一章 第7話


 冒険者ギルドを出た後、ジークはイルネスを連れて商店街へやってきた。

 アグロアーの街は中央に噴水広場があり、そこから十字に大通りが伸びている。このため町は大きく四区画に分かれて発展している。

 冒険者ギルドを中心に、冒険者たちが集まっているのが北西区画。

 平民や、平民相手の商店が中心になっているのが南西区画。

 北東と南東の区画は領主や城勤めの軍人、行政官や豪商、職人が多い。

 ただ、住み分けは明確に規定されているわけではなく、大通りに近い場所ほど曖昧に混じっている。

 アグロアーの商店街は、そんな噴水広場のすぐ近くの大通り沿いにあり、非常に活気があって賑やかだ。


「大通りの北面に、冒険者向けの店が多いから覚えておくといい」

「はい。何だかいい匂いもします!」

「メシ屋もあるし、買い食いもできるからな。ちなみに道路のど真ん中はあまり歩くなよ。領主や貴族の馬車にひかれたら『ひかれた方が悪い』からな」

「へぇー」


 聞いているのかどうなのか、イルネスは店と行きかう人々を興味深そうに眺めている。


「旅の経験は何日くらいだ?」

「二年くらい、ずっとです! 師匠を探してあちこち回ってました」

「旅費は?」

「困ってる村の人の頼み事を聞いたら、みなさん親切に食事やお金をくれました!」

「……もしかして、魔物と戦ったりも?」

「ありました! といっても、ゴブリンとか、コボルドとかですけど」

「倒したか?」

「もちろんです!」


 すでに実戦経験は積んでいるわけか。

 ゴブリンやコボルドは、背が低い小型の魔物だ。どちらもすばしっこく、ある程度の武器や道具を使うのが特徴である。

 よほどの多数を相手にする場合でもなければ、新米冒険者でも倒しやすいレベルの敵だ。まだ実戦の動きを見た訳ではないが、イルネスならば鎧袖一触だろう。

 ただ、すでに実戦を経験済みということならば、ジークに教えられることはぐっと少なくなる。

 害獣であれ魔物であれ、生物を「殺す」という感覚は慣れが必要だ。

 そこには個人差があり、すぐに慣れる人もいれば、いつまでたっても躊躇う者もいる。そして後者は致命的に冒険者に向かない。

 知恵の回る魔物は、弱った演技や命乞いをする。自分の家族をダシにして同情を引くことだってやる。

 ……そのほとんどは、冒険者を油断させるために、だ。

 そうした魔物を、容赦なく殺せるかどうかが、冒険者の大きな資質である。

 イルネスはその資質を持っていることになる。

 しかし、イルネスの稼ぎ方には少し問題があった。

 これから冒険者となる彼女には、説明しておかねばならない。

 そう思い、口を開きかけたところで――


「おい、そこのてめえ!」


 ドスの効いた声が背後から聞こえた。

 ハスキーがかっているが、たぶん女性の声だ。

 ジークたちが振り返ると、そこにはフードとマスクで顔を覆い、首から下をマントで包んだ人物が、じっとこちらを睨みつけていた。

 周囲の人たちの視線もそこに集中しているから、声はその人物が発したので間違いないだろう。

 それほど寒い気候でもないのに、目元以外をほとんど隠した人物の放つ剣呑な雰囲気に、周囲の人が距離を取っていく。


「そこの杖の女、てめえだよ!」


 やはり女性の声だ。

 マントの女性は怒りを滲ませた声を張り上げて、早足に歩み寄ってくる。

 イルネスは左右を見回して、他に杖を持っている人がいないのを知ると、ジークに「私のことでしょうか?」と言わんばかりの目線を送ってくる。

 俺に聞くな。

 と言いたいところだが、師弟関係を結んだ以上、困っている弟子を放っておくわけにもいかないか。

 ジークはイルネスを庇うように一歩前に出た。


「何だアンタ。こいつの父親か?」


 妥当な年齢差だが、未婚男性には少し切ない言葉だ。

 イルネスも少し慌てる。


「ちっ、違います! 師匠は師匠で、その――」


 ジークがそんな少女を手で制する。

 それから女性に向き直り、あえてゆっくり話をする。

「あー、俺はこの街で冒険者をしているジークだ。訳あって、この娘の師匠……ということになっている。今日、承諾したばかりだが」

「だから何だよ。アンタが責任取るって言うのか?」

「俺にできることなら話を聞くよ。だがその前に……ここじゃお互いにマズいんじゃないか?」


 周囲を見る仕草をするジークに、女性も自分の周りを伺い、小さく舌打ちする。


「……場所変えんぞ。逃げんなよ」

「近くに酒場がある。昼食がまだならごちそうするよ。それか、人目が気になるなら路地裏でも、何なら俺の家でもいい」

「本当に奢りなんだろうな?」


 よかった、とジークは小さく息を吐いて頷いた。

 彼女は何かの理由でイルネスに恨みを持っているが、強い憎しみというほどではないようだ。少なくとも対話と補償による解決ができそうである。

 食事に応じてくれたのがその証左だ。

 実は彼女の恨みについても、何となく予想はできているのだが……それは話を聞けばすぐ分かることだ。

 ジークはイルネスと女性が近づきすぎないよう間に入りながら、酒場へ案内する。

 場所は行きつけの『エルパーネの酒場』だ。

 ここは食事も旨いし、普段から賑わっているので会話も紛れるだろう。


「できればアルコールの注文は遠慮してくれるとありがたい。冷静な話し合いができなくなるかもしれないし」

「たりめーだ。知らない奴の前で酔っぱらうほど抜けちゃいねぇよ」


 隅のほうの席に三人で座る。ジークの隣にイルネス、対面に女性だ。

 着席しても、女性はフードを脱がなかった。徹底して姿を晒さないようにしているようだ。

 そして、あえて人目のある所を選び、酩酊に対する危機管理もできている。

 誰かに報告する様子もなくついてきたから、おそらく一人旅。そして危険に対する意識もしっかりしている。

 おそらく冒険者だ。

 ただし、訳アリの。


「んじゃ、さっそく言わせてもらうぜ」


 給仕に食事の注文を終えると、女性はイルネスを睨みつけた。

 

「この女はな、アタシが受けた『ヤミ』を、横取りしやがったんだ」

「へっ?」


 イルネスは瞬きをした後、ジークに小声で尋ねる。


「あのー師匠、ヤミっていうのは……」

「冒険者ギルドを通さない、依頼者と冒険者で直接やり取りする依頼のことだ」


 冒険者への依頼は、たいていがギルドに出される。

 しかしギルドへの依頼料が払えないような寒村や、今日明日にでもすぐ解決してほしい問題がある場合などは、近くを通りかかった冒険者に直接依頼をすることがままある。

 これを「闇依頼」もしくは単に「ヤミ」と呼ぶ。

 別に違法ではないし、メリットもある。

 まず依頼開始までのスピードが違う。その場で依頼を引き受けるのだから当然だが、その日の内に解決できる場合もある。

 また、現物支給による報酬の交渉ができる。

 例えば食事や宿泊、旅の準備を整えてもらうなど。まさにイルネスがここに来るまでにやってきた稼ぎ方だ。

 一方で「闇依頼」の言葉のイメージが示す通り、デメリットも多い。

 例えば現物支給にしても、美人の村娘に夜の相手をさせる奴もいるし、もっと酷いと若い村人や子供を奴隷として要求する奴もいる。後で売るためだ。

 それでも双方合意で依頼がなされるならマシな方で、報酬だけ奪って逃げる冒険者や、依頼達成後に報酬を払わない依頼主なんて、よく聞く話だ。そうしたトラブルから刃傷沙汰になり、犯罪者となった冒険者や村人もいる。

 そしてもう一つ、起きやすいトラブルが、今この女性が訴えていること。

 ダブルブッキングだ。

 ヤミには完全成功報酬のみの場合が多く、前金はせいぜい無料宿泊くらいだ。もし複数の冒険者が依頼を受けた場合、達成できなかった方は無駄骨になる。

 なので通常、ヤミを引き受ける場合は、他に依頼を受けている者がいないか、確認をしっかり取るべきである。

 これが守られないと、冒険者同士の諍いへと発展してしまう。

 ――まさに今このように。


「それが一つなら、アタシも我慢したさ。依頼出す方だって問題を解決したくて必死だ。村が滅びそうな危機もあるしな」


 冒険者にとっては些細な敵でも、村にとっては存亡の危機になりうる。ゴブリンやコボルド、ハウンドウルフなどがいい例だ。

 それゆえに、依頼主がダブルブッキングを隠す場合もある。知らぬ顔して複数人に依頼を出し、成功者だけに料金を払う。これもまた当然トラブルの元だが「村が全滅するよりは」と焦る依頼主もいるのだ。


「だけどな、この女は……三つだ。アタシが先に引き受けたヤミを、三つも横取り

しやがった。アタシに何か恨みでもあんのか、ああ?」

「そっ、そんな、誤解です!」


 慌てて首を振るイルネスに、マントの女はしばらくじっと睨みつけていたが……やがて、大きなため息をついた。


「アンタが横取りした依頼は、ニジ村のゴブリン討伐、ライ村の夜の迷子捜索、トト村の薬草採取の三つだ。心当たりあるんだろ?」

「あ……それは……はい」


 適当にごまかすこともせず、正直に頷くイルネス。

 これは彼女の美点だ。

 だが、無垢で純粋なだけでは冒険者はやっていけない。


「……アタシも長いことこの業界にいる。アンタの様子を見てたら想像つくぜ。アンタ、どうせ旅のついでに『いいことした』くらいの認識なんだろ? んで、感謝の印とか言われて、ほくほくと報酬を受け取ってたわけだ」


 イルネスはぐっと口を噤んだ。

 女性は呆れたように椅子の背もたれに身を預けた。


「業界には暗黙のルールってもんがある。依頼は、オモテもヤミも先着順。ギルド以外から依頼を受ける時は、他に依頼を受けている奴がいないか確認する。でないと、アタシみたいに怒鳴り込んでくる奴がいるってことさ。勉強になったかい?」

「……はい」


 テーブルに料理が運ばれてきた。

 女性はマスクをずらし、ハムとサラダのサンドイッチを頬張る。

 彼女の素肌は褐色だった。この近くではあまり見かけない特徴だ。北の方からやってきたのだろうか。

 ぱっと見、ジークよりは若そうだ。二十代半ばくらいか。

 イルネスが、おずおずと答える。


「あの、すみませんでした。何か、私にできるお詫びがあれば……」

「アンタ、素直すぎだろ……。ま、暗黙のルールってことは、国やギルドでは裁けないし、結局は違法でもない。次から気を付けな、ってことだ。ただ横取りを『嫌がらせ』と受け取って『嫌がらせ』で返してくる冒険者崩れもいる。そんなのに巻き込まれたくないだろ?」


 女性の言葉は真実だ。

 一人旅をしていたイルネスは特に、どんな嫌がらせを受けたか分からない。

 いくら『得られし者ブレスド』として腕利きでも、例えば寝てる間に毒を盛られたり、後ろから矢でも射かけられたら、ただでは済まない。

 そんな報復をすれば、法によって裁かれる。指名手配の盗賊へ堕ちるわけだが、まっとうな冒険者はそもそもヤミを積極的に引き受けない。

「ギルドを通してくれ」で済む話であり、わざわざトラブルの種に手を出すことはないのだ。

 だからこの女性は「訳アリ」なのだと察することができる。それが何なのかまでは分からないが……そこへ踏み込むのは賢明ではないだろう。


「ほら、アンタらも食いなよ。アタシだけ食ってたら変な雰囲気になるじゃねーか」

「イルネスのこと、許してもらえるか?」

「最初は、わざとやられたと思ってムカついてたけどね。特徴聞いて、探し出してみたら、新人冒険者未満の素人ときた。アタシの言葉も素直に聞いてくれたみてーだし、謝罪も受けたし。なんつーか、気が抜けたね」

「助かるよ」

「いいって。あ、アタシはウルウェンテ。発音は正確にな」

「俺はジーク。こっちはイルネスだ」


 どうやら、水に流してくれそうだ。

 イルネスに視線を向けて頷いてやると、ほっとした様子で小さく笑みを見せた。

 ヤミ関連についても、早めに教えておくか。

 ジークはチキンサンドを頬張りながら、教育方針を修正する。


「あ、すみません、にくまん追加で!」


 急に食欲を出すイルネス。

 ……そういえばこいつ、けっこう食うんだったな。

 ジークは手持ちの現金が足りるか、少し心配になってきた。


「んー、そういえば師匠のアンタ……ジーク。この街の冒険者だって言ったな?」

「そうだけど」

「じゃあ、ギルドの手頃な依頼、紹介してくれよ」

「いや、それは……」


 冒険者ギルドの依頼は、登録している冒険者でなければ受けられない。

 逆を言えば、ギルドに登録している者こそが正式な「冒険者」であり、未登録者や除名された者は冒険者とは呼ばない。

 登録自体は「得られし者ブレスド』であればほぼ問題なく通る。また、ギルド支部は各地にあり、どこかで登録が住んでいれば、国内ならばどこでも「冒険者」として活動可能だ。

 もし彼女が未登録、あるいは除名された者であったなら、依頼を紹介したところで受けられない。

 ヤミを積極的に受けている者が「まっとう」である可能性は正直あまり……


「言っとくが、アタシはれっきとした冒険者だぜ? 犯罪歴もねーよ。ギルドに照会してもらってもいい」

 

 ジークが当惑する理由を察した女性が、マントの胸元を少し開き、首から下げている認識票を見せる。

 ギルドが発行する認識票が二枚、小さな音を立てた。

 冒険者が所持する認識票は二枚一組だ。もちろんジークも二枚ある。

 二枚の理由は遺体確認のためだ。冒険者が依頼中に死んだ時などで遺体を運べない場合、一枚を回収してギルドに届ける。もう一枚は遺体に残し、身体を回収する際に身元の証明とするのだ。

 つまり遺体に二枚ついている場合は未報告で行方不明中のもの。一枚しかない場合は回収されるのを待っているものとなる。


「まあ、そういうことなら。ポジションは?」

「補助。討伐経験はウエスト」

「武装は?」

「ショートソード」

「ふむ……」


 少々、厳しい条件だ。

 討伐経験というのは、倒したことのある魔物のカテゴリーを指す。

 ウエストというのは腰のことで、つまり腰から下のサイズの魔物なら倒せるという意味だ。

 基本的に魔物は、身体が大きいものほど戦闘力が高い。なので、倒せる魔物のサイズはそのまま冒険者の強さの指標になる。

 その中でウエストというのは……正直、あまり強い方ではない。

 ジークと同等か少し下くらいのものだ。

 これより下は「ニー」という、ひざ下サイズしかない。バブルスライムやホーンラビットなどである。

 ただし多数の群体で活動する昆虫系の魔物は危険度が高いので、実際のサイズよりずっと大きい魔物として分類される。


「スタイルは【斥候スカウト】でいいのか?」

「ああ、一応な」


 【斥候スカウト】は、索敵や偵察、罠発見や解除をこなす役割だ。ショートソードやナイフ、ダガーなどが主武装であることも多い。

 しかし、一人か。

 冒険者ギルドは、パーティを組まないソロ冒険者にはあまり依頼をさせたがらない。かなりの制限がかかる。

 理由は簡単で「依頼に失敗した際、音信不通になる」可能性があるからだ。

 手に負えない魔物と遭遇して逃亡、あるいは全滅する。

 そうなると、依頼の遂行状況が分からなくなり、増援が必要なのか、対応にどんなクラスの冒険者が適しているのかも判断できない。

 冒険者ギルドは、引き受けた依頼を必ず達成させる義務がある。そうでなければ仲介業として成立しない。

 だから、依頼に失敗したなら、速やかに報告してもらい、次善の手を打たなければならないのだ。できれば依頼主との間で設けた期限の間に。

 その上で、一人で失踪したとなればその捜索や指名手配にも手を焼かなければならない。

 ギルドとしては、そんなリスクを避けるために、ソロにあまり仕事を回さないということになる。 

 闇依頼を受ける冒険者にソロが多いのはこのためだ。

 ウルウェンテは冒険者の資格を持っているから、そのあたりは熟知しているだろう。その上で「手頃な依頼を紹介してくれ」と言ってきたのだ。

 稼ぎたいならパーティを組めばいいではないか、という話なのだが……何故彼女は一人なのだろうか?

 それこそが「訳アリ」の理由なのだろう。


「……分かった、善処してみる。じゃあ明日、冒険者ギルドの前で落ち合おう。イルネスの認識票も受け取らなきゃいけないし」

「オッケー。詫びの追加をしたみたいでワリーな。あとついでに手頃な宿も紹介してくれよ」

「じゃあ私と同じ宿にしましょうよ!」


 イルネスが手を挙げて言う。


「はあ?」

「ウルウェンテさん若そうですし、歳の近い女性と仲良くなりたかったんです。宿も師匠おススメのところで、安くて質もいいですよ!」

「オマエみたいな小娘と一緒にすんな」

「私が小娘なら、ウルウェンテさんはお姉ちゃんですね!」

「な、何なんだよコイツ……」


 ウルウェンテが戸惑うような視線をジークに向けてくる。

 まあ、普通はトラブルになりかけ、しかも厳しめの説教をした相手といきなり距離を詰めようとは思わないだろう。

 子犬かこいつは。

 ジークはそんなことを思いつつ、小さく肩を竦めた。


「まあ、いい宿であることは保証するよ」


 確かに年齢はそんなに離れていないようだし、ウルウェンテは悪い奴ではなさそうだ。女性同士でしか話せないこともあると思うし、数日でも近くにいてくれるならこちらも少し安心できる。


「アンタら……はぁ、別にいいけどよ」


 若干恨みがましい目線のウルウェンテだったが、結局イルネスの押しに負けて、同じ宿に泊まることになったのだった。

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