一章 第2話
夜明け前。
薄暗い広場に、ジークは一人で立っていた。
動きやすく軽い革鎧に、革兜、革小手。
ブーツも靴底以外は革のものだ。
防具と言うにはあまりにも頼りない装備だが、こうしなければならない理由がジークにはあった。
「ふう……」
体をほぐした後、大きく深呼吸をして意識を集中させる。
ここは冒険者ギルドに併設された訓練場。
とはいっても、さして多くの設備があるわけではない。
簡易的な更衣室とトイレの他には、大小様々な木偶人形が並んでいるくらいだ。
冒険者たちが自主トレーニングを行なうために作られた場所なのだが、利用率はあまり高くない。
実力がついてきた者たちは依頼を受け、魔物と戦うことで実戦経験を積むほうが成長につながるからだ。
ここを利用するのは自信のない新人冒険者か、怪我から復帰した者がリハビリに体を動かす程度か。そんなものだ。
ジークはそのどちらでもなかった。
言うなれば、自信のないベテランといったところか。
「……いかん」
自虐が頭をよぎり、乱れかけた集中を整える。
体の内側に眠る力――『神魔力』が、じわりと四肢に広がっていく。
人の力を越えた、神や魔王から与えられるとされる力。
その力を持つ者たちを『
戦士ならば肉体に宿すことで超人的な戦闘力を得る。
術士ならばその力を解放することで様々な現象を引き起こす。
凶悪な魔物たちと戦うためには必要不可欠と言われる能力だ。
ヒューマンが『
そういう意味では、ジークは「持って生まれた」側なのだろう。
『
魔物と戦い、神秘を操り、術具を作り出す。
彼らにしかできないことであり、相応に高い報酬も約束される。
それゆえに、特に平民や農奴といった人たちは、自分が『
「よし、やるぞ」
地面に置かれた剣を取り、木偶人形の前に歩み寄る。
素振りを繰り返した後、木偶に向かって――斬撃。
訓練用のなまくら剣が、木偶の着用する古びた鉄鎧に叩きつけられる。
体が覚えている型に従い、次々に剣を繰り出し、重い金属音を鳴らしていく。
――腕の立つ冒険者なら、一撃で鎧を割り、木偶の胴体を傷つけている。
ボルグあたりの実力者なら、木偶の太い胴を軽く斬り飛ばしているだろう。
力任せにならないよう、技のキレを意識して――しかし無意識に威力を出そうと、握りが強くなってしまう。
自制して力を抜き、剣を振り、また力みかけて、の繰り返し。
昨日の少女を見たせいだろうか、今日は雑念が入る。
あの動き。
流れるような足運び。
自然な構え。
熟達した剣士を思わせる彼女の実力は、どのくらいの高みにあるのだろうか。
そうかと思えば、弟子にしろと叫んだり、噂を誤解していたり、妙に抜けたところのある娘だった。
一体、どんな育ち方をして、誰に指導を受けたらああなるのか――
「だぁっ、くそっ、集中しろ!」
頭を振り、剣を置いて槍に持ち替える。
二回り大柄な木偶の前に移動し、槍を振るう。
突き、払い、打ち下ろし。
基本の動きを丁寧に繰り返す。
ジークは今まで数多くの武器を手にし、いくつもの道場で教えを乞うてきた。
長剣だけで四つ、槍で三つ。無手や二刀流、護身術や投擲術なんていうものも。
どれか一つだけでも、自分に合うものがあれば。
だが、叶わなかった。
入門して三ヶ月鍛えた自分が、わずか一週間の少年に追い抜かれていく。
模擬戦で敗北し、練習相手にされなくなり、師匠に「向いていない」と烙印を押される。
その繰り返しだ。
技や型を覚えても、模擬戦でその真価を発揮できない。
理由は簡単。
相手の方が、素早く、そして力強く動けるからだ。
武器を持って戦う前衛は、神魔力を運動能力に置き換えて、腕力や敏捷、反応速度を引き上げることができる。
ジークは『
神魔力にはいくつかのタイプがあり、戦士向きや術士向きなど、成長しやすい方向性があるのが普通だ。
しかし、ジークには得意なタイプがなかった。
極めて珍しい、ただの凡庸。
どれだけ鍛えても、伸びない能力。
それが、冒険者ジークが底辺の実力しかない理由だった。
防具が軽装なのは、少しでも動きを素早くするため。
スピードで負けては、どんな攻撃も当てられず、回避できない。
身の安全を度外視した薄氷の戦いを、ジークは常に強いられていた。
それも、低レベルの魔物相手に、である。
「まぶしっ」
気が付くと、日が昇り始めていた。
今日はまったく身が入らなかった。その割に時間だけは浪費した感じだ。
深夜に帰宅し、数時間しか寝なかったせいもあるか。
ジークは訓練を切り上げ、借りた武器を片付け、木偶を整備する。
訓練場の利用は本来有料で、木偶を破壊したらそれも実費払い。
しかしジークは、早朝の利用と、木偶の整備をすることを条件に無料で使わせてもらっている。
木偶破壊代金は別途だが、今まで木偶を壊すほどの攻撃を打ち込んだことはない――打ち込めない。
「……帰るか」
訓練場の出入り口で振り返り、一礼する。
昔、剣の師範から言われた作法だが、割と気に入っているので今も続けている。
石畳の道を歩きながら、今日の予定を考える。
冒険者ギルドに行って昨日の書類を提出した後、受けられる依頼を確認する。
依頼があればやるし、なければ……どうしようか。
冒険者の収入は大半がギルド依頼だ。
魔物を狩れるならそれを売ることもできるが、ジークには向かない。
後は稀少な野草採取をして薬屋に持っていくくらいか……小銭稼ぎにはなる。
そんなあれこれを考えながら歩き、自宅が見えてきた。
戸建てが連なる住宅地の内の一件。
小ぶりで庭もない、石造りの質素な外観の家だ。
一人暮らしをしていて、他に趣味もないので、寝泊まりできれば文句はない。
「あ……施錠忘れてたな」
ドアを見て呟く。
慌てて出てきたつもりはないのだが、眠気が残っていたことは覚えている。
気をつけなければ。
あと数歩でドア、というところで、ジークの足が止まる。
――人の気配がする。
全身にさっと緊張が走る。
泥棒だろうか?
いや、可能性はあまり高くない。
この『アグロアーの街』では、冒険者たちはだいたい同じ地区に住んでいる。
冒険者ギルドが近く、宿や借家、大きな酒場もある。というか、冒険者相手に儲けようと商売人のほうが集まってきた。
だから冒険者もこの地区に自宅を買う。
当然、ジーク宅の周辺も冒険者たちが多い。
そんな中で盗みを働くのは、命知らずもいいところだろう。
『
例えば最底辺のジークでも『
まったくの不意打ちや毒物を使えばその限りではないが。
そして『
そもそも『
「さて……」
泥棒の可能性は低いはずだが、かといってこんな早朝から訪ねてきて、家に上がり込むような知り合いはいない。
だとすれば、命知らずの泥棒――食うに困った貧民や、賭博で無一文になった馬鹿が、自棄になったといったあたりか。
金目のものはあまりないはずだが、銀行の手形を持っていかれると処理や手続きが少々面倒だ。大人しく制圧されてくれればいいが……
そう思い、剣の柄に手をかけつつドア前に立ったジークだが、すぐに眉根を寄せた。
匂いだ。
空腹を刺激する、なかなかに美味しそうな食事の匂い。
肉料理なのか、香辛料が使われている。
それがまぎれもなく、自分の家の中から香ってきている。
困惑しつつドアを開けると――
「あ、おかえりなさい、師匠」
あの赤髪の少女が、炊事場から振り返って言った。
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