第十一話 フレンズ


「おー! 路惟、元気になったか!」


 翌日、一日ぶりに学校へ登校すれば、教室について早々琉晟からそんな言葉をかけられる。


 昨日はメッセージを貰っていたが、返信出来ていなかったということもあり心配してくれていたらしい。


 ちなみに風邪の方は完治とまではいかないものの熱は下がった。喉の痛みも既に引いたし、後は若干の鼻水が収まるのを待つだけだ。


「何とかね」

「いやー、メッセージに返信なけりゃ俺だって心配にもなるわ。まぁ、治ったんならいいけどな。無理はすんなよ」

「分かってる。ありがとう」


 純粋に心配してくれているようなので素直に受け取りつつ、通学鞄を下ろして自分の机に置く。

 思わぬ爆弾が降ってきたのはその直後だった。


「てか、路惟。お前やっぱ彼女できたろ?」

「……ついに頭がおかしくなったのか?」

「うわ辛辣」


 辛口の返しにもいつも通りにへらへらと笑って返してくる琉晟。


 何故唐突にそんなことを聞いてきたのかは分からないが、最近は理亜と関わることが多いのでその手の質問は肝が冷える。


 別に理亜との間にやましいことなどないし隠すことも無いのだが、変に誤解を招いたり、邪推されたりするのは面倒なので、なるべくなら黙っておきたいというのが本音だ。


「前にも言ったろ、そんなのはいないよ」

「同棲してんのに?」

「……少し、黙ろうか」


 どうやらとうに気づかれていたらしい。最悪の展開になったと頭を抱える。


 琉晟は勘が鋭い方なのでいつまでも隠し通せるなどと思ってはいなかったが、まさか教室で『同棲』などと口にするとは思うまい。


 ちらりと周りを見やって様子を伺えば特にこちらが注目を浴びている様子はない。

 幸い琉晟のとんでも発言は周りには聞かれていないようで、僕はそっと胸を撫で下ろした。


「理亜に会ったのか?」

「まぁ、あの子にプリント渡したの俺だしな」

「そういうことか」


 なるほど、と状況を理解して頷く。


 確かに昨日理亜から課題のプリントは渡された。

 てっきり琉晟がポストに投函したのを理亜が持ってきてくれたものと思っていたが、直接渡されたものだったらしい。


 理亜本人に会ったというのでれば、これ以上隠しておくのは難しいだろう。


「言っとくけど、僕と理亜は琉晟が思っているような関係じゃないよ」

「ほー、どういう関係か知りたいもんだなそりゃ」

「まぁ、ちょっと訳ありでね……」

「訳ありねぇ」


 などと言いつつ笑う琉晟は全く信じてくれていなさそうである。

 にやにやと表現するのが最も似合っていそうな微笑みが、この時ばかりは少し腹立たしく思えた。


「ひょっとして最近やけに早く帰ろうとすんのって理亜ちゃんいるから?」

「それは……まぁ、そうだね。否定はしない」


 図星だった。

 特に理由はないのだが、帰るといつも挨拶をしてくる理亜を待たせるのは何となく悪い気がして、余計な寄り道等はあまりしないように心がけている。


 過去に何度かそれが理由で琉晟の誘いを断ったことがあるので気づかれたのだろう。

 僕の話術では誤魔化すのは難しいと判断して肯定すれば、彼のにやにや笑いが一層深まる。


「青春してんねぇ」

「そういうのじゃないよ」

「どうだか。そういうのは本人が一番気づきにくいもんだ」


 完全に勘違いをしている琉晟に軽い舌打ちを一つ。

 青い春なんてものは一番僕に似合わないものだし、それを享受する気もないので勘弁して欲しいものだ。


――くそ、これだから……。


 すぐにでも事情を説明したい衝動に駆られるが、プライベートな内容にもなってくるのでやはり人目の多い教室では話しにくい。


 どうせ話すのなら周りを気にせずゆっくりと話したいところだ。


「路惟、今日の放課後時間あるか?」

「まぁ、あるけど」

「なら家寄ってっても良さそうだな。俺に理亜ちゃん紹介してくれよ。まぁ、病み上がりでまだしんどいってんなら諦めるが……」

「なるほど、最初からそれが狙いだったってわけか。いいよ。僕も事情を説明したいと思ってたところだ」

「決まりだな」


 こうして、急遽琉晟の自宅訪問が決まったのであった。





「しかしまぁ、相も変わらず綺麗にしてんなぁ」


 そうしてやってきた放課後。

 家に着くなりそんなことを口にした琉晟は玄関で脱いだ靴をきちんと揃えてから家に上がる。

 本人曰く剣道をやっているかららしいが、こういう細やかなところにも礼儀を感じるのは彼の美点だ。


「君の部屋が汚すぎるのさ。もう少し片付けたらどうだ?」

「母さんみたいなこと言うなお前。気が向いたらやる」

「その言い方、やらないな。まぁ、君の部屋だから好きにすればいいと思うけど、次行く時は足の踏み場くらい作ってくれよ」

「へいへい。善処しますよ」


 がりがりと頭を掻きつつ言う琉晟に苦笑いを返しつつ、連れ立ってリビングへと向かう。

 リビングと廊下を隔てる扉を開ければ、ソファの端に理亜が腰掛けているのが見えた。

 やはり今日か、と微笑む。

 ホームルーム後寄り道せずに帰ってきたので時刻は十七時前。

 普段から帰りはこの時間というのを彼女も察してきたのか、最近は先にリビングで待っていてくれることもよくあるのだ。


「おかえり……」


 こちらに気づいたらしい理亜が挨拶をして、それから僕よりも一回り背の高い友人の方に目を向ける。

 少しだけ目を眇めているように見えるのは警戒の表れだろうか。


「ただいま、理亜。昼間連絡もしたけど、今日は友達が来ることになったんだ」

「そう」

「もし変なことされたら言ってくれ、叩き出すから」

「……わかった」


 こくり、と頷く理亜。後ろからの「おい」というツッコミはスルーしておく。

 もちろん軽い冗談のつもりだが、本当に理亜が嫌と言えば今日のところは琉晟にお引き取り願うことになるだろう。


「へー、ほんとに住んでんだなぁ理亜ちゃん」

「疑ってもなかっただろ?」

「そうだけどよ」

「まぁ、一度会ってるみたいだけど紹介しとくよ。この子は理亜、縁あって父さんが引き取った子で、一緒に住んでる」


 彼女でもなんでもないというのを強調すべく、解説を混じえて紹介する。

 琉晟はというと案の定驚いたのか、目を丸くしていた。


「引き取った? 養子ってことか?」

「そういうことになるな」

「へぇ……兄妹みたいなものかねぇ」


 琉晟は頷きつつも若干納得しきれていない表情を浮かべる。どうやら僕が彼女と同棲しているという説を捨てきれてはいないらしい。

 僕としても琉晟の気持ちは分かる。突然家に養子が来るなんて状況は滅多に無いし、普通なら彼女を疑う。僕が彼の立場でもきっとそうだ。

 こればかりは理解してもらうしかないなと静かに息を吐いた。


「ひょっとしてこの前のプレゼントの送り主って理亜ちゃん?」

「……まあ」

「ほーん」

「別にあのプレゼントに他意はない。純粋に誕生日を祝いたかっただけさ」

「ま、路惟が言うんならそういうことにしといてやるよ」


 少し肩を竦めて理亜の方へと向き直る琉晟。

 どう考えてもくだらない邪推を楽しんでいる横顔をしていた。


「昨日ぶりだな理亜ちゃん。俺のこと覚えてるか?」

「……路惟の、トモダチ」

「そうそう。この潔癖人間の友達、上田琉晟だ。よろしく頼む」

「……よろしく」


 ただ掃除が好きというだけなので、潔癖人間云々に関してはツッコミたかったが、二人の挨拶に割って入るのも無粋な気がしたので止めておく。


 琉晟が握手をすべく手を差し出して、それを警戒したらしい理亜がガン無視したのが少し面白くて失礼ながら笑ってしまった。


 やはりというか、理亜の初対面の人間に警戒してしまう癖はまだ健在らしい。

 琉晟が悲痛な表情でこちらを見てくるが、こちらに助けを求められても困るというものだ。


「握手はまだ早いってさ」

「まじ?俺早速泣きそうなんだけど」


 わざとらしく目元を腕で隠し泣きまねする姿に苦笑する。

 流石に少し不憫に思えて来たので後ほど理亜が他人を警戒している事情を少し話しておこうと心に決めた。


「琉晟、君のことだから心配はしていないけど、このことが他の人たちに知られたらどうなるかは分かるだろ?」

「そりゃあ、確実に面倒なことになるな」

「だろ。だからこのことは学校では伏せておいてほしい」


 一応念のために釘を指しておく。

 僕は学校では日陰者だが、それでも年頃の女子と同棲しているなどと知れれば周りが放っておかないだろう。


 それに対して事実を打ち明けることは簡単だが、それで広まった噂の火種を消せるかどうかは別の話。どの道言及と詮索の嵐になることは目に見えている。

 そんな面倒事は御免だ。


「そういうことなら心配すんな、学校じゃ口にしねぇよ。言いふらされたら嫌なことを言いふらして楽しむ趣味はねぇしな」

「その割にはからかっていたようだけど?」

「ばーか、俺だけがからかえるのがいいんだろ。特別感がある。みんなで寄ってたかって言いふらして、それを見ものにすんのはクソ程つまらん」

「それは、琉晟らしいな」


 思わず笑う。彼のこういう考えは嫌いではない。


 逆張りとでも言うのだろうか。琉晟は大勢の人が共通してやっていることや流行りのものには全く興味を示さず、よく少数派を推している。


 本人は特別感を求めているからだと言っていたが、だからと言って周りとの協力に否定的なわけではなく、コミュニケーションも饒舌で意見の食い違いがあっても簡単に丸め込むので尊敬しかない。


「てか路惟さんや、今日晩飯ここで食ってっても良いかね? 理亜ちゃんともうちょい話したい」

「また急だな。理亜がいいなら僕は構わないが」

「おお!理亜ちゃん、いいか?」

「……」


 急に尋ねられてびっくりしたのか理亜はびくりと身体を震わせて、一度瞬きをする。

 それから目配せしてきた彼女に薄い微笑みを返せば、小さな頭が縦に揺れた。


「……うん」

「しゃあ! ピザ頼もうぜピザ」

「元気だな」


 理亜という新しい友人を作れたからか琉晟は非常にテンション高めだ。

 何処からとなくピザの広告を取り出して見せてくるので随分準備がいいなと笑ってしまう。


 幸いというべきか広告に載っている店の名は知っているもので、宅配サービスをしてる店の中では一番味がいいと琉晟が語っていた店舗だった。


 以前頼んだ時はピザの種類が多くて驚いた記憶があるので、中にはきっと理亜の気にいるトッピングのものもあるだろう。


 普段ピザを頼むことはあまりしないが、良い経験になるだろうし中々に良い案だ。

 ちらりと理亜の方を見れば既に広告に釘付けになっていて、ピザの写真を不思議そうに眺めている。


 先程までは警戒が滲んでいた瞳もピザへの興味の方へ引っ張られているせいかその色が和らいでいるようで、少しばかり安心した。


「……たくさんあるね」

「理亜、ピザを食べたことは?」


 気になったので尋ねてみれば、ふるふると首を横に振られる。


「なら好きなものを頼むといい。きっと気に入る」

「うん……」

「迷うんなら俺らが他のトッピングのやつ頼んで交換するのもありだぜ」

「ああ、それはいいな」


 メニューに複数の味が楽しめるパーティー向けのものや、自由にトッピングをカスタマイズできるメニューも存在するが、もっと多くの味を楽しむのならやはり交換という選択肢は有用だ。


 実際ピザを頼む時に交換しながら様々な味を楽しむのは盛り上がるし、皆で食べるときの醍醐味ともいえるだろう。


 理亜は少しの間メニューを見入っていたが、やがて「……これがいい」と呟いて何種類かのトッピングが組み合わさっているものを指す。


 てっきり“何でもいい”などと言い出すものかと思っていたが、ちゃんと食べたいものを決めてくれたので、僕は嬉しく思いつつ琉晟に注文の電話を頼むのだった。





「悪かったね」


 夕食後琉晟が帰宅した後で、僕はほんのりと疲れを滲ませている理亜に謝罪を投げた。


 琉晟はよく口が回るので、理亜もお喋りに付き合わされて苦労しただろう。

 彼は僕にとっては良き友人であるが、理亜にとっては赤の他人。


 誰だって知らない人間にいきなり絡まれれば困惑するだろうし、気疲れもする。

 その点に関しては僕の配慮不足と言わざるを得ない。


「なんのこと……?」

「琉晟のこと。急に家に読んだりしてごめん。騒がしかっただろう?」

「……そうかも」

「はは、素直でいいね。……まぁ、多少うるさいけど良い奴なんだ。理亜も仲良くしてあげてほしいな」

「路惟はあの人のこと、信じてる?」

「そうだね。信頼してる」


 ゆっくりと頷く。

 今ではただの腐れ縁だとお互い笑い合っているが、数年前に教室の隅で独りでいた僕に声をかけ、それから飽きもせずに今まで関わってくれているような人だ。


 良い奴だと思うし、学校にいる誰よりも信頼していると言っても過言ではない。


「……そう。じゃあ、私も信じる」

「それは良かった。あいつもきっと喜ぶ」


 周りとの繋がりを大切にする琉晟のことだ、今の台詞を聞けばきっと飛んで喜ぶだろう。


 何故琉晟のような陽の側に立つ者が僕のような影側の人間と関わってくれているのか分からないが、最初に理亜に合わせたクラスメイトが彼で良かったと改めて思った。


「……ともだち、いいな」


 ふと囁くように言った理亜に思わず目を丸くする。


 彼女が何かを羨むなんてことは滅多にしないので驚いたのだが、一方でその顔に浮かんでいるのは全て抜けきったような、無機質とすら取れる無表情。


 端整な顔立ちのせいか、人形のようにも見える。


「何言ってるのさ。理亜にも、友達はいるだろ?」

「いないよ……そんなの」


 慰めるべく言葉をかければ冷えた声の即答が来る。

 眇められた瞳は昏く、遠い。


 まるで焦がれても届かない何かを見つめるようなその眼差しは、独りを嘆いているようにも見えて、僕は唇を真横に結んだ。


(――ともだち、いいな)


 先程の言葉は、どんな気持ちで紡いでいたのだろう。


「いるよ。友達くらい」


 気づけばそんなことを口にしていた。


 理亜が今までどんな扱いを受けてきて、どれだけ孤独な状況で生きてきたのか、には想像もつかない。

 けれど、もしそれが原因で自分がずっと孤独だと思い込んでいるのなら、それは筋違いだろう。


 現に琉晟は積極的に話しかけにいっていたくらいなのだ。あれで交友関係を持ちたくないとは言いだすまい。


「琉晟なら、理亜はもう友達だって……きっとそう言う」

「……」

「それに琉晟だけじゃない。僕だって理亜の近くにいるだろ」


 僕の立場は友人と言うよりは兄妹に近いものがあるが、それでも友人と同じように対等の立場で同じ時間を共有することはできるし、そばにいて、独りにさせないことくらいはできるのだ。


 実際、僕はそうありたいと思って行動してきたし、これからもそれを止めるつもりは一切ない。




「理亜は一人じゃないよ」




 ぱちり、と濃紺の双眸が瞬く。

 きょとんといった表現が正しいだろうか。どこか呆けたような、幼げな表情を浮かべた理亜がこちらを見る。


 やがて理亜は小さく「……そうね」と呟くと微かな笑みを浮かべて見せる。

 先程まで映っていた寂寥はもう無かった。





【あとがきっぽい何か】

お読みいただきありがとうございます。

夕飯はピザだったようですね。理亜は四種の味が楽しめる一枚を頼み、路惟はマルゲリータを、琉晟は二種の味を選べる一枚を頼みました。

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