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 語堂の家が広すぎて、わたしは敷いてもらった布団の上で大の字になりながら、くらくらする感覚を覚えていた。

 これでも、彼女ひとりが住んでいる離れだというのだから――恐らく、木々の向こうに見えた天守閣のような建物が、母屋なのだろう。

 この世、知らない世界がたくさんあるな……クイズとか知識とか、馬鹿らしく思えてくる。

「有澤様。有澤野々子様」

 わたしが先に、お風呂を借りて。

 大きな檜の浴槽でゆったりと温まらせてもらった後、入れ替わりで語堂が風呂場へ向かったタイミングで、貸してもらった部屋の襖の向こうから声がかけられた。

「あっ、はい。えっと……」

「茶莉お嬢様のお手伝いをしております、木庭と申します」

「ああ……さっき、すいません。ありがとうございました」

「いえ、滅相もございません。それより……少し、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「あっ、全然。髪乾かすんで、二分だけ待ってもらえたら」

 きっかり二分後に、木庭さんは襖を開ける。

 機械みたいな人だと思った。

「その……お話って」

「お嬢様は、大学へは進まれません」

 きっと、語堂には聞かせたくない話だ――だから今なんだ。一言でわかった。

「実は、お嬢様は脳に障害を抱えておいでなのです」

「障害……?」

「今は、全くそうは見えないでしょうね。あのお方は、天才です。天才として生まれながら、その上さらに、この世の全ての知識をたった六年で味わい尽くそうとなさったのですから」

 何の話をされているのか、すぐには飲み込めなかった。

「すみません、ちょっと、ちょっと待ってください。話がよく……」

「二十歳前後を境に認知機能が急速に衰えていくと、小学校を卒業なさる頃、お医者様の宣告を受けているのです。あんなに輝かしい知識も、記憶も、程なく全て――瞼の裏の暗闇に、消えてしまう」

 嫌なことに――少しばかりよく回るわたしの頭の中で上手く嵌まって、合点がいってしまった。

 開奈女子のチームメイトと、明らかに距離がある雰囲気の理由だったり。

 こんな大きな屋敷の離れに、娘ひとりが住んでいる理由だったり。

「そんなこと……そんなこと聞いて、わたし、どうしたらいいんですか。ほんとに……今日こんなお願いして、泊めてもらって、申し訳ないと思ってますけど……他人ですよ、ほんと」

 そんな、つまらない上に思いやりの欠片もない返事しか、わたしにはできなかった。

 わたしは、わたしを生きるのに精一杯で――語堂茶莉のことは、正直、後になってみれば美しかった気もする思い出の登場人物くらいにしか思っていなかったのだから。

 いや――思わないように、していたのだから。

「有澤様――有澤野々子様。存じております、昨年、お嬢様と最後まで鎬を削った有澤様」

 あの興奮も緊張も麻薬のようで。

 でも、その先に――わたしの生きる道はないと。

 クイズで有名人になれたとて、ジャンヌと呼ばれ続けながら食べていくことにわたしは耐えられないだろうと、気付いてしまったから。

「お願いでございます、有澤様。他の誰にもできないことなのです。どうか――どうか、お嬢様に」

「……わたしに、できることなんてないです。そんな」

「いいえ」

 本当は、わかっていた。

 思い出作りにしかならないとしても。

「有澤様だけが、お嬢様を倒せます」

 思い出があれば、人は生きていけるのだと。

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