二章 第4話


 貧民区と呼ばれる場所がある。

 もちろんこれは公称ではなく、アグロアーに住む人々がいつからかそう呼ぶようになっていたのだ。

 住宅街の多い南西区画の中でも、さらに南の端。

 老朽化した建物が立ち並び、行き交う人の表情もどこか暗い。

 路地裏に入れば、やせ細った男が座り込み、物乞いの器を前に項垂れている。

 そんな場所だ。

 ジークは今、一人でこの貧民区にやってきていた。

 さすがにイルネスを、ここに連れてくるのは気が引けた。

 目的は、ここに居を構えているギルド。

 その名を『リトルズギルド』という。

 ここがどういった組織なのか――それを知るには、少しばかり説明が必要だ。



 リトルズギルドは、元はクォルトたちが立ち上げたギルドだ。

 クォルトはヒト種の中でも小柄で、平均でヒューマンの五~六割程度の体格しか持たない。

 そのため力があまり強くないが、身体が軽く、素早く動けて手先も器用。

 目や耳もいい。

 エルフと同じく狩猟が得意だが、追いかけて狩るというより、罠をしかけて搦手で仕留める技術が高い。

 ヒューマン、ノームに続いて種全体の数が多いが、力仕事が苦手なため建築や土木作業は苦手で、定住せず、季節に応じて狩場を転々としていた。

 そんな彼らは、過去、他の種族から嫌われていた歴史を持つ。

 それはクォルトが、窃盗や略奪に近い行為を繰り返していたことによる。

 移住を繰り返す彼らは現地調達が基本で食料を貯め込むことがない。

 そのため、厳冬がやってくると、飢えをしのぐために他種族の家や倉庫に密かに侵入し、貯蓄を奪っていたのである。

 もともと器用な彼らは、その過程で『鍵開け』や『罠解除』の技能を磨いていった。

 ヒューマンやドワーフ、エルフたちは、野生の狼と同じようにクォルトを警戒し、時には討伐してまで追い払っていたのだ。


 その状況が変化したのは、千年前の魔物大量発生。

 ヒト種が襲われ、多数の命が失われるこの大災厄に対して、ヒト種は結束し、魔物に抵抗することで生き延びた。

 この「結束したヒト種」の中に、当初クォルトはいなかった。

 彼らの被害は特に深刻だった。

 居住地がないため防衛施設もなく、とにかく逃げるしかない。

 運よく逃げ切れても、狩場にたどり着けず飢え死にする者たちも大勢いた。

 クォルトのそれぞれの集団を率いるリーダーたちは、話し合いの末、他のヒト種たちに救いを求めた。

 ヒト種の王たちも、これを受け入れた。

 その条件として、領地内ではその領地の法律を遵守すること、クォルトの持つ技能を人々のために役立てることを約束させた。

 こうして大災厄を生き延びたクォルトたちだが、過去の遺恨が完全に解消されたわけではない。

 また、リーダーが目を光らせていても、下っ端が盗みを働く場合もあった。

 これを放置してしては、再びクォルトは他のヒト種たちから嫌われ、弾き出されてしまう。

 そこで結成されたのが同族を監視する『リトルズギルド』である。


 ギルドの管理は厳しかった。

 違反者には死罪や手足の切断刑など、容赦のない処罰が下された。

 特に『鍵開け』『罠解除』といった、盗みに使われる技能を持つ者はギルドへの登録を必須とした。

 自身を厳しく律することで、クォルトは他のヒト族に許容され、共存できた。

 やがてギルドは、思わぬ形で発展を見せる。

 人々が復興の兆しを見せ、冒険者稼業が盛んになってくると、クォルトの持つ技能が重宝され始めたのである。

 『罠解除』は、魔物の仕掛けた、魔力の込められた罠も見抜き、解除する。

 『鍵開け』は、『遺跡(エデン)』に残された城門や宝物庫を開くために必要とされた。

 『索敵』能力の優秀さは、優れた【斥候スカウト】として信用された。

 リトルズギルドは、これらの技能を持つ者たちを冒険者たちに紹介することで、クォルトの地位をさらに高めていった。

 冒険者たちは「前衛」「後衛」に加えて「補助」というポジションを作り出し、多くのクォルトがここに加わった。

 技能そのものは習得技術として公開され、今では登録さえすれば誰でも学べるのだが、クォルトが最も優れた技能効果を発揮している。

 

 これが、リトルズギルドの歴史である。

 ジークがここを訪ねるのは、ずいぶん久しぶりだ。


「……ふぅ」


 無骨で質素、頑丈そうだが飾り気のない――看板すらもない――石造りの大きな建物が、アグロアーのリトルズギルド支部だ。

 中から声や物音が聞こえてくることもなく、夜に訪れたなら廃屋かと勘違いしそうな気がする。

 ……そもそも貧民区自体、夜に入るのはグループを組んだ見回りの衛兵か、世間知らずの間抜けくらいだが。

 ジークは深く呼吸をして、気持ちを落ち着ける。

 以前に来たときは冒険者ギルドの仕事だったので、特に気負いはなかったが、改めて、建物から威圧感というか、ほの暗い空気が漂って見えた。


「あっ――」


 小さな呟きは、後ろから聞こえた。

 驚いて振り返ると、そこに立っていたのはウルウェンテだった。

 フードの奥で、目がまん丸に見開いている。


「ジーク、どうしてこんなところに? びっくりしたよ」

「……オレもだ。珍しい場所で会ったな」


 予想外だったが、そもそもウルウェンテは【斥候スカウト】である。

 そう考えれば、ここにいるのは不思議ではない。

 彼女はエルフであり、種族としての適性は「後衛」なのだが、旅の途中で習得したという「補助」のポジションに就いている。

 リトルズギルドにも登録しているのだろう。

 とはいえ、彼女もジークと同じく、長い間一人で冒険者をやっているので、ポジションにあまり意味はないのだが。

 一人で魔物に遭遇して「補助だから戦闘はしません」というわけにはいかない。

 まあ、護衛の仕事でもなければ、危険な魔物からは逃げればいいのだが――それがソロ冒険者の強みでもあり、また頼りなく見られる要因でもある。


「ギルドに用事かい?」

「まあ、な。ちょっと知りたいことがあって」

「ふーん……」


 ウルウェンテは少し迷うように視線を彷徨わせた後、フードの上から頭をがしがしと掻いた。


「そうだな……んじゃ、一緒に行くか?」

「いいのか?」


 正直、不安があったので、同行してくれるのはかなりありがたい。


「目の前でバッタリ出会って、別々に中に入ったら違和感しかねーよ。そういうの、ギルドの連中はよく見てるからな」

「助かる。ちょっと欲しい情報があったんだ」

「……あんまり期待されても困るけどな。むしろ逆効果かも」

「え?」


 ジークの疑問符に答える間もなく、ウルウェンテはさっさと先行してドアに手をかけた。

 「逆効果」の意味は気になったが、底辺冒険者の自分一人で行くよりはずっといいだろう。

 大人しく後ろについていく。

 分厚い鉄扉を潜ると、ロビーがあり、正面のカウンターに男が一人だけ座っていた。

 他には誰もいない。

 冒険者ギルドなら、職員や冒険者たちが常にそこらへんにいたりするのだが。

 カウンターの横に扉が二つあるので、リトルズギルド職員たちは奥で仕事をしているのだろう。


「お邪魔するよ」


 ウルウェンテの言葉に、カウンターに座っていたクォルトの男性が椅子から立ち上がった。

 だが、とても歓迎といった表情ではなかった。


「おうおう、これは高貴なエルフ様のウルウェンテ嬢じゃねえか。こんなみすぼらしい場所に何の御用で?」

「アンタ、いつもだいたい同じ煽り文句じゃねーか。挑発するならもう少しセンスのある言葉を覚えな」

「こりゃすまねえ。あっしは下賤なクォルトなもんで、ろくな学も知恵もねえ。エルフ様の高尚なお説教を賜っちまったぜ」


 ただの軽口……ではないだろう。

 激しい口調ではないが、剣呑とした雰囲気が感じられる。

 先ほどの「逆効果」はこのことを指して言ったのだろうか。


「アタシのことは今はいい。まずはこっちの話を聞いてやってくれ」

「……聞こえてたぜ。情報だろ?」


 クォルトの男の視線が、ジークに向けられる。

 おそらく、建物の外での話が彼には聞こえていたのだろう。

 ジークは頷いた。

 クォルトはじろじろとジークを見ていたが、やがて鼻で笑った。


「お前、あれだろ。最近何かと噂の『死神』なんだろ?」

「……そう呼ばれている」

「ハッ、不器用エルフ様に底辺ヒューマンの組み合わせかよ。役立たず同士、お似合いなんじゃねえの?」


 ウルウェンテの気配が、隣のジークにもはっきりと分かるほどに殺気立つ。

 そんな彼女の肩に、ジークは軽く手を置いて、ゆっくりクォルトに話しかけた。

 

「すまないな。彼女とはパーティを組んではいない。顔見知りのよしみで、ここを紹介してもらおうと思ったんだが……日が悪かったようだ。出直すよ」


 ちらっとウルウェンテを見れば、納得いかない顔でジークを睨んでいた。

 こちらが下手に出たのが気に入らなかったようだ。

 だが、ここで喧嘩をしてもメリットはないし、プライドを守るために戦う場面でもない。

 それに、こんな扱いをされるのは一度や二度じゃない。慣れっこだ。

 目線と表情で「すまん」と伝えて、踵を返そうとした、その時だった。

 カウンターの横にある扉が開いて、老齢に近いクォルトの男が出てきた。


「組長……」


 受付のクォルトが姿勢を正しつつ、青い顔をして呟く。

 組長と呼ばれた男は、ジークたちを一瞥した後、受付のクォルトに近づいて行った。


「す、すんません組長、これは決して――」

「入り口の扉をくぐってきた相手は客か、同志だ。お前は、ギルドの利益になるかもしれない者たちの不興を買い、さらには追い返してギルドに不利益をもたらそうとした」

「ち、ちがい――」

「密偵もできない、冒険者も嫌だとクソみたいなわがままを言うから、最後の情けで受付をやらせてみればこの有様。しかし、ただクビにするだけでは、ここで身に着けた技術を使ってどんな『ワルさ』をするか分からない。そんなときはどうするか、知ってんな?」


 組長はそう言うと、まさに一瞬で受付のクォルトをカウンターの上に組み伏せ、右腕を背中側に捻り上げた上で、懐からナイフを引き抜いた。


「指二本と、腕の健、どっちがいいか選ばせてやる」

「かっ、かかか、かん、かんべんを……!」

「答えないなら俺の気分で決めよう。健だな。肘から先が一生動かないが心配するな。口と左腕があればメシくらいは食える」


 恐怖で涙を浮かべ、声にならない悲鳴を上げるクォルトに、組長のナイフが――


「待ってくれ!」


 ジークの言葉に、組長のナイフが止まる。

 先端がわずかに刺さり、赤い血玉がゆっくりと受付の腕を伝っていく。


「何かな、客人?」


 組長の鋭い視線を受けて、ジークは内心で「しまった」と思った。

 咄嗟に止めたはいいが、この組長はおそらくリトルズギルドの責任者だ。

 他のギルドと違い、リトルズギルドは「身内を処罰する」権限が国から与えられている。

 命を奪うような極刑はさすがに無理だが、例えばギルドで覚えた技術で盗みを働いた者の指を落として、二度と犯罪行為ができないように処するといったことは聞いたことがあった。

 つまり組長は自分の権限において刑を執行しようとしていたわけで、それは合法的なものだ。

 ジークにこれを止める権利はない。余計な口出しだ。

 だが、受付のクォルトだって、態度は悪かったが、指や腕を失うほどの重い刑罰を受けるほどではないと思う。

 いや、彼に前科があるとか、こちらの知らない事情はあるのかもしれないが……

 ジークが返答に困っていると、隣でウルウェンテが小さく息を吐いた。


「客人の前だろ、組長。身内の『片付け』を客に見せちまうのは、ギルドの評判としては上策とは言えねえんじゃねえの?」

「……ふむ」


 組長は呟くと、組み伏せた時と同じように一瞬でナイフをしまい、受付のクォルトを立たせて一歩離れた。

 完全に腰を抜かしたクォルトが、自分の椅子にどすんと腰を下ろし、涙と涎で汚れた顔のまま放心していた。


「お前の処遇は改めて決めるとしよう。それよりも、ウルウェンテ。例の話でちょっと相談したいことがあってな。奥の応接室へ来な。隣のヒューマンも一緒で構わねぇ」


 そう告げると、組長はさっさと扉の奥へ入っていってしまった。

 ウルウェンテは、少し戸惑うようにジークをちらっと見ていたが、やがて諦めたように奥を指差した。


「……行くか?」


 さっぱり事情が呑み込めないが、ジークには頷くことしかできなかった。

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