ポンコツ冒険者は英雄になりたかった
天竺
一章 第1話
英雄になりたかった。
幼い子が見る夢としてはありがちだろう。
ジークもそうだった。
きっかけは母親の寝物語か、一人で読んだ絵本だったか。
冒険譚の中で、彼らは剣を持って旅に出る。
エルフの偉大な魔法使いや、罠をかぎ分ける身軽なクォルト、斧を振り回す屈強なドワーフを仲間にして、命をかけた戦いを繰り広げる。
やがてクライマックスで、ドラゴンやアークデーモンといった凶悪な魔物を倒し、美しい姫と結婚し、国を得る。
いつか自分も――
そんな思いを、抱き続けていた。
冒険者になった時の高揚感は、今でも鮮明に思い出せる。
――そうして、気付いたら冒険者として、二十年近くが過ぎていた。
「ふう……」
水の入ったグラスをテーブルに置いて、ジークは視線を上げた。
すでに深夜と言える時間だが『エルパーネの酒場』は喧騒に満ちていた。
神術具の灯りによって煌々と照らされたテーブル各所では、エールやワインの入った金属グラスを片手に好物の料理を頬張っている。
その多くは冒険者だ。
手にした報酬で飲み食いをし、雑談に興じる。手柄を自慢する者や、遭遇した危機を神妙に語る者、次の依頼を真面目に話し合うグループもある。
彼らは金払いがいいので、注文もよく入る。
危険を承知で魔物と戦い、追い払い、あるいは逃げ切り――手にした報酬でちょっとした贅沢をする。それが冒険者の日常だ。
所せましと置かれた椅子の間を縫うように、給仕係が常に往復している。
ジークは視線を落とした。
テーブルには水の入ったグラスの他には、少し硬くなったロールパンが数個と、冷めたコンソメスープ。
冒険者ギルドから貰った書類仕事をここで片付けようと陣取り、ついでに夕食をとるつもりだったのだが、予想以上に手間取ってしまった。
心なしか、給仕係たちからの視線が冷たい。
居座った数時間を考えれば、もう少し注文をしたほうがいいのは分かっているが、二十代の頃とは胃袋が違う。
深夜に食事をするのは控えたいところだが……
「たのもーう!」
威勢のいい女性の声が、店の入り口から響いてきた。
酒場の喧騒がにわかに大人しくなり、冒険者たちの視線が入り口に集まる。
現れたのは、少女だった。
短く切り揃えられた、活発さを思わせる赤髪。
汚れたマントを羽織り、その下には動きやすい半袖の服とロングパンツ。
革製のグローブをはめた手には木製の杖を持ち、背嚢を背負っている。
よく見る旅人の様相だ。
赤髪の少女は酒場に一歩踏み入ると、キョロキョロと周囲を見渡す。
連れもなく深夜に出歩いているところを見ると、腕に覚えのある冒険者だろうか。そうでなければ不用心すぎる田舎者だ。
しかし杖の他には得物らしきものは見えない。その杖にしても【
少女は目標を見定めたのか、カウンターに向かって歩いていく。自分が視線を集めていることを気にしていないようで、堂々としていた。
その動きを見ていたジークは、気付く。
――実力者だ。
重心と体重移動に無駄がない。
杖は地面を突くようにして歩いているが、体重を預けてはおらず、すぐに取り廻せるように程よい脱力感で握っている。
頭や肩はほとんど上下しておらず、移動速度も一定。
例えば今、真後ろから誰かが襲い掛かったとしても、わずかな動きでそれを受け止め、あるいは逆に制圧してしまいそうな予感さえする。
「おい、誰だあれ」
「さあ……」
近くのテーブルからそんな呟きが聞こえてきた。
少女はカウンターに近づくと、その向こう側で客と話をしていた男性店員に声をかけた。
「ここにジークという冒険者がいると聞いたんですけど」
ごほっ!
思わずジークは息が詰まり、反動で咳き込んでしまった。
少女が振り向き、視線が交わる。
店員をちらりと見て、小さく頷いたのを確認し、少女はまっすぐにジークのところへやってくる。
店の隅、半ば指定席のようになっている場所で一人座っていたジークは、周囲からの視線を浴びて何とも居心地が悪くなる。
「あなたが、冒険者ジーク……?」
何かを探るような視線。
間違いなく初対面だと思うが、こんな深夜に、おそらく未成年であろう少女が訪ねてくる理由がまったく思い当たらない。
少なくとも怒りや恨みといった敵意はなさそうだが、どう返答したものか。
周囲には多数の目撃者もいるし、どうしようもないか。
ジークは素直に答えることにした。
「まあ……そうだけど。何か緊急の用事か?」
少女の目が見開き、表情が緩む。
そして大きく息を吸い込むと、片膝をついてしゃがみ込みながら叫んだ。
「私を、あなたの弟子にしてくださいっ!」
――は?
固まるジーク。
周囲の沈黙。
そして……爆笑の渦が広がった。
「えっ?」
少女は立ち上がり、驚いた様子で笑う人々を見回している。
どうして笑われているのか、彼女には分かっていないのだろう。
おそらく彼女は人違いをしている。
それを説明してやろうと、ジークが口を開きかけたところで、別の男が先に声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、今のはなかなか面白かったぜ」
大柄な男が、赤ら顔で席を立った。
冒険者『大斧のボルグ』。
この街でも指折りの前衛冒険者で、頼れる兄貴分のような男だ。
ボルグは、スケイルメイルの金属音を鳴らしながら少女に近づいてきた。
「冒険者パーティを探してるのかい?」
「いえ、さっきも言った通り、冒険者ジークさんの弟子になりに来たんです」
また、周囲で笑いが起こる。
ボルグも小さく笑いながら、愉快そうに手を叩く。
「そうか、お嬢ちゃんは何か勘違いをしているな。お嬢ちゃんの探しているジークは別のジークだ。こいつじゃない」
赤毛の少女はわずかに眉根を寄せた。
「どういうことですか?」
「こいつは、この街にいる冒険者の中でも最弱レベル。弟子入りしたって何にもならねえぜ?」
ボルクはちらりとジークを見た。
「そうだよな?」とでも言いそうな視線だ。
残念ながら、彼の言葉は事実で、否定しようがなかった。
ジークは最底辺の冒険者。
何とかこの仕事にかじりついている下っ端だ。
「ジークさんは、あの伝説パーティ『白金の獅子』の初期メンバーでした」
少女が反論する。
ボルグは苦笑した。
「たった数ヶ月でクビになったって話だぜ」
「本当ですか?」
こちらを振り向いて確認してくる少女に、ジークは少し迷ってから答えた。
「それは……まあ、そうだな」
本当のことを言えば、少し違う。
確かにジークは『白金の獅子』の結成メンバーだった。
そして半年で脱退した。
日々成長し、どんどん強くなっていく仲間たちについていけず、自分からパーティを抜けたのだ。
仲間たちはジークを引き留めてくれた。
強くなるために協力してくれるとも言ってくれた。
それでもジークが脱退したのは……つまらないプライドのためだった。
メンバー最年長の彼が、何歳も年下の仲間たちに頼りきりの状態に、耐えられなかった。
それだけだ。
「ジークさんは、暴走するファイアドレイクから逃げ延びて、子供を救ったと聞きました」
「他の仲間たちは全滅、襲われた複数の村も何一つ救えてねえ。ファイアドレイクを退治したのは王国軍だ。こいつ一人だけ逃げ帰ってきたんだよ」
ボルグの声に、強い非難の色が混じる。
「もっと言えば、こいつが見捨てて全滅したパーティは二つだ。後衛や補助を守るべき前衛が一人だけ生き残った時点で、どうしようもねえ役立たずなんだよ」
「そんな――」
「こいつの渾名を教えてやろう。『死神』だ」
少女が戸惑ったようにジークを見る。
否定してほしい、フォローしてほしい、という表情に見えた。
ジークに言えることは、一つだけだった。
「すべて事実だ」
ジークが呟く。
パーティを二つ全滅させて自分だけが生き延びたことも。
陰で『死神』と呼ばれていることも知っている。
だからジークとパーティを組みたがる者など誰もいない。
仲間の前に立って戦い、守ってくれるから前衛なのであって、いざというときに逃げ出す者が信用されるはずがない。
そこに実力すら伴っていないとなれば、辛辣な評価を下されるのも当然だ。
ボルグは別に、悪い奴ではない。こうして絡まれたのも今日が初めてだし、過去に嫌がらせを受けた記憶もない。
ただ今回は、冒険者の新米らしき少女が「ジークに弟子入り」などと言い出したので、少女のためを思って割って入ってきたのだろう。
ボルクは小さく鼻を鳴らしてから、少女を諭す。
「だから、パーティ探しなら俺が手伝ってやるぜ。弟子入り希望なら師匠のなり手を探してやっても――」
ボルグが話している最中、少女の腕にわずかな力が入った気がした。
近くで見ていなれば気づかないほどの動きで、少女の重心が下がる。
少女が小さく息を吸い、止める。
まさか――
「おっと!」
ジークが声を上げた。
金属グラスが音を立てて床を転がり、水をまき散らす。
「おい、何してんだ、汚ねえな」
「手が滑った、悪い」
ボルグに小さく頭を下げるジーク。
給仕係の女性が雑巾を持って駆け寄ってくる。
ふとボルグは、自分たちが注目を集め続けていることに気づき、バツが悪そうに頭をかいた。
「ともかく、新人の相談ならいつでも乗るぜ。……お前らいつまで見てんだよ」
ボルグは自分の席に戻りながら、他の冒険者たちの視線を追い払うように手を振る。
残されたジークは、不機嫌そうな顔をしてボルグの背中を睨んでいる少女をどうするべきか考えていたが……やめた。
すっと席を立つ。
「ボルクの言った通り、あいつに相談したほうがいい」
「え、あの……」
「どんな勘違いをしたか知らないが、もう少し情報を集めて、真実を知るべきだ」
腰の革袋からいくつかの銅貨を取り出し、少女に握らせる。
「これで食事でもするといい」
「そんな――」
「いいから」
有無を言わさず押し付けると、カウンターに寄って「迷惑料」のチップを店員に渡して店を出る。
歩きながら後ろを振り返ったが、追ってくる様子はなさそうだった。
どこの出身かは知らないが、とんでもない行動力と非常識さだ。
妙に気疲れしている自分に、ジークはため息をつくのだった。
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