一章 第3話
呆気にとられるとは、まさにこのことだろう。
ジークは家に一歩踏み込んだ姿勢のまま立ち尽くした。
昨日と同じ、半袖の服とロングパンツ。マントや背嚢、あの特徴的な杖はないが――いや、キッチンの片隅にまとめて置いてあった。
「……どうしました、師匠?」
短い赤毛が、傾く少女の首に合わせて動く。
どうしたもこうしたも……
「あ、いや、ていうか、それ――ええ?」
どこから問い質せばいいのか混乱する。
こちらの姿を見ても驚かなかったところを見ると、ここがジークの家であることは知っているようだ。
弟子入りは断ったはずだし、家主に無断で家に入るのも、そこで調理するのも非常識だし、そもそもこの家をどうやって探し出したのかとか、もう色々とおかしい。
少女が、はっと我に返った。
「あっ、すみません、エプロンがなかったので、そのままキッチンに立っちゃいました」
「そこじゃない!」
最近久しく出してなかった大声で突っ込む。
少し面喰ったようにキョトンとする少女。
冒険者の家に無断で上がり込むなど、一歩間違えばその場で首を飛ばされても文句は言えない立場だというのに。
「もう朝食できましたので、座ってお待ちください」
「だから――」
「食材は昨日いただいたお金で買いました。調味料はここにあったものを使いましたので、後で代金をお支払いしますね」
――そんな細かいところを気にするくらいなら、もっと手前で常識に気づけ。
心の中で呟き、ジークはため息をついた。
今すぐ少女の首根っこを掴み、ドアから放り出して鍵をかける……それで終わらせることもできる。
だが、ここまで好き勝手に行動するこいつが、それで諦めるだろうか?
いやきっと、ドアを叩いて「入れてください師匠!」とか叫び続けそうだ。
そんな場面を他人に見られたら、どんな噂が立つことやら……
「遊んだ女(しかも十代の少女)を早朝に放り出すクズ」とかか?
そこまで脚色されるかは分からないが、ろくな噂にしかならないだろう。
「あー、くそ……」
がりがりと頭を掻く。
一応、施錠しなかったジークにも幾許かの責任はある。
おそらく悪意はないのだろう、この少女には。
純粋な気持ちで弟子入りを志願し、ジークに気に入られようと張り切っているだけに見える。
やり方が間違っているだけで。
――せめて事情くらい、聞いてみるか。
いやしくも英雄を志したことのある男が、純粋な思いで行動している新米をただ突き放すのは何か違う気がする。
ジークは念のため、少女の動きを注視しつつも、テーブルにつく。
話をしようと決めてみると、もう一つ知りたいことが頭に浮かび上がってきた。
少女の戦闘技量だ。
あの動きを見せた彼女が、実際に戦ったらどのくらい強いのか。
できるなら、この目で見てみたいが……
「な、なんか見られながら料理するのって、照れますね」
ジークの視線に気づいたのか、少女が肩越しに照れ笑いを浮かべる。
年相応の可愛らしい姿だが、やっていることは家屋の無断侵入に加えて料理器具の無断使用である。
少しして、少女が調理したものを皿に盛りつけ、テーブルに持ってくる。
一皿、二皿、三皿、四皿――
「おい……これ、二人で食べるのか?」
「そうですけど?」
テーブルに所狭しと並べられた皿。
しかも、だいたいどの皿にも肉が入っている。
漂ってくる圧倒的な肉汁の香りに、早くも胸やけを起こしそうだった。
少女は満面の笑みで、料理の肉に向き合った。
「ではいただきましょう!」
「ちょい待ち」
食事前の祈りのために手を組もうとしたところで、ジークは手を挙げて言った。
「俺は冒険者のジーク。主にこのアグロアーの街で依頼を受けている。まあ、知っているとは思うが」
「はい」
「んで、お前の名前は?」
「あ、私はイルネスといいますっ!」
「そうか。まあ、よろしくな」
「すみませんでした、まだ名乗ってすらいなかったなんて。師匠に会えた喜びで興奮してしまって」
昨日の話を聞いてなお、ジークに幻想を抱いているとは。
これは本当に同名の別人説があるかもしれない。
実際、ジークという名前はさほど珍しくもない。どこかに「優秀な冒険者ジーク」がいる可能性も否定できない。
「師匠呼びはやめろって。それで、まあ……食うか」
「はい!」
改めて、イルネスは手を組んで短く祈る。
ジークはこの習慣があまり好きではないが、一緒にいる誰かが祈っている時は自分も形だけ手を組む。
料理の山を見て、どれかに毒が入っていたらと一瞬想像したが、すぐに打ち消した。ジークを害する方法としては無駄が多すぎるし無理筋すぎる。
祈りも終わったので、さっそく肉の炒め物をフォークで口に運ぶ。
悪くない。
特別に美味しいわけでもないが、香辛料と塩が控えめで、かといって肉の臭みもない。飽きの来ない味というか。
昨日の晩食をほぼ抜いた状態だったジークは、かなりの量を食べた。
だが、イルネスはさらに上を行く。
ジークが背もたれに体を預け、ゆっくり水を飲んでいる間も、同じペースで肉料理を食べ続けている。
それも、満面の笑顔で。
下手をすると四人前はありそうだった料理は、綺麗になくなった。
「おいしかった!」
「……そりゃよかった」
「あっ、ではさっそく香辛料の代金を」
「いいよそれくらいは。メシももらったし」
「え、でも食材費も師匠から頂いたものですし……」
「つーか、何で酒場で使わなかったんだ」
「私も師匠の言いつけ通り、食事をしたかったんですが、まわりの人たちがあれこれと話しかけてきて、それどころじゃなかったので……」
酒の入ってテンションの上がった冒険者たちが、好奇心丸出しでイルネスを囲む光景が目に浮かぶようだ。
それでイルネスはその場を逃げ出してきたわけか。
「まあ、それはいい。とりあえず聞きたいことは山ほどあるが……」
ジークは昨日の出来事を思い返し、真っ先に言うべきことを口にした。
「君は、ボルグに攻撃を仕掛けようとしたな?」
「あ、はい。あの失礼な人ですよね。師匠をあんなに悪く言うなんて――」
「冒険者同士の喧嘩で、武器を使ったら重罪だ。軽くて牢屋に数ヶ月。大怪我でもさせたら最悪、死刑もありえるぞ」
イルネスの顔が青くなっていく。
――やっぱり知らなかったか。
ジークはため息をついた。
冒険者は、多くが神魔力を戦闘用に磨き上げた、言わば戦いのプロだ。
そんな者たちが、喧嘩で武器や術を使えば、お互いの命だけでなく、周囲にも被害を出してしまう。
何より、凶悪な魔物たちへの対抗手段である『
それを律するための厳しい法律だ。
この国で険者を目指しているにも関わらず、それを知らないとは。
大方、誰かの英雄譚を聞いて憧れを抱き、どこかの田舎村から出てきたばかりなのだろう。
あの洗練された動きから、かなりの実力者に鍛えてもらったであろうことは想像できるが、そっちの教育はまったくしていなかったのか?
ずいぶんと歪な育て方だ。
「今後、冒険者相手に……というか、盗賊などの犯罪者以外に暴力を振るっては駄目だ。もし手を出すとしても素手で、だ」
「はい……すみませんでした師匠」
しゅんと肩を落とし、項垂れるイルネス。
行動力があり、ボルグ相手に手を上げかけるほど気が強いのに、こういう素直な面もある。
良くも悪くも「子供」なのだと思う。
「それに、見知った相手とはいえ、勝手に冒険者の家に入るのはやめたほうがいい。盗賊と勘違いされたら、出会い頭に斬られるぞ」
「そうなんですか……私の育った田舎では、鍵が開いていれば知り合いは自由に出入りしていたので……知りませんでした」
「マジか」
そんな風習は聞いたことがなかったが……国は広い。田舎の村が家族みたいな付き合いをするところもあるし、他人との境目が曖昧な地域もあるのだろう。
さすがの王国法もド田舎では形無しか。
それにしたって、昨日会ったばかりの男を「知り合い」と定義するにはいささか強引だろう。イルネスは若い女性なのだ。
「まあ、とにかく、家には家主の許可を得てから入ったほうがいい。……あー、それで、昨日のことなんだが」
ジークが言うと、イルネスはぐっと背筋を伸ばした。
「俺の弟子になりたい、ということで間違いないのか?」
「はい、もちろんですっ!」
急に元気を取り戻し、やる気に満ちた目をするイルネス。
「具体的には、何について師事したいと思ってるんだ?」
「すべてです! 冒険者として、師匠は私の憧れなんです!」
「…………」
この盲目度はかなり厄介だ。
ジークは咳払いをして、自分の見立てを正直に話した。
「昨日も言ったが、俺は弟子を取れるような実力者じゃない。腕っぷしだけで言えば、たぶんイルネスより弱い」
「そんなはずはありません!」
瞬時に席を立ち、机を叩く勢いで身を乗り出すイルネス。
感情の起伏がとんでもない少女である。
少し気圧されながらも、ジークは冷静を装って答えた。
「いや、そうなんだよ。君は、たぶん別の人物と俺を混同している。そもそも俺のことを、誰から聞いた?」
「誰からというか……旅をしながらいろんな人に聞いて回って、やっと居場所を知ることがでたんです」
「ほらな。おそらく聞いた話の中には、はっきり俺だと分からない曖昧な情報もあったんじゃないか?」
誰かの冒険譚を聞き、その人物に会いたいと思う。
そしてそれが、たぶんジークという名だと知る。
あとは本人の中で、いい噂がどんどん付け足され、理想のジークが出来上がる。
そして、同名の別のジークを探し当てる。
そんな感じか。
「違います! 師匠は絶対、すごい冒険者なんです!」
「おいおい……」
本人が否定しているのに、何故そこまで言い切れるのか。
これは、簡単には目を覚まさないかもしれない……
ジークはこめかみを押さえた。
こうなったら、現実を見てもらったほうが早いかもしれない。
「……分かった。じゃあ、片付けを終えたら外出しよう」
「はい師匠!」
「だから師匠呼びはやめろって」
少しうんざりしつつ、ジークは食器の片づけのために席を立った。
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