二章 第2話
早朝訓練を終えたジークたちは、冒険者ギルドにやってきた。
まだギルドの営業時間外だが、いつも訓練所を使った後は職員へ報告するようにしている。
「お帰りなさいませ、ジークさん」
受付カウンターの奥で始業準備をしていたモルトーネが、書類を抱えてやってきた。
四十半ばの既婚者にはとても見えない美貌の持ち主で、密かにファンクラブもあると噂されるほどの女性だ。
「おはようございます。今朝も早いですね」
「このトシになると、早番は少し辛いですね」
苦笑しつつ自分の肩を叩くフリをするモルトーネ。
「今日はどうでした?」
モルトーネの視線は、ジークではなく、横にいるマルフィアに向けられていた。
「うー、いや、そのぉ……」
「あらー。ダメですよ、もっと頑張らないと」
「これでも、チャレンジしてるんだけど……」
「私でよければ、お時間のある時に相談に乗りますよ」
「……今度お願いします」
気まずそうにするマルフィアに、笑顔で励ますモルトーネ。
ここのところ、マルフィアとの訓練が終わると、似たようなやり取りが交わされる。
訓練の内容についてではなさそうだし、ジークに話を振られることはないので、余計な口出しはしていないが、何となく疎外感はある。
女性同士、あまり男に加わってほしくない話もあるだろう。そう思い、ジークはその場を離れて依頼を貼り出している掲示板に向かった。
依頼受諾禁止期間はまだ終わってないので、様子を見るだけだ。
大型魔物の討伐依頼はなく、商人からの輸送隊護衛が多めにある。先日、大規模な盗賊団狩りが終わり、待ってましたとばかりに滞っていた輸送が再開されているのだろう。
「師匠、おはようございますっ!」
まだ人の少ないギルド内に、元気を詰め込んだような少女の声がよく響いた。
ジークは少しゲンナリしつつ「おはよう」と挨拶を返しつつ振り向く。
「……イルネス、挨拶は構わないが、大声で師匠と呼ぶのはやめてくれ」
「どうしてですか?」
「恥ずかしいからに決まってるだろう」
小首をかしげる赤毛の少女。
ジークに弟子入りを半ば強引に認めさせたこの娘、イルネスは、他人の感情の機微に対して鈍感なところがある。
好意的に捉えれば、自分の感情に素直で純粋ということなのかもしれないが、これから冒険者としてやっていくなら、他人とトラブルにならない程度に空気を読めるようになって貰わなければならない。
「……よう」
イルネスの後ろには、フードとマントを被った褐色肌のエルフ、ウルウェンテが立っていた。
どうやらいつものように、イルネスに叩き起こされたらしい。
ジークとマルフィアが訓練をするようになってから、イルネスは終了時間を見計らってギルドに来るようになった。
最初はイルネスも訓練に参加すると息巻いていたのだが、彼女とジークでは実力差がありすぎるし、手加減して付き合ってもらうにしても、ジーク自身が盾の扱い方の基本を身につけなければ始まらない。
代わりに、彼女は訓練終わりのジークと食事を採るため、こうして朝からウルウェンテを引っ張ってやってきているという訳である。
「ウルウェンテ、大丈夫か?」
「……ったく、このガキ、アタシはいいから行ってこいっつったのに……」
欠伸を噛み殺しながら、恨みがましい視線をイルネスに向ける。
最近、ウルウェンテが忙しそうにしているのは知っている。
何をしているかは知らないが、疲れが溜まっているようだ。
「大丈夫です、疲れたらおいしいごはんで元気出ますから!」
「…………」
ウルウェンテは眉間に皺を寄せたが、すぐに脱力して肩を落とす。
やんちゃな妹に振り回される姉……むしろ母親だろうか、そんな間柄に見える。
「食事に行くの?」
「はい、マルフィアさんも一緒に行きましょう!」
「……肉が食いてぇ」
「それだったら、最近オープンした店があってね――」
ウルウェンテの希望に沿って、マルフィアが店を提案する。
話はすぐにまとまり、その店に四人で向かうことになった。
冒険者ギルドから徒歩で十五分程度の場所にある食事処である。
オープンしたてということもあって店内は綺麗で、朝の早い時間にも拘わらず、すでに開店していた。
立地や開店時間を見ても、冒険者相手の商売を目的としているのだろう。
冒険者は基本的に、よくお金を使う。
食事、賭け事、服や貴金属、酒に風俗。
命を賭した危険な仕事に従事しているストレスを、そうして発散する傾向が強いのだ。
冒険者に限らず『
「この席にしましょうか」
マルフィアがさりげなく誘導し、六人掛けの席に座る。
四人なのに六人掛けを選んだ理由は簡単、イルネスがよく食べるからだ。
給仕係の店員が何か言いたげな目をしていたが、イルネスが次々に注文していくのをメモしているうちに納得顔になり、それが次第に「本当にそんなに頼んで大丈夫なのか」と不安顔になっていく。
イルネスと初めて来る店でたまに見かける光景である。
ジークは自分のクラブサンドを注文しつつ「できたものから持ってきてくれ」と伝える。
女性三人が適当な雑談をしつつ時間を潰し、ジークはたまに相槌を打ちつつその様子を眺めていると、徐々に料理が運ばれてきた。
それぞれが食事前の祈りをして食べ始める。
「これ旨そうだな。少し貰うぜ」
「こっちもおいしいですよ!」
「じゃあ、あたしのと少し交換しよっか」
訓練のある日はほぼ毎回こういった状態である。
冒険者は依頼によっては長期間、町や村などの拠点に戻らないこともある。
そうした場合に食料の融通や分割などはよく行なうため、例えば一つの皿や鍋からそれぞれが直接取って食べるなんてことも普通にある。
会計も割と大雑把で、量を最も食べたと思う者が多めに払ったり、大きな仕事を終えて気分がいい者が奢ったりと、けっこう緩い。
ただしこれは食事や酒の席での「金払い」の話であり、仕事の上での「恩」については別の話である。
任務中に食料が不足し、他のパーティに食料を分けてもらった場合は、大きな「借り」になり、相手にきっちり返さなければならない。
金で返す場合は割増払いになるし、そうでなければ相手の依頼を手伝うとか、大きな情報を渡すとか、そうしたことだ。
「……そういえばよ、ジーク。これからどうするんだ?」
料理の皿もそれなりに片付いてきたあたりで、ウルウェンテが切り出す。
ジークは今日の予定を思い返す。
「とりあえず、行きたい店があるからそこへ向かって――」
「ああ、いや、そういう話じゃねーよ。今後の目標についてだ」
「今後の、ですか?」
首を傾げたのは弟子のイルネスだ。
「そうだ。ジーク、お前確か、英雄になりたいって話だったよな?」
「……まあ、な」
改めて他人の口から聞かされると、かなり恥ずかしい。
そんなジークに構うことなく、ウルウェンテは話を続ける。
「掲げる夢はそれでいいとして、目指す先はどこなのかと思ってよ」
「ど、どういうことですか?」
イルネスが困ったように他の三人を見る。
マルフィアが、少し考えるように顎に手を当てて言う。
「つまり、誰それみたいな英雄になりたい、とか?」
「ベタなところだと『伝説の英雄ラインハルト』とか『無双王グスタフ』とか」
ジークはいくつか冒険譚を思い返してみたが、そういうイメージは湧いてこなかった。
「いや、そういう『誰か一人』ってのはいないな」
「私は師匠みたいな冒険者になりたいです!」
「……ありがとな」
ジークは苦笑しつつ返事をする。
言われてみると、確かに「英雄になりたい」というのは漠然とした理由だ。
そもそも冒険者になることが、ジークにとっては高いハードルだった。
何とかそれをクリアした後も、とにかく生き残ることで精いっぱい。
とても将来や、今後の人生設計など考えている余裕はなかった。
しかし、これから「英雄になる」と宣言したからには、そこに至るまでの道筋やビジョンを明確にしなければならない――とウルウェンテは言っているのだろう。
「……じゃあ、いろんな人に『英雄』って呼んでもらえるようになるのが、師匠の夢ってことですか?」
「いや、別に俺は、名声を求めているわけじゃない。……俺は、多くの苦しんでいる人を助けられるような、そんな冒険者になりたかったんだ」
「師匠、なりたかった、じゃ変です」
イルネスに指摘されて、はっとなる。
「そうだな……訂正だ。俺は、なりたい。人々を救える英雄に」
「いいじゃねえか。正義の冒険者って感じだな。名声に興味がなきゃ、金って答えるのが普通の冒険者だけどな」
ウルウェンテが、使い終わったフォークを指先でくるくると回しながら言う。
神魔力を持って生まれた『
聖教会に入って癒し手になったり、【
それが『
だから人々は『
だからこそ『
「何か、具体的な目標はないの?」
尋ねてきたのはマルフィアだ。
「基本的にあたしたち冒険者は、パーティの実力に見合った魔物を倒して経験を積みながら、依頼の難易度を上げていくものだけど……夢ってことなら、ゴールみたいなものがあるんじゃない?」
「ゴール……?」
「最終目標じゃなくていいの。簡単に言えば『こいつはいつか倒したい』っていう、はっきりとした目標があったほうが、そこに向かっていけるじゃない」
「んだな。越えたい冒険者でも、倒したい魔物でも、どっちでもいいぜ」
ウルウェンテも頷く。
「倒したい……魔物」
言われて、一つの姿が記憶の奥から浮かび上がった。
赤い鱗。
巨大な体躯。
口角から漏れる黒煙と、見るものを威圧する眼光。
ファイアドレイク――
かつてジークが仲間を失い、散々に逃げ回って、辛うじて生き延びた相手だ。
「……いるみてぇだな、相手」
ウルウェンテが、ニヤリと笑った。
表情に出ていたか。
しかし別に隠すことはない。
ジークが頷くと、イルネスは握り拳を掲げて見せた。
「やりましょう、師匠! 私と師匠なら、どんな魔物だって倒せます!」
彼女の明るさとこの前向きさは大きな魅力だ。
一緒にいて、励まされることも多い。
ジークはそんな思いを隠すように掌を挙げて、落ち着くように促す。
「その心意気は買うが……まずは、準備を整えないと、な」
「準備とは?」
「強敵と戦うために必要なものだ」
英雄になることを目指すと決めたジークだが、不可能なことに闇雲に突っ込んで玉砕するつもりはない。
もちろん気持ちはなんでもやる気でいるが、しかし例えば、今すぐにイルネスと二人でファイアドレイクに戦いを挑みに行っても、炎のブレス一発で消し炭だ。
そうならないために、対等とは言わないまでも、勝負になりえるくらいの戦力は必要だ。
「つまり私たちの新しい仲間ってことですね!」
イルネスの視線が、横に座っているウルウェンテに向く。
それに気づいた褐色エルフが、嫌そうに頬を歪めた。
「アタシはやらねーぞ」
「えーっ、どうしてですか?」
「何回聞くんだよお前は……」
ウンザリした様子でため息をつくウルウェンテ。
ジークとイルネスが組んだことで誕生したパーティに、ウルウェンテは加わっていない。
ジークが最初に声をかけたが断られ、それで引き下がったのだが、イルネスは懲りずに機を見ては誘っている。
そして返事はいつも同じ。
「アタシには実力がねえ。精霊術の使えないエルフなんて、ただのお荷物だ」
「ウルウェンテさんは【
「だーから、そっちの技能も役に立たねえって言ってんだ。こないだも、盗賊に囲まれるまで接近に気づかなかった」
「私のところまで、師匠を案内してくれたじゃないですか!」
「スイートビーの大量の死骸と、巣が燃える臭いがあれば【
「ウルウェンテさん」
名前を呼んだのはマルフィアだった。
イルネスが視線を落として黙ってしまったのに気づいた様子で、ウルウェンテはバツが悪そうにフードの上から頭をガシガシと掻いた。
「……ワリィ、言い過ぎた。だけど、アタシは、アタシを守って生きていくことで精一杯なんだ。旅する目的もあるしな」
ウルウェンテは懐から銀貨数枚を取り出すと、テーブルに置いて席を立った。
「アタシがこの街にいる間は、手伝えることがあれば手を貸す。アンタたちのことは嫌いじゃないしな。それに仲間ってんなら、まずは『後衛』を探すほうが先だと思うぞ。んじゃ、またメシにでも誘ってくれや」
ウルウェンテはそう言うと、振り返らずに去って行った。
ジークがテーブルの銀貨を集めていると、イルネスが呟くように言った。
「師匠……私、間違っていたんでしょうか?」
少女はかなり落ち込んでいるようだった。
純粋な彼女は、仲のいいウルウェンテならパーティ入りもいつか引き受けてくれるんじゃないかと思っていたのだろう。
それがはっきりと拒絶されたことで、ウルウェンテを怒らせた、あるいは嫌われたと誤解しているのかもしれない。
だが、仲良くしたり、臨時で依頼に協力したりするのと、正式にパーティを組むのとでは意味が全く違う。
パーティとは運命共同体のようなものだ。
同じ依頼を受け、助け合い、命を預けて戦う。
イルネスは実力不足を理由にパーティ入りを断ったが、それはむしろ、ジークたちに迷惑をかけたくないという思いが大きい気がする。
「間違ってるとか、そういう話じゃない。イルネスが勧誘し、ウルウェンテが断った。それだけの話だ」
「そ、それだけって……」
「感情と仕事は別だ。まったく切り離せる問題でもないが、ある程度は分けて考えるべきだろう。ウルウェンテは、お互いのためにならないと判断して、誘いを断ったんだ」
「そうね。でも、彼女がイルネスたちを嫌っているわけじゃないってのは、分かるでしょ?」
マルフィアもフォローに入ってくれた。
イルネスは小さく頷くと、顔を上げて気持ちを切り替えようとしていた。
「じゃあ、師匠……これから、他の仲間を探すんですか?」
「そうだな。ウルウェンテも言っていたように、まずは後衛を見つけるのが重要なんだが……」
現代におけるパーティ編成は、後衛の術士を中心に組まれるのが基本だ。
【
彼らは得意とする術で、一度に多くの魔物を倒し、また多くの仲間を救うことができる。
しかし術の発動には精神集中や呪文詠唱などの時間が必要であり、それを稼ぐために体を張って後衛を守るのが前衛の主な仕事となる。
極論を言えば、冒険者にとって前衛は味方を守る壁であり、壊れても他に替えが効く存在。
対して後衛は、特殊な技術と膨大な知識を持つ貴重な存在であり、損失は大きな痛手である。
ここまで割り切って考える人は多くはないが、どちらにしろ後衛はどのパーティでも大切な存在であり、まだパーティを組んでいない後衛は、引く手数多の売り手市場というわけである。
そんな後衛冒険者が「死神」の悪評を持つジークのパーティに加わってくれるかと言えば……見通しは暗い。
「一応、冒険者ギルドに募集は出すし、ハロルドさんやモルトーネさんにも頼んでみるが……こればっかりはな」
「難しいんですね……」
「正直なところ、イルネスのほうが仲間探しには向いていると思う」
前向きで明るく、誰にでも話しかけられる性格のイルネスは、仲間の勧誘に適していると思う。
それに、情けない話だが悪評のあるジークより、先の盗賊討伐などの評判があるイルネスなら、興味を持ってくれる人もいるだろう。
「タイミングが合う時で構わないから、声をかけてみてくれ。ウルウェンテに断られた直後でこの話をするのも、少し気が引けるが……」
「いえ……やってみます。責任重大ですね!」
拳を握って頷くイルネス。
何とか気持ちを切り替えてくれたようだ。
「俺は別の方法で準備を進めてみようと思う」
「それは?」
「聖魔武具だよ」
ジークは席から立ちあがりつつ答えた。
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