二章 第6話
「おいジーク、さっきのは何だありゃ」
泣き続ける少年の背中を撫でるジークに、ウルウェンテが言う。
「……すまない」
「前にイルネスを助けに行った時、お前けっこう冷静だったじゃねーか。焦ってはいただろうけど、それとは別に、やるべきことは理解して実行してた。そんなお前が、どこの誰かも分かってない奴を助けるのに、必死過ぎるのは何でだよ?」
「それは……」
組長の依頼を受けた時もそうだった。
かつて、新米冒険者を狙った誘拐事件に巻き込まれ、一人だけ生還することができた――その時の記憶。
思い返せば、今までそのことを振り返ることはほとんどなかった。
無意識に、思い出さないようにしていたのかもしれない。
自分の無力さ、若者を死なせてしまった後悔、そして恐怖と絶望。
何より、相手が魔物ではなく、同じ人だからこそ、その衝撃も大きかったのかもしれない。
言葉が続かないジークに、ウルウェンテもそれ以上は聞いてこなかった。
気まずい空気が流れる中、ようやく落ち着いてきた少年が、小さく鼻をすすっていた。
「……もう大丈夫か?」
「え、あっ、はいっ!」
ジークに抱き留められていた少年は、慌てたように離れて立ち上がった。
前髪が長く、目が隠れてよく見えないが、見て分かるほど赤面している。
死ぬかもしれない恐怖から解放されれば、誰だって興奮状態になるだろう。
「た、助けてくれてありがとうございました!」
「さっきも言ったが、オレはジーク。こっちは冒険者仲間のウルウェンテだ」
「……アンタ、ノームか?」
見ると、少年の耳がヒューマンに比べて少し大きく、縁が薄くギザギザになっている。
これはノーム全体で見られる特徴で、他には細くて垂れ気味の目や、身長の割に大きめの足などがある。
ノームの身長は平均してヒューマンより低く、クォルトより少し高いくらい。
見かけによらず体力はあり、特に持久力はかなりのもので健脚である。
少年は、だぶついたローブの前をぎゅっと握りながら頷く。
どうもその所作を見ていると、気弱な女の子という印象を受けるが……
「あー、勘違いしたら悪いから最初に聞くが……男か?」
「はい、ノーム族の男です」
「そうか、すまない。失礼なことを聞いた」
「気にしないでください。ボク、間違われるのは慣れてるので……」
「そう言ってもらえると助かる。名前は?」
「あっ、ボクはニムニリトと言います。言いにくければ二ムと呼んでください」
「分かった、じゃあ二ム。辛いかもしれないが、ここであったことを教えてくれないか?」
「それが、ボクにもよくわからなくて……」
二ムの話によると、彼はここから二日ほど歩いた森の中で暮らしているらしく、今回は初めてこの街に買い出しにやってきたという。
しかし勝手が分からず、近くを歩いている人についていったらこの貧民区に来てしまったらしい。
何となく雰囲気が良くないので引き返そうと思っていたら、突然後ろから掴まれて口を塞がれ、縛られて……気がついたらジークたちに助け出された後ということだった。
「盗まれたものは?」
ウルウェンテの問いかけに、二ムはローブを捲り、肩から掛けていた鞄や、腰紐に結んでいた袋を覗き込む。
「ええと……大丈夫です、何もなくなってません」
つまり、物取りの仕業ではないということか。
一人の旅人を狙った物取りは珍しいことではないが、そのために街中で攫うのはリスクも手間も大きすぎる。
たいてい凶器を見せつけて「金目のものを出せ」と言えば事足りるからだ。
もしくは、さっさと殺してその場で荷物だけ持ち去ればいい。
となると、やはり目的は金ではなくヒトだろうか。
「どうするよ、ジーク?」
「とりあえずは、衛兵のところまで行こう。二ム、案内するよ」
「いえ、そこまでしてもらうわけには!」
「襲われた人に『後は一人で衛兵詰所まで行っくれ』とは言えないよ。それに、連中が戻ってきてまた襲われる可能性もあるぞ?」
「そ、それは……」
二ムが恐怖を思い出したのか、びくっと体を震わせる。
「すまん、脅したかったわけじゃないんだ。とにかく一緒に行こう。俺のようなオジサンじゃ頼りにならないかもしれないが……」
「いえ、ジークさんならとても安心です!」
何故か鼻息荒くフォローするニムニリト。
「そ、そうか? まあ、そう思ってくれるならありがたい。オレから離れないようにな」
「は、はいっ!」
ジークの左手をぎゅっと握ってくる。
そうと決まれば、さっそく衛兵詰所に案内開始だ。
貧民街を出て、人目の多い大通りを歩く。
衛兵詰所は街の中央にある噴水広場前と、西端の城門付近にそれぞれあり、東端の城内も含めれば三か所だ。
今回は西のほうが近いのでそちらに向かうことにした。
三人横並びで歩くのだが、二ムが何故か、ジークの方をチラチラと見ている気がしてならない。
前髪で目線は隠れているが、顔の向きが明らかにそう動いている。
「何か聞きたいことがあるか?」
「あっ、いいえ、大丈夫です」
頬を赤くして俯く二ム。
しかし少し歩くと、またジークを見ようとする。
初めてやってきた街で誘拐未遂に遭ったのだ。
いくら助けてくれた相手とはいえ、どこか疑う気持ちがあるのかもしれない。
ジークが「死神」と噂されるような底辺冒険者だと知ったら、失望に変わるかもしれないが――そうした経験は、前にもある。
「ボウズ、お前いくつだ?」
ウルウェンテが質問する。
「年齢ですか? 十九歳です」
ヒューマンの感覚で言えば、十二、三くらいに見えるが、ずっと上だった。
こうして並んで歩いても、二ムの身長はジークの肩にも届いていない。
しかし実年齢を聞いてしまうと、手を引いて歩くというのは少し失礼というか、不相応な気がした。
貧民区も抜けているので、ジークはニムニリトの手を離した。
少年が名残惜しそうに手を見つめている気がするが……気のせいだろう。
「仕事は聖職者か、それとも冒険者かい?」
ウルウェンテが続けて尋ねる。
ノームは種族傾向として『
信心深く、聖術の素養も非常によいとされている。
そのため、ノームは多くの【
種族別に見ても断トツだ。
他種族はそうしたことからノームを「神に愛された種族」と呼ぶほどである。
当然というべきか、聖教会の司教も信者も半数以上がノームたちだ。
聖術を使えるノームは、聖教会でも、冒険者の間でも人気だ。
危険を伴う冒険者にとっては心強い味方だし、聖教会でも聖術は「神の奇跡」という位置づけで、負傷者や病人の治療を担っている。
二ムは、沈んだ表情で首を振った。
「いえ、ボク、聖術の才能はないので……。一応『
「あー、それは……悪ぃ」
ウルウェンテ自身も、エルフでありながら精霊術が使えない。
そうした「できて当然と思われる偏見」を受けて生きてきた彼女だからこそ、二ムの気持ちをすぐ察することができたのだろう。
「いえ、大丈夫です……当たり前だと思うので」
少し引っかかる言い方だった。
気になって尋ねてみようとジークが思ったところで、衛兵詰所にたどり着いた。
まあ、この話は後でもできる。
今は事件の処理を優先したほうがいいだろう。
ジークは頑丈な扉を潜り、詰所の中に入る。
「こんにちは、フレッドさん」
「どうぞ……ああ、ジークか」
衛兵のフレッドは、読んでいた紙束から顔を上げたが、来客がジークだと分かるとすぐに気を抜いた。
「今日は何を拾ったんだ? そこの拾得物票に適当に書いといてくれ」
「相変わらず適当ですね、フレッドさん」
「うるせぇ、お前こそ落としモノばっかり俺んとこ来やがって。たまには珍しい事件でも持ってこいってんだ」
五十を少し過ぎたばかりのフレッドは、皮の兜の隙間から指を強引に突っ込んで頭をポリポリと掻く。
彼の態度がいい加減なのはジークを見下しているからではなく、もともと小さな事件や事故に興味が薄いのだ。
若い頃は、警備隊長や城内兵にまで上り詰めてやると息巻いていたようだが……そう甘くはなかったようである。
「今日はちょっと大きめの事件だと思うんですが……少し真面目に聞いてもらっていいですか?」
「ほう?」
再び顔を上げたフレッドは、ジークの後ろに隠れるようにして立っている二ムにようやく気付いたようだった。
「誘拐未遂です」
「お前が?」
「だから真面目に聞いてくださいって。貧民区です」
「あー、はいはい、よくあることだな」
身を乗り出しかけたフレッドの気がまた抜ける。
彼がこういう男だということは、何度も顔を合わせて知っているが、二ムのことを本気で心配している身としては少々まどろっこしい。
フレッドは言う。
「それ、誘拐じゃなくて物取りだろ。とりあえず連れ去って、後で身包み剝ぐパターン」
「貧民区で、そんな大がかりな物取りをすることあるんですか?」
「そりゃ、おめえ……」
面倒そうに表情を曇らせるフレッド。
確かに連れ去ってから身包み剥ぐ方法はあるが、それは旅の途中の商人や貴族を狙った盗賊の手法だ。
誘拐に成功すれば身代金を要求できるため一石二鳥という算段である。
だが貧民区に訪れる人を相手にそんなことをしても、目撃者が増えるし、事件が大きくなって衛兵たちが本腰を入れて動く危険もある。
そもそも、身代金を払えるような家柄の者が貧民区に近づくはずがない。
「それに、相手は三人組で、最低でも一人は『
「はぁ?」
「嘘はつきませんよ」
「ううむ……おい、そこの襲われたやつ」
「ニムニリトです……」
「おう、とりあえず荷物を見せてくれ」
フレッドに促されて、二ムはジークと共にフレッドの前のテーブルに座ると、ローブの下から袋をいくつか置いた。
「これが仕入れ金の入った袋で、こっちが常備薬の入った袋で――」
「おい、なんだこの額は!」
仕入れ金の袋を開いたフレッドが目を丸くする。
覗き込むと、そこには金貨が十数枚、銀貨がその五倍は入っている。
金貨など、普通の平民ではなかなかお目にかかれない。
冒険者でも、月平均で金貨に届くようになるのは中級冒険者あたりからだ。
「すげえ大金だな……お前、豪商か何かか?」
「いえ、ボクはその……職人見習いと言いますか……」
「ははぁ、こんだけの金を持ち歩いてれば、貧民区で誘拐する気にもなるぜ」
それは「二ムが大金を持っている」と分かっていればの話だ。
「二ム、ここに来るまで、この袋を誰かに見せたか?」
「いいえ。ずっと一人で歩いて来ましたし、旅費はこっちの袋に入ってて、宿ではこっちを見せてましたし……」
「なあフレッド、やっぱりここれはただの物取りじゃ――」
「フレッド!」
ジークの言葉を遮るように、詰所に衛兵が怒鳴り込んできた。
「今は定期巡回の時間だろうが! 何でまだここにいるんだ!」
「げっ」
フレッドは慌てて立ち上がると、二ムの荷物を押し付けるようにして返す。
「い、今こいつらの話を聞いてやってたところで、もう行きますんで!」
「いや、待ってくれ、話はまだ――」
「隊長、減給は勘弁を!」
フレッドはバタバタと支度をしつつ、外を指差して「帰れ」と言ってくる。
「フレッドさん」
「貧民区で襲われたけど、冒険者が助けに入って無事。怪我もなさそうだし、持ち物もなくなってない。そんで十分だろ」
「それは、そうだけど……」
「一応、貧民区を巡回してきてやる。後で報告書も書いといてやるよ。悪いが、この件はここまでだ」
二ムが荷物をしまい終えると、ジークたちは外へと追い出されてしまった。
「……あいつが出世できなかったの、分かる気がすんな」
外で待っていたウルウェンテが、やれやれと首をすくめた。
聞き耳だけは立てていたようだ。
ジークは小さくため息をつく。
フレッドの扱いは酷いと思ったが、冷静になって考えてみれば、事件は未遂で大きな被害はない。
さらに相手も不明で、ひったくりの多い貧民区での出来事となれば、衛兵を本気で動かすのは難しかったかもしれない。
二ムが街に滞在している間だけでも護衛を頼めたらよかったのだが――いや、それも甘い考えだ。
衛兵を護衛に使うなど、それこそ王族や貴族だけだろう。
二ムが大金を持っていることには驚いたが、逆にこれだけあれば「自分で護衛を雇え」と言われて終わりだ。
「すみません、ボクのせいでご迷惑を……」
「いや、君は悪くない。……個人的に、どうしても気にるんだ」
「えっ」
赤面するニムニリト。
何だ、さっきの誘拐未遂は、彼にとって恥ずべき事だったのだろうか?
三対一では抵抗するのも難しいだろうし、貧民区に迷い込んでしまったのも初めて訪れる街であれば仕方ないことだろう。
「んで、この後どうすんだ?」
ウルウェンテが尋ねてくる。
事件の報告は一応だが終わったし、衛兵が「保護すべし」と判断しなかったのならここで解散でも構わないだろう。
だが、やはりどうしても気になってしまう。
組長の依頼と今回の誘拐未遂、何らかの繋がりはないだろうか?
「……ウルウェンテはどう思う?」
「アタシは、アンタの判断に任せるよ。期限は一ヶ月もあるし、正直、何から手をつけたらいいかなんてサッパリなんだ。気になることがあるなら、それを片付けてからだって構いやしねーよ」
判断は任せる、か。
長い間、ソロ活動してきたジークにとって、判断の影響は常に自分自身だけだった。
失敗しても被害を受けるのは自分。
依頼主に迷惑がかかっても謝罪して賠償するのは自分。
だがパーティを立ち上げた以上、その考えは改めなければならない。
ウルウェンテはパーティメンバーではないが、協力関係という意味ではパーティみたいなものだ。
しっかり考え、できるだけ正確な、あるいは妥当な判断を下さなければならない。
「二ム、これからの君の予定は?」
「えっ、あ、とりあえず仕入れをしないといけないので、お店に行かなくてはいけないんですが……」
「このまま何もせず、家に帰ることはできるか?」
「これはボクが任された仕事ですし『先生』にご迷惑をおかけすることになってしまうので……」
『先生』とやらが誰かは知らないが、どうやら用事が終わらなければ帰れないようだった。
「よし、分かった。じゃあオレが、その仕入れに付き合おう。この街の案内も必要だろう?」
「うえっ? そ、そんなご迷惑はかけられません!」
「乗りかかった船だ。それに、さっきも言ったが、連中がまた来る可能性もあるんだ。せめて今日、街の中にいる間は同行させてもらいたい」
「アタシはどうする?」
「よければ一緒に来てほしい。あの三人組相手にオレ一人では、戦うにも逃げるにも不安だ」
「おっけ。よろしくなボウズ」
二ムが何か言おうとする前に、二人で話をまとめてしまった。
少年はどうも引っ込み思案なのか、すぐに遠慮する癖があるようなので、このくらいでちょうどいいだろう。
もしかしたら本当に迷惑だと思っているかもしれないが……誘拐の場面を見てしまった後では、このまま放置はしたくない。
「まあ、オレたちでは頼りないだろうけど」
「そ、そんなことありません! よろしくお願いします!」
顔を赤くした二ムは、何度もお辞儀をするのだった。
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