一章 第6話
約束の朝がやってきた。
早朝訓練を終えて、片付けを済ませたジークは、朝食を採るべく家に帰ろうと思っていたのだが。
訓練場の入り口でイルネスが立っていた。
目が合い、手を上げると、彼女は大慌てで駆け寄ってきた。
「すっ、すみません、これは約束を破ったわけではなくて!」
顔面蒼白で、何度も頭を下げる。
「あ、あのっ、どうしても緊張して、ものすごく早起きしてしまって、この近くで師匠をお待ちしようと!」
昨日と同じ時間に、と言ったから、それより早く顔を合わせてしまったことで「約束を破った」と思っているわけか。
真面目というか、何というか。
そういう律儀さは嫌いじゃない、とジークは思う。
「まあ、そのくらいは構わない。ただ、夜明け前に女性が一人で出歩くのは危険だ。控えたほうがいい」
「はい、すみません……」
イルネスはうつむいて返事をする。
街の外に魔物がいるように、街の中には悪人がいる。
彼女の実力なら、よほどのことがない限り襲われても返り討ちにできると思うが、そもそも自分から危険を呼び込む行為は控えるのが当たり前だ。
「この程度なら大丈夫」という考えは慢心を生み、油断に繋がり、隙を作る。
冒険者になるなら、意識するべきだ。
「分かればいい。さて、昨日の弟子入りの話だけど」
イルネスが顔を上げて、不安そうに杖を両手で握る。
「……とりあえず、弟子入りを認める方向で考えている」
「やぁっ、たー!」
渾身のポーズを決めて、イルネスが喜びを爆発させた。
……誰に弟子入りしたか、本当に分かってるのかね。
ジークは内心で苦笑する。
実力底辺の、味方殺しの「死神」に、はじける笑顔を見せる少女。
咳払いをしてから、ジークはイルネスに説明する。
「まあ待て。その前に、本当に冒険者でいいのか?」
イルネスが不思議そうに首を傾げる。
「君の実力なら、領主の……いや、王宮の『特務騎士』を目指す道もある」
「とくむきしって何ですか?」
「簡単に言えば、王や領主に仕える『
ジークは指折り数えるようにして説明する。
『
一つは冒険者。
一つは生まれた地で生活しつつ住民を守る防人。
そして残る一つが、前衛としてのエリートコースである「特務騎士」への道である。
一般人よりはるかに戦闘能力の高い『
ただ税収には限りがあるので、誰も彼もというわけにはいかないし、条件が悪ければみんな冒険者になる道を選んでしまう。
より優秀な人材を、より好待遇で。
そうして選び抜かれた少数精鋭が「特務騎士」である。
単純な腕前だけでなく、教養も問われるため、ハードルは高い。
それでも王都には、特務騎士を育成する学校があり、今は教養が低くとも、自分の可能性を示すことができれば入学を認められる。
「……というわけで、君にはその可能性があると俺は思ってる」
「そこまで師匠に評価して頂けるなんて、感激です!」
「まあ、そういうわけで、特務騎士を目指すなら――」
「いえ、結構です!」
即答だった。
「私は師匠の弟子になるためにここに来たので。冒険者一択です!」
自信満々に彼女はそう答えるが……逆にジークは、決意が揺らいでしまう。
自分のせいで、彼女の将来の選択を狭めてしまうのではないか、と。
冒険者には「自由」というメリットがあるし、特務騎士だけが最も素晴らしいとはジークも思っていない。
ただ、彼女はいつか、ジークへの憧れが虚像だったと気付くだろう。
その時、冒険者ではなく、特務騎士になればよかったと思わないだろうか。
「そうか……まあ、冒険者になっても、特務騎士になる道が消えるわけじゃないから、一応頭に入れておいてくれ」
「分かりました!」
あまり分かってなさそうな勢いで返事するイルネス。
特務騎士の育成学校の年齢制限は三十歳までのはずだし、大きな功績を挙げた冒険者が推薦で特務騎士に抜擢されることもある。
今は可能性を示唆しておいて「その時」が来たら考えてもらえばいいか……
とりあえずジークは次の話に進むことにした。
「よし、じゃあ次は冒険者登録だな。ギルドへ行こう」
「いよいよですね!」
目を輝かせてジークについてくるイルネス。
自分もかつて登録をした時、こんな顔だったのだろうか。
ずいぶんと昔のようで、つい昨日のことにも感じる。
冒険者ギルドの入り口をくぐり、受付へ。
登録手続きなどの時間がかかる窓口は別にあるため、対応はモルトーネではない。
今日は、物腰柔らかい高齢の男性、ハロルドが座っていた。
白髪を短く切り揃え、少し大きめのサイズの青いギルド制服を着ている。
ジークたちに気づいたハロルドが席を立って笑顔を見せる。
「こんにちは、ジークさん。いつもお世話になります」
「やめてくださいよ、ハロルドさん。自分のほうが若輩ですし、ジークと呼び捨てにしてくださいと言っているのに」
「では私も、隠居間近の老体ですし、ハロルドと呼び捨てに」
「んな無茶な」
「はっはっはっ」
ハロルドが楽しそうに笑う。好々爺という言葉がぴったりだ。
この人や、モルトーネの様子を見ていると、ここの冒険者ギルドは本当に働きやすい職場なのだと伝わってくる。
ジークはイルネスと並んで、受付の前に座る。
ちなみにハロルドは、総務部長である。ここの事務方で一番偉い人だ。
こう見えて怒ると怖い。恐縮している新人には優しいが、図に乗った若者がやってくると「教育」が始まることで有名である。
「今日はこっちのイルネスの付き添いです。冒険者登録をお願いします」
「はい、では書類を用意いたしますので少々お待ちを」
ハロルドが用紙とペンを持ってきたので受け取る。
「イルネス、文字は読めるか?」
「……町の看板くらいなら」
「それで充分だ。書く方は?」
「……自分の名前くらいなら」
「じゃあ俺が代筆しよう」
イルネスも見やすいように、二人の間に書類を置く。
田舎出身の冒険者希望が読み書きできないのはよくあることだ。これから依頼をこなしていくことで、必要な字は覚えていくだろう。
彼女に質問しながら、項目を埋めていく。
「名前はイルネスだな。ファミリーネームはあるか?」
「ないです」
ファミリーネームがあるのは王族や貴族、豪商などだ。平民や農奴にはないが、騎士として取り立てられた場合には授かる場合もあり、当人と配偶者と子が名乗ることになる。
なお、勝手にファミリーネームを名乗るのは法的に無意味なだけで自由だが、王侯貴族の名前を使うと詐称と見なされて重罪になる。
「種族はヒューマン、性別は女性だな。年齢と出身地は?」
「十八歳、出身地はアルラ村です」
聞いたことのない村だ。
「ほう、これは遠くからお越しになったようですねぇ。王国の西のはずれにある、山奥の村だったと記憶しておりますが、合っておりますか?」
「たぶんそれです」
ハロルドの確認に、イルネスが頷く。
今のは、ジークが「知らないな」という顔をしたことで、わざわざハロルドが質問して聞き出してくれたのだろう。
さすがである。
「受付さん、ヒューマン以外の冒険者って、どのくらいいるんですか?」
「エルフ、ドワーフ、クォルト、ノーム、ウルフィン、ウィルキャットがよくお見掛けする種族ですねぇ。ただ、やはりヒューマンが最も多く、登録者全体の五割ほどです」
「へぇ~」
イルネスが興味深そうに聞き入っている。
話が逸れてしまったので、続きを訪ねる。
「次は、神魔力のタイプ……あ、しまった」
そういえばイルネスは、洗礼の儀を受けていないんだったか。
通常、この国で生まれた者は、洗礼の儀を受ける。
これは『アルナス聖教会』が行なっているものだが、信徒でなくても受けられるし、受けた後に改宗する義務もない。
それは、この儀式の中で『
『
例えば術が得意なら、聖教会がスカウトしたり、魔術士ギルドから声がかかったりする。
前衛向きや職人向きなら王国や貴族から声がかかることもある。
そのため、王国は聖教会に多額の支援金を出して、国内のあらゆる場所で洗礼の儀を行なう手助けをする。見返りに、儀式の結果を独占しないように公表させる。
だから教会のない田舎でも、たいていは司祭が派遣されて儀式を行なう。それが難しい場合は、受けたい者が儀式を行なう場所まで出向く。
なにしろ『
イルネスのように「まったく受けたことがない」というのは稀だった。
ちなみに、神魔力は肉体の成長と共に発現する可能性がある。そのため、最初の儀式で神魔力が測定されなくても、十五歳で成人するまで三度か四度、儀式を受けるのが通例である。
「もしかして、自分の型をご存じない?」
「そのようなんです」
ジークが頷くと、ハロルドは一瞬、何かを思い出すように視線を上げる。
「ふむ……では、少々お待ちを」
ハロルドが席を立つ。
数分後、戻ってきた彼の手には、水晶玉のようなものがあった。
「よければ、これをお使いください。神魔力測定用の、簡易的な聖道具です」
初めて見る道具だ。
イルネスが机に置かれた玉をまじまじと覗き込む。
「聖教会の儀式に比べると細かい判定はできませんが、神魔力タイプは分かるようになっています」
「それは助かります」
「どうやって使うの?」
「両手で包み込むようにして触ると、うっすらと光ります。その色で判断するのですよ」
「やってみる!」
イルネスが掌を当てる。
しばらくじっとしていると、水晶の中が赤く光り始めた。
「これは活性型ですね。肉体強化や運動能力強化に向いてます」
一瞬、イルネスの表情が曇ったように見えた。
だが、水晶から手を離した彼女はジークに笑顔を向けた。
「よかったです。今さら術が得意とか言われても、何にも知らないので困っちゃうところでした!」
「そりゃそうだな」
ジークも笑ってみせる。
訓練場であの威力を見た後なので、活性型なのは分かっていたから、これは念押しというか確認だった。
むしろここで術が得意な顕現型だと言われたら、軽く絶望するところだ。不得意な型であれだけの威力を見せられたら、自分の実力は何なんだと嘆きたくなる。
「師匠、ちなみに他にはどんな型があるんですか?」
「あと四つあるが、長くなるから後でゆっくり説明しよう。今は登録の続きだ」
「はい……ポ、ジ、ション?」
横から用紙を覗き込んだイルネスが呟く。
そこは読めたか。
「ポジションというのは、パーティを組んだ際、どの役回りをするかだ。前衛、後衛、補助の三つがある。イルネスは前衛だな」
「はい。後衛は術を使う人ってことですよね。補助っていうのは?」
「主に戦闘以外の部分で活躍する役割だ。斥候や罠解除、結界張りなど、いろいろある」
「戦闘しないってことですか?」
「いや、戦力として期待しないという意味で、実際には戦うことが多い。それが難しくとも、せめて単独で魔物から逃げ切る能力がないとな」
「ふーん……」
あまりピンときていないようだ。
まあ、冒険譚なんかを聞いて「魔物と戦うカッコいい冒険者」しか知らない人にとっては、補助がどれだけ重要なポジションかはイメージしにくいだろう。
それはおいおい話していくとしよう。
「まだ書くところがある……」
「次はスタイルだ。前衛は三種類で、盾を持つかどうかで判断する。両手とも武器を装備する攻めのスタイルを【
「あと一つは?」
「武器と盾に加えて頑丈な鎧を着こんだ防御メインの【
「ふむふむ。じゃあ私は【
「……先に残念な話をしておく。この三つのスタイルの中で、一番人気がないのはどれか分かるか?」
「えーっと……敵を倒しにくい【
ジークは首を振った。
「正解は、仲間を守るのが不得手な【
パーティは後衛の能力を中心に組まれていく。
例えば【
なので、前衛に求められる能力は「敵を倒すこと」よりも「敵の攻撃から味方を守ること」になる。
もちろん敵を倒す力がまったく不要なわけではない。大した攻撃力を持たないと判断された前衛は、魔物の突撃を容赦なく受けることになるからだ。
術が効きにくい魔物や、術の発動が難しい地形というのも存在する。そういう場面では前衛の攻撃力も必要になってくる。
その上でもやはり、味方を庇う手段に乏しい前衛はあまり歓迎されないのだ。
そういったことをイルネスに話して聞かせると、彼女は大きく頷いた。
「つまり、攻撃される前に敵を倒せばいいんですね!」
「いや、それは……」
ハロルドが大笑いしている。
複数の魔物を一瞬で倒せるなら、確かに「守った」ことになるかもしれないが、それができないからパーティを組むわけで。
どうやって説明してやろうかと思ったが、これも後回しにすることにした。
さっそくジークは「後輩を育てる」ことの困難さを実感していた。
教えたいこと、伝えたいことは山ほどあるが、彼女がそれを受け入れられる状態になるのがいつなのか、どのくらいかかるのか。
幸い、彼女からあれこれ質問してきているので、やる気があるのは分かるが。
「……とりあえず、用紙の記入はここまでだな。ハロルドさん、お願いできますか?」
「はいもちろん。では認識票を用意いたしますが、審査も必要ですので、また明日以降にお越しいただけますかな?」
「は、はい!」
ハロルドに話しかけられているのが自分だと気付いて、慌てて返事をするイルネス。
ハロルドは「はい、よいお返事です」とニコニコしている。
何となく、子供の買い物に付き添う父親はこんな気分なのだろうかと思う。
とにかく登録手続きは終わった。
後は明日、認識票を受け取れば晴れて冒険者というわけだ。
ジークはイルネスと共に冒険者ギルドを出た。
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