3.■■に喰われて■ぬ

 肺いっぱいに潮風を吸い込み、

「海だ~!!」

 誰も居ない海で、私は力の限り叫んだ。

 色あせた木製の立て札に貼り付けられた、ピカピカに光る真新しいラミネート紙が光を弾いている。【遊泳禁止】【サメ】【危険】……拾い読みした文字を尻目に、私はずんずんと浜辺へ足を踏み入れる。何、浅瀬にサメなど滅多に出ない。こんなに素敵な夏日和に、海を閑散とさせておく事の方が重罪である。

 ふと、遠くに歌声が聞こえた。

 波の音かと耳を澄ませると、それは確かに人の歌声だった。ゴスペルやオペラみたいな、豊かで美しい女の声。私はスマホの録音アプリを起動させてから、音のする方へと足を向けた。

 声の主は、砂浜から大分奥まった岩陰に腰掛けていた。

 腕は異様に長く、細い生木か蔦が編み込まれて出来ているようだ。海に濡れた部分が艶やかに光っている。胴や首も同じ素材で編まれている。頭はフルフェイスのヘルメットを被ったようにまん丸で、顎と思われる部分に亀裂が入っていた。亀裂が上下する度に美しい旋律が漏れ出す。

 その下半身は、薄緑色に光る魚の尾鰭だった。

「人魚?」

 私の呟きと同時に、生木のような身体がしゅるしゅると音を立てて人間の上半身へと変身した。息を吞むほど整った西洋風の顔がこちらを向く。

「剥き出しの疑似餌を見て悲鳴を上げないなんテ、珍しいメスじゃないカ。喰われに来たのかイ?」

 薄い唇がやんわり笑うが、魚そのものの瞳は無感情にぬらぬら光っている。

「うん、まあ、そんなとこ」

「でもねェ、最近喰ったばかりで腹は減ってないのサ」

 サメの立て札を思い出す。

「知ってる。でも、死体が出れば食べるんじゃない? 私今から死ぬんだ。食べてよ」

「ふーン」

 人魚はつまらなさそうに返事をして黙る。しばらくの沈黙が流れる。私が動機を語らないとみて、初めてその目が愉快そうに細められた。

「へェ? 人魚の肉を喰らいたい人間は山ほど見たけどネ、逆は初めてだヨ」

 いいヨ、と人魚は妖艶に笑う。

「死体になったら、喰ってやるサ」


 ――死因:溺死

      (人魚に喰われて死ぬ)

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