第2話 ヘビとの契約

(誰?)


 見回してみても、人影はない。


「空耳……」


「じゃないねぇ。ここだ」


 声のほうに目をやり──、私は絶句した。


「ヘビが、喋った?」


 そこには一匹の真っ黒いヘビが、鎌首をもたげ、赤色せきしょく双眸そうぼうで私を見ていた。

 いつの間に部屋に入り込んだのか。


「ふふっ、駄目だわ、私。ついに末期ね。孤独のあまり、幻聴まで聞こえ始めたなんて」


「空耳でも幻聴でもない。オレは今、肉声でもってアンタに話しかけている」


 いささか憤慨したように、小さなヘビは言った。

 短気らしい。


 あっけに取られていると、シュルシュルと身をくねらせ、私の足元までヘビが近寄る。


「きゃあああッ」


 慌てて足を、椅子の上に引き上げた。

 

「へえ。こんな小さなヘビが怖いのか」


「人語を話すような得体のしれないモノは、ヘビでも蜘蛛でもなんでもごめんだわ!」


 揶揄からかうようにヘビは言うが、話さなくてもヘビや蜘蛛は大嫌いだ。



「ヘビや蜘蛛より、アンタのその顔のほうが、いまは見苦しいと思うけどね」


「……デリカシーのないヘビは、話す価値もない存在として、踏みつぶすことにしているわ……!」


 初対面のヘビに、最も触れられたくないことを言われ、私の臓腑ぞうふに怒りがこもる。


「ああ、いいね。その冷ややかな瞳。オレはアンタのそういう目が好きで──うわっと!」


 私が踏み抜いた足はヘビにかわされ、床からはダァンと音が響くのみ。


「ちっ」


「"ちっ"? いま舌打ちした? 公爵令嬢が?」


「"令嬢"なんてもう過去のことよ。私はこのまま一生、誰に認められることもなく過ごすんだから」


「それ、飲み込めるの」


「は?」


「突然の理不尽だったんだろ? アンタの気持ちは、それを受け入れられるのかい?」


「受け入れられるわけないでしょう! けれど見た目がこうなってしまった今、どうしようもないじゃないの!!」


 中身はなんら変わりないのに!

 かつて誇った美貌以外、私は何一つ変わってないというのに!!


 ヘビを相手に、思わず吐き散らす。


「アンタの顔、元に戻せると言ったらどうする?」


「……何を言っているの。秘密裏に呼んだ名医にもどうにもならなかったのよ。これ以上戯言ざれごとを言うようなら……」


 "私の手で、全身を引きちぎってやるわ"。


 どのみち喋るヘビなど、真っ当な存在ではない。魔に属するまがものだ。害なす前に、ほふるのみ。


 私の殺気に、ヘビは言った。


「本当さ。オレと契約をしたら、オレの能力チカラでもって、アンタを以前通りの姿に戻せる」


「──!」


(私を、以前通りの姿に? この焼けただれた顔が、元に戻る?)


 その言葉はあまりにも甘美な誘惑を持って、私の心を揺さぶる。


「契約……。ヘビ、貴方って魔族?」


「いやいやいや、ハ、ハ、ハ」


「乾いた笑いでは答えになってないけど、図星なのね。でも契約するにしても、今の私に公爵家の力はないわ。持っているものは、この肉体と魂だけよ」


「充分さ、高潔なお嬢様。オレが欲しいのはアンタの魂。アンタの望みが叶ったあかつきに魂をくれるなら、オレはアンタのやりたいことを全面的に手伝ってやる」


 なんせ毎日こぼれる嘆きの声が、それはそれは素敵に響いていたからなぁ。


 ヘビは縦長の瞳孔を、糸のように細めた。




 私はヘビとの契約に頷いた。


 境遇のことだけではない。引きつり痛む顔面に夜も眠れず、限界が近かったのだ。


 ヘビは私の顔を治す。

 そして私が"やりたいこと"を完遂し、、私の命が尽きるのを待って、私の魂を好きにする。

 それまでは私に力を貸す。


 "魂を引き渡すのだから"と、私は現世における優遇をさんざん約束させた。



「契約成立だ」


 ヘビがカプリと私に牙を突き立てる。


「っつ!」


 小さな痛みが身体に走り、しばらく経つと。


「か、痒い!!」


 全身を掻きむしりたくなるほどの痒さに見舞われる。

 

「掻いちゃいなよ」


「…………!」

 

 ヘビの言葉に促されるまま、腕に爪を立てるとズブリと皮膚がズレた。


「!!」


 そのまま浮かび上がった皮が、ぺらりとめくれると、下には以前以上に白く輝く肌がのぞく。


「これは?」


「オレの権能。脱皮って、知ってるだろ? それがいま、アンタに適用されている。さあ、そのまま全身を脱いでしまえ」

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