一章 第9話


 嘱託依頼を引き受けたジークは、いったん解散して準備を整え、再びギルドの前にやってきた。

 そこには、同じく準備を終えたイルネス、ウルウェンテの二人が待っていた。

 準備といっても、装いはほとんど変わっていない。

 イルネスは杖にマントと背嚢。

 ウルウェンテは相変わらずフードを深々と被り、マスクをつけている。


「すまない、待たせた」

「今来たところです、師匠!」

「おう」


 それぞれが返事をする。

 何が楽しいのか、イルネスのテンションは今日も高そうだった。

 ――落胆させることになるかもしれないが。


「じゃあ、さっそく出発しよう。日が暮れる前には片付けたい」


 大型の背嚢を背負い、ジークは空を見上げた。

 まだ午前中。かなり余裕をもって依頼に臨める。

 ちなみにジークの装備は、いつもの革鎧に革の小手と脛当て、武装はロングソードともう一つ、木剣を腰に佩いている。

 ウルウェンテの視線がちらりと木剣に寄せられたが、何も言ってこなかった。予備の武器としては妙だが、何か事情があるのだろうと察してくれたようだ。

 背嚢はずっしりと重いが、中身は重心を考えて入れてあるので、歩きにくさは感じない。

 ジークの案内で外郭の門を出た。

 見張りの衛兵に挨拶してから、草原の中を伸びる道を歩いていく。


「ふーん、ふふーん」


 イルネスが鼻歌を口ずさむ。

 特に歌や曲ではなさそうだが、機嫌がいいことだけは伝わってくる。

 その割に、歩く姿は凛としていて、相変わらず無駄がない。

 ギャップがすごい。


「……ホントにいいのかよ?」


 しばらくして、ウルウェンテがそんなことを言った。

 ジークは頷いた。


「気にしないでくれ。こいつのためにもちょうどよかったんだ」


 ジークが提案したのは、この三人で『墓守』の依頼をすること。

 そしてその報酬をすべてウルウェンテに渡すというものだった。

 彼女は「それなら報酬を等分に」と言ってきたが、微々たる報酬をさらに分けては、小遣い程度の取り分しかなくなってしまう。

 だからジークは、報酬をすべて渡す代わりに、イルネスも同行させて、依頼というものを経験させてやってほしいと頼んだ。

 新米冒険者への指導は初めてではないが、経験豊富そうなウルウェンテがフォローしてくれればありがたい。

 ただウルウェンテとしては、依頼料を自分一人が受け取ることに抵抗があるようだ。


「その背嚢の中身も、自腹で用意したんだろ?」


 ウルウェンテがジークの背中に視線を向ける。

 ギルド職員ならギルド負担となる準備費用も、嘱託なら自己負担となる。

 ただそれは通常の冒険者なら当たり前のことだし、嘱託依頼の場合は準備費用も報酬に多少加味されている。

 今回は報酬をそのままウルウェンテに渡す約束なので、ジークにとってはタダ働きどころか、費用を払って赤字である。


「まあ、大した費用じゃないから心配するな。こっちが頼んだことだしな。イルネスの指導料だと思ってくれ」


 ジークは答えつつ、ウルウェンテの義理堅さに感心した。

 闇依頼を主とする冒険者は、言い方は悪いが「がめつい」連中が多い。報酬が低い上に基本一人なので、気遣いや遠慮がなく、報酬を釣り上げようとしつこく粘ったり、威圧や脅しをかけたりする奴もいる。

 だから、彼女がこうして報酬総取りに消極的なのは意外だった。本当にヤミを中心に活動していたのかと疑問に思えるくらいだ。

 ウルウェンテはまだ何か言おうと口を開きかけたが、諦めたように首を振った。


「……あんまグチグチ言うのもアタシらしくねーな。もう言わねーよ」

「そうですよウルウェンテさん。元気に行きましょう!」

「お前な……」


 自分のためにジークの報酬がウルウェンテに払われているという理屈になっているのだが、分かっているのだろうか?


「それで師匠、この依頼はどういうものなんですか? 墓守って言ってたから、お墓を掃除するんでしょうか」

「やることはそれに近いが、目的は清掃じゃない。墓から死霊系の魔物を発生させないためだ」


 アグロアーの街から徒歩で二時間程度の場所に、墓地はある。

 そこには街で亡くなった人の他に、かつての大戦以降、魔物と戦って死んでいった冒険者たちも葬られている。

 そのため……かどうかははっきりとしないが、こうした墓地からは魂が魔物となって湧き出てくる危険がある。

 ゴースト、フィアー、エクトプラズムなど、武器攻撃が通用しない厄介な魔物である。

 これを未然に防ぐため、墓石に聖教会が提供してくれた聖水をふりかけ、清めるのが今回の任務だ。


「それって、冒険者がやらなきゃいけない仕事なんですか?」

「確かに、定期的に清められている墓地ならほとんど問題ない。しかし、万が一にも死霊系の魔物が発生していたら対処しなきゃならないし、狼や猪などの野生動物が紛れ込んでいたら『持たざるものエンプティ』には危険だ」

「へぇー、でも武器攻撃が効かないなら、術士が必要なんじゃ?」

「そこでこれだ」


 ジークは荷物の中から小瓶をいくつか取り出す。


「これは墓石に振りかけるのとは別の、純度の高い聖水だ。これを自分の武器に振りかけて攻撃すれば、死霊系の魔物にもダメージを与えられる」

「直接、聖水を魔物にかけちゃダメなんですか?」

「瓶に入った水を、空中にふわふわ浮いてる相手にかけるのは非常に難しい。口に含んで吹き付ける方法もあるが、距離は出ないし風で散ってしまう可能性もある。それよりは自分の武器を聖水で濡らしたほうがよほどマシだ」

「ソイツはそのためのものだったんだな」


 ウルウェンテが言葉を挟む。

 彼女の視線はジークの木刀に向けられていた。


「さすがだな。木刀なら、含んだ聖水がすぐに蒸発することはない。イルネスの杖も、そういう意味では向いている」

「なるほど、じゃあ敵なしですね!」

「油断はするなよ」


 釘を刺しながら、ジークは聖水のかけ方や死霊系の魔物の特徴などをイルネスに説明していく。

 死霊系が出た時は冒険者よりも先に聖教会に依頼が出て、聖騎士や司祭、修道士が出向くのが普通なので、冒険者の中でも死霊系と戦ったことのない者は意外と多い。

 前衛ならば、死霊のいるところまで司祭たちを護衛する役割があるが、実際に戦いが始まると、黙って見ているか、肉壁になるくらいしかすることがない。

 ジークの教えた聖水かけ武器は、死霊の中でも低級の、発生したばかりの雑魚くらいにしか通用しない。

 もし、それ以上に強力な死霊がいたら、速やかに撤退してギルドと聖教会に報告するしかない。


「こっちだ」


 街道から脇道に入り、丘を登っていく。

 およそ予定通りの時間に、三人は墓地にたどり着いた。

 ちょうど丘の上に作られた墓地からの見晴らしは良く、草原や森、遠くには山脈もうっすらと見えた。


「いい景色ですねー!」

「さっそく弁当といきたいところだが、仕事を先に片付けるぞ。今日は人手もあるから早く終わるだろうし」

「あいよ。どっから始めればいいんだ?」

「まずは中央の女神像からだな。祈りも捧げておこう」


 墓地は簡易的な柵で囲まれていて、広さはそれなりにある。

 女神像は聖教会が設置したもので、聖具として悪霊発生を抑える役割がある……らしい。

 正直、ジークは信仰してないし、像の効果も期待していない。

 だが王国最大の宗教であることは間違いないから、軽んじるわけにもいかない。さすがに誰かに見咎められるような場所ではないが、作法と思って割り切っている。

 ジークは二人を伴い、大きな台座の上に立つ女神像の前にやってきた。

 胸の前で軽く印を切り、手のひらを胸の中央に当てて祈りの姿勢を取る。

 イルネスもそれに続き、ウルウェンテは興味なさそうに横を向いていた。

 彼女も信仰心は低いのか。


 ――と思ったら、唐突にフードを跳ね上げた。


 ひた隠しにしていた彼女の顔が露わになる。

 銀色のベリーショートに褐色の肌。

 そしてその耳は、鋭く後ろに伸びていた。

 この耳の長さは間違いなく、エルフの特徴である。

 切れ長の目が、さらに鋭くなっていた。


「ウル――」 

「静かに。二人とも、そのまま動くな」


 ジークの呼びかけを遮り、ウルウェンテが呟く。

 長い耳をかすかに動かて何かに集中している。

 ジークは、彼女が【斥候スカウト】の技能を使い、周囲の何かを探ろうとしていることに気づいた。


「……すまねえ。アタシの責任だ。油断してた」


 ――敵か。

 彼女の言いたいことを察し、ジークはすぐに思考を切り替える。

 余計な動きを入れないようにしつつ、小声で尋ねる。

 

「魔物か?」

「いや、おそらく人だ。アタシらの後方に三人、左右に一人ずつ……完全にこっちを狙ってやがる」


 ジークたちが中央の女神像に近づくまで動きを見せなかったのは、誘い込んでから囲む作戦なのだろう。

 見事にはまってしまったわけだ。


「……息を潜めて、タイミングを計ってるみたいだぜ」


 すでに臨戦態勢、というわけか。

 ……逃げられるか?

 いや。

 ここに誘い込んできた相手が、みすみすそれを許すとも思えない。

 ウルウェンテの索敵能力の精度は分からないが、察知した五人以外にも隠れている可能性だってある。

 もっと情報と、時間が欲しい。


「みんな、ゆっくり振り返るんだ。背中を女神像に向けて立つように。いつでも戦闘できる心構えを」

「言っとくが、アタシは精霊術は使えねーぞ」

「分かった」


 精霊術は、エルフ固有の【精霊士シャーマン】が使う術だ。

 エルフ固有なのは、精霊術を使うために必要な「精霊と交信する能力」がエルフにしかないためである。

 逆に言えば、エルフは誰でも精霊と交信できるため、何らかの精霊術が使えるはずなのだが……本人が否定している以上、今ここであてにするわけにはいかない。

 ジークがゆっくりと振り返る。

 敵の姿は見えない。

 自分たちが歩いてきた通路の両脇に点在する墓石。

 女神像の近くは貴族や豪商の墓が多く、墓石も立派で背が高い。

 大人でも屈めば身を隠せるだろう。

 イルネスとウルウェンテも同じように振り返ったのを確認して、ジークは声を上げた。


「俺たちに何の用だ?」


 待つこと、数秒。

 墓石の陰から、男たちが姿を現わした。

 ウルウェンテの言った通り、三人。

 ジークよりも軽装で、抜き身の剣を持っているのが二人、槍が一人。

 三人ともヒューマンの男のようだ。

 左右を見れば、少し離れた所で墓石の上に立っている男が一人ずつ。

 こちらは体格がずっと小さいため、クォルトだろう。腕力はないが、素早さと器用さではヒューマンよりずっと優秀だ。

 それぞれ、ボーガンを構えてこちらを狙っている。この距離なら瞬きする間に矢が届くだろう。


 ――絶望的だ。


 剣を持った男の一人が、一歩前に出る。


「見ての通りだ。おっと、術は使うなよ。俺が怪しいと思ったら、即座に猛毒ボーガンの餌食になってもらう。馬鹿じゃなければ分かると思うが、他にも仲間は隠れている。どこから矢が飛んでくるか分かんねえぞ?」


 ちらりとウルウェンテに視線を送る。

 彼女はマスクが動かないよう慎重にささやき声で答える。


「……分からねぇ。近くにはいねぇはずだが、墓地の外にいるかも」

 

 ブラフかどうかも分からない、か。

 ただ、仮にこいつらが五人だけだとしても、ジークたちには荷が重い。

 正面の三人はおそらく『得られし者ブレスド』だ。


「例の盗賊団の生き残りか?」

「だったら何だ? てめえらに選択肢はねえぞ。そうだな、まずは武器を捨ててもらおうか。なに、指示通りにしてれば、悪いようにはしねえよ」


 ――嘘だ。


 盗賊が武装解除した冒険者をまともに扱うわけがない。

 こんな場所にいたのは偶然か、あるいは計画的に「墓守」に来た冒険者を狩る予定だったのか。

 どちらにせよ、生かして帰すつもりはないだろう。


 ――どうする?


 イルネスの戦闘能力はおそらく高いが、ボーガンに狙われながら戦って勝てるとは思えない。

 さらにジークとウルウェンテに至っては、一対一ですら勝てるかどうか怪しい。

 だが、逃げるなら……イルネスとウルウェンテなら、何とかなるかもしれない。

 ジークは駄目だ。

 逃げながらボーガンを回避する自信がないし、正面の男たち三人の足に追いつかれるだろう。

 冒険者として底辺ということは、運動能力としても底辺ということである。

 敵が『得られし者ブレスド』であるなら、ジーク以上の運動能力があると想定して間違いない。

 だが、イルネスたちならば……時間を稼いでやれば、運よく逃げられる可能性がある。

 それならば、最善は。


 ――俺は冒険者の前衛だ。役割がある。


 今、やるべき行動は。


 ――もう、あの時の過ちは繰り返さない。


「二人とも……俺が合図したら、逃げろ」


 ジークは静かに宣言した。 

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