一章 第18話


 イルネスは馬車での移動を終えて、徒歩でローロ村に入った。

 アグロアーの街を出発してから丸一日、時間は昼過ぎあたり。

 村は山の麓にあり、林業と狩猟を主な収入源にしている、小さなところだった。

 まずは村長に会い、冒険者として依頼を受けに来たと告げる。

 初老の男性だった。精悍な体つきをしている。


「あんた、一人で来たのかい?」

「はいっ、お任せください!」

「でもあんた【魔術士ウィザード】なのでは? 護衛の方は……」

「大丈夫です!」


 村長に疑念を持たれないよう、自信たっぷりに答えた。

 それ以上の質問をされないように、依頼書を見せて、内容に間違いがないか確認してもらう。

 イルネスは文字があまり読めないので、依頼書の内容もマルフィアに聞いた部分しか知らない。しかし、こうして堂々と知ったかぶりをしていれば、意外とバレないものだ。

 ちなみに、村長がイルネスを【魔術士ウィザード】と勘違いしたのは、杖のせいだろう。依頼の「制限」の項目にもあったので、村がそういう希望を出したのかもしれない。

 そこが、唯一心配なところだった。

 この依頼に【魔術士ウィザード】が必要な理由――イルネスはそれを知らない。

 でも、引き受けた以上、もう後戻りはできない。

 いつだって自分は前に進むしかないのだ。

 スイートビーを全滅させれば、ひとまず脅威は去るはず。そこに間違いはない。

 万が一、依頼に失敗しても――死ぬのは自分だけだ。

 そして逆に、うまくいけば師匠も、きっと――


「――以上でよろしいですか?」


 村長が、山の地図と、松明と小さめの藁束、いくつかの麻袋を用意してくれた。イルネスが注文したものだ。

 お礼を言って、相場より多めに代金を支払う。

 スイートビーは過去に一度、倒したことがある。十匹ほどの群れで襲われたが、すべて倒したし、大したことはなかった。

 巣は見たことがないが、蜂の巣なら駆除方法を聞いたことがある。何とかなるだろう。

 もし巣が除去できなくても、住処にしているスイートビーをすべて倒せば危険はなくなる。空になった巣だけならば、村人たちに協力してもらう手もあるだろう。

 背嚢に荷物をしまい、藁束を括り付ける。


「行ってきます!」


 村長の家を出たイルネスは、さっそく村を出て、山道を歩いていく。

 村長にも確認したのだが、スイートビーハニカムの場所が少し曖昧だ。発見した村人は、きっと驚いて逃げているうちに正確な場所を忘れてしまったのだろう。

 日が傾きつつある。

 スイートビーの生態については詳しくないが、蜂なら確か夜に大人しくなる。このまま夜を迎えても、討伐には困らない。

 田舎村で育ったこともあり、けっこう夜目が効く。山歩きも得意だ。松明も用意したし、遭難することはないだろう……たぶん。


「この辺だと思うんだけど……」


 独り言を呟き、獣道を歩く。

 発見した村人によると、稀少な薬草を発見し、そのまま山奥へと踏み込んでしまった先でスイートビーハニカムを見つけたという。

 だから山道をただ歩いているだけでは見つけられない。

 身を屈めて枝を避け、巨大な木の根を踏み越えて進む。

 何度か休憩をし、汗を拭いて水分を補給する。

 踏破に必要なのは体力と持久力だ。神魔力の肉体強化と自己治癒強化によって多少のカバーは効くが、何時間も山を歩き続けるのは辛い。

 すでに周囲は薄暗い。日没が迫っている。

 引き返すか、もしくはここで野営か。

 そう思い、腰を上げた時だった。


 ――ジジッ


 遠くで羽音が聞こえた。

 低く、空気を擦るようなこの独特の音は、おそらくスイートビー。

 イルネスはしばし逡巡したが……思い切って足を踏み出す。

 羽音の方へ。

 腰を落とし、杖の中央付近を持って、音を立てないようにしながら近づく。

 幼少からの訓練で、常に戦闘準備ができる意識は保っている。

 ジークは以前「隙がない」と褒めてくれたが、さすがにいつでも戦うつもりでいるわけではない。意識の切り替えスイッチがあって、日ごろは「警戒」程度のものだ。寝る時は「平常」になる。

 今、そのスイッチを「戦闘」に押し上げた。


 ――いる。


 木の陰からこっそり覗き見る。

 少し離れた正面の巨木に、大岩のような塊がぶら下がっている。大人数人程度では圧し潰されてしまうだろう。

 その周囲では、人の拳大のサイズの蜂型の魔物が、出入りを繰り返している。遠めに見ても、十、二十では足りないだろう。

 落ち着いて対処すれば、五十くらいまでなら問題ない。

 それ以上の数となると……果たしてどうか。

 イルネスはゆっくり、静かに背嚢を下ろし、もう一口だけ水を飲む。

 持ってきた藁束は、スイートビーを煙でいぶすために用意したのだが、その隙はなさそうだ。さすがに煙が届く範囲まで近づけば気づかれる。

 仕方ないので、これは巣を焼く時の燃料にさせてもらう。

 杖を両手に構え、ゆっくりと近づいていく。

 周囲は大木やその枝が生い茂っている。すぐにでも戦闘できるよう、杖が振れる空間は確保しなければならない。

 イルネスの技であれば、両手を伸ばした範囲に障害物がなければ十分に戦闘力を発揮できる。槍よりも短い上に、握る部分を変えることで間合いの調節が可能だからだ。

 

「……ここ」


 足を止め、戦意を高める。

 同時に、体内を巡る神魔力を、少し過剰に活性化させた。

 上空を飛び回るスイートビーの動きが変化する。

 羽音が大きくなり、ゆったりしたスピードが素早くなる。

 イルネスの存在に気づいたのだ。

 魔物は基本的に、神魔力に敏感だ。

 魔物たちが数を増やし、勢力を増した地域では、大気中の神魔力濃度が高くなると言われている。奴らはそれを吸収し、生命力に変えているとの説もある。

 スイートビーが動いた。

 五匹ほどが、まっすぐイルネス目掛けて飛んでくる。

 特段、素早いわけでもない。目で十分に追える。

 五匹同時の攻撃だが、タイミングを合わせるような連携はない。


「シッ!」


 杖を一閃させ、二匹を同時に打つ。

 羽が千切れ、胴体が折れて地面に落ちた。

 そのまま弧を描くように杖を回転させ、逆側でもう一閃。

 これで二匹が散る。

 最後に、構えを戻すときの勢いを使って残る一匹を上から叩き潰す。

 頭部だけを失ったスイートビーが通り過ぎ、後ろの木に衝突して落ちた。


 ――大丈夫、呼吸は乱れていない。


 落ち着いて巣を見ると、中から次々にスイートビーが外へ出てきた。

 今の五匹は先遣隊の役割だったようだ。時間稼ぎであると同時に、こちらの戦力を測ったのだろう。

 そして、イルネスを全力で排除すべしと判断し、巣から全軍が出てこようとしていた。

 羽音が、うるさいくらいに響いている。

 構わない。これも作戦のうちだ。

 むしろ巣を落とす段階になって中から飛び出してくる方が厄介だ。始末できる分は、ここですべて落とす。


「さあ来い!」


 イルネスが覚悟を決めて叫ぶ。

 同時に、大量のスイートビーが押し寄せてきた。

 杖を素早く、正確に回す。基本は円運動だ。

 振った杖で敵を打ちつつ、動きを止めてはいけない。

 杖の両端を打撃面として使いつつ、回し、時には自分が軸となって回転。

 少し離れたスイートビーを突きで打ちたい衝動を堪え、円運動を持続させる。

 十、十五、二十、二十五……

 間断なく襲い来る、蜂の魔物。

 襲撃は正面だけではない。頭上、足下、背後、とにかく隙間を見つけては飛び込んで来ようとする。

 スイートビーの毒は即死するほど強烈ではないが、食らえば動きに支障が生じ、集中力も途切れる。

 最初の一撃を許せば、たちまち群れに飲み込まれて殺されるだろう。


 ――戦っている最中にそのことに気づくなんて。


 イルネスが冒険者まがいの立場で旅をするようになって、わずか一年と少し。

 知識と経験の未熟さを自覚し、焦りのような感情が浮かんでくる。

 それを必死に抑え込み、戦闘に意識を集中させる。


「はっ……はぁっ……!」


 イルネスの呼吸が乱れ始める。

 浅い呼吸は駄目だ、と分かっているが、攻撃し続けるためにはどうしても深く息を吸えない。


 ズキッ!


 痛みが走る。

 攻撃を受けた訳ではない。

 これはよく知る自分の痛み……胸の中央から突き刺してくる、身体の悲鳴だ。


「まだ、我慢してっ!」


 自分の身体に怒鳴りつけるように叫び、杖を振る。

 三十、三十五、四十……

 終わらない怒涛の襲撃。

 イルネスが動き回っている周囲には、土嚢かと思われるような小さな丘ができている。

 すべてスイートビーの死骸だ。

 中央だけぽっかりと空いた空間で、イルネスが一人、杖を振り続けている。

 今まで嗅いだこともないような、甘さと酸っぱさが混ざり合ったスイートビーの死臭。

 それを意識しないよう、ただ無心に杖を振る。

 五十、五十五……


「あっ……」


 回転させた杖を握っていた手が滑る。

 スイートビーの体液だった。

 杖の先端が地面を叩き、イルネスの動きが止まる。

 急いで構え直そうとして、二度目の激痛。

 また胸だ。

 これ以上動くな、と体の主に訴えてくる。

 奥歯を食いしばり、それを無視して杖を構えたところで……気づく。

 羽音が消えていた。

 すべてのスイートビーを、イルネスただ一人で潰したのだ。 

 乱れた呼吸を整えつつ、警戒するが、しばらく待ってみても追撃はない。

 終わったのだ。


「……助かった」


 その一言を待っていたかのように、どっと顔から滝のような汗が噴き出してきた。

 ガンガンと頭の奥を殴りつけてくるような鼓動。

 膝をつき、喘ぐように呼吸を繰り返す。

 全身は汗まみれだが、熱いのか冷たいのか分からない。

 一人旅をするようになってから、これだけ長時間の戦闘をしたのは初めてだ。

 だが、それも乗り越えた。

 どれくらい座り込んでいただろうか。

 ようやく呼吸と脈拍が落ち着いてきた。

 イルネスはスイートビーの死骸の山を乗り越え、背嚢まで戻る。

 水を飲み、残りで杖を洗い、巣をどうするか考えた。

 もしかしたら、どこか遠くへ離れていたスイートビーが戻ってくるかもしれない。

 先に巣を潰しておけば、生き残りがいてもすぐには数は増やせないだろうし、ここが危険だと判断して、山奥に逃げてくれるかもしれない。

 せっかく手薄になった巣を放置するのは悪手か。

 イルネスは松明に火をともす。

 スイートビーハニカムの下まで行き、藁の半分に火をつける。煙でいぶしてみるが、中からは何も出てこない。

 後は、どうやって巣を落とすかだ。

 イルネスは屈伸運動をして、強張った体をほぐす。

 まだ神魔力と体力は残っている。

 巣の位置は、全力の跳躍で届きそうな高さだ。

 助走の距離を取り、神魔力をたぎらせて走る。

 大樹に向かって全力で踏み切り、高く跳躍。

 同時に杖を、大上段に構えた。


「いりゃあっ!」


 巨岩のような巣を、真正面からぶっ叩く。

 見た目は大きいが、硬さはそれほどでもなかった。

 大樹に衝突しないように足で幹を蹴り、後ろに宙返り。

 イルネスが着地すると、スイートビーハニカムは二つに砕けて地面に落ちた。

 吐き気がしそうなほど甘ったるい臭いが充満する。死骸の比ではない。

 鼻を押さえつつ、杖で割れた巣を転がしていく。

 ちょうど巣の断面に、胴体から千切れたスイートビーがいた。サイズが倍近いから女王だろう。さっきの巣を破壊する一撃に巻き込まれて死んだようだ。

 念のため、杖で頭部を破壊しておく。仲間を呼ばれたら面倒だ。

 改めて、割れた巣を集め、周囲に残した藁を被せていく。

 松明で、端に火をつけた。

 パチパチと弾ける音が、次第に広がっていく。

 樹木からは離してあるので山火事にはならないと思うが、火が落ち着くまではこのまま見張っていようか。

 そんなことを考えていた時だった。


 ――周囲に、気配を感じた。


 どこから……いや、一つ、二つではない。続々と近づいてきている。

 これだけ大きな火を焚いて、野生の獣が近づいてくるとは考えづらい。

 となると魔物か。 

 

「こんな時に……!」


 イルネスは疲労感の残る体を奮い立たせ、松明を地面に置いて杖を構える。

 魔物の群れは、着実に迫ってきていた。

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