一章 第17話

 ジークはマルフィアの手を引いてギルドを出た。

 おそらくだが、彼女とイルネスの話は、ギルド規約に違反している可能性がある。それをギルド内で喋らせるわけにはいかない。

 ギルドから少し離れ、小さな空き地へ。

 さすがにここなら冒険者も来ないだろう。

 

「連れ出してすまない。さっきの話を、詳しく教えてくれ」

「えーと……ジークたちは、イルネスから何も聞いてないってことでいいのね?」

「昨日から会ってもいねーな」

「うわちゃー……」


 マルフィアが額を押さえて天を仰いだ。

 そして申し訳なさそうに話し始める。


「実は、三日前くらいに『疾風のマーメイド』で受けた依頼があったのよ。だけど、ウチの【魔術士ウィザード】の娘が――ほら、魔術士ギルドに誘われてるって話したでしょ。その娘が、魔術師ギルドの試験を受けに行ってるんだけど、まだ戻ってこないのよ」

「トラブルか?」

「っていうのかな。試験内容が変更になって、向こうに滞在する日数が延びちゃって。旅費とか宿泊費は負担してくれるらしいから、お金の心配はないんだけど」


 魔術士ギルドはこの街にはなく、一番近くでも馬車旅で三日ほどの町になる。

 冒険者ギルドや聖教会は『得られしものブレスド』だけでなく、一般人も数多く構成員に含まれている。

 しかし魔術士ギルドは、まさに【魔術士ウィザード】による魔術の研究開発を目的とした組織であり、エリート集団ともいうべきものだ。

 そのためギルド支部自体も少なく、王国内でも十数ヶ所しかなかったはずだ。三日程度の距離ならこの街はむしろ近いと言える。


「その【魔術士ウィザード】抜きで依頼をすることはできなかったのか?」

「制限付きの依頼なのよ。だから彼女抜きでやれなくて、ギルドに返そうと思ってたんだけど……」

「イルネスがそれを代わりに受けると言い出した?」

「……正解」


 マルフィアは気まずそうに視線を逸らす。

 一度引き受けたギルドの依頼を、他の冒険者が肩代わりするのは規約違反である。

 これを俗に「依頼を回す」「依頼回し」などと言う。

 依頼回しを許してしまうと、冒険者間で失敗の押し付け合いをしたり、依頼を受けて上前だけはねて別の冒険者に下請けをさせるといった問題が発生する。

 善意で引き受けるのも危険だ。

 だいたい「うまくいきそうにないから」他人に回すわけで、請け負った側のスケジュールや効率に無理が生じる。

 結果、依頼の失敗や、冒険者の死傷などに繋がる。

 だから「うまくいきそうにない」場合はギルドに申請して依頼を返すのが正規の手続きだ。

 ギルドは依頼主と相談し、期日の延長やそれに伴い報酬の減額などを打診し、場合によっては職員冒険者での解決を図ることになる。

 だが請け負った依頼の返却は、パーティにとっては汚点となる。ギルドの評価は下がり、受けられる依頼のランクも厳しくなる。

 そうならないよう、依頼は慎重に吟味すべきだし、一度引き受けて失敗したのならそのパーティの責任だ。

 ただ現実として、こうした依頼回しは稀に見かける光景でもある。

 冒険者は仲間意識というか、同業者意識が強い。依頼を巡るライバルではあるが、同時に「冒険者」として生き残っていく同志でもあるのだ。

 マルフィアが、咄嗟にイルネス……そしてその師匠であるジークを頼ってしまったことも、理解できなくはない。

 だが軽率だ。

 ウルウェンテは舌打ちした。


「アンタ、新人に依頼回しなんて、何考えてんだ」

「あたしも、最初はそんなつもりなかったんだよ。でもあの娘、すごく食い下がってきて……ジークも一緒だし、準備できるって言うから……」

「そもそも何で、そんなギリギリのスケジュールで受けたんだよ」

「だって、依頼を出してきたの、メンバーの娘の故郷だったから。みんなで助けようって……」


 ――自分たちの手で故郷を助けたい、か。

 これもまた、分からなくはない。

 マルフィアは明るく、少し軽い印象があるが、仲間思いで堅実だ。サブリーダーを任されている所以であるが……今回は堅実よりも、仲間思いが勝ってしまった。

 仕方がないでは済まされないが、今はそれよりも、今後のことだ。


「依頼の内容は?」

「魔物討伐……スイートビーハニカムの。制限は【魔術士ウィザード】の参加。場所はカルヴァ山の中腹」


 背筋が粟立つ。

 スイートビーハニカムとは、文字通り、スイートビーの巣だ。

 スイートビーはそれほど強くはない。こぶし大のサイズで動きも緩慢。ジークでも松明と剣があれば殺すことは簡単だ。

 毒針は脅威だが羽音が大きいため、接近に気づかず刺された、というケースは少ない。そういう意味では昆虫の蜂より対処しやすいくらいである。

 ただ、巣の駆除となると話は別だ。かなり厄介な性質があり、手順を守らなければ予想できない被害に繋がる可能性がある。そのための制限依頼だ。

 後始末が面倒でリスクもあるため、倒しやすさに反して冒険者からは嫌がられている。


「……とんでもねーもん回しやがったな」


 ウルウェンテの声にも怒気が混じっている。


「だって、まさか、ジークたちが知らないなんて思ってなかったし……素直な娘だから、嘘はつかないだろうって思って……」


 マルフィアは今にも泣き出しそうなほど、顔を歪めていた。

 ジークは静かに首を振った。


「嘘をついたのはイルネスの方だ。ウルウェンテ、イルネスに【魔術士ウィザード】の協力者はいると思うか?」

「アタシの知る限り、そんな様子はねーが……アイツの全部を知ってるわけじゃねーからなぁ。この街に来る以前の知り合いとかいるかもしんねーし」

「……もしかしたら、まだ仲間を探してる最中かも」


 マルフィアも呟く。

 確かに、依頼をマルフィアに貰ってから、急いで【魔術士ウィザード】を探している可能性はある。

 あるいは、イルネスを仲間にしたいと勧誘してきたパーティに【魔術士ウィザード】がいて、そこに加わって依頼をこなそうと考えたのかもしれない。

 だがそれなら「ジークが一緒だ」とマルフィアに言うのは妙だ。

 依頼を回してもらうための咄嗟の嘘かもしれないが……マルフィアとジークが知り合いだと分かっていれば、すぐバレる嘘だと気付くはずだ。実際、翌日にはこうしてジークが知ってしまっている。

 そこまでして、イルネスがこの依頼を強引に引き受けた理由、そして引き受けた後にどうするつもりだったのか。

 じりじりとした焦りが湧いてくるのを、ジークは拳を握って何とか抑えつける。


「とにかくイルネスの動向を掴むのが優先だ。手分けして探したい。手伝ってくれ」

「もちろんだよ」

「アタシもやるぜ」

「助かる。ウルウェンテは冒険者ギルドで、イルネスが【魔術士ウィザード】の仲間を探していたかどうか聞いてきてくれ。ハロルドか、モルトーネに聞けば教えてもらえると思う。その場にいる冒険者にもできたら声をかけてみてほしい」


 ウルウェンテが頷く。


「マルフィアは、城門の衛兵を当たってくれ。町の外に出たかどうか知りたい。あと貸し馬や乗り合い馬車の聞き込みも。俺は商店街で冒険者用の店をいくつか当たってみる。一時間後、この空き地に集合だ。いいか?」

「まかせて」

「了解」


 二人が了承したのを見て、ジークはすぐに商店街へ向かう。

 武器屋、小道具屋、酒場など、心当たりを次々に覗いていく。

 念のため噴水広場も一周してみたが、姿はない。

 戻りがけ、冒険者用の携帯食専門店に入ると、若い男の店主が「昨日来た」と答えた。


「杖を持った女の子だろ。盗賊を倒したって噂の。すごいなって褒めたら『師匠や仲間と一緒だったから』って謙遜してたな。手柄を誇らないなんて珍しい冒険者だけど、いい娘だよなぁ」


 ――あの訓練場での戦いがあった後でも、イルネスはそんなことを言うのか。

 ウルウェンテの言う通り、本当に彼女は、ジークやウルウェンテと一緒にパーティを組みたいと考えている。

 それを理解してやることができなかった。

 ジークは沈みかけた気持ちを、強引に立て直す。反省は後だ。


「旅の携帯食を買っていったのか?」

「そうだな。一人前を三日分ていうから用意したら、少ないからもっとくれって、五日分になっちまった。あの身体でそんなには食べないだろうから、仲間の分なんだろな」


 イルネスは大食いだ。おそらく一人分だろう。二倍弱という数字が「いかにも」といった感じだ。

 カルヴァ山までは馬車を乗り継いで一日。もし昨日の午後に出発したとして、宿場町で一泊すれば翌日の午後には村に到着する。馬車内での食事を含めても携帯食に余裕があるが、探索に時間がかかった時のことを想定したのだろう。これはジークの教え通りだ。

 一方で、武器屋や小道具屋に寄っていないから、手持ちの装備のまま、食料だけ用立てて飛び出していった可能性が高い。

 もしイルネスが、昨日のうちに町を飛び出していったのなら……もう猶予はない。

 ジークは念のため大通りだけでなく、裏手側も見て回りながら、公園へ戻る。

 公園にはすでにウルウェンテが戻って来ていて、目が合うなり首を振った。


「こっちにはいねぇ。ギルドを一人で尋ねてきたこともないってさ。一応、話しかけられそうな冒険者にも何人か当たっていたが、知らねーようだった」

「そうか……」


 急いで仲間を集めたり、代わりに引き受けてくれる冒険者を探したり、といった可能性はないということか。

 それでもまだ、偶然知り合った【魔術士ウィザード】か、あるいは他の冒険者と連れ立った可能性は残されているが……

 少しして、マルフィアも公園に駆け込んでくる。かなり息も上がっていた。


「わ、分かった、乗り合い馬車……で、昨日出発した、みたい」


 ふぅー、と深呼吸を繰り返し、息を整えつつ、マルフィアが言う。


「杖を持った女の子が乗ったって。連れはいなくて、一人で……カルヴァ山の麓の村、依頼を出したローロ村への道のりを聞いて、乗って行ったそうよ」

「……くそっ!」


 ジークが罵声を吐き、マルフィアがびくっと肩を竦める。

 イルネスが一人で依頼をこなしに行ったことが確定してしまった。

 ウルウェンテがジークの肩に手を置く。


「落ち着きな。今できる最善を尽くそうぜ」

「……ああ、分かってる。今からイルネスを追いかけよう。ただ、普通に馬車で向かっていては間に合わない。馬を借りよう」


 借り馬は、担保金を払い、日数に応じた賃貸契約を結べば乗用馬を借りられる店だ。かなり高価だが、返却すれば担保金は戻るので買うよりずっと安い。冒険者がよく利用する業者だ。

 イルネスが出発したのは昨日の午後。

 ほぼ丸一日の差がついてしまっているが、乗り合い馬車で向かったなら、こちらは馬を借りて飛ばして行くことでかなり差を縮められる。


「スイートビーハニカムにイルネスが辿り着く前に止める。もし間に合わなければ、イルネスの救出と二次被害の抑制だ」

「アタシも行くぜ。山に入ったら、アタシの【斥候スカウト】のスキルが役立つかもしれねぇ」

「あたしも!」


 ジークはマルフィアに手のひらを向けて制止した。


「いや、マルフィアは残ってくれ。最初の予定通り、依頼をギルドに返してほしい。もしイルネスを止めることができたら、この依頼を引き継ぐパーティが必要になる」

「……分かった」

「それと、イルネスのことについても正確に報告して、二次被害の対応をギルドに頼んでほしい」

「え、でも、そんなことしたらあの娘は……」


 依頼回しは、バレれば当然ながら双方に罰則がつく。

 それでも達成すればまだいいが、条件不十分の依頼を受けて失敗すれば、引き受けた側に重いペナルティが課される。

 下手をしたら、冒険者資格の剥奪だ。

 いや、ギルドの処分だけで済めばまだいい。もし失敗して魔物を逃がし、村などに被害者が出れば、国や領主によって法で裁かれる可能性だってある。


「今は、巣の近くの村に被害を出さないことが最優先だ」

「あ……そうよね……」

「とにかく頼んだ。ウルウェンテ、行こう」

「おう」


 ジークはウルウェンテを連れて、厩舎のある貸し馬屋へ向かった。

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