一章 第8話
翌日。
冒険者ギルドの前で待っていると、イルネスとウルウェンテがやってきた。
イルネスはどこか楽しそうに、ウルウェンテは何となく鬱っぽい様子で。
「おはよう二人とも」
「おはようございます、師匠!」
「……なあ、こいついっつもこのテンションなのか?」
ウルウェンテがウンザリした顔で呟く。
「昨日会ったばっかだってのに、暇を見つけては絡みに来やがって……」
「まあ、なんだ。距離感のおかしい奴だとは思う……子供みたいな娘なんだ」
「だからタチが悪いんだよ。ウザがってるこっちが悪者みたいに思えてくるんだよチクショウ……」
「酷い、それ私のことですか!」
「他に誰がいんだよ」
どうやらウルウェンテも、イルネスの扱いに困っているようだ。
気の毒だとは思うが、もうしばらくは我慢してもらうしかない。
「じゃあ、行こう」
ジークたちはギルドの建物に入った。
「よし、イルネス、昨日の受付を覚えているだろう。今日は審査の結果を聞いて、問題なければ認識票を受け取って、冒険者としての基本的な注意事項を聞くことになる。どうやら今日もハロルドのようだし、一人で行けるな?」
「えっ、師匠は来てくれないんですか?」
「当たり前。というか、登録申請自体も普通は一人でやるもんだ。終わるまでこの中にいてやるから、行っておいで」
「はぁーい……」
いきなりテンション急落したが、イルネスは素直にハロルドのところに向かって行った。
その様子を見送って、ジークは依頼の貼り出してある掲示板へ向かう。
ウルウェンテが認識票を持っているなら、一人でも依頼は受けられる。にも拘わらずジークに紹介を頼んできたということは「おすすめの依頼を教えてくれ」ということだ。
闇依頼に暗黙のルールがあるように、ギルドの依頼にも街ごとにささやかな縄張り意識みたいなものはある。
ヤミのように破ったからといって血生臭いことになるわけではないが「なんだあいつ、新顔なのに生意気な」と思われても損だ。
だから各地を渡り歩く冒険者は、新しい町に行っても数日はギルドの様子を見たり話を聞いたりして、そうした力関係や機微を読み取るようにする。
ギルド職員に直接聞く手もあるが、そうした忖度ができる人ばかりではない。やはり冒険者のことは冒険者に聞くのが一番だ。
「さて、今日の依頼は――」
掲示板の前では、職員が新しい依頼を貼ったり、取り換えたりしていた。
モルトーネだった。
「あら、おはようございます。今日も早いですねジークさん」
「おはようございます。何だか依頼の量が多いですね」
「そうなんですよ。先日、アルバダラス渓谷で大規模な盗賊狩りがあったことはご存じですか?」
「情報だけは。王国軍も派遣されて、本格的だったとか」
「はい。国からギルドにも、実力者を斡旋してほしいと依頼がありまして」
王国軍と冒険者たちの共同戦線というわけか。
それはたしかに大規模だ。
おそらく盗賊団の方にも、かなりの人数の『
特に、術使いが盗賊団にいた場合、状況次第では甚大な被害が出る恐れもある。今回はそうしたケースかもしれない。
「それで、他の依頼が捌き切れなくなる可能性を考えて、ギルドに申し込む依頼を待ってもらうよう依頼主に協力してもらっていたんです」
確かに、ここのところ依頼の数が少ないとは思っていた。
極端なほどではなかったので「そういう時もあるか」程度に思っていたのだが、裏でそんなことがあったとは。
そういえば、先日の酒場で、ボルグも派手に飲み食いしていたが、その盗賊団討伐に参加していたかもしれない。あれは戦勝祝いといったところか。
「盗賊団討伐が終わったから、制限をかけていた依頼がどっと舞い込んだというわけですか」
「もちろん危険度の高い依頼は、制限中でも極力、受け付けましたけど……ヤミの方も増えてたんじゃないかと思います」
モルトーネは苦笑気味に話す。
冒険者ギルドにとって闇依頼は、あまり喜ばしい話ではない。
そもそも依頼主と冒険者の契約トラブルを防ぐために設立されたのが仲介役となる冒険者ギルドだ。
危険度に応じた報酬を設定し、公平にする。そして受けた依頼の達成を保証する。冒険者へは正当な報酬の支払いと、不正を厳正に処罰する公正さをもって対応する。
冒険者ギルドの活動によって、冒険者そのものへの世間の評価はぐっと向上した。時には衛兵よりも頼りになると思われるくらいには。
ただ依頼料のことを考えると、ヤミを完全に排除、禁止することが難しいのも実情である。そんなことをすれば滅びる寒村や農村が続出する。
実はジークも、ヤミを中心に活動していた時期があった。
今はこの街のギルド嘱託になったので、そこそこ安定してはいるが、実力のない冒険者はどうしてもギルドの依頼だけでは稼げないのだ。
「あら、そちらの方は?」
モルトーネが、今気づいたといった様子で尋ねてきた。
「冒険者のウルウェンテ。ちょっと依頼を見せてもらいたい」
首の認識票をウルウェンテが見せると、モルトーネは笑顔で頷いた。
「もちろん結構ですよ。ジークさんのお知り合い?」
「昨日、この街に来たばかりだそうです。偶然、顔見知りになったので案内しました」
「あらあら、あの娘さんといい、最近のジークさんは女性に縁がありますね。マルフィアさんも慌ててそう」
確かに会ったばかりの女性に色々巻き込まれたという意味では、縁と言えるかもしれない。
奇縁というやつだ。
「さすがにマルフィアに迷惑はかけませんよ。俺の方で何とかします」
そう答えると、何故かモルトーネが「あー……」と笑顔のまま少し固まってしまった。
これはどういう反応だろうか。
そういえばイルネスについて、マルフィアのパーティで面倒を見れないかと頼んだことがあった。断られたが、あれも迷惑の内に入るかもしれない。
ジークは少し内省した。
モルトーネは話題を切り替えるように口を開いた。
「あ、そういえば嘱託の依頼も出ていましたが、ご覧になりますか?」
「そうですね、お願いします」
「はい。ジークさんに引き受けてもらえるなら助かります。ちょっと待っててくださいね。ウルウェンテさんもごゆっくりどうぞ」
笑みを残して、モルトーネは受付カウンターの方へ去っていく。
ジークは再び掲示板の方へ目を向けた。
ここにウルウェンテ向きの依頼が出ていればいいが――
「聞きてーことがあるんだけど」
ウルウェンテが少し声のトーンを落として言う。
「俺に?」
「昨日あれから、アンタの評判を聞いて回った。アタシ一人でな」
ジークの胃の底が、すっと冷えていく。
当然「死神」の渾名も聞いたことだろう。
これまでにも何度かあったことだ――知り合った冒険者が、急に態度を変えてくることは。
仲間を見捨てた冒険者。
二つのパーティを全滅させた冒険者。
ジークは小さく息を吸い込み、平静を装う。
朝のギルドの煩雑な音が、やけに大きく聞こえる。
「ああ。それで?」
「アンタの『死神』に関する噂、本当なのか?」
「……事実だ」
ジークは小さく頷いた。
知る限りだが、その噂に「大きな脚色」はない。
「ふーん、あっそ。んで、依頼の方はどうなんだ?」
横に並んだウルウェンテが、掲示板に貼られた紙を眺める。
その様子をしばらく見ていたジークは、話題が終わっていたことにようやく気付いた。
「……えっ」
「あん? なんだよ」
「いや、その、俺の話はもういいのか?」
「んだよ、話したいのか? だったら依頼受けた後で聞いてやるけど」
「そうじゃないが……聞きたいことっていうから」
今の流れでは「ジークが噂について認めた」だけで終わっている。
本来ならその後「そんな奴は信用できねえ」とか「何があったのか詳しく聞かせろ」とか、そういう話になると思っていたのに。
ウルウェンテは、少し面倒くさそうにため息をついた。
「アンタが噂についてどう思ってるか気になっただけだ。受け入れて認めてるんなら何も言うことねーよ」
「俺を信用してくれるのか?」
「それ以前に、ギルドに信用されてんじゃねーか」
ウルウェンテが親指で、モルトーネが去った方向を示す。
「ギルドはアンタに犯罪歴をつけてねーし、嘱託として雇ってるんだろ。ならいいんじゃねえの」
ウルウェンテの言葉はぶっきらぼうで、視線も掲示板を向いたまま。
ごく普通に喋っているだけだ。
だからこそ、彼女が本気でそう考えていることがはっきり伝わってくる。
――少しだけ、ジークの胸の奥が軽くなったような気がした。
「くそ、きちぃ依頼ばっかだ。何かねーのかよ」
「あー、ちょっと待ってくれ……」
ジークは改めて、掲示板を眺めた。
今まで申請を制限されていた依頼が一斉に舞い込んだこともあり、数は多いのだが、ウルウェンテが一人で達成できそうなものとなると、ちょっと厳しい。
しばらく吟味していると、モルトーネが書類を持って戻ってきた。
「ジークさん、お待たせしました。ちょうど『墓守』の依頼がありますが、どうしましょう?」
「ああ、墓守ですか……」
ふと、思いついたことを口にする。
「それって、他の冒険者に協力してもらってもいいですか?」
「それは構いませんが……報酬は増えませんし、正直その、額面自体も……」
言いにくそうにモルトーネが口ごもる。
それはそうだ。
嘱託冒険者への依頼は報酬が安く、その割に面倒なものが多くを占める。
一人でも微妙な報酬の依頼を複数人で受けるメリットがない。
しかし、ジークは小さく笑った。
「そこは問題ありませんよ。任せてください」
ウルウェンテと、登録を終えて駆け寄ってくるイルネスを見て、ジークは頷いたのだった。
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