一章 第16話


 朝、目が覚めたジークは聖教会に向かった。

 司祭の診察の結果、打撲と捻挫ということだった。

 骨折はしていないと自分では思っていても、診断が出ると安心するものだ。

 とりあえず、腰の打撲はそのままにしておいて、手首の捻挫だけ軽く治療してもらうことにする。

 治療費はそれほどかかるわけではないが、ジークはできるだけ教会を頼らないようにしてきた。

 パーティを組んでもらえないジークは、依頼中の負傷を癒してくれる仲間も当然いない。だから、怪我に対して慎重になれるよう、普段から「頼らない意識」を持つ必要があったのだ。

 ただ今回は、イルネスに余計な気を遣わせないためにも「表面上は何ともなさそうな程度」に治療してもらうことにした。

 司祭の聖術によって、瞬く間に治療は終わった。

 腫れていた患部が見る見るうちに元へ戻っていく様子は、何とも不思議なものだ。ジークは神も奇跡も信じていないが、この光景を「神から与えられた恩恵」だと説明されれば、聖教会の信者が増えるのも分かる。

 次は訓練場へ向かう。

 昨日、落としたままの武器を回収するためだ。

 しかし、どこにも見当たらない。

 もしやと思い、冒険者ギルドに顔を出すと、モルトーネに呼ばれた。


「ウルウェンテさんから預かってますよ。ジークさんの忘れ物ですって」

「はは……どうも」


 彼女の差し出した武器を受け取り、誤魔化すように笑う。

 

「激しい訓練をされたそうですが、無理をしないでくださいね」

「ありがとうございます。でも、必要なことだったので」


 命をかけた戦い、歴然となった実力差、そしてさらけ出した本心。

 ジークには、必要だったのだ。


「嘱託の依頼も今はありませんし、今日はお休みになられたら?」

「はい、お気遣い感謝します」


 腕を釣るしていた布は外していたが、手首に力を入れるとまだ鈍く痛む。これでは剣を振ることはできない。

 それに、昨夜は患部の痛みで頻繁に目覚めてしまい、熟睡できていない。このまま休憩するのが正解のようだ。

 結局ジークはそのまま家に帰り、掃除や読書をして過ごした。

 街にいて、一切のトレーニングをしない日など、何年ぶりか。

 そんな一日だった。



 翌日。

 ジークは千切れたベルトを買い直して装備を整え、冒険者ギルドに向かった。

 ちょうど昼前、約束した時間だ。

 まだイルネスの姿は見えない。壁際のベンチに座り、しばし待つ。

 昼食の時間帯となり、ギルドにたむろする冒険者の数が減ってきたが、まだ来る様子はない。

 どうしたものかと迷っていたところへ、ウルウェンテだけが姿を見せた。


「よう、ジーク。ここにも来てねえか?」

「イルネスのことだよな?」


 立ち上がって、改めて周囲を見渡してみても、その姿は見えない。

 ここにも、と言うからには、あちこち探して回ったのだろう。時間に遅れたのもそのためか。


「いつから見かけない?」

「今朝から、というか、昨日からずっとだな。今まではやれメシだ、買い物だと声をかけてきたんだが、何も言わず出かけるのは珍しかったから、ちょっと気になってな……」

「街を出て行ったか……?」


 律儀なイルネスの性格を考えると、黙って姿を消すことはないだろうと思い込んでいたのだが、ジークの言動に意気消沈して、旅立ったのかもしれない。

 だがウルウェンテは首を振った。


「宿は引き払っていなかったし、宿主も『出かけてきます』と声をかけられたんだとさ」

「俺にも、ウルウェンテにも言えないことか……」

 

 何が考えられる?


「自分で、新しいパーティを探し始めたとか?」

「アタシの勘だが、それはねえと思うぜ。アイツは、アンタとパーティを組みたがってた。一昨日だって結局、アンタに勝ったじゃねーか。それも、できるだけ怪我をさせないよう手加減してな」

「改めて言われるとキツいな……」


 イルネスなら、ジークが攻撃する前に反撃し、腕や足を砕くことも簡単だった。それは盗賊との戦いで分かっていたことだ。

 だからこそジークも死を覚悟して挑んだのだ。

 そんなイルネスが手加減したのはただ一つ、ジークに大怪我をさせないため。

 ジークを見限って弟子入りを諦めたのなら、わざと負けるなり、腹いせにジークを叩きのめせばいいだけだ。あるいは戦うのを放棄してもいい。

 イルネスは師弟関係を続けたかった。そして、同じパーティになることを諦めていなかった。

 もしそれが、昨日から黙って動いている理由だとしたら、何を考え、どんなことをしようとしているのか……


「……ダメだ、俺には分からない」


 ふと、ウルウェンテがじっとこちらを見ていた。


「どうした?」

「アンタが冒険者をする理由って何だい?」


 いきなりの質問に、ジークは面食らった。

 意図がうまく掴めない。


「……人生哲学の話か?」

「アンタは、ずいぶんな渾名で呼ばれて、他の冒険者連中からも避けられてる。にも拘わらず、冒険者続けてるだろ。ギルド職員にも誘われてるのに嘱託止まりで、あくまで冒険者を貫いてんだ。何か、諦めたくない理由があんだな?」


 ……その通りだ。

 だが、それを口に出して言うのは憚られた。

 実力もないのに、馬鹿な夢を抱いていると自覚しているからだ。

 ジークが口を噤んだのを察して、すぐウルウェンテが言う。


「まあ、それを聞き出す気はねーよ。何を考えて冒険者をやろうと自由だ。ただな……一昨日の話とか、今までの様子を見てて思ったんだよな」

「何を?」

「アンタ、イルネスの目標とか夢とか、そういった話って聞いたことあるか?」

「特務騎士になる気はないかと尋ねたことはあるが、冒険者一択だと」

「つまり冒険者になってどうしたいとか、そこまでは聞いたことがないんだな?」

「う……そうだな。すまない、ちゃんと聞いておくべきだった。イルネスが将来、どうしたいのか」


 ジークの答えに、ウルウェンテは大きなため息をついた。


「な、なんだよ」

「なんつーかアンタって、どこまでもクソ真面目だな」

「……もしかして馬鹿にされてるのか?」

「いや、半分は褒めてる。アンタは冒険者になる奴ら――いや、下手したら生きてる奴みんな、将来の目標や夢があって、それに向かって努力しているもんだと思ってるだろ」


 さすがにすべてとは思っていない。

 例えばスラムの貧困者や盗賊など、その日を生き延びることに精一杯の人たちだっている。

 だがウルウェンテの言いたいことはそういう意味じゃないだろう。

 ジークは続く言葉を待った。

 

「例えばアタシは、里を飛び出して、旅をしながら稼ぐ方法が他になかったから冒険者やってんだ。こないだマルフィアってヒューマンの女と話したが、そいつは『楽しいから』やってるそうだ。『パーティメンバーが好きだから』とも言ってたな」


 マルフィアの話は初耳だった。

 ジークの知らない間に、そんなことまで話すほど仲良くなっていたとは。


「んで……イルネスはどうなんだ?」

「え?」

「アイツ、優秀な冒険者になりたいとか、もっと強くなりたいとか、言ったことあんの?」

「いや、それは……そもそも誰かの弟子になりたいってことは、強くなりたいとか、勉強したいってことだろう」

「だーから、アイツは『誰かの』弟子になりたいんじゃねーよ」


 そう言われて、ようやくジークは、ウルウェンテが何を言いたいのか理解した。

 

「いや、そんな……まさか。イルネスは、誰か他の冒険者の噂と間違えて、俺のところに」

「それ、本人は何て言ったんだよ」

「……師匠は絶対、すごい冒険者なんですって言って、聞き入れてくれなかった」

「だったら、そうなんだろ。アイツにとって、アンタは憧れの冒険者。だからアンタの弟子になりに来た。それが目的で、目標、ってこった」

「だから本人が噂を勘違いして――」

「最初は勘違いかもしれねぇ。でも、何日か一緒に過ごして、盗賊にも襲われて、それでも考えを変えなかったんだろ。んで、一昨日だ。決闘じみた戦いを挑まれても、アイツはアンタの弟子でありたいと思った。自分より強いとか弱いとか、関係ないってことだ」

「……何故、俺なんかに」

「知らねえよ。それこそ本人に聞くしかねーだろ。……つっても肝心の本人がいないんだけどな」


 ウルウェンテは再度、ため息をついた。

 イルネスの目標は、本当にそんなところにあるのだろうか。

 ジークが英雄になりたいと、今でも捨て切れずにいる願い。

 それと同じように、イルネスはジークの弟子になり、パーティを組みたいと願っている……?


「お節介でワリーんだけどよ。アイツの気持ちをきちんと聞いて、考えてやって欲しいと思ってね。それでも重荷だと思うんなら、そう伝えてやりゃいい。アイツが納得するかは知らんけど」

「……簡単には引き下がらない気がするな」

「そうかもな」


 ウルウェンテが苦笑したので、ジークの頬も緩む。

 少しだけ、気分が軽くなった。

 色々と考えて行動してきたつもりだったが……結局のところ、足りなかったのだろう。

 イルネスの話を聞いて、ちゃんと考えてやる時間が。

 ――情けない。

 いつも自分のことばかりで、イヤになる。自分を心底嫌いになりそうだ。


「悪いな、気を遣わせて」

「気にすんな。アンタには多少世話になったし、けっこう気に入ってるんだよ、アンタらのこと」


 どこか照れくさそうに言うウルウェンテ。

 彼女は、いい姉貴分だと思う。


「……しかし、来ねえな。用事があるわけじゃねーから、顔だけ見れりゃいいんだけどよ」

「そうだな……待ち合わせにはいつも早く来るくらいの奴だ。何かトラブルに巻き込まれた可能性もある。探しに行ってみるか……」


 受付のモルトーネあたりに伝言を頼めば、すれ違うことにはならないだろう。

 さっそく動き出そうとしたジークを、呼び止める声があった。


「はろー、ジーク」


 マルフィアが、手を挙げながら駆け寄ってきた。

 ジークの隣に立つと、声を潜めて言う。


「昨日はごめんね、助かったよー。あたしもマズったなーと思ってたところだから、ホント助かった」

「――何の話だ?」


 昨日は病院とギルドに寄った後、ずっと自宅にいた。

 ちらりとウルウェンテを見るが、彼女も肩を竦めただけだ。


「……あ、あれ、昨日の話、ジークの提案じゃなかったの?」


 マルフィアが戸惑って、ジークたちを交互に見る。

 嫌な予感がする。


「イルネスに会ったのか……何の話をした?」

「ジークたちが、あたしたちの依頼を代わりにやってくれるって」


 予感は、最悪の形で的中しようとしていた。

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