第52話 怖気

 人家を出た俺は、バケモノが向かっていった塀の正門側とは反対を目指してひた走っていた。

 その間も、


『ズ、ズズ、ズズ、ズ、、、』


 という、ぞっとしない音は聞こえ続けている。

 

「正門に向けて動いてんのは間違いねぇな。つぅことは、視覚に頼るタイプのやつってことなんか?、、、でもそれだと、どうやって広場まで村長を追いかけた?広場まで届くなげぇ触手が数本あんのは分かるが、闇雲に伸ばして捕まえたって訳でもあるめぇし。それに村長が何に怯えてたのも、わかんねぇ。」


 そう、ぶつぶつ独り言ちながら情報を整理する。

 まぁ、俺の癖みたいなもんだ。

 話せばその分、理解も進むし、間違いに気づけたりもする。


「っと、考え事をしてっと、はぇえな。」


 気が付くと、俺は裏門の前に辿り着いていた。

 正門とは違い、非常に簡素な片開戸で、これならそっと中に入るのは造作もなさそうだ。

 と、そこまで考えてハタと気が付く。


「バッカ、普通は鍵閉まってんだろうが。やっべぇ、どうやって入ろう?」


 そう一人青くなりつつも、物は試しと扉にそっと手をかける。


 と、扉は簡単にすっと動いた。


「お?」


 俺は安堵と共に、ゆっくりと扉を押し開く。

 人間、絶望から希望に変わった瞬間が一番危うい。

 そんなのは百も承知だったはずなのだが、、、


 するりと開いた裏戸。

 顔半分くらいまで開いたその先を見て、俺は一瞬固まった。


 眼が、あった。


 そう、眼だ。


 俺が覗いた先、そこにはこちらを覗く眼があった。

 半透明の眼、それだけが、そこにあった。


 それが中空に漂い、こちらを見た。

 そして、驚いたように大きく見開かれたあと、ニヤリと、満面の笑みを浮かべた。


 眼だけが笑うかって?

 いや、そうとしか俺には表現できん。

 瞼もない、ただ丸い球が浮かんでいるような、そいつは、それでも確かに笑ったんだ。

 そりゃぁもう、にっこりと、嬉しそうに。


 それを見た瞬間俺は、自分の失策を悟った。

 そして、脱兎の如くその場を逃げ出した。


 次の瞬間、先ほどまでさも大儀そうに、地を這って遠くへ向かっていた音は、


『ゴゴン、ゴゴン、、、』


 と地響きを伴いながらこちらへと方向を変えた。


「ちっくしょぉ、っとにどうしようもねぇ。完全に捕捉されちまった。何が、バッカだ、大馬鹿野郎じゃねぇか俺は。」


 自分のバカさ加減を呪いながら俺はひた走る。

 後ろからは地響きがこちらを追いかけてきている音が聞こえる。


「ああ、もう完全に分かったわ。村長が何におびえていたのかがよぉ。」


 来た道を塀沿いに逃げる。

 右手に曲がり、今度は正門側に向かって走り始める。

 音はなおも裏門に向け、


『ゴゴン、ゴゴン』


 と地響きを立てて、迫ってきているようだ。


「ありゃ、こえぇなんてもんじゃねぇ。こんな怖気が走るのなんて、いつぶりだ?いっったい??ありゃぁやべぇ。でも奴が裏門を超えるにゃ、まだ多少時間がかかるはず。それまでに一度態勢を立て直して、、、」


 そう独り言ちながら、壁の横を走り抜ける。

 壁越しに音とすれ違う。

 心の中で、ばぁか、つく頃には俺はそこに居ねぇんだよ。なんて考えが過っただろうか?

 ふと、視線を上げると、そこには、、、


 眼。


「ひぃ」


 思わず漏れた俺の声が聞こえたのか。

 中空に浮かぶ4つの眼は同時にニコッと笑いやがった。

 次の瞬間、手の形をした触手が三本、頭上から降ってきた。

 

 俺は瞬間横っ飛びで体を躱す。

 土煙を上げてゴロゴロと転がりながら数瞬前まで走っていた場所を見やる。

 そこには地面をつかむ三本の半透明の手があった。

 それだけ確認して、俺は壁から離れる方に向かってもうわき目も降らず走り始めた。


「やべぇ、、、やべぇ、んなんだ、あいつは。」


 走りながらも、背筋を伝う冷汗は止まらない。


「つぅか、眼だけであんな表情、わかるもんなのか?」


 一瞬後ろを振り返る。

 眼共は一瞬俺を見失ったように此方彼方をキョロキョロしている風だったが、また一斉にこちらを見た。

 目が合った、、だろうか?

 だが、奴らは音もたてずにこちらに向かって移動を始めた。

 そして、それに数瞬遅れて三本の手も中空を追いすがってくる。

 またそれらとは別に、


『ゴゴン、ゴゴン』


 という響きが裏門に向け動き始める。


「あの眼と、手だけは完全に別働なのかよ。」


 俺は悲鳴のような声を上げながら、ただその場を離れるしかなかった。

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