第57話 転換

 頬を抑えて固まるあたし。


 その視線の先には大きな猫目いっぱいに涙をためたモクラン。


 そして、さらにその先にはわたわたとせわしなく手を動かすだけのタク。


 ホンッと男の子ってバカね。

 それともうちの子だけなのかしら?

 心の中でそんなことを頭の中で考えたのも束の間、自分の不甲斐なさに思わず苦笑する。


 なぁにが、女は強くあらねば、よ。

 

 自分の子と年も変わらない娘に諫められて、説得されて。

 挙句泣きわめくんだから、始末に負えない。


「ごめん、ね。モクラン、あたし、ちょっとおかしかったみたいね。」


 そう謝罪するあたしの言葉は自分で思っていたよりもよっぽど震えていて、そのことに驚いたあたしは二の句が継げなくなってしまった。


 誰もしゃべらない。

 時間がただ過ぎる。

 

 あたしはただただうつむくだけ。


 あたしって、こんなに弱い女だったっけ?

 宝具士としての自信、母としての自信、そんなものが音を立てて崩れ去っていくような気がする。

 

 あの人に会いたい。

 生きているのなら一目だけでも。


 そんな思いが徐々にまた頭の中を真っ白に染めていく。


「ごめん、ね。」


 自分の声。

 ひどく震えていて、初めは誰の声だかわからなかった。

 そんなか弱い呟きはやっぱり、静かに消えていくだけで、、、


「おばちゃん、、、」


 モクランがあたしを呼ぶ。

 あたしの答えはない。

 でも、呼ばれて見上げた先には、決意に満ちた大きな瞳。

 もう濡れていないその瞳に魅入られる様に固まっていると、モクランが静かに、でもすごく力強く、あたしに語り掛けてくる。


「モクランも、ごめん、なさい。おばちゃんの気持ち、かんがえてなかった。」


 その謝罪は、ともすればあたしなんかよりも、すごく大人びた響きを伴ってあたしの耳朶を揺らす。

 今度はもう目をそらすことはできなかった。

 そして、モクランは静かに問いかけてくる。


「おばちゃんは、、どう、したいの?」

「あたしは、、、」


 その先は言えない。

 言ってはいけない。

 優しいこの子たちなら、きっとあたしの願いをかなえてくれようとしてしまう。

 でもそれは、本当に危険で、許されることなんかじゃない。

 そう頭ではわかっている。

 分かっているのに、「逃げる」その一言が言えない。

 頭の中でそんな逡巡を繰り返しているうち、気付けばあたしの視線は外を見ていた。


 ああ、あの日もこんな天気だったっけ。

 晴れていると思ったら急に雨になって、、、あの人は大丈夫って出ていったのに、それっきり。

 ずっとずっとつらかった。

 もう何度諦めようと思ったか知れない。

 でも、もしまだその望みがあるなら、もう一度、もう一度あの人に、、、





・・



・・・



「くっそ。反則じゃねぇか。」


 俺は口の中の砂埃を唾と一緒に吐き出しつつ、悪態をつく。

 今日何度目かわからない奇襲を躱したまでは良かったが、勢い余って人家の庭先に飛び込んでしまう。

 それでもなんとか態勢を立て直して、また走り始める。


 タイミングには慣れてきた。

 奴の動きにもある程度の規則性があることもつかめた。

 あとは少しずつ、削り取っていけばいいだけ。

 いつもやってることと大した差はねぇ。

 そう心を落ち着けつつ、見つからないように移動を開始する。


 正直最初は絶望的だと思っていた。

 だが、奴は意外と器用じゃねぇ。


 っつうのも、やつらはどうやらあんまり目がよくねぇらしい。

 その上、ばらばらに行動もできないようだ。


 はじめは4つ目がばらけて俺を追いかけ、対の手が奇襲をかけてくるんだと思っていたが、結果は上から眺めるだけ。

 しかも土埃や、素早い動きで簡単に見失う。

 そして、目への攻撃を恐れているのか、手の内三本はだいたい目の近くにあるようだ。

 まぁ、たまにさっき見たく、2本で奇襲してくることもあるが、まぁ、そこはご愛敬みたいなもんで、来るのがわかっていれば対処はできる。

 本体から離れた分動きも緩慢になってきているような気がするし、仕掛けるなら頃合いかもな。

 そこまで考えて、塀の影で足を止める。


 路地の向こうを手が一本通り過ぎた。

 

 だが、まだ、見つかってはいないようだ。

 そっと頭上を確認するが、目共はまださっきのところで俺を探しているようだ。

 そこまでの確認を終え、俺は心の中で、


「さて、じゃぁ、まずはあの目ん玉どもから掃除するとしますか。」


 と独り言ちる。


 物陰に隠れたまま、服についた埃を静かに払い、俺は少しだけ自分の口角が上がっているのを感じた。

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