二章 第5話
組長の後を追うように、ジークたちは扉を潜った。
石膏で固められた廊下は物静かで、照明はついているが薄暗く感じた。
途中、いくつかの部屋の前を通過したが、ほとんど無音だった。
「静かだな……」
「ここの職員は、そう教育されるんだとさ。音を『情報』として収集する自分たちが、積極的に音を立てるのは好ましくないってよ」
「まじか」
それは一理あるかもしれないが、毎日ずっとそんなことをしていたら緊張と疲労でおかしくなりそうだ。
ウルウェンテは、少し前を歩く組長に配慮する様子もなく、普通に喋り続ける。
「知ってると思うが、リトルズギルドは独自の情報網があり、それを商売にしている。優秀な【
「つまり、職員はいつでも【
「あくまで初歩だけどな」
音を一切立てないのが初歩とは。
ジークは「補助」ポジションの過酷さを垣間見た気がした。
「ここだ、入りなさい」
組長が扉を開けて先に中へ入る。
後を追ってウルウェンテが入り、ジークもそれに続いた。
部屋はなかなかに広く、高価そうな壺やタペストリーが飾ってある。
踏みしめる絨毯も柔らかく、弾むようだ。
中央には応接用のテーブルとゆったりした椅子が四脚あった。
組長に促されるままに座る。
「外からの来客専門の応接室だ。居心地悪いかね?」
図星だった。
絨毯や椅子の感触がどうにも落ち着かないと思っていたのだが、一瞬で見抜かれてしまった。
さすが、リトルズギルドを束ねる者ということか。
「んで、アタシらに話ってのは?」
いきなり本題を切り出すウルウェンテに、組長は気にした様子もなく話をする。
「おめぇに頼まれていた『例の件』だが、難航している」
「……予想はしてたけどな。アタシには金もコネもないし、無理は言わない。できる範囲で構わねーよ」
「そのコネを、作ってみる気はないか?」
「は?」
ウルウェンテは目を瞬かせる。
組長の言わんとしていることが、ジークにはすぐわかった。
「内密の依頼ですか?」
「察しがいい。その通りだ」
「組長が、アタシたちに直接依頼を? それはちょっと変じゃねーか?」
「ほう?」
「だって、組長はアタシの技能のレベルを知ってるし、こっちは『死神』って呼ばれてる男だ。組長が持ってくるような依頼を、アタシたちで達成できるとは思えねえ」
組長は頷きつつ、髭のない顎先を指で撫でる。
「確かに、そこまで期待はしてねぇ。だが、おめえらだからこそ、できる仕事もあるってぇことだ」
「身内の調査でしょうか?」
ジークの言葉に、組長の指がぴたりと止まった。
じっとこちらを見ている。
答えてくれる様子はない。こちらの推測を言ってみろ、ということだろうか。
ウルウェンテもジークを見ていた。
若干の居心地の悪さを感じながらも、考えを述べる。
「つまり、ええと……旅の冒険者であり、まだこの街に馴染みの薄いウルウェンテなら、目立つことなく、リトルズギルドの誰かを調査することができるかもしれない。そしてオレは冒険者底辺としては有名だから、相手が油断するかもしれない」
「ここの【
ウルウェンテが突っ込むが、ジークは頷いて見せた。
「むしろ同業者だからこそ、調査の方法も把握しているし、情報網も掴んでいる。内部の者を使えば相手に察知されて逃げられるか、かわされる。だから俺たちのほうが、警戒されにくく調査に向いている可能性はある」
おそらく組長も、慎重に調べを進めているのだろう。
だが、なかなか尻尾を掴ませないから、次の一手としてジークたちに声をかけたというところだろう。
そして、組長が権力や人脈を使って強硬に進めず、慎重になる理由は限られる。
「調査の対象はおそらく、リトルズギルドの幹部クラスでは?」
組長の手が顎から離れた。
「……おめぇ、本当に底辺冒険者か?」
「自他ともにそういう認識です」
事実なので、素直に肯定しておく。
ただ――内に秘めた思いは、以前とは違う。
英雄を目指すと決めたのだから。
ちなみに、組長の依頼が身内幹部の調査であると言ったのは、かつて冒険者ギルドで似た依頼を受けたことがあるからだった。
その時は結局、ほとんど役に立てなかったが。
「まあいい。おめぇたちが優秀なら、それに越したことはない。おめぇの言う通り、幹部の調査依頼だ。相手はここの副組長」
「ギルモアを?」
ウルウェンテが、驚いたように声を上げた。
「そうだ。ただし、俺からの依頼であることは一切他言無用。確実な証拠をつかむまで、おめぇたちから俺への接触も許可しない」
「孤立無援てことですか」
「そうだ。もし下手を打っておめぇたちが捕まったり、何らかの騒動に巻き込まれても、俺から助け船を出すことはねぇ。知らないフリをする」
「……アタシたちを、捨て駒にする気か?」
「その通りだ」
平然と答える組長。
ウルウェンテは納得いかなさそうな顔をしているが、むしろ捨て駒にできないようでは外部に頼む意味がない。
となると、残る問題は二つ。
「報酬は?」
ジークの言葉に、組長は頷いてからまずウルウェンテを見る。
「『例の件』で、全力を尽くす。俺の権力と人脈を使って、最良の条件を満たすと約束しよう」
「……ちっ、足下見やがって」
「オレの方は?」
「先ほど、情報が欲しいと言っていたな。ならば成功報酬として、お前の欲しい情報を二つ、無償で提供しよう。調査が必要な情報なら、調査費も無料で請け負う」
「まだ何の情報が欲しいか伝えていませんが」
「だから二つだ。一つはお前が今知りたいこと、もう一つは他に売って金になる情報……といった具合に、お前が好きに選べばいい」
――なるほど。
さすがの交渉術だとジークは感心した。
単純に金を積むよりも、知りたいことがある者にとっては魅力的な報酬といえる。
「じゃあ後は、具体的な調査内容ですね。オレたちに、何を調べてきてほしいんですか?」
「副長ギルモアが、大きな金を動かしている可能性が出てきた。もちろん彼の個人資産じゃねえ。リトルズギルドの仕事でもねえ」
「なんか一人で商売始めたんじゃねーの?」
適当にウルウェンテが答える。
……商売、か。
あながち的外れではないかもしれない。
「つまり……組長やギルドにも内密で、何か違法な稼ぎをしている可能性があるということですか」
「……その疑いがある、というだけだがな」
組長は控え目に言うが、おそらく「クロ」だと睨んでいるのだろう。
そうでなければ、わざわざ自分の動きが漏れやすい外部にこんな話は持ち掛けない。
「それで、そのギルモア氏の動きを掴めたとして、その後は?」
「俺へ報告だ。ギルドの不始末はギルドでつける。国や領主、他のギルドには渡さないでくれ」
「組長、せめてアタリくらいはついてねーのかよ。何の稼ぎとかよ」
「それが分かっていれば苦労はしていない。だが、小遣い稼ぎ程度ではない……金の規模が違う」
「その上で違法っつーと、禁止薬物か……奴隷売買」
ジークの全身に鳥肌が立つ。
違法の奴隷売買……かつて若かりし頃、ジークが巻き込まれた事件だ。
「やります」
気が付くと、口から言葉が出ていた。
ウルウェンテは少し驚いた様子でこちらを見る。
「ジーク……いいのかよ?」
「もちろんだ。きみは?」
「そりゃ……ジークがやるってんなら、アタシも構わねーけど」
組長が小さく頷いた。
「結構。他に質問があったら言ってくれ」
「期限は?」
「ひと月だ。それ以上は待てん」
「これといった情報が掴めなかったら?」
「報酬はなしだ。期限のひと月で俺に報告がなければそう判断する。さっきも言ったが、調査途中でのミスには一切俺は関わらねえ。慎重にコトを進めてくれ。身の安全のためにもな」
「アンタが約束の報酬を払ってくれる保証は?」
ウルウェンテが言う。
「書面では残せん。口約束になる。後は、俺の名にかけて……と言うしかないが、信用できんか?」
「組長の名前、知らねーもん」
組長が初めて笑った。
「俺の名前は、アイザーだ。二人とも、よろしく頼む」
「了解しました。やれるだけやってみます」
「報酬、忘れんなよ」
ジークたちはそれぞれ返事をして、席を立つのだった。
リトルズギルドを出て、少し歩いた頃。
隣を歩くウルウェンテが話しかけてきた。
「それにしても、ジークが引き受けるとは思わなかったよ」
「そんなに変か?」
「どっちかっつーと、アタシが巻き込んだような形だったしなぁ。それに、依頼内容はほとんど【
「……いや、そんなことはないよ」
確かに、英雄を志す者がやるような仕事ではないかもしれない。
だが、どうしても「奴隷売買」という言葉が頭から離れなかった。
もし、あんな悲劇がこんな近くで行なわれているなら、何とかしたい。
「むしろ、オレが先に引き受けると答えたことで、ウルウェンテが断り辛くなってないか心配なんだが」
「いや、アタシは一人でも引き受けるつもりだったからな」
「さっきの『例の件』てやつか?」
ちょっと気になっていたので、ここで聞いてみる。
しかしやはりというか、ウルウェンテは視線を逸らした。
「あー、いや、アレはその、なんだ……アタシの個人的な事情ってやつだ」
「まあ、無理に応えなくてもいいけど」
人に話し辛い内容だというのは分かっているので、ジークも深入りはしない。
そういえば、彼女は目的があって一人で旅をしていると言っていた。
それに繋がることなのかもしれない。
そんなことを考えていた時だった。
「……おい、ジーク」
緊張した声で、ウルウェンテが呼び止める。
これまでも何度か聞いた声だ。
ジークも足を止めて、いつでも動けるように意識を切り替える。
「どうした」
「人の声が聞こえた……気がした。悲鳴かもしれねえ」
ジークは周囲を見渡す。
リトルズギルドのある貧民区は、犯罪の発生率が他区画に比べて高い。
巡回する衛兵の目を盗み、他人の富や食料を奪う。
これでも聖教会からの施しや、リトルズギルドの管理もあって、他の街より少ない方らしいが……
「方角は?」
「おそらくこっちだ」
ウルウェンテが指差した方向に、即座に駆け出す。
彼女もすぐに並走する。
誘導に従い、崩れそうな壁の横を駆け抜け、裏路地へ。
物乞いの老人が伸ばす手を飛び越えて、異臭のする路地を走る。
――見えた!
ヒトの姿が四つ。
身長差のある二人が立っていて、一人がしゃがみ込んでいる。
その三人は覆面をしていて、顔は良く分からない。
地面には小さな人物――子供だろうか――が倒れていて、足を縛られている。
口と手はすでに縛り終えているようだ。
小さな人物は必死に体をくねらせているが、まるで抵抗になっていない。
ジークと、その子供の目が合った。
涙を流し、恐怖で引きつった顔が、すがるような表情に変わる。
口に布でも詰め込まれているのか、くぐもったうめき声が聞こえるが、その声は確かにこう言っているように見えた。
――助けて!
瞬間。
ジークは全身の神魔力を一気に解き放っていた。
ウルウェンテを抜いて、一気に間合いを詰める。
立っていた背の高い一人がジークの前に立ち塞がる。
迷いなく、ジークは剣を抜き放った。
そして男を袈裟斬りに――できなかった。
神魔力で強化されたジークの素早い一撃を、腰から抜いたショートソードで受け、それを横へ流したのだ。
――しまった!
覆面の反応速度は『
まさか貧民街で犯罪を犯すような奴に『
普通『
それこそ裏の社会でも。
ありきたりな「盗賊」になったとしても、こんな場所で人を攫っているよりは金が手に入るはずだ。
だから、ここにいる男たちも『
体勢を崩されたジークの顔面を、覆面のショートソードが狙う。
「くっ!」
毒づきながら、崩された勢いのままにしゃがみ込む。
辛うじてその一撃は回避したが、隙を晒したままなのは変わらず。
ジークが立ち上がったり、ロングソードを振り上げるより先に、覆面のショートソードはジークの頭を貫くだろう。
一か八か。
ジークはしゃがんだ姿勢から、剣を捨て、前のめりになるように覆面の胴に組み付いた。
ガギギッ!
背中で異音。
邪魔になるからと背負っておいた盾に、覆面のショートソードがぶつかったのだ。
もし覆面が格闘技術を持っていて、蹴りでジークの顔や頭を潰しに来ていたら――終わっていた。
そして逆にジークは、短期間ではあるが格闘技術を修練した経験がある。
瞬時に、次の一手となる技を選択。
「うらぁっ!」
密着した状態からジークは覆面の顎に向かって伸びあがるように頭突きを放つ。
組み伏せることもできたが、他の覆面たちに横槍を入れられる可能性が高い。
革兜を通して前頭部に手ごたえ。
がちん、と覆面の歯がぶつかる鈍い音が鳴る。
会心の命中だ。
すぐさまジークは手刀で覆面の腕を打つ。
ショートソードを手放したのを見て、下がろうとする覆面の胸を前蹴り。
確かな手ごたえを残して、男が大きく吹き飛んだ。
「チッ、冒険者か……」
拳を構えて戦闘態勢を取るジークに、背の低い覆面が呟く。
男の声だ。
体格的に見て、クォルトか。
腰の両側にショートソードを佩いている。
その男は腰に手を伸ばしかけ、すぐにそれを止める。
代わりに、ハンドサインらしき動きを見せる。
縛られた人物――子供だろうか――の側でしゃがんだまま様子を見ていた覆面が、小さく頷いて移動し、吹っ飛ばされたもう一人を抱え起こす。
そして、そのまま路地の奥へと小走りに消えて行った。
クォルトらしき男は、いつでも抜刀できる姿勢でジークを凝視していたが、しばらくしてするすると後退していく。
――ただのゴロツキじゃないな。
ほとんど言葉もなしに、迅速に行動している。
撤退の判断も早く、獲物を前に惜しむ様子もない。
中級以上の冒険者や軍人のような、よく訓練された動きだ。
「ジーク」
ウルウェンテが剣を拾ってくれたようで、差し出された柄を握る。
ただ、その目には少し非難の色が混じっていた。
勝手に飛び出していったことに対するものだろう。
ジークが今、無傷でいられるのは、ほとんど幸運によるものだ。
分かっているという返事のつもりで微かに頷きつつ、すでに遠く離れている男たちに向かって構えた。
追跡はしない。
追った先に仲間が控えている可能性もあるし、動ける相手が二人とも『得られしもの(ブレスド)』だった場合、こちらのほうが戦力的には恐らく不利だ。
「……いいぞ、ジーク。もう行った」
ウルウェンテの言葉に、ふうと息を吐いてロングソードを鞘に納める。
反省だらけの行動だったが、とにかく今は、被害者の救助が先だ。
「オレは冒険者ジーク。君を襲った連中は去った、もう大丈夫だ」
ジークは名乗りつつ、転がされた子供に近づいた。
子供は丈の長いローブを着ていた。
縛られた手足、そして嚙まされた猿轡が痛々しい。
「今、ロープを解く。危ないから動かないでくれ」
ギチギチに絞められたロープは解けそうにないため、投擲用ナイフで切断する。
まずは足、そして手。
言いつけを守ってくれているのか、子供はじっと動かなかった。
肩を抱き上げるようにして上半身を起こし、座らせる。
こうして見ても、やはり小柄だ。
まだ恐怖が残っているのか、水色のボブカットヘアが小刻みに震えている。
骨格からして、男の子だろうか。
「あと少しだ」
最後に猿轡の布を、皮膚を傷つけないように慎重に切る。
最後に、口内に詰め込まれた布の塊をそっと引っ張り出す。
「ほら、もう安心だ。どこか痛いところはあるか?」
懐から別の布を取り出し、少年の顔についた涙や鼻水、よだれなどを拭いてやる。
すると、吹き終えた先から新たに涙を溢れさせた少年は、ジークの胸に飛び込んできた。
「うわぁぁぁぁぁぁん!」
「……っと」
少年を受け止めながら、ジークはひとまず、ほっと息をつくのだった。
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