一章 第5話
イルネスを帰らせ、訓練場の片づけを終えたジークは冒険者ギルドに戻った。
まずはプレートの返却と、破壊した木偶の代金を支払う。
金額は大したものではない。元々は余った木材と、廃品として売られた鎧を捨て値で引き取って組み立てたものだ。ジークも嘱託の依頼で引き受けて作ったことがある。
「ジークさん、ついに木偶を破壊したんですか?」
「あー、いや、ははは……」
「今日の依頼は見ていきます?」
ジークが返答に困っているのを見て、モルトーネはすぐ話を切り替えてくれた。
こういう気遣いが、長年受付を任される秘訣なのだろう。
「あ、いえ、今日は大丈夫です」
「分かりました。嘱託の依頼もありますので、できれば近日中にお受け頂けると助かります」
「了解です」
ジークは頷いて受付から離れると、壁際にある長椅子の端に座り込んだ。
酒場でもそうだが、ギルドでもジークは端や隅に座るように心がけている。
――自分が煙たがられる存在だということは自覚しているつもりだ。
「はろー、今日も早いね」
突然、声をかけられた。
視線を上げると、妙齢の女性が立っていた。
「マルフィア……気づかなかった」
「えー、ひどくない?」
言葉とは裏腹に笑顔を見せて、ジークの横に座る。
彼女、マルフィアは、ジークを忌避しない数少ない冒険者だ。
茶色の髪を肩口で切り揃え、額当てで前髪を上げている。
年齢は「もうすぐ三十歳」が最近の彼女の口癖だから、それより若いはずだ。
たぶん。
「聞いたよー? 若い女の子に口説かれたんだって?」
「誰から聞いたんだ、それ」
「ボルグも割って入って、息をのむ展開だったそうじゃない?」
「あのなぁ……」
誰だ、妙な感じでこいつの耳に入れた奴は。
あの場にマルフィアの仲間がいたんだろうか。
「で、ジーク的にはどうなの、その娘?」
「誤解のないように言っておくが、俺は弟子入りを申し込まれただけだからな」
その後、家まで押しかけてきたことは一応黙っておく。
「ボルグに絡まれたってのは?」
「その娘が、俺について高い評価をしていたから、その誤解を解こうとしたようだ。酒が入って、俺に対して辛辣だったのはあるが」
「ジークも大変だねー」
相槌を打つマルフィア。
気の置けない友人のように接してくるマルフィアの存在は、正直、ジークにとってありがたかった。
「死神」の渾名で呼ばれるようになって十年以上経つが、その間、ジークはずっと一人で冒険者を続けてきた。
モルトーネのように、仕事上の関係から、ある程度のコミュニケーションを取ってくれる相手はいるが、プライベートでは基本的に一人だ。
もう慣れてしまったが、たまにふと、言い様のない不安に襲われることがある。
そんな時、彼女が何気なく話しかけてくれるだけで、ほっとすることがある。
恥ずかしくて本人には言えないが、感謝している。
実力が違いすぎるためパーティを組むことはできないが、彼女が仲間だったらと思うこともある。
だがそれは、ただの甘えだ。
仲間とは、お互いにメリットを提供し合ってこそ成り立つ。
ジークでは、彼女たちのパーティの足を引っ張ることしかできないだろう。
「それで、弟子にしてあげるの?」
「ちょっと考え中だ。明日の朝までに返事をすることになってる」
「なんでジークを選んだんだろね」
「……さあな」
ジークを師と仰ぐことに一切のメリットはない。
むしろ「死神」の悪評がついて回り、活動の幅が大きく狭まるだけだ。
例えばイルネスが、冒険者の真似事をしてみて、飽きたらすぐに引退する程度の話なら別に構わない。思い出作りを手伝うくらいのことはしてやってもいい。
ただ……彼女の実力は、そんなお遊び終わらせていいものじゃない。
彼女が常識と知識を身につけ、依頼の数をこなして一流になれば、きっと多くの魔物を討伐する。いつか魔将五星を倒すまでになるかもしれない。
かつてジークが憧れた……英雄になれるかもしれない。
「マルフィアのパーティで、面倒を見てもらうことはできないか?」
「うーん……ウチもだいぶカツカツなんだよね。最近、引退を考えてるメンバーもいるくらいだし」
マルフィアのパーティは女性のみで、少し珍しい編成だ。
彼女はサブリーダーとして前衛をやっている。
話によると、メンバー六人のうち【
依頼を受けなければ無収入となる冒険者と違って、魔術士ギルドに入れば研究員として安全かつ安定した収入を得られる。
冒険者をしている【
【
それゆえに、冒険者パーティは後衛こそが肝心要であり、前衛は彼らを守る盾となる。
だから、パーティから【
新たな【
もし次が見つからなければ、そのまま解散も十分にありえるのだ。
「解散になったらどうしよっかなー。あたしも引退しようかなー」
「それは……急な話だな」
「だぁって、もう三十歳目前だよ? あたしだって、女の幸せってやつを味わってみたいもん」
横目でマルフィアがこちらを見る。
「どこかにいないかなー。元冒険者で前衛やってた女でもいいって人」
「農村に行くという手があるぞ」
「それってただの用心棒代わりじゃん」
都市部と違い、小さな農村には衛兵や冒険者は常駐していない。依頼が出されれば赴き、害獣や魔物、盗賊を退治したら去っていく。
依頼を出してから彼らが到着するまでの間、当然被害は増えるし不安も募る。
農村にとって、永住してくれる冒険者は大変ありがたい存在だ。かなりの好待遇で迎え入れてくれるだろう。あくまで農村レベルでの話だが。
それこそジークのような底辺レベルの実力しかない冒険者でも、戦闘以外の労働がある程度免除され、村一番の美人を嫁につけてくれるに違いない。
「そうじゃなくてさー。ほら、ギルド職員として声がかかってる冒険者なら、将来の不安も少ないし」
ギルド職員の中には、元冒険者もたくさんいる。
例えば冒険者同士のもめ事をギルドで解決する場合、どうしてもギルドの裁定に従わせるための強制力、威嚇として武力が必要なのだ。
元冒険者、つまり引退した冒険者が主戦力であるため、個の力はさして高くはないが、数と組織力があれば脅しとしては十分だ。
ちなみにジークも、モルトーネから「引退したら嘱託から正規の職員にぜひ」と言われている。
ギルド職員への勧誘は、誰でも受けられるわけではない。ギルドと、冒険者という職業を成り立たせるため、規律正しく、人格、信頼性ともに良しとされた者しか職員には選ばれない。
モルトーネからの評価はありがたいと思うのだが、ジークは勧誘の話をお世辞として受け流している。
まず「死神」と呼ばれている自分が正職員になったら、ギルドの看板に傷がつくし、職員の間でも無駄な軋轢を起こしかねない。現役冒険者からも舐められるだろう。
それに何より……まだ現役でいたかった。
「分かった、俺の方でも探してみるよ」
ジークの答えに、マルフィアは露骨に大きなため息をついた。
「これだもんねー。けっこうダイレクトのつもりだったのに」
「は?」
「なんでもー。まあいいや、話戻すけどさ、あたしに面倒見るの頼んでくるってことは、いい娘なんでしょ?」
「……世渡りの常識は欠けているが、実力は間違いない。性格も少し強引だが素直だ。冒険者の基礎を教えてやれば大成する、と思っている」
「じゃあ、ジークが教えてあげたらいいじゃない」
ストレートな言葉が、すとんと飛び込んでくる。
「ジークのことだから、自分の実力がどうとか考えてるんだろうけどさ。冒険者って世界で生きていけるように指導してあげるのも、師匠の役割じゃないの?」
「いや、しかし、俺の噂とか……」
「ボルグが忠告したんでしょ? それでもジークに弟子入りしたいって言ったってことは、彼女は自分で選んだってこと。だったら、次はジークが選べばいいじゃん。自分が正しいと思う方をね」
ずっと、イルネスを放り出すことができずに悩んでいた。
ならそれが、自分の答えなのではないか?
後輩の指導。
現役を望む自分が、やるべきではないと思ってはみても……「その時」は確実に近づいてきている。
神魔力の成長は、ヒューマンの場合は二十代でピークを迎え、三十代半ばで止まると言われている。
ジークはすでに、成長期を終えてしまっている。
これ以上、強くなることはない――
それならば、次の世代へ託すという仕事を、考えるべきかもしれない。
まだはっきりとは言えないが、イルネスを指導することで、自分の中で何かを見つけることができるかもしれない。
……やってみるか。
ジークの迷いが、晴れていく。
すっと立ち上がった。気のせいか、体が軽くなったようだ。
「ありがとう、マルフィア。おかげで気分が晴れたよ」
「……ん、いいじゃない。困ったことがあったら、いつでも相談に乗るよ」
少しいたずらっぽく笑うマルフィアが、心強い。
「本当に感謝してる。マルフィアがいてくれてよかった」
「も、もう、そんなに言わなくていいし! じゃあね!」
耳まで赤くしたマルフィアは、勢いよく立ち上がると、早足でギルドを出ていってしまった。
少し呆気にとられたジークだが、頬を叩いて気合を入れ直すと、さっそくイルネス育成プランを頭の中で考え始めた。
これから忙しくなりそうだ。
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