第32話 刻印

 差し出された小さな手のひら。


 俺はその手に触れることができないでいた。


 あんまりにも小さく、無垢な手。

 触ったら壊れてしまいそうなその手に、俺はどうしてもこの汚れた手を触れさせることができなかった。


 村が消え、敵を追い、失われた家族を求めたこの数年間。

 俺はあらゆる手段を講じて、奴らを追った。

 騙しもした、見捨てもした、そしてこの手を血に染めることだってした。

 それでも何も成せずに過ごした日々。

 すべてを諦めかけて、たどり着いたここで、俺はどうしようもなく動けなかった。


 そんな俺の心を見透かしたのか、少女は


 「んぅ、もう、握手も知らないの?」


 そういって強引に俺の手を握りに来る。

 たまらず引っ込めてしまったその手を見て、


 「わっ、なになに?おてて触られるの嫌だったの?」


 と、的外れな感想を述べる。


 「い、いや、そういう訳じゃなくてだな、、、」

 

 言い淀んだ俺に、助け舟を出してきたのはあろうことか容姿と性格が反比例した薬師だった。


 「モクラン、急に触ろうとしては驚いて手を引っ込めてしまうのも当然のことですよ?それにね、あまり公には知られていないが、彼のような鍵士という職業の人には、見ればわかる身体的な特徴があるのだよ。それはあまり知られて気持ちのいいものじゃないし、場合によっては彼の弱点になってしまうこともあるからね。」

 「ええ!?そうなの?ミクおじ、ごめんね、そんなこと知らなかったから、、、」

 「いや、別にんなこたぁ、お嬢が気にするこっちゃねぇ。普通は知らねぇことだし、鍵士に会うことも滅多にねぇだろ?まぁ、もうばれちまってるから明かしても構わねぇんだが、癖でな。ほら、これが薬師の先生が言ってた身体的特徴ってやつだ。」


 そういって俺は自分の右手の甲を見せる、と。


 「っわぁぁ!なになに?きれい!青いかぎのマーク!それがミクおじの秘密なの?」

 「ああ、これがあると色んな奴からいいように使われちまうからな。隠すのが普通なんだ。だから、お嬢も秘密にしてくれよな」

 「はぁい、って、さっきからそのお嬢ってのはなぁに?モクランはモクランよ?」

 「いやお嬢はお嬢だろ?おめぇの名前なんてこっぱずかしくて呼べねぇよ。」

 「ええっ!酷い!母様がつけてくれた大切な名前なのに!」

 「いや、それにおめぇだって、さっきから俺のこと変な名前でよんでんねぇか。」

 「変じゃないもん!ミクラのおじさんなんて長すぎるから、短くしてミクおじ!そのまんまよ?」


 頭を抱える俺を尻目に、薬師が口をはさむ。


 「モクラン、呼び方はまぁ、この際良いとして、ここには何をしに来たのだったかな?ミクラは丸二日寝ていて起きたばかりだ。お腹だって空いているだろう。ちゃんとお世話するっていったのはどこの誰だったかな?」

 「あっ、ごめんね、ミクおじ!今、ご飯持ってくるから!」


 そう言ってモクランはせわしなく小屋を後にするのだった。

 その小さな背を見送りながら、 


 「いや、俺は拾ってきた猫虎びょうこかよ。」


 と独り言ちる。と、それを聞いた薬師が、


 「実際、拾ったようなものですからね。でも、あの子には感謝してあげて下さいね。この二日間、あなたの世話をし続けたのは間違いなくあの子なんですから。体をふき、薬湯を飲ませ、経過を診る。言うのは簡単ですが、大人でもかなり大変な労働ですよ?加えてこの体格差です。あなたがどんな地獄を生きてきたのだとしても、純粋なあの子の行為には感謝すべきだと思いますよ?」

 「ちっ、言われねぇでもわかってるよ。」


 そういって、ベッドを支えに立ち上がろうとする俺。

 腕や足には嘘のように力が入らないが、手を差し伸べようとした薬師の手を払いのけつつ、何とか立ち上がる。


 「驚きました。それだけ元気があるなら大丈夫そうですね。」

 「っはぁ、はぁ、余っ計なお世話だ!」

 

 目を丸めて驚く薬師を横目に、倒れ込むようにベッドに横になる。

 

 「ですが、まずは体を休めるところからですね。体力の回復と鎮静効果がありますから。あとはモクランの持ってくるお粥をお腹に入れられれば上出来ですね。」


 そういって、薬師は俺の頭の下に腕を入れると問答無用で起き上がらせ、急須の口を俺の口に押し込もうとする。


 「っちょ、おま、やめろ!気持ちわりぃ、自分でのめるっつの。ってか、お前力つよ、、、」


 と抵抗空しく、急須に塞がれる口。

 次の瞬間、粘度のある液体が口の中に流し込まれ、、、


 「っっげほ、ごほっごほっ、な、なんだこのくっそ不味い、、」

 「特製の薬湯ですよ?まだまだありますから遠慮せずにどうぞ?まずはこれを空にしてからご飯にしましょうか?」

 「やめ、やめろ、、、ぐぁぁぁっぁあ」


 こうしてモクランが食盆を持ってくるまで、俺は地獄を味わうことになるのだった。

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