一章 第15話


「おい、死神」


 声をかけられて、ジークは立ち止まる。

 研ぎに出しておいたダガーを受け取り、武器屋を出たところだった。

 噂で「死神」と呼ばれることはあっても、直接そう声をかけられることは少ない。

 あえてそう言ってくる人物は一人くらいだ。


「ボルグか。何の用だ?」


 振り返ると、両腰に斧を下げたスケイルメイルの巨漢が立っていた。

 彼の異名は『大斧のボルグ』だが、実際に巨大な斧を振ることはあまり多くない。ジャイアントサイズ以上の魔物を討伐する時だけで、普段は腰の斧を持ち、大きな盾を構えて戦う。

 両腰の斧もサイズと形が違い、敵によって使い分けているのだと噂で聞いたことがある。


「お前についていったあの娘、盗賊を討伐したそうだな」

「ああ。噂になっている通りだ」

「ギルドで確認したが、正式なパーティはまだ組まれていない。間違いないな」


 ああ、そういうことか。

 ジークはボルグの要件を察する。

 思えばボルグは最初から、イルネスを気に欠けていた。

 最初はただの親切心だったのだろうが、今となっては彼女を戦力としてパーティに加えたいと改めて考え始めているのだろう。


「どうしてそれを俺に聞く?」

「この街に来てから、あの娘がお前と一緒に行動していたのは知っている。酒場では断ってたが、弟子にしたんだろ?」

「……そうだ。だが、あいつを仲間に入れたいなら、本人に直接言えばいい」

「てめえ!」


 突然、怒気を露わにしたボルグが詰め寄ってきた。

 その身長差から、どうしてもジークが見上げる形となる。

 間近で相対すると、発せられる威圧感に気圧されそうになる。


「師匠を引き受けたんだろうが! だからまずてめえに」

「師匠は受けたが、イルネスが誰とパーティを組むかは俺の知るところじゃない。あの娘を仲間にしたいなら、そっちで好きに話を――」


 ジークが言い終わる前に、太い腕が胸倉を掴んだ。

 強引に引き寄せられ、足が浮きそうになる。


「ぐっ……」

「おい死神。なんだその無責任な態度は。それでも男か?」


 ボルグは犬歯をむき出しにして、額がぶつかりそうな距離でジークを睨みつけている。


「てめえが師匠を引き受けた時点で、あの娘の評判も落ちて傷がつく。『死神に弟子入りした馬鹿な新人』ってな。それを承知で引き受けたんじゃねえのかよ」


 ――その通りだ。

 確かにジークは、それを踏まえた上で、それでも師匠役を引き受けた。


「てめえがパーティを組まねえなら、誰かとパーティを組めるまで面倒を見てやるのが、大人の責任ってもんじゃねえのか。ああ?」


 これも、その通りだ。

 ボルクの言うことは正論で、大人の言葉だ。

 反論しないジークに、ボルグは言い募る。


「俺は、前衛の癖に一人で生き残ってるてめぇが気に食わない。だが、この街で何年も仕事ぶりを見てりゃ、てめぇがどんな奴かは嫌でも分かる。元から真面目なのか、心を入れ替えたのかは知らねぇがな」

「ボルグ……」

「だが、今ので分かった。てめぇはやっぱり腑抜けの屑だ!」


 ボルグが突き飛ばすように手を離した。たたらを踏んだが、何とか尻もちをつかずに済んだ。


「あの娘には、他のパーティがすでに声をかけたと聞いた。その時の返事を知ってるか?」

「いや……」

「師匠とパーティを組むのでごめんなさい、だ。てめぇもあの娘から、何か言われてるんじゃねえのか」

「それは……」

「あの娘の強さを目の当たりにして、ビビったのか? 自分じゃ手に負えねえ、怖えってな。だったらそう言ってやれよ。それとも嫉妬したか? 自分より強え奴とはパーティ組みたくねぇってか」


 ジークは視線を逸らす。

 ボルグの言葉が、鋭利な刃となって胸を抉る。


「何もかも中途半端なんだよ、てめぇは。冒険者としても、人間としてもな」


 心底見下した目線でジークを見て、ボルグは去って行った。


 ――どうすればよかったんだ?


 イルネスとパーティを組んで、彼女の望むように仲良く冒険をするか?

 ……それでいいじゃないか。

 どうしてそれを拒む?

 何を怖れている?

 イルネスの強さ、まっすぐな瞳、明るい声。


 ――お前は、向き合えるのか?


 胸の奥底から、自分が問いかけてくる。


 ――いつまで、擦れた大人の皮を被っているつもりだ?


 分かっている。

 自分がダサく臆病な大人だということも。


「あ、師匠……」


 顔を上げると、イルネスがいた。

 いつの間にかジークは、ほとんど無意識に商店街の大通りを歩いていたようだ。

 イルネスの隣にはウルウェンテもいる。

 偶然の鉢合せで、イルネスは気まずそうにしている。声をかけたはいいが、どうしたらいいか分からないといった様子だ。

 偶然……いや、これは必然か。


「……イルネス」

「は、はいっ!」

「夕方五時、訓練場に来い。戦闘装備をして、食事は控えるか、軽くで済ませろ」


 ぽかんとしていた少女は、意味を理解すると、気合と喜びを混ぜたような顔で頷いた。


「分かりました、頑張ります!」


 戦闘準備を整えて、訓練場ですることと言えば、戦闘訓練以外にない。

 イルネスは、ジークに稽古や訓練をつけてもらえると思ったのだろう。

 それが普通だ。

 横にいるウルウェンテは、何かを探るような目線をジークに向けている。

 ジークはそれに気づかないフリをして、自宅に戻った。

 防具はいつもの軽量化された革鎧。

 武器は、訓練用に刃を潰したロングソードとショートソード、ダガー二本。

 それらを身に着け、早めにギルドへ向かい、許可を取る。

 訓練場で念入りに体をほぐして温める。

 ロングソードで丁寧に素振りを繰り返し、入念に剣技の型を確認していたところで、イルネスがやってきた。ウルウェンテも一緒だが、別に構わない。

 イルネスは、ほぼいつもの姿だ。杖を持つ姿に、相変わらず隙は無い。


「お待たせしました、師匠……?」


 元気よく挨拶しようとしたものの、ジークの雰囲気が違うのを察したのか、語尾が不安定に揺れる。

 ウルウェンテは二人から距離を取り、黙って立っている。傍観に徹するようだ。


「これから、模擬戦を……いや、実戦を始める」

「え?」

「俺の武器は刃が潰してあるが……お前を殺すつもりでいく」

「こ、ころ……す?」

「俺の武器や、攻撃、どれか一撃でもお前の身体に当たった時点で、お前の負けだ。傷の大小に関わらずな。皮膚の薄皮一枚だけでも切れたら、終わりだ。お前が負けたら、俺は師匠を辞める。つまり弟子のお前をクビにするということだ」


 イルネスは、ジークの一方的な説明に口をパクパクと開閉させている。

 客観的に聞けば、理不尽なルールを告げられているのだから無理もない。

 だが、ジークは本気だった。


「決着の条件は三つだ。一つ、俺が攻撃を諦めて降参する。二つ、お前の攻撃で俺が戦闘不能になる。三つ、お前が負ける」

「私が、師匠を、攻撃……?」

「禁止事項はない。お前の好きに攻撃しろ。俺もそうする。俺はもう準備を整えた。少し時間をやるから、身体をほぐすなり温めるなり、万全にしろ」

「ま……待ってください、師匠!」

「質問は受け付けない。聞きたいことがあるなら、この戦いに勝ってからにしろ」


 ――俺が生きていたらな。


 内心で付け加える。

 イルネスの攻撃力は間近で見て知っている。

 もし彼女が本気で……いや、本気でなくとも、手加減した一撃で絶命する可能性は十分にある。

 イルネスは言葉を続ける。


「こんなの、急すぎます! なんで突然こんな――」

「二度は言わない。準備の必要がないなら、始めるぞ」

「やめてください、師匠!」


 ジークの全身に、一瞬で神魔力が満ちる。

 同時に、地面を蹴って前へと飛び出す。

 神魔力の出力こそ低いが、長年の訓練で「全身に神魔力を巡らせ、臨戦態勢になる」速さなら負けない。

 宣戦布告はした。それでも戦う意思を見せないのなら、それは相手の隙だ。

 イルネスは杖を右手に持っている。

 攻めるなら逆側からの斬撃。

 イルネスの左手が添えられるなら握っている右手の下だ。

 つまり杖はジークから見て、左上から右下に向かって斜めに構えられるはず。

 それに沿うように斬撃を走らせれば斬れる。

 つまり最適解は――右下からの斬り上げ!


「……っ!」


 イルネスが短く息を吸い込む。

 想定通り、イルネスの杖が斜めに構えられる。

 だがジークの斬撃を受け止めるには角度が不十分だ。杖で弾こうにも距離が足りず、威力が出ないはず。

 

 ガギッ!


 聞いたことのない音がして、剣が止まる。

 イルネスの杖の先端が、ジークの刃にまっすぐぶつかっていた。

 強引に振り切ってしまおうと力を込めるが、杖は動かない。

 ジークの剣の角度を見切り、杖の先端をぶつけて止めた。

 その超人的な技量もさることながら、木製の杖で鉄の剣を完全に止めてしまったという事実。

 活性型の神魔力には、使っている武器や防具の性能を引き上げる能力がある。

 その強化度合は、注ぎ込まれた神魔力量や変換効率にもよるが……木の棒で鉄の剣を止めるなど、聞いたこともない。

 つまりこれが二人の能力差であり、才能の違いなのだ。


「シッ!」


 屈辱を覚えている暇などない。

 実戦だと言ったのはジークだ。反撃を受ければ殺される。

 左手のみ剣から離し、ダガーを抜いて杖の持ち手を狙う。

 これも、わずかに動かした杖で防がれる。

 だが杖が動いたことで、イルネスの視界が隠れた。

 その一瞬の隙に、左足でイルネスの膝を狙って蹴りを放つ。

 見えないはずのその攻撃を、イルネスは後ろに小さく跳んでかわした。

 蹴りのモーションで体重移動をしてしまったので剣での追撃では遅い。

 そう判断し、蹴り足を引き戻す勢いを利用して、持っていたダガーを投げる。

 これも防御された。

 お互いに、武器を構え直す。


「……ははっ」


 乾いた笑いが口から洩れる。

 こうまで実力差が開いていると、もう怒りや悔しさも湧いてこない。


 ――もっと早くこうしていればよかったのだ。


 そうする選択肢は確かにあった。

 彼女のためであるとか、あれこれ言い訳をして、結局は自分のプライドを守りたかっただけだ。

 自分の積み上げてきた冒険者としての二十年。

 いやもっと前の、英雄を志していた頃からの全てが、通じない。

 これが現実。

 自分の半分も生きていない若い娘が、影も見えないほどはるか上を通り過ぎていく世界。

 口では自分のことを底辺だ何だと言っておきながら、心の底では認めようとしていなかった。

 ただの往生際が悪い無様な中年……それが自分だ。


「……イルネス、どうした、攻めてこないのか。弟子をクビになりたいのか?」


 挑発するように言ってみる。

 正直、イルネスが動揺していた時の最初の一撃が、もっとも可能性があった。

 それを回避され、続く連続技も失敗に終わった時点で、ジークに有効な手は残されていない。

 言葉で揺さぶってみようと思ったが、イルネスは不安そうな表情をしたまま動かない。

 固まっているわけではない。杖はごく自然に構えられ、隙なく力を発揮できる姿勢を取っている。

 自分の精神と「戦う」という行為を完全に分離できている……ということか。

 彼女は、歩く姿にいつも隙が無かった。彼女にとって戦闘や、その備えは、呼吸や心臓の鼓動と同じ、できて当たり前の自然なことなのだ。

 つまり、ジークが考えた「動揺の隙を狙う」という作戦自体がまるで見当違いだったわけだ。

 ジークは再び地面を蹴った。

 心理作戦は効果がない。

 ならばもう正面からぶつかるしかない。

 右手でダガーを抜き、顔を狙って投擲。

 ほぼ同時に、胴への突きを放つ。

 さっきと同じ、ダガーで視線を誘導しての攻撃だ。

 弾くか、顔を逸らして避ければそれが隙となる。

 だがイルネスは、ほぼ同じ姿勢のまま、一瞬で半歩ほど左に動いた。

 バランスも、身体の軸もまったくぶれていない。完璧な回避動作。

 ダガーが何もない空間を通り過ぎる。

 すぐさまロングソードの軌道を修正しようとした時には、イルネスの杖が動いていた。

 剣の横に杖が当てられる。


 ――弾かれようと、このまま押し切ってやる!


 杖は、剣を弾かなかった。

 そっと重なった後、まるで蛇のようにぐるっと纏わりつく。


「やっ――!」


 イルネスが気合を発し、杖を振り上げた。

 剣が、杖によって巻き取られ、引っ張られた。

 そうはさせじと柄を握り込むが、無駄だった。

 手首に激痛が走る。

 もぎ取られるような錯覚――すぐに握力を緩める。

 剣は高々と上空を飛んでいく。


 ――まだだ!


 ジークは右腰に佩いたショートソードに、痛めていない左手を伸ばす。

 そこへ、イルネスの杖が走る。

 振り上げた姿勢から、杖の底を突き下ろすように繰り出し、ジークの腰を狙う。

 衝撃が走る。

 ジークが柄に触れるより先に、イルネスの杖がショートソードを打つ。

 ベルトが千切れ、ショートソードが後方に吹っ飛んでいく。

 腰骨をハンマーで殴られたかのようだった。

 ジークの身体が宙を飛び、駒のように回転する。


「がっ……!」


 気が付けば、地面に転がっていた。

 右手首と、右腰に激痛が走る。

 すぐには起き上がれそうになかった。


「勝負ありだな」


 少し離れたところで見ていたウルウェンテが宣言する。

 勝負あった……というより、最初から分かり切っていたものを、ようやく形にしただけだ。

 当然の結果。

 ただ、それを受け止める覚悟がなかっただけなのだ。


「師匠、お怪我は!」


 イルネスが駆け寄ってくる。

 ジークの側に屈んで、左手をそっと持ち上げる。


「つっ……!」

「す、すみません、すぐ手当てを……」

「ほらよ」


 ウルウェンテがいつの間にか側に来ていて、布をイルネスに渡す。

 ジークが腰の痛みに耐えつつ上体を起こすと、少女は布を手早く巻いて、肩から腕を吊るすように固定してくれた。

 捻挫か骨折か分からないが、このまま聖教会へ行って治療してもらうしかないだろう。


「お前の勝ちだ、イルネス。圧倒的だな」

「そんな、私なんて――」

「謙遜はいい。今の戦いで実感しただろう、俺の実力を。もちろん手抜きなんてしてない。本気でお前を殺すつもりで攻撃を仕掛けた」


 イルネスは言葉に詰まる。

 殺気を込めた攻撃。狙われた急所。

 すべて肌で感じていたはずだ。


「俺は、お前が思っているような理想の冒険者じゃない。俺に弟子入りしたところで、お前の思う理想の冒険者には、近づけないんだよ」

「そんな……ことは……」


 イルネスの言葉も、どこか弱々しい。


「勝ったのはお前だから、クビにはしない。だけど、師弟関係を解消したくなったらいつでも言ってくれ。入りたいパーティがあったら、俺からも頼んでみる。まあ、お前は常識が足りないところがあるから、座学くらいなら付き合ってやるよ」


 腰の痛みを堪えて立ち上がる。

 そろそろ日が落ちようとしていた。今からでは聖教会に行っても治療は受けさせてもらえないだろう。

 鎮痛剤を飲んで一晩は我慢するしかない。むしろ命どころか四肢すら失っていないことを喜ぶべきだ。

 幸運……ではない。イルネスの優しさだ。彼女なら、一瞬でジークの命を刈り取る攻撃ができたはずだ。


「今日は、不甲斐ない俺の相手をしてくれてありがとう、イルネス。こんな無茶で馬鹿なやり方しか思いつかなかったことは謝る……すまない」


 イルネスは首を左右に振った。

 それだけで、少しだけ心が軽くなる。


「さすがに明日は治療に専念させてほしい。明後日、これからどうするか、また話をしよう。昼前あたりに冒険者ギルドに集合だ」


 イルネスとウルウェンテに背を向けて、ジークは立ち去った。

 二人とも、声はかけてこない。

 黙って去らせてくれることが、今はありがたかった。

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