第65話 笑顔

 見上げれば最愛の女神の顔。


 それは夢に見た、いや見続けた光景。

 だというのに、女神の瞳からは大粒の涙が止めどなく流れ続けている。


 全く、泣いてんじゃねぇよ。

 そう思いながら、その涙にぬれる頬を撫でようとして、自分の身体がもうほとんど動かないことに気が付く。


「あ、あ゛、、そ、ぅか、どじっち、まった、んだ、な。」


 そう呟いて、俺は思い出す。

 聞いたこともない嗄れ声。

 きっと俺の声なんだろう。


 あの時、あの目がどうにも気に入らなくて、気が付いたら、左手で刺し貫いていた。

 その瞬間、触手にぶんなぐられて、、、


「なん、で、スゥ、、、が?」

「、、、バカ、バカバカバカ、、、」


 消えそうになる意識に抗って、紡いだ言葉にスゥは答えてくれない。

 それどころか、涙は増えるばかり。

 だが、それどころじゃない、そうだ、俺はあのバケモンとやりあってたんだ。

こんなところに居やがったら、マジで、そこまでなんとか考えて、再度言葉を紡ぐ。


「に、、、げろ」


 俺のその言葉を聞いたスゥの眼が大きく見開かれる。

 まだ現状に気が付いていないのだろうか?

 戦場から遠ざかって、勘が鈍っちまったってか?


 焦る俺は手を伸ばし、言葉を紡ごうとする。

 だが、身体はピクリとも、いや、そもそも手足があるのかどうかすらわからない。

 それに、異様に寒い。

 だが、それでも、伝えなくては、その思いに答えてくれたのか、口がほんの少し動いてくれる。


「に、、、げろ。」


 今の俺にはこれが精いっぱいだった。


 だが、スゥには伝わったようだ。

 見開かれた目は、急に鋭くなり、彼方を一瞥する。

 そうだ、それでいい。

 俺もそちらを見ようと目を動かすが、あまりうまく見ることができない。

 と、視点が少しずれる、そして俺が見たのは、、


「バカだね、もうあなたの弟子達、いやナタク達が片、付けてくれたよ。」


 スゥの声が、雑音をかき分けて、俺の耳に届く。

 それと同時に、遠く、だが確かに、大きな宝箱に鍵を突き刺す、タクの姿が見えた。

 箱の上にはお嬢が、黒い何かを宝箱に突き刺しているように見える。

 

 ったく、あいつら逃げろっつったのに。

 頭の中には皮肉半分。

 よくやりやがったな。

 賞賛半分。


 そう思って、視線を上げると、スゥが微笑む顔が見えた。

 最後がこんな笑顔なら悪くない。


 そう思ったのと同時に、左腕がずり落ちる感覚。


「うぐ、」


 痛みに思わず声が出る。

 それと同時に、おかしなことに気が付く。

 ナタク?

 そう言えば、スゥがいるのに、ナタクがここにはいない。

 そう、思うと、同時にその疑問は声音の形となる。


「ナ、、、タク?」

「っ、そうよ。あの子!モクランと二人で、討滅したのよ!見えたでしょ?」


 少しヒステリック気味に、スゥが叫ぶ。

 あれは、、、タク?

 ナタクは黒髪黒めで、ポチャッとしててたまにかわいく笑う。

 断じて白髪痩せぎすで、いつも目元まで髪で隠れた陰気な子では、、、


「ま、、さ、か」

「っ!?気が、つかなかったの?」


 言われてみれば、どこかそんな面影があった気がしてくる。

 あのオドオドした感じも、変なところでやる気を見せるズレ加減も、言葉少なに語る仕草まで。

 ああ、なんで俺は気が付かなかったんだろう?

 大バカ者だ。

 こんなに傍にいたってのに。

 

 そう思ったら、涙が出てきた。


「お、れは、ほん、、とに、ばか、や、ろうだな。」


 さっきまで出せなかった声が、なんだかスムーズに出せる気がする。


 涙で歪むその視界の先、真っ青な空が見えた。


「あぁ、そら、があお、い。わるく、ねぇ、な。こん、な日も。」


 空が狭くなってくる。

 周りの黒が、青を少しずつ染めていく。

 もう、終わり、なんだな。


「ス、ゥ。ありが、とよ。おまえ、だけでも、しあ、わ、せに、、、」


 どこまで聞こえたかなんてのは分からない。

 こんなバカな男なんか忘れて、あいつには幸せになってほしい。

 別の男とくっついたって良い。

 、、、よくはないが、それが幸せなら、俺には何を言う権利もねぇ。

 けど、最後だけは笑って、、、


 そう思ったら、俺の左手はスゥの頬に延びていた。

 一瞬その頬を、涙をぬぐう様に差し出された手は、そのまま、スゥの頬と手に挟まれた。


 スゥが何かを言った気がした。

 だが、もう俺には何も聞こえない。


 もう意識を保っているのも限界だ。

 眼は開けているのかもしれないが、周りは漆黒の闇に染まろうとしている。


 ああ、死にたくねぇな。

 未練がましく、そんな野暮ったいことを思った刹那。


 消えゆく景色の中、一瞬世界が鮮やかに見えた。

 それは俺が今までで見た景色の中で一番鮮烈で、美しく。

 俺はこれが見れたんなら、まぁ、悪くねぇかって思えたんだ。


 





 



 俺の手を握ったスゥの顔。

 それは今までで見た中で、一番綺麗で最高の笑顔だった。

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