二章 第1話

 東の空から、朝の光が差し込む。

 静けさと、微かな肌寒さの中、ジークは無言で構えた。

 使い古した革鎧と、同素材の小手に脛当て。

 右手には刃を潰した鉄の剣を持ち、左手には楕円の盾。

 戦闘準備万端のジークに、銀の閃光が飛び込んできた。


 ガッ!


 盾を持つ腕に、重たい衝撃。

 相手の剣による一撃を、しっかりと受け止める。

 肩口で切り揃えた茶髪に、額当て。

 ジークと同じ剣と盾を持つ妙齢の女性剣士が、目の前に迫っていた。

 マルフィアだ。

 ここ「アグロアーの街」を拠点にする冒険者で、ジークとは比較的親しいと言える間柄である。


「シッ!」


 マルフィアは鋭く息を吐き、再び斬撃を放つ。

 角度を変えたその一撃を、再びジークが盾で受ける。


 ――重い!


 運動能力を飛躍的に上昇させる、活性型の神魔力を上乗せした攻撃は、盾で受けてなおジークの内臓を圧し潰すような衝撃を生み出す。

 それでも歯を食いしばり、まっすぐに受け止めてみせた。

 マルフィアが続けて動く。

 角度を変えて、さらなる斬撃だ。

 二度、三度、四度――

 受けるたびに痺れ、下げたくなる盾を必死に保持する。

 わずかに膝と足首を使い、少しでも衝撃を逃がす。

 だが、決して後ろには下がらない。

 五度目の斬撃を受け止めたところで、マルフィアが小さく笑みを浮かべた。


「やるじゃない!」

「……次だ!」


 集中を切らさないよう、ジークが促す。

 マルフィアが一度距離を取り、剣を構える。

 瞬く間に力が練られ、その体に神魔力がバランスよく満ちていくのが分かる。

 彼女は王国全体では中堅クラスの冒険者だが、この街では上から数えたほうが早いほどの実力派前衛である。

 度重なる魔物との戦いでその動きは洗練され、次の攻撃に移る動作もスムーズで無駄がない。

 実力底辺で、戦闘経験が圧倒的に足りないジークには、とても真似できない。


 ――以前は、そう諦めていた。


「行くよ!」


 掛け声と共に、マルフィアが迫る。

 文字通り、瞬く間の踏み込み。

 身体の中央を狙った剣による突きを、盾で合わせ、いなす。

 弾かれて横へ滑った剣がすぐに引き戻され、下から切り上げてくる。

 これも楕円の盾の曲面を使い、側面から押すようにして軌道を変えてやる。

 軽い力では逆に盾が弾かれてしまうので、ジークもしっかり力を込めて盾を当てにいく。

 同様に、マルフィアの攻撃を次々に弾いていく。

 先ほどと同じく、足の位置は変えても、後ろに下がらないように。


「……ラスト!」


 マルフィアの掛け声に、ジークは自分の剣で攻撃を受け止めた。

 そして体を屈ませ、伸びるように前方へ。

 盾の正面を、マルフィアの顔面に向かって突き出す。


 ガギッ!


 それは寸前で、マルフィアの盾によって防がれた。


「……っとと、危なかった。ジークの動き、良くなってるね」

「本当か?」

「お世辞は言わないよ。正直、二週間でここまで上達するなんて思ってなかったもん」


 構えを解いたマルフィアは、笑顔でジークを褒めた。

 彼女に「盾の使い方」を頼んでから二週間が過ぎた。

 若い頃、他の町の道場で【戦士ファイター 】の基本である盾の使い方については一応の修行をしている。

 ただ、神魔力の才能に欠けていたジークは、盾を使うことを早々に諦めていた。

 速さで魔物についていけなければ、盾を持っていたところで剣を当てることはできない。

 ソロ活動が基本のジークが魔物を倒すには、少しでも身軽にして戦う以外に選択肢はなかったのだ。

 だが、今は違う。

 久しぶりに……本当に久しぶりに、仲間ができたのだ。

 四十を前にして、新たにパーティを組むことができるとは思ってもみなかった。


「盾の基本は受け止め、受け流し、そんでシールドバッシュ。この三つができれば、魔物相手でもだいたい通用するよ。ちなみにシールドバッシュは、相手の武器にぶつけるようにして『叩いて弾く』使い方もあるからね」

「攻撃的な防御、みたいな感じか?」

「そうそう。盾って奥が深いのよ。どの技術が使えるか……そもそも盾が通用するかどうかの見極めをしないと、盾ごとペシャンコとか串刺しとか、よく聞く話だから注意してね」

「さらっと怖いことを……」

「ドラゴンとか、見るからに受け止められそうにない攻撃はすぐ分かるよ。でも、戦ったことのない魔物に出会った時に『これは何とか盾で凌げる』とか『これはギリギリで無理だ』ってのは、自分の能力を深く理解してないと判断できないから。盾の防御が失敗した時って、自分が大きなダメージを受ける瞬間でもあるわけだから、慎重すぎるくらいでちょうどいいのよ」

「それもそうか」


 悔しいことに、ジークは魔物との戦闘経験が絶対的に足りていない。

 常にソロで活動してきたジークは「多少無理をしてでも困難な魔物に挑む」ことができなかった。

 その挑戦が失敗するところの意味は、すなわち死だからだ。

 実力底辺のジークは、魔物討伐の依頼を受けること自体が稀だし、受けたとしても本当に勝てると思ったものしか選ばない。

 そうすることで生き延びてきた。


 だが――これからは違う。


 中年という年齢で、実力もないが……本気で英雄を目指すと決めた。

 あまりにも無謀と自覚はしているが、それでも挑むのだ。

 ジークは、子供のような自分の動機に苦笑しつつ、盾を持つ手を左右に振った。


「訓練でもギリギリだしな……腕が麻痺しそうだ」

「そもそも、ジークの盾は受け流すのに適した形だしね」


 マルフィアが自分の盾をひょいと上げて見せる。

 彼女の盾は円形で、ほぼ平らに近い。

 対してジークの盾は、かなり歪曲が大きく、卵の側面のような形をしている。

 これは訓練を始めて数日後に、マルフィアと相談して決めたものだ。

 ジークの能力では、盾を使っても受け止められる攻撃は少ない。

 それならば、いっそ受け流す技術を中心に磨いたほうがいいという判断だった。

 受け止めるよりもずっと小さい力で攻撃を回避できる。

 ただ、受け流すのはより高精度な防御が必要となる。

 敵の攻撃の角度と威力を把握し、盾のどの面を当ててどのくらい逸らせれば回避できるかを瞬時に判断しなければならないのだ。

 確かに難しいが、ジークはこの技術が、自分に適しているという実感があった。


「この盾も馴染んできたよ。実戦でいけるかは分からないけど」


 相手をよく見ていれば、神魔力が練られ、動き出す瞬間は分かる。

 相手の身体と、神魔力の流れ。

 これを見失うことがなければ、攻撃の角度はだいたい察知できる。

 問題は、それに合わせて自分が動けるのか、そして相手の動き自体を見失うことがないかという点。

 さらには、敵が複数で襲ってきた場合、すべてを見ていることはできないだろうということだ。

 まだまだ課題は多い。

 それにマルフィアだって、本気の攻撃ではなかったはずだ。

 もし全力で攻撃されたら、きっとジークの腕ごと斬られるか、圧し折られているだろう。

 あくまでジークの訓練として、手加減してくれていたはずだ。

 マルフィアは、小さくため息をついた。


「本音を言うと、実はけっこうショックなんだよね……」

「え?」

「確かに、威力は控えめにしたよ。でもスピードは、わりと本気だったんだ。今日だって、盾の隙間から剣を首とかに突きつけて『まだまだね』ってドヤ顔したかったんだから」


 おい、と突っ込もうと思ったが、ルフィアの目は笑っていなかった。

 確かに、マルフィアとの訓練は、彼女が最後にジークの隙をつき、反省会をするのが常だった。

 最後まで防ぎ切ったのは今日が初めてだ。

 彼女はそのことを悔しがっていて、しかもそれが本気ということは……ジークの「盾の技術」が、彼女に認められたということかもしれない。


「そうか……ありがとう。本気で、俺を強くしようとしてくれたんだな」


 ジークの言葉に、マルフィアは赤面した。


「ま、まあね、そりゃ当然でしょ。その……これからだって、あたしでよければ、訓練とか付き合ってあげるし」

「いや、さすがに二週間近く、現役冒険者を拘束したんだ。さすがに申し訳ない」

「き、気にしなくていーって。ホント、気軽に誘ってくれればいいから!」


 さらに赤面しながら、肩をばしばしと叩いてくるマルフィア。

 だが彼女の言うように、気軽に甘えるのは違う気がする。

 少し前、マルフィアと、ジークの弟子との間で少し騒動があった。

 マルフィアのパーティが請け負っていた依頼を、ジークの弟子、イルネスがギルドに無断で引き継いだ「依頼回し」問題だ。

 結局、依頼の内容は達成され、それに加えて追加の魔物も討伐されたということで罰則はかなり軽減され、イルネス、マルフィアパーティ共に「一ヶ月のギルド依頼の受諾禁止」で済んだ。

 ちなみにジークも師匠という立場なので、同様の罰則を受けている。

 もし依頼元の村に被害が出ていたら、冒険者資格の永久剥奪や、最悪、投獄の可能性もあっただけに、かなりの温情裁定と言えるだろう。

 もちろんイルネスはジークがこってり搾り上げておいたが。

 そんなわけで、お互いに一ヶ月、することがないという状況があり、さらにマルフィアも新人冒険者イルネスに「依頼回し」をして危険な目に遭わせてしまったという負い目もあって、ジークの早朝訓練に付き合ってくれていたのだ。

 言わば罪滅ぼしである。

 そうでなければ、いくら親しいとはいえ、中堅冒険者を二週間も訓練に付き合わせるなんてできるはずがない。


「まあ、もし頼むとしたら、次からは依頼料を払うよ。むしろ迷惑をかけたのはお互い様なのに、オレだけにメリットのある訓練で申し訳なかったと思ってる」

「もぉー、そういうことじゃないのに……」


 ふくれっ面をするマルフィア。

 しかし、訓練……というか今回の指導は、本当に無料でよかったのかと今でも思ってしまう。

 技術や知識はその人の財産だ。それを他人から教えてもらうには対価がいる。

 道場などはまさにそれで成り立っている。

 マルフィアは、ただ単にジークの相手をしてくれただけでなく、実戦で培ってきた盾の使い方を分かりやすく教えてくれた。

 マルフィア道場さながらである。

 彼女の厚意、優しさには本当に感謝している。


「でも、ジークが急に盾を使う気になったのって……あの娘のためだよね?」

「さすがに気づくか。まあ、その通りだ」


 ジークに弟子入りしたイルネスの戦闘力は圧倒的だ。

 盾を持たない【迫撃士ストライカー 】で、武器は杖のみだが、攻撃力、回避力ともに抜群。

 そんな彼女とパーティを組むにあたって、自分にできることは何かを考えた。

 彼女の長所は、もちろん戦闘力。

 その攻撃力は、もしかしたらジャイアントクラスの敵も倒せるかもしれない。

 しかし欠点もある。

 それは「持久力」だ。

 彼女は心臓に病を抱えていて、長時間どころか、短時間でも激しい運動は避けるべきである。

 盾のない【迫撃士ストライカー 】にとって機動力は重要だが、彼女はそれを封じられている。

 件の『スイートビー』をはじめとする魔物たちをどうやって倒したのか聞いたが、答えは「近づいてきたところを倒した」そうだ。

 つまりカウンター攻撃一択というわけである。

 そんな彼女と連携するのなら、ジークが動き回って側を離れるわけにはいかない。

 理想は、ジークが足を止めて盾で敵の動きを食い止め、その隙にイルネスが攻撃する流れだ。

 役割としては【戦士ファイター 】よりは【守護者 ガーディアン】に近いが、まだパーティメンバーも他にいないし、かたく考えず臨機応変に動いたほうがいいだろう。


「なんかいいなー。私も男の人に守ってもらいたいなー」

「『疾風のマーメイド』は女性だけのパーティだろう。男性メンバーを募集するのか?」

「いやだから……はぁ」


 やれやれ、というようにマルフィアはため息をつくのだった。

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