第54話 倦怠

『トントントン』


 誰かがドアをたたく音がする。


「どうしたのさ、騒がしいねぇ。」


『トントントン』


「はいはい、今出ますよ~っと、っく」


 ベッドから立ち上がり、壁に立てかけていた杖に手を伸ばす。

 ここ一年以上、動かない右足の所為で、すっかり鈍ってしまった体に鞭を打ち、立ち上がる。


『トントン』


 甘えだっていうのは分かっている。

 でも、あの、村が炎に巻かれた日から、ずっと張っていた気が、この右足に呪いを受けたときに千切れて消えてしまった。


『トントン』


 タクのため、頑張ろうとは思っているのだけど、身体が、心が言うことを聞いてくれない。

 だから、最近はずっとベッドから出ないような生活をしている。

 だというのに、今日は


『トントントントン』


「もう、どうしたっていうのさ!」


 怒気も手伝って、少し大きな声を出しながら、ドアを勢いよく開ける私。

 そんな私を、開いたドアの向こうから大きな猫目が、驚きに見開かれたまま、見つめていた。


「えっと、あの、タクの、お母さん?」


 一瞬お互い惚けたようになってしまったが、我に返るのは一瞬、猫目の少女、モクランの方が早かったようだ。


「ああ、えっと、ごめんね、何か、あったの?」


 私はバツが悪くなって視線をそらしながら、年端もいかない少女に誰何する。

 情けないったらありゃしない。

 そう、また自分が嫌いになりそうになっていると、


「ちがっ、あのね、今、村がすっごく大変なの。だから、一緒に逃げよっ!」


 モクランは若干潤んだ猫目で精いっぱい私を見上げながら手を差し伸べてくる。

 本当にいい子だ。

 そう思いながら、私はその手を取れないでいた。

 逃げる、それは宝具士の私が一番嫌いなことで、最近は癖になってしまった行為。

 自分はこんなにも弱い存在だったのだと、気付かされるようで、今、一番聞きたくない言葉の代名詞だ。

 だから、咄嗟に


「いいよ、気にしないで逃げな、モクラン。あの鐘の音は、宝箱が出た合図だろ?逃げるったって、どうせあたしは足手まといさ。それなら、最後は宝具士らしく、時間稼ぎでもやってやるよ。」


 自嘲の笑みと共に、そう吐き出した。

 呪いを受けてから宝具は起動しなくなってしまった。

 それでも、時間稼ぎくらいなら、今の私だって少しはできるはず。

 ああ、そうだ、でもあの気弱で甘えん坊のタクだけは、できればこの子と一緒に逃がしてあげたい。

 そう思って、次の句を継ごうとしたとき、


「だめぇぇぇ!」


 目の前から、耳を覆わんばかりの大音声が聞こえた。

 私はあわてて、


「ちょ、待って、モクラン、あんまり大きな声を出しちゃ、あなたまであぶな、、、」

「ダメなの!タクのお母さんはひとりだけなの!いなくなってもいいなんて言っちゃダメ!一緒に逃げるの!」

「いや、あの、いなくなるなんていっちゃ、、、」

「だめぇぇぇ!」


 更に大音声。モクランは大きな猫目に涙をため、更に見開いた必死の形相でこちらを見つめ返してくる。

 そのあまりの剣幕に気圧され、


「わ、わかったから、落ち着いて、ね?」

 

 私はそう宥めることしかできない。

 こちらを見つめたまま動かないモクラン。

 あたふたするだけの私。


 そんな構図のまま、時が止まったように動けなくなってしまった。

 にらみ合う様にそうすること、どれくらいだろうか?

 そうこうしている内に、モクランの後方から見知った人影が走り寄ってくるのが見えた。

 私は内心ほっと息を吐いた。

 その人影はこちらの状況なぞお構いなしに近づいてくると、息を切らせながら、


「ぜぇ、はぁ、、、も、モクラン、は、はやすぎ。」


 と、何とも情けない言葉を開口一番、モクランにかける。

 それを聞いて、毒気を抜かれたのか、


「タクが遅いんでしょ。」


 と、怒気を収め、そっぽを向くモクラン。

 私も緊張が和らいだのか、少し平静を取り戻して、


「はぁぁ、ったく、タクはいつもそうやってモクランに迷惑ばかり、、、」


 やっとモクランの視線から解放された安堵から、視線を下に向けつつ、我が子に小言を言おうと再度目線を上げたとき、私は息をのんだ。


「、、、母さん、いくよ。」


 タクが私を見返していた。

 いつもの気弱な、人の表情を盗み見るような視線ではなく、堂々と真正面から。

 その瞳は本気のあの人とダブって見えて、、、


 タクから差し出された手を見て、私は次の句を継ぐことができなかった。

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