一章 第10話
重要なのはタイミングだ。
二人が逃げ出すのと同時に、ジークが前に出る。
そうすることで、敵の意識を一瞬でも惑わす。
「……アンタはどうすんだよ」
「時間を稼ぐ。その間に、できるだけ遠くへ」
数分は粘りたいところだが、おそらく厳しい。
一分……下手をすれば数秒。
それでも、その間に一歩でも遠くへ逃げられたなら。
せめて人通りのある街道まで行けば、生存率は上がるはずだ。
「倒すのじゃダメなんですか?」
純粋な問いかけのように、イルネスが言う。
経験の浅い彼女に、彼我の戦力差を見極めろというのは酷かもしれない。
それに彼女はジークを妄信している部分がある。きっとこの難局も、何とかしてくると思っているかもしれない。
ジークが言葉を返す前に、リーダーらしき男が笑う。
「倒すだって? おい、今そいつ、倒すって言ったのか?」
声を潜ませていなかったイルネスの言葉は、男たちの失笑を買った。
だがイルネスは気にせずジークに話しかける。
「確か盗賊って凶悪犯罪者登録されてるから、基本的に生死は問わないんですよね。あっ、でも顔は分かるようにしておかないと後で困るんでしたっけ」
ジークの回答を待たず、イルネスは男たちに向かって歩き始めた。
「あ、おいアンタ……!」
「師匠が出るまでもありません。まずは弟子の私が先陣を切りますっ」
ウルウェンテの言葉にも止まることなく、すたすたと進んでいく。
まるで緊張感のない歩み。
いや、少し違う。
あれは何と言ったか……そう、自然体だ。
以前にジークが通ったことのある道場の師匠が、その言葉を使っていた。
過度に緊張せず、緩みもせず。
どんな状況にもすぐ動けるように。
「舐めやがって……!」
予想外の行動に一瞬固まっていたリーダーが、舌打ちしつつ左手を小さく上げてイルネスを指差した。
ボーガンを構えた右の男が、素早くイルネスに照準を合わせる。
ジークが警告する間もなく、引き金が引かれる。
ほぼ一瞬と言える速度で、矢がイルネスに飛ぶ。
彼女からは死角となる角度。
回避のしようもなく、矢が彼女の身体に突き刺さる。
――はずだった。
カッ!
乾いた音がして、次の瞬間には三人の男のうち一人が倒れた。
その額には矢が深々と刺さっている。
イルネスを見れば、杖をくるりと回転させて、元の持ち方に戻すところだった。
杖を、振ったのか?
ボーガンの矢に杖をぶつけて軌道を変え、男に命中させた、のか?
振り向きもせずに?
――ありえない。
達人とか、そういうレベルではない。
神業だ。
どんな技と能力を身に着ければ、そんなことができる?
「マーカス!」
「こ……この、ガキ!」
リーダーと、もう一人の男がそれぞれ声を上げる。
イルネスは変わらない速度で歩き続けている。
もう少しでお互いの武器の間合いだ。
視界の端で、もう一人の射手がイルネスに狙いを定めるのが分かった。
さすがに二度とも黙って突っ立っているわけにはいかない。
ジークはベルトに吊ってあるダガーを抜いて、素早いスナップで投げつけた。
射手の足元の墓石に当たり、乾いた音が響く。
外れた、だが構わない。
ボーガンの男が驚き、ジークにターゲットを変えようと動く。
その前にジークも一歩を踏み出していた。
「ウルウェンテ!」
目線と指先で、最初に撃ったボーガン射手の対応を任せる。
ボーガンは構造上、連射ができない。早くても数秒から数十秒、必ず大きなリロード動作を必要とする。射撃を終えた右の射手ならば、ウルウェンテが接近して一対一に持ち込めば、矢による攻撃はなくなる。
彼女が意図を察し、頷いて走り出す。
ジークは意識を正面の射手に向けた。
頭を下げて斜めに走り、もう一振りのダガーを抜く。
最初のダガーは牽制用だが、今度は外したくない。
せめて墓石の上から下りて貰わないと、接近することも難しい。
不安や迷いを飲み込み、決断する。
移動しながらの投擲は散々訓練してきた。
全身に神魔力を巡らせ、上半身に力を収束させる。
――投擲!
投げた勢いのまま、地面を転がる。矢を回避するためだ。
「いぎっ……!」
どっ、と鈍い音と、男のうめき声。
身体を起こしてみると、ボーガン射手の胸にダガーが突き刺さっていた。
手からボーガンを落とし、そのまま墓石の上から転がり落ちる。
死んだかどうかまでは分からないが、すぐには起き上がれないだろう。
十分なクリティカル。完全な運だ。
だがこれで終わりではない。
ジークは素早く起き上がると、腰のロングソードを引き抜いた。
イルネスは未だ人数で不利なのだ。加勢しなければならない。
そう思って視線を巡らせると、ちょうど男二人がイルネスに襲い掛かるところだった。
手持ちのダガーはもうない。
「イルネス……っ!」
何とか彼女が防御に徹し、ジークが駆けつけるまで無事でいてくれれば。
ほんの十数歩。
それが果てしなく遠く感じた。
槍の男が、イルネスの足を狙って突きを繰り出す。
軸足を狙った絶妙な突き。
跳んで回避しようものなら、すぐさま二撃目の突きが襲うだろう。それを凌いだところで、リーダーの剣の餌食となる。
イルネスはその槍の一撃に、歩きながら杖を合わせた。
受け止めるのではなく、横から添えるように。
槍の先端が逸れて、イルネスの横を通過する。
すぐに槍を引こうとする男――だが、イルネスの杖が早かった。
ごぎゅっ
聞いたことがない音がして、男が崩れ落ちる。
イルネスの杖が、男の膝を打ち砕いていた。
比喩ではない、本当に男の膝の骨は、粉々に砕けて潰れた。
そう確信させる音だ。
男が絶叫を上げる。
一方、リーダーの男はすでに剣を振っていた。狙いはイルネスの頭だ。
足を狙ったイルネスの杖はまだ振り下ろされたまま。
イルネスの攻撃によって生まれた隙を、うまく突いてきた。
少女は自分から、リーダーに一歩踏み込んで近づき、腕を引き上げる。
握っている杖の柄の部分を、リーダーの手に直撃させた。
剣の技で、剣を握ったまま柄の底で相手の頭を殴るテクニックがあるが、その変則技を杖でやったのだ。
肉と骨を叩き潰す音がして、リーダーの片手の甲が潰される。
それだけに留まらず、肉が弾け、五指がバラバラに吹っ飛んだ。
弾かれた剣が宙を舞う。
「念のため、逃げられないようにしておきますね」
イルネスは容赦なく、リーダーの太ももを杖で打ち、骨を折る。
男の悲鳴。
念のためと本人が言った通り、グシャグシャになるような強烈な一撃ではないようだが、十分に重いダメージだ。
さらに、槍の男の腕にも打撃を加え、骨折させて無力化する。
気が付けば、ジークの足は止まっていた。
焦りのために出ていた汗が、まったく違う冷たさに変わっていた。
――強い。
戦闘能力も、覚悟も。
魔物に対する「殺す覚悟」と、人相手のそれとは次元が違う。
腕利きの若い冒険者が、実力では遥かに格下の盗賊に襲われて殺されるのはよく聞く話だ。
だがイルネスは、盗賊相手に微塵も油断や躊躇をしなかった。
この少女はすでに、冒険者として一流の域に到達しているのではないだろうか。
「あっ、師匠!」
ジークが近くにいることに気づいて、イルネスが笑顔を見せる。
手足を破壊された男二人が悲鳴と呻き声を上げながら、のたうち回っているというのに。
――俺は、とんでもない奴の師匠になってしまった。
「おーい、そっちも終わったみてぇだな……って、すげえ有様だな」
ウルウェンテが、ボーガン男の襟首を引きずってやってきた。
敵はやはり小柄なクォルトだったようで、彼女の腕力でも運べたのだろう。
見たところ彼女に怪我もない。
「師匠も、ウルウェンテさんも、さすがですね!」
「まあな、クォルト相手なら近づいちまえば、どうってことねーよ」
クォルトは体格が示す通り、筋力に乏しい。接近戦になれば弱い種族だ。
その反面、すばしっこく、感覚も鋭いので、偵察や罠を見抜く能力に長けている。冒険者の補助ポジションは、元はクォルトのために与えられたことから始まっている。
「あ、そういえばウルウェンテさん、エルフだったんですね」
「ん? あー、それな……」
ウルウェンテは短い髪をガシガシと掻いた後、小さくため息をついた。
「今回のコレ、アタシの索敵が甘かったせいだからな。話してやるよ。大したもんじゃねーけどよ……アタシ、精霊術が使えないんだよね」
さっきジークが聞いた通りだ。
イルネスがきょとんとしているので、ジークがエルフと精霊術の関係について簡単に説明してやる。
ウルウェンテはその間に、呻いている男たちを縛り始めた。
縛るといっても余分な紐やロープは持ってきてないので、男たちの服を破って繋げて紐にするのだ。
猿ぐつわを噛ませながら、彼女が続きを話す。
「冒険者ってのは、エルフを見ただけですぐ精霊術。だからパーティ組もうとしても、アタシが術を使えないと分かったらサヨナラだ。かといって、補助としてのスキルもこのザマでな」
ウルウェンテが盗賊たちを見下ろして小さくため息をつく。
自分の能力が至らないことを、十分に自覚している顔だった。
「エルフといえば顕現型が多数だと聞く。知覚型とは相性が悪いと思うが」
精霊術、魔術、聖術といった「術」と呼ばれるものは、神魔力を遠くへ放つ才能が必要だ。これに適した神魔力を顕現型と呼ぶ。
一方、知覚型は、五感を強化し、空間から情報を読み取る能力に長けている。練達者になれば、建物の外から中に何人いるか把握したり、すれ違う人が貨幣を何枚、何種類持っているか当ててしまうという。
これは斥候や偵察に適した能力であり、クォルトが種族として得意にしているタイプである。
だが顕現型のエルフは、この知覚型や、前衛向きと言われる活性型と相性が悪く、そちらの技能を習得しても能力を伸ばせない。
これは冒険者なら誰もが知っている基本的な神魔力の知識である。
「へー、そうなんですね!」
一部、例外はいるが。
ジークの指摘に、ウルウェンテは渋面になった。
「そりゃ、アタシだってわかってるよ。んでも、精霊と対話できないってんで里ではほとんど村八分だったし、勢いで飛び出してきちまったから『
自嘲気味に笑うウルウェンテ。
精霊術も使えず【
これではろくにパーティを組んでもらえないだろう。
その結果、闇依頼を主な稼ぎ場にする生活になったわけか。
「アタシとしちゃ、別に稼げるなら正規依頼だろうがヤミだろうが、どっちでもいいけどな。旅を続けることさえできりゃいいんだ」
「ずっと旅してるんですか?」
「そ。誰かさんが依頼を横取りしちまったせいで、足止めくらってるけどな」
「うっ……それはごめんなさい」
イルネスは小さく頭を下げたが、すぐにぱっと表情を輝かせる。
「じゃあ、お金が貯まるまで、師匠と一緒にパーティ組みましょうよ!」
「はあ?」
「今回だってうまくいったじゃないですか。きっと三人なら受けられる依頼の幅も広がって、たくさん稼げますよ!」
確かに、そういう手段もあるだろう。
今回の墓守の依頼だって、似たような部分はある。
だが――
「馬鹿なこと言うな。お前はまだ新米冒険者だろう」
「え、でも師匠――」
「出会ったばかりのベテラン冒険者に、迷惑をかけるな」
自分の声が硬くなっていることに気づく。
出会ったばかりのベテラン。
もちろんウルウェンテのことを指しているつもりだが……そこに他意は、含まれていないだろうか?
イルネスが、しゅんと落ち込んだ顔で言う。
「……すみませんでした」
「とにかく、墓守の依頼はいったん延期だ。この盗賊たちを処理しなけりゃならない。ウルウェンテ、他に手勢はなさそうか?」
「ん、あーっと……そうだな。アタシの索敵には引っかからねぇ」
「見張りを残しておきたいところだが、残党と合流予定でもあったらまずいな。担いで移動できる距離でもないし、このままここに置いて行こう」
「魔物や野生動物に食われたら?」
「それは仕方ない。まあ、生きてるやつもいるから、すぐに近寄ってはこないだろう。ここは墓地だから他の冒険者も来ない。手柄を横取りされる心配もないはずだ」
「じゃあ、急いで街に戻ったほうがいいんですね」
イルネスが切り替えたように明るい声を出す。
しかし、少し元気がないように感じたのは、ジークの気のせいか。
三人は盗賊たちを一か所にまとめて入念に動きを封じた後、墓地を後にした。
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