一章 第4話
自宅を出たジークは、イルネスを連れて冒険者ギルドへ向かった。
その名の通り、冒険者たちが所属するギルドで、王国の各地に支部が存在する。
通常、冒険者たちはここに登録して、実力に見合った依頼を受ける。
「君、冒険者登録はしてないよな?」
「えっ、冒険者って登録が必要なんですか?」
「…………」
冒険者登録をする際、当然だが禁止事項も教わる。冒険者同士の刃傷沙汰が重罪なのはしっかり忠告されるはずだ。
そのことを知らなかったから、まだ登録してないだろうとは思ったが、まさか登録制度すら知らないとは。
この分だと、冒険者ギルドの存在すらも初耳かもしれない。
「まあ、詳しい話は後でしよう――っと、見えてきた」
西区画の大通りまで出ると、すぐに冒険者ギルドがある。
大神殿とまではいかないが、近しい大きさの二階建て建築だ。
レンガと石膏で組まれた外観は少し無骨だが、頑丈そうで安定感がある。
ちなみにこの大通りを東に向かってまっすぐ行くと、噴水広場を経て、領主の居城へとたどり着く。
百年前に魔族の大侵攻があった際、ヒューマンの最前線として機能していた城の一つで、堅牢さが有名だ。そのためアグロアーの街も頑丈な外郭によって守られていて、人々は安心して生活している。
そんな雑談をしつつギルドの前まで来ると、ジークはイルネスを待たせて一人で中に入る。
始業したばかりのようで、冒険者はほとんどいない。
ギルド職員が依頼を張り出したり、掃除をしたりしている。
受付も始まっているので、さっそく向かった。
「あらジークさん。おはようございます」
対応してくれたのは、ギルド職員のモルトーネ。
四十半ばの女性で既婚者だ。
冒険者ギルドの職員は『
事務作業能力だけでなく、いろいろと個性の強い冒険者たちの対応を任される接客能力や苦情処理能力、さらには人目につく窓口ということで「見栄え」もそれなりに要求される。
二十代から三十代が中心の受付職員の中で、モルトーネは少し例外と言えるほど年齢が高い。
しかし彼女の落ち着いた佇まいや、穏やかな声、優雅な仕草、そして何より完璧に近い仕事をこなす能力が評価され、今も受付に立っている。
これで平民出身というのだからすごい。
ギルドの職業訓練学校で学んだだけだ、とジークは聞かされているが、もし彼女が実は貴族の娘で、高等教育を受けていたと知っても驚かないだろう。
「おはようございます、モルトーネさん。今日も元気そうですね」
「はい、おかげさまで。今日は――あら、依頼書はお持ちでないの?」
手ぶらで来たジークに少し意外そうな顔をするモルトーネ。
通常、ギルドの依頼は大型掲示板に張り出される。それを手に取り、受付に渡して申請するのだ。
「今朝は訓練場を使いたいと思いまして」
「いつもの早朝使用ではなくて?」
「そうです。そちらはもう終わったんですが、もう一度使いたいと思って」
「ジークさんでしたら、そのまま使って頂いても構わないんですよ?」
モルトーネは苦笑し、訓練場使用の申請用紙を準備する。
ジークは、ここのギルドの「嘱託冒険者」である。
他の冒険者が受けたがらない「面倒な依頼」や「報酬の低い依頼」など、引き受け手がなかなか見つからない場合に、それらを受ける仕事である。その代わりに、ギルドからいくつかの特典や便宜を図ってもらえるという見返りがある。
実力のある冒険者はその必要がないため、必然的に嘱託は実力の低い冒険者や引退の近い高齢冒険者がなるケースが多い。
訓練場の使用は、嘱託冒険者なら割引が適用される。しかし現実には嘱託冒険者たちは無料で自由に使っている人が大半だ。
ギルドも訓練場で利益を上げることは考えていないので「空いているならどうぞ」というのが通例になっている。
料金も軽食が買える程度のものだし、むしろ手続きするだけ面倒だと思っている受付もいるだろう。
「お手数をかけます」
「いえいえ。そういう律儀なジークさん、好きですよ」
意味ありげにほほ笑まれて、ジークは耳が熱くなるのを感じた。
「からかわないでください、その、免疫がないので……」
「あら、ごめんなさい」
くすっと笑われてしまった。
恋愛経験も、いわゆる「夜の店」の経験も皆無のジークは、こういう方面の話が苦手だ。
若い頃は何とか強くなろうと必死で他ごとを考えている余裕はなかった。
気が付けば「死神」と呼ばれるようになり、他人から避けられるのが常になってしまった。恋愛や結婚どころではない。
もし仮に、今のジークと付き合いたい、結婚したいと言い出す女性がいたら、第一に貯蓄目当てだろう。
普通に考えて「死神」との結婚なんて、世間体が悪すぎる。
今後もきっと、自分には無縁だろう、とジークは思う。
受付カウンターに使用料を置き、許可証を借りる。木製の小さなプレートだ。今まで確認を求められたこともない、ほぼ形式的なものだ。
「では、お気を付けて、ジークさん。終わったら許可証は返却してください。その際の手続きは必要ありません」
「ありがとうございます」
プレートを受け取り、小さく頭を下げてからジークはギルドを出た。
イルネスは扉から少し離れた壁際で待っていた。
壁を背にして、杖を片手に持って立っているが、壁にもたれ掛かってはいない。
隙のない、いい姿勢だ。
彼女に戦闘技能を教えた人物は、一人旅が多かったのだろうか。あるいは、誰かに追われる生活をしていたのか……
「あっ、師匠、お疲れ様です!」
ジークの姿を見つけるなり、相好を崩して駆け寄ってくる。
こういう姿を見ると、悪い気はしない――それが良くない。
「あー、じゃあ、行くか」
「どちらへ?」
「すぐそこだよ」
冒険者の訓練場は、ギルドの建物のすぐ近くにある。
小さな公園程度の広さしかない上に、術の使用は禁止。
前衛の屋外トレーニングくらいにしか役立たない。
あとごく稀に、酒場での喧嘩をこじらせた酔っぱらい冒険者同士が、改めて殴り合いの決着をつける場合にも使うことがある。
酒場の喧嘩は素手でも一応、負傷度合いによっては衛兵に捕まる可能性もあるが、ここなら「冒険者同士の訓練」で片づけられる。もちろん死者が出ればその限りではないが。
それはともかく、本日二度目の訓練場である。
始業直後に来たおかげで、まだ誰も利用していない。
「念のため聞くけど、イルネスは前衛でいいんだよな?」
イルネスは目をぱちくりとさせた。
「前衛って何ですか?」
「そこからか……」
こめかみを押さえて呟く。
冒険者に限らず『
「洗礼の儀は受けたか?」
「それって、たぶん教会のやつですよね? 私の田舎の司祭さん、畑仕事と飲酒ばっかりで教会の仕事ほとんどしてくれなかったので」
「それ司祭じゃなくて農民……」
どんなところなんだ、イルネスの田舎は。
呆れを通り越して興味が湧いてきたが、今は置いといて。
ジークは小さく咳払いをして、質問を変えた。
「イルネスは術を使えるか?」
「いえまったく」
「戦う時は、敵に接近して武器を振るう?」
「はい!」
「それを前衛というんだ」
「なるほど、じゃあ私は前衛です!」
手に持った杖をくるっと回して構える。
「盾は?」
「ありません!」
「分かった。じゃあ、そこの木偶に向かって、全力の攻撃を入れてみてくれ」
「はいっ!」
ジークはイルネスから少し離れ、後方から見守る。
木偶の前に立ったイルネスが、小さな動きで肩を回し、腕をほぐす。
木偶のサイズはいろいろあるが、ジークが示したのは人の背丈とだいたい同じくらいのものだ。横に少し太く、鎧も着せているため、イルネスが小さく見える。
片足ずつプラプラとさせて関節の動きを確認した後、すっと構えた。
本人の身長ほどの杖を両手に持ち、先端を木偶に向ける。
珍しい、というか、前衛として杖を使う人を、ジークは他に見たことがない。
杖での格闘技術はないわけではないが【
彼女がどんな技を見せてくれるのか――ジークは密かに期待を膨らませていた。
「では……全力で、いきます」
イルネスの構えからは、力みも神魔力のたぎりも感じない。
ただそこにいるだけだ。
その彼女が、ひゅうっと音が聞こえるほど息を吸い込む。
かっと燃えるように、少女の内側でエネルギーが満ちていくのが分かった。
体内の神魔力が一気に破壊的な力へと導かれていく。
少女が動いた。
一歩踏み込む足、腰の捻り、突き出す腕、そして杖の先端へ。
全身のエネルギーを集約された一撃は、木偶の鎧を貫き、胴を破壊した。
木が破裂するような鈍い音が響く。
上下に分断されたようにへし折れて倒れようとする木偶。
イルネスはさらに突きを繰り出し、正確に倒れかかる木偶の頭部を兜ごと砕いた。破片となって飛び散った頭部は原形もない。
「マジか……」
ジークは呆然とその破壊力を見ていた。
杖を引き、最初の姿勢に戻ったイルネスは、大きく脱力して息を吐いた。
「ど、どうですか師匠」
不安げに振り返る。
どうもこうも、言葉がない。
一撃でこの木偶を破壊できれば、もうこの街でも上から数えたほうが早い腕前だ。あのボルグといい勝負かもしれない。
「……文句なしだ」
「ほ、本当ですか!」
イルネスの笑顔がはじける。
「全力で攻撃するなんて久しぶりで、師匠に見られながらだったし、緊張してちょっとやり過ぎちゃいました」
見ると、イルネスは杖に少し体重を預け、額にうっすらと汗をかいている。
神魔力を一気に消耗したせいだろう。
確かにあれだけの爆発力を手加減なしで生み出せば、息切れするのも頷ける。
「しかし、困ったな……」
予定では、彼女の腕前を木偶で試した後、立ち合いをするつもりだった。
ジークの実力は底辺だ。例え相手が新人でも、戦えばたいてい敗北するだろう。
だから、あえて戦い、ジークの実力を知ってもらって弟子入りを諦めてもらうつもりだったのだ。
だがこれは……一撃もらった瞬間に絶命待ったなしだ。
とてもじゃないが、戦うことはできない。
説得力は弱くなるが……自分も木偶を攻撃して、威力を比較してもらうか?
「何か、お困りごとが?」
「ああ、イルネスには俺と立ち合いをしてもらおうと思ってたんだが」
「そんな畏れ多い! 私なんて、手加減してもらわないと話になりません!」
「それこっちのセリフ……」
あ、とジークは思った。
手加減……その発想はなかった。
もし立ち合いをしても、あるいは木偶をジークが殴っても、手加減と思われてしまっては実力差の証明にならない。
弟子入りが面倒だから、適当に手を抜いて追い払おうとしている、くらいにしか思われないかもしれない。
――それはそれでアリか。
そもそも常識が足りない少女だ。
適当に理由をつけて「お前みたいな奴の相手なんかできるか」と思わせてしまえばいい。
そうしたら、彼女はどう思うだろうか。
ジークを非難して「こんな人の弟子にならなくてよかった!」と思うか?
いや……違う気がする。
きっとショックを受けるだろう。
憧れの冒険者に袖にされて、傷つくに違いない。
理想、憧れ、夢。
それを目指して、生きてきたのは誰だ?
希望を抱いている若き挑戦者を、軽く扱ってもいいのか?
ジークはしばらく目を閉じて沈黙していたが、やがて小さく息を吐いた。
「……イルネスの実力は分かった。だけど、弟子入りはもう少し考えさせてくれ」
「えっ……」
「明日、同じ時間にここで会おう。その時に返事をする。それじゃダメか?」
イルネスは何かを言おうとして口ごもる。
彼女としては、押しかけ弟子として強引にでもジークについていくつもりだったのだろう。
だが、その勢いに押されて、流されてしまってはお互いのためにならない。
ジークはようやく、そのことに気づいた。
一瞬でも不誠実な考えが浮かんだ自分を、殴ってやりたい。
「宿は取っているか?」
「あ、はい……昨日『ネルネの宿』にチェックインしました」
旅人がよく利用する、お手頃な宿だ。そこなら心配はない。
「ならいい。明日、この時間にここへ来てほしい。それまでは俺の家に来るのもナシだ。これが約束できないなら、今すぐ弟子入りを拒否する。二度と君には関わらない」
イルネスの顔がさっと青ざめる。
「わ、分かりました」
「よし。今日はこのまま解散だ。後のことは任せて、町を見て回るといい」
「でもこれの片づけが――いえ、分かりました」
ジークの無言の視線に、イルネスはそれ以上食い下がらずに歩いて去っていく。
隙のない歩き姿だが……凛とした空気はなく、寂しそうな気配がするのはジークの思い込みだろうか。
気持ちを切り替えるように、ジークは木偶の片づけを始めた。
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