、重罪に問われる。

 逆に言えば、普通の職人なら、そんな危険な橋を渡るはずがない。

 あるとすれば――悪党に攫われ、無理やり作らされている場合。

 さすがに短絡的すぎる気はするが、とはいえ現状、手掛かりは何もない。

 思いついたものはとにかく確認してみればいいのだ。

 ウルウェンテが脇道に入っていくのを見届けてから、二ムに話しかける。


「よし、行こう。案内する」

「あの……はい……」


 観念したように二ムが頷いて、ジークについてくる。

 家に直行するルートだと少し道が狭いので、やや遠回りになるが大通りを経由して帰ることにする。

 人目はあったほうがいい。


「ジークさんは、冒険者なんですよね?」


 いくらか歩いたところで、二ムがそんなことを呟いた。


「ああ、そうだ」

「……どうして、ボクにここまでしてくれるんですか?」


 振り向くと、二ムは真剣な表情をしていた。


「冒険者は、お金のために魔物と戦う人たちだと聞きました」

「まあ、概ね間違ってはいないな」


 戦うだけがすべてじゃないが、魔物や盗賊といった危険が絡む仕事が圧倒的に多いのも事実だ。

 冒険者は、そうした危険に対して命を張る代わりに、高い報酬を手にする。


「でも、ジークさんは、ボクを助けてくれました。いえ、今も……助け続けてくれています」

「後で金を要求するかもな」


 軽い冗談のつもりだったが、二ムは表情を変えずに首を振った。


「ボクがお金を使えなくて宿に泊まれないと知った後でも、ジークさんは家に案内してくれようとしてます。初めて会ったばかりのボクに、どうしてこんなに親切なんだろうと思って……」


 世間からの、冒険者に対する認識は「金にうるさい」「強欲」といったものが多い。

 命を張って金を稼いでいる以上、それは仕方のない側面もある。

 親切心を出して無償で人助けをすれば、評判は良くなるだろうが、同じように「金はないけど助けてくれ」という依頼が次々に舞い込むことになる。

 最初のうちはいい。

 だが数が増えてくればすべてを助けることはできなくなる。

 そしていずれ「あっちはいいのに、なぜこっちだけ助けてくれない」となり、結局、その冒険者を潰してしまう。

 予想外の親切は喜ばれるが、最初から期待された親切は容易に不満へと変わる。

 過去の歴史からそれを学んでいる冒険者は、だからこそ人助けを「仕事」にしている。

 だが、それでも。

 

「どうして、か……そうだな……」


 ジークは再び歩き出しながら、考えをまとめるように答えていく。


「オレは、冒険者としては底辺だ。二ムを助けられたのも運がよかった。一歩間違えていれば、あの場でオレは死んでいたかもな」

「そ、そんなことないです! ジークさんは強くて、か、カッコよかったです!」

「……ありがとな。まあ、そんなオレだが、今は自分の立てた目標に向かっている」

「それは、どういう?」

「……英雄さ」


 口に出すと、未だに面映ゆい気持ちになる。

 二ムがどんな顔をしているのか、見ることができなかった。

 ジークは照れをごまかすために言葉を続ける。


「でも、ウルウェンテに言われたんだ。英雄になるって、具体的にはどういうことか。オレは、どうなりたいのかって」


 物語に出てくる英雄に憧れた。

 子供の頃から目指し、壁にぶつかり、心を折られ、挫け続け……それでも最後まで諦められずにいた夢。

 だが、英雄というのは結果だ。

 物語の中で、彼らは様々な困難に打ち勝ち、勝利を収めることによって成功を手に入れた。

 大金を手にしたり、国を興したり、美しい姫と結婚したり。

 彼らは彼らの幸せを掴んだのだ。

 ではジークの掴みたかったものとは、そうした結果のことだろうか?


 ――そうじゃない気がする。


 物語では、苦しんでいる人たちがいて、主役たちは彼らを助けていた。

 命を懸けて魔物と戦い、あるいは盗賊に捕えられたヒトビトを助けた。

 誰かのために、懸命になって動く人たちが、ジークにとっての英雄なのだ。


「オレは、ヒトを助けたいんだ。きっと、誰かに必要とされたいんだろうな」


 話ながら、これが一番しっくりくるような気がした。

 ニムニリトは、ジークの話を聞きつつ頷いていたが、どこか羨ましそうに呟いた。


「なんか、いいですね、そういうの……ボクとは正反対です」

「それは【創具士フルクリエイター】になりたいっていう夢の話か?」


 二ムはこくりと頷いた。


「ボクが聖術を使えないのは、お話しましたよね。ボクらノーム族が『得られしものブレスド』として生まれるのは八割くらい。そのほとんどは、聖術を使えるんです」

「さすがは『神に選ばれし種族』だな」


 口に出してから、しまった、と思った。

 神に選ばれし種族が聖術を使えるのなら、ニムニリトは「神に選ばれなかった者」ということになる。

 ジークが謝罪の言葉を口にするより早く、二ムは頷いた。


「そうですね。ノーム族が恵まれているのは事実だと思います。神魔力を授かる確率の高さも、エルフに次いでヒト種第二位と言われていますし」


 二ムがあっさり肯定してしまったので、謝るタイミングを逸してしまった。

 気まずくて黙っていると、二ムが話を続けてくれた。


「ボクは『得られしものブレスド』として生まれました。だから、神に選ばれる資格はあったのかもしれません。でも……ダメでした」

「……聖術が難しかった?」

「いえ。神という存在を、信じ切れなかったんです」


 二ムが立ち止まる気配を感じて、ジークも足を止めて振り返る。

 前髪で顔を隠した少年は、うつむいていた。


「ボクの生まれた村は小さくて、ほとんどがノーム族でした。近くにはヒューマンの村もあったみたいで、交流はありましたけど。両親も、村のみんなも、敬虔な聖教信徒でした」


 二ムが胸の前で聖印を描く仕草をするが、慣れていないのがすぐ分かった。


「神を信じていれば、救われる。苦難は神の与えた試練。幸福は神から授かったもの。愛も、子供が生まれても、誰かが死んでも、すべて神、神、神。じゃあ、ボクらが生きてるのって、全部神のためなんでしょうか?」


 二ムは地面を向いたまま、独白のように続ける。


「ボクが頑張って聖句を覚えても、家事を手伝っても、褒めてくれたと思ったらすぐ次の言葉は『神様に感謝』です。ボクが努力したことは半分が神様のおかげで、でも悪いことをしたら『神様が見ている』と言って全部自分のせい。神様は間違いをしないから、間違えたのはその人のせいなんですって」


 夕闇と髪に隠れた二ムの表情が、皮肉な笑みを浮かべているような気がした。


「だからボクは、神様を信じてなくて……そんな信仰心で聖術なんか、身につくはずないですよね。村の人も、両親も、何も言いませんでしたが、はっきり落胆しているのが伝わってきました。期待外れだと」

「……それで、違う道を選んだのか」

「はい。聖魔具なら、誰が使っても効果は同じです。中には、聖術とほぼ同じ効果を生み出す聖魔具もあります。聖教会は『神の奇跡を軽んじている』と問題視しているようですが――そうなると、聖魔具で同じことができるなら、聖術に信仰心とか、神の教えとか、実は無関係なんじゃないかって思えてきて」

「そうなる、のか?」


 ジークは聖術にも詳しくないし、聖魔具も理屈のほうはさっぱりだ。

 だが、二ムの言いたいことは何となく分かった。

 彼は、必死に見つけようとしているのだ。

 信仰というフィルターを必要としない、自分の知識と努力が通用する世界を。


「そうかも、っていう漠然とした発想ですけど、でもボクは見つけたいんです。神とか、信仰とか関係なく、みんなが聖術を使える可能性。そのために、まずは聖魔具の仕組みを解明して、自分で作れるようにならないと……あっ」


 自分が喋り過ぎたと思ったのか、二ムが慌てて口に手を当てた。


「すみません、こんなこと言われても困りますよね」

「いや、俺も自分の夢を聞いてもらったからな。おあいこだ」


 歩こう、と促して、ジークは続ける。


「二ムはさっき『自分とは逆だ』って言ったけど、オレたちは似てるよ」

「ボクとジークさんが、ですか?」

「ああ。オレは冒険者としては底辺だが、それは神魔力の適正が中途半端で、鍛えても大して成長しなかったからだ。オレは生まれた時から、冒険者として大成しない才能しか与えられなかったんだ」


 二ムはじっと話に耳を傾けていた。

 自分に近い考えを持っている少年の前だからか……ジークは不思議と、言葉を吐き出すことができた。

 ずっと否定したかったこと。

 認めたくなかった事実。

 それが自然に、素直な気持ちで話すことができた。


「でも、それを認めたくなくて、諦めたくなくて、こうしてヒューマンとして中年になっても足掻いている」

「でもボクは、自分のために、自分のことしか考えてなくて……」

「さっき、二ムが自分で言ったじゃないか。『信仰とか関係なく、みんなが聖術を使えたら』って。そうなると便利、ってだけじゃなくて、自分のように聖術が使えなくて悔しい思いをする人が減るといい、って思ったんじゃないか?」

「あ……」


 本当に自分のことしか考えていないなら、自分だけが聖術を使えるようになればすむ話だ。

 あるいは【創具士フルクリエイター】になって金を稼ぎ、自分だけ幸せになることを考えてもいい。

 その場合だって、二ムが作った聖魔具や聖魔武具は、多くの冒険者の役に立つだろう。

 きっとそうして、ヒトの世界は巡っているのだ。


「まあ、底辺のままのオレが言っても説得力ないかもしれないが」

「そんなことないです!」


 二ムが、これまでにないくらい力強く言う。


「やっぱり、ジークさんは素晴らしい冒険者さんです。ボクにとってはすごく、その、カッコいいというか、なんていうか……」

「はは、ありがとう。二ムもいつか、認めてもらえるといいな」

「そうですね。一番認めてほしかった両親は、もうこの世にいませんが……」


 そういえば、彼は孤児として聖教会の施設にいたのだった。


「……両親は、事故か?」

「いえ。魔物に襲われたんです。ボクの村も、近くの村もたくさん全滅したって聞きました。十五年前の話ですけど」


 ――十五年。


 ジークの胃の底が、すっと冷えていく。

 まさか。

 いや、偶然だ。

 一瞬のうちに、頭の中で考えがぐるぐると回る。


「その……魔物は、どういう?」

「実は、その時の記憶が曖昧で、ほとんど覚えていないんですけど……ファイアドレイクだったそうです」


 心臓が、一瞬止まったような気がした。


「ファイアドレイク……」

「はい。両親は必死で神に祈りを捧げてましたけど……家ごと、押しつぶされてしまったみたいです。ボクはたまたま、崩れたがれきの隙間に挟まっていたみたいで、三日後に冒険者に助け出された……って聞きました。記憶ないですけど」


 あの時。

 ジークがイルネスを背負って歩いていたまさにその時、ニムニリトは目の前で両親を失い、なお潰されかかっていた。

 そしてジークが街に戻って安全な場所で寝込んでいた時も、二ムは一人、救助を待っていたのだ。

 二ムは話を続ける。


「そのファイアドレイクは上級冒険者に退治されました。でも、もしこれが神の試練だったとしたら、神はボクら村人に何を求めていたんでしょうね。村人どころか、ファイアドレイクを最初に発見した冒険者たちも全滅したくらいなのに」

「全滅……ね」


 世間ではそういう認識だったのか。

 確かに、加わったばかりの若造なんて、パーティの頭数に入っていないも同然。

 いてもいなくても、大して変わらない存在だったわけだ。


「ジークさん……?」


 あのファイアドレイクの一件を「神の試練」で片づけられたら、ジークでも神や聖教会を否定したくなる。

 両親や仲間たちを失った二ムならなおさらだろう。


「……すまない」

「いえ、ボクにとっては昔のことで、記憶も薄いですし。大丈夫ですよ」


 二ムは「辛い記憶を喋らせた」ことにたいする謝罪だと思ったようだ。


 ――分かっている。


 すべてを救えるはずはない。

 それどころか、たった一人の女の子を助けるだけで精一杯だったのだ。

 そんな自分が、二ムに対して何かを思うことすら傲慢だろう。

 だが、感情がそれを許さない。

 

「そういえば、この街すごいですよね。道が舗装されてるし――」


 二ムが話題を変えて、あれこれと話しかけてくる。

 ジークはそれに適当な相槌を打つことしかできなかった。

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