第十四話 マリンワールド
そうしてやってきた十二月二十四日。
正確に言えばクリスマスではなくイブなのだが、琉晟にどちらの日程が良いか相談したところ二十四日と即答されたので、イブに決まった。
彼がそう答えた真意は見当もつかないが、僕も理亜も両日予定は無かったことだし、正直どちらでも構わなかったので良しとしておく。
「……おまたせ」
午前十時より少し前、支度を済ませたらしい理亜がリビングへと入室する。
普通人との外出というのは待ち合わせから始まるが、理亜との場合その場所は自宅のリビングだ。
一緒に住んでいるのだから待ち合わせなどしなくてもいいだろうという合理的判断の下ではあるが、普通の待ち合わせとは異なるので少し不思議な気分ではある。
「待ってなんかいないさ。……というかその格好で行くつもりかい?」
思わずそう問いかけてしまったのは、理亜の服装がとても外行きのものとは思えなかったからだろう。
普段気回しているグレーのパーカーにスウェットか何かのボトムスという極限まで動きやすさに振ったコーディネート。
機能性は抜群だが、とても洒落ているとは言い難い。どこか部屋着のようにも見えるので外行きには向かないものであることは確かだ。
「……? 着替えたよ?」
「そういう問題じゃなくてさ……」
小首を傾げる理亜にため息を一つ。
どうやら着られればなんでも良いという考えはまだ彼女の中から消えてはいないらしい。
別に彼女がそれでいいと言うなら構わないのだが、もう少しくらいはお洒落をしても良いのではないだろうか。
「……仕方ない、少し待ってて」
待ちを命じた後、僕は自ら服を見繕って理亜を着替えさせる。
別に理亜のコーディネートを否定したいわけではない。けれど、先程の格好で水族館へ行けば確実に悪目立ちしてしまう。
格好を罵られたところで理亜は気にも留めないかもしれないが、僕がそれを見ていられるかと言われれば答えは否だ。
文乃の言っていた通り理亜の素材が良いのは僕も認める所なので、やはり目立つにしても良い目立ち方をして欲しいと思うのは当然だろう。
「路惟。着替えた、けど……」
部屋の前で待つこと数分。着替え終わったらしい理亜がおずおずと顔を出す。
身に着けているのは白寄りなクリーム色をしたタートルネックのニットに、黒のスキニージーンズ。シンプルな組み合わせだが、それ故に外れはない。
ニットのサイズがほんの少しだけオーバーではあるものの、ボトムスはスキニータイプなので上手くバランスを取ってくれている。
過去の食生活の所為か、それとも単に体質の所為か、理亜の脚部には余分な脂肪が一切ないので足のラインを強調するスキニージーンズはとてもよく似合う。
ただ触れると折れそうなくらいには細いので、個人的にはもう少し肉を付けてもいいとは思うが……。
「良く似合ってるよ。上着はこれを」
言って、予め用意していたフード付きの白いダウンジャケットを手渡す。
随分前に文乃が自分用にと購入したものらしいそれ。
自分の歳で着るには明るすぎるからと、理亜に渡すように言われて預かっていたものだ。
正直なところ文乃が来ていても違和感は無いように思えるのだが、文乃曰く一度気になってしまうと着るに着れず、引き取り手を探していたらしい。
「文姉が理亜にって」
「……」
「一度しか着てないらしいし、ほぼ新品だから心配はいらないよ。それに文姉なら理亜が着てくれたら嬉しいって、きっとそう言う」
「……そう」
一瞬、迷ったように目を泳がせた理亜だったが、最終的には素直にジャケットを羽織ってくれた。
サイズは若干大きめだが、違和感はない。理亜は全体的に細身なので少しオーバーなコーディネートで身体を大きく見せるのも良いだろう。
「似合うね」
「……ありがとう」
ぽつりと抑揚のない声お礼が来る。
今ひとつ浮かない表情をしているということは、僕のコーディネートはお気に召さなかったということだろうか。
僕自身、女性のファッションには詳しいわけではないし、コーディネートに自信はない。不満の一つや二つ言われても文句は言えまい。
「どうして、こんなことするの? 着替え直す必要、無いのに……」
やがて鼓膜を突いたのは、そんな純粋な疑問の言葉。
思えば、理亜と初めて外へ出かけた時にも似たような質問をされた気がするが、あの時感じた人を突き放すような威圧感は無かった。
「特に意味はないよ。強いて言うなら、僕のエゴってやつかな」
「エゴ……?」
「そうさ。折角可愛いんだから、もっとお洒落をすればいいのにって、僕が勝手にそう思っただけなんだ」
理亜の言う通り意味はない。
コーディネートしたのは単に着飾った理亜を僕が見てみたかったというのと、彼女が外を歩いた時に周りから正当な評価を受けて欲しいと僕が思ったからだ。言ってしまえば、完全に自分自信の我儘の押し付けである。
理亜への利点が全くないことを考えれば、少しばかり我儘が過ぎたかもしれない。
てっきり文句の一つでも言われるのかと思っていたが、以外にもそれはされず、理亜は両目をほんの少しだけ見開いてじっとこちらを見つめるのみ。
驚きを孕んだ眼差しと、うっすらと紅に染まった頬。奇妙な反応に眉を寄せれば、それに気づいたらしい濃紺の双眸が居心地悪そうに脇へと逸れた。
「どうしたんだ?」
「……別に」
「気を悪くしたなら謝るよ」
「ちが……」
少しばかり焦ったように首を左右に振る理亜は明らかに不満を抱えた表情で、僕の対応に納得しきれていないご様子。
最近は理亜の表情の変化を目にすることも増えてはいるが、こういった喜怒哀楽がはっきりしない表情は、やはり内心が読み取りにくい。
彼女が一体何を思ったのか、その答えに辿り着けずに僕は首を傾げる。
「路惟の、ばか……」
結局答えを言わず、可愛らしい小言を残してそっぽを向く理亜に、僕は言われてしまったなと肩を竦めるしか無かった。
数時間後。理亜と共に水族館へ向かえば、入館と同時に広々としたエントランスが目に入る。
今回訪れたのは地元から最も近い水族館。僕も幼少期によく連れて行ってもらっていた場所だ。
故によく見知った場所のつもりでいたのだが、最後に訪れてから一度リニューアルされたらしく、エントランスの雰囲気は当時の記憶とは大きく異なっていた。
水の流れるガラス製のモニュメントや、緑を多く採り入れた内装は初めて目にするもので、どこか新鮮味すら感じられる。
「人、多いね」
「そうだね」
ぽつり、と隣を歩く理亜がそんな呟きをこぼしたので、苦笑いを返す。
予想通りと言えばそうなのだが、館内は多くの人々で賑わっていた。
クリスマスデートを楽しむカップルは勿論、子供の冬休みに合わせて訪れたであろう家族連れも多く、通常の来客数を遥かに凌いでいるのは間違いない。
クリスマスと言うだけでこうも変わるものかと思うが、傍から見れば僕らもクリスマスデートを楽しむカップルの一員なので文句は言えない。
「クリスマスだからね。予想はしていたさ」
「今日は、そんなに特別……?」
「多くの人にとってはそうなんじゃないか? 僕にとってはそうでもないけど」
薄く笑って肩を竦めて見せる。
思わず嘲笑じみた笑いになってしまったのは自分の言葉に嘘があると自分で気づいてしまったからだろう。
クリスマスに女の子と二人で出かけている時点で例年のその日と同じであるはずがない。
外出したからには良い思い出にしたいし、少なくとも理亜にとっては特別な日となる様に尽力すべきだ。
「さて、ここに立っていても仕方が無いし、そろそろ行こうか」
「……うん」
話を逸らすように言って歩き出せば、理亜がこくりと頷きを返してから後を追ってくる。
これといって大それたエスコートをしてやれる自信は微塵も有はしなかったが、せめてもと歩くペースを合わせるくらいはしておいた。
エントランスを抜けて観覧エリアに入った僕たちは、最初にショープールを覗いてからゆっくりと館内を見て回る。
ちなみにショープールで行われたパフォーマンスは、水族館が売りにしているだけあって非常に見ごたえのあるものだった。
イルカ達の泳ぎやジャンプは圧巻であったし、芸達者なアシカのパフォーマンスには視線を釘付けにされた。
ただ一つ意外だったのは理亜がイルカショーよりも観覧エリアの水槽の方により興味を示していたことだろうか。
彼女はそれぞれの水槽の脇に掲示されている解説一つ一つに目を通しているようで、流し見をしている様子は全くない。
他のカップルや家族連れが談笑しながら通り過ぎて行く中、一人水槽の前に居残っていることもしばしばあり、その姿は僕を驚かせるには十分すぎるものだった。
「珍しいね。理亜がここまでのめり込むなんて」
施設の中で最も大きい水槽に辿り着いた辺りで理亜に声を掛ければ、それまで水槽に釘付けだった視線がこちらを向く。
ショープールでのパフォーマンスと同様、水族館のメインともいえる大水槽。
地元の外洋がテーマとなっており、そこに住む様々な生き物を一度に見ることが出来るその場所に、理亜はより一層魅せられているようだった。
「……だめだった?」
「まさか、気が済むまで見ていけばいいさ」
物事にのめり込むというのは悪いことでは無い。
ここまで没頭できるということはそれだけ気を惹かれているということなので、連れてきた僕としてはやはり嬉しい。
興味があるというなら、気が済むまで見せてやるべきだろう。
「理亜、あそこ見て」
「……?」
「君が見たがってたのがいるよ」
言いながら大水槽の一角を指差せば体長三メートルほどの鮫がゆっくりとこちらに泳いで来るところだ。
「さめ……」
「シロワニ。かなり大きいな」
「鮫なのにワニって言うの……?」
「不思議だろ? 昔、人が鮫を
余計なお世話と知りながらも持ち合わせの知識で解説してやれば、理亜が興味深そうに鮫の姿を目で追う。
もちろん名前の由来には諸説あるはずなので解説の正当性に関しては保証し兼ねるが、理亜の疑問を解決する手助けになるのなら情報提供するのも悪いことでは無いだろう。
「路惟、詳しい」
「多少齧ってるだけだよ」
「勉強したの……?」
「子供の頃に少し。あまり自覚はないけれどね」
別に勉強と呼べるほどのことはしていない。
ただ子供の頃には海洋生物に心奪われて探究していた時期があったというだけ。
誰しも、というのは言いすぎかもしれないが、幼少期に特定の生物に魅せられた経験がある者は多いだろう。
恐竜や昆虫など魅せられる生物は人によって違うだろうが、僕にとってはそれが海洋生物だったというだけの話だ。
――思えばあの頃の僕はただ好きを追いかけていただけだったんだよな。
ふとそんなことを思って、浅く笑う。
たとえ勉強していたつもりは無かったとしても、知識はしっかりと身について残っているのだからやはり好奇心というものは侮れない。
「理亜は、何か好きなものはある?」
「好きなもの……」
ぽつり、とこぼした理亜は沈黙する。
水槽の蒼を映した瞳が少しばかり眇められて、僕は困らせてしまったかと苦笑した。
「いや、思いつかないならそれでもいいんだ。ただ、今からそういうのを探してみてもいいかもしれないな。それが将来思わぬ形で役に立つことがあるかもしれないし、きっと楽しいと思う」
ややあって「そうね」という小さな返答がある。その横顔から見て取れるのは微かな微笑み。
出会ったばかりの理亜ならばこんな会話に返答など寄越しはしなかっただろうし、微笑みを浮かべるなど天地が反転してもあり得なかっただろう。
少しずつ変化を見せ始めた理亜に、僕は純粋に喜びを覚えるのだった。
大水槽を巡り終えれば水族館の観覧ルートもいよいよ終わりだ。
最後にラッコプールを覗いて観覧を終えた僕達は最後にお土産やグッズを扱うショップに入店する。
薄暗く雰囲気のある観覧エリアと違い、店内は光を多く採り入れた明るい内装。加えて赤と緑の装飾や季節限定の品も多く取り揃えられていて、クリスマスの影響力の強さが窺える。
「なるほど、クリスマス一色だな」
「何か買うの……?」
「いいものがあればね。せっかく来たんだ。土産の一つくらいあってもいいだろ」
「そう」
「理亜も欲しいものを見つけたら言って、一緒に買おう」
興味深そうに店内を眺める理亜に前もって言っておく。
無理にとは言わないが、気になるものがあるのなら記念に持っておくのも悪くはあるまい。
ともあれ店内は同じく帰宅前に記念品を買い漁る人々で溢れているので、品を選んで買うとなると苦労しそうだが。
「……ねぇ、路惟」
「うん?」
「どうしてみんな赤い帽子を被ってるの?」
ショップの店員全員が揃ってつけている帽子を指さして、理亜が不思議そうに問う。
先端に白い飾りの付いた赤い円錐の帽子。クリスマスの時期によく見られるそれはサンタクロースと同型のものだ。
季節感の演出や子供連れに対しての集客目的で身に付けているのだろうが、理亜にはそれが不思議に写ったらしい。
「ああ、クリスマスだからね。皆サンタクロースと同じ帽子を被ってるのさ」
「さんたくろーす……?」
「クリスマスの前夜、子供達に贈り物を配って回る老人なんだ。話くらいは聞いたことくらいはあるんじゃないか?」
沈黙。
どこか遠い目をした理亜は、その後すぐ僅かに目を眇める。
まるで興味そのものを失ったかのような静謐な横顔だった。
「……そんなおとぎ話。誰も信じないよ」
淡々と子供の夢を切って捨てたその声音は抑揚のない冷ややかなもの。
す、と理亜の瞳から光が抜けていくのを感じて、僕は先の話が所謂“地雷”だったのだと気づく。
サンタクロースの御伽噺は全ての子供に平等であるかのように伝わっているが、その話に便乗している世間はそうでは無い。
クリスマスの贈り物を当然のように貰える子供もいれば、そうでない子供も大勢いるだろう。
はたして理亜がそのどちらだったのかは今の反応を見れば一目瞭然である。
「それはどうかな。実際、子供の枕元にプレゼントが届く風習はあるんだ」
「……」
「もしかしたら、今年は君のもとへも届くかもしれないよ」
「何を言ってるの?」
「別に、一度くらい御伽噺を信じてみてもいいんじゃないかって話さ」
「……へんなの」
ちくり、と棘のある返答が来たが、構わない。
先程のように昏い目をされるよりはずっといいし、おかげで心も決まった。
「ところで、欲しいものは見つかったかい?」
「え、」
話題を変えるとというより、脱線した話を元に戻すべく問いかければ、理亜が虚をつかれたような顔でこちらを見るので思わず苦笑する。
まさかサンタクロースの話に気を取られて、本来の目的を忘れたわけではあるまい。
話しながらとはいえ店内を一回りしたので、何かしら気になるものくらいは見つかったはずである。
「お土産、要らないのか?」
「……今日は、いい」
「別に、気を遣う必要は――」
「違うの」
ゆっくりと首を左右に振る理亜に遮られて、口を噤む。
以前の買い物の時のように強引に土産を買わせる考えが浮かばなかったのは、きっと彼女が自分の意思でそう決めたのだと悟ったからだ。
「今日は路惟がここに連れてきてくれたから、私はそれだけで満足だから」
改めて、理亜がこちらを見やる。
不器用に綻んだ彼女らしい微笑みを携えて。
「ありがとうね。路惟」
気づけばこちらまで笑顔になってしまっていた。
今日ここへ来た思い出にお土産をと思っていたが、どうやら余計な気遣いをしていたのは僕の方だったらしい。
理亜にとって今日は既に特別な思い出になっていて、記念品など必要ないと思えるくらいには満足出来たということなのだろう。
そう思い至った瞬間に何故だか僕の方も満たされた気分になる。
「どういたしまして。僕も楽しかった。理亜がいてくれたおかげだ」
「そう。……よかった」
お互いに笑い合って、水族館の出口へと向かう。
今までデートというものにはなんの魅力も感じていなかったが、今日ようやくその良さが少しだけ分かったような気がした。
【あとがきっぽい何か】
お読みいただきありがとうございます。
昼食は水族館内のレストランで済ませたようですね。路惟くんはフィッシュフライバーガーを、理亜ちゃんはシーフードパスタを食べました。
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