第九・五話 貴方の声が

 理亜の誕生日から数日後。休日の正午過ぎに突然届いた荷物を玄関で受け取り、僕はリビングへと戻る。


 届いたのは三十センチ四方のダンボールに梱包された何か。上面には送り状と壊れ物を告知するシールなんかが貼られている。


 僕自身たまにネット通販を利用したりするが、直近で注文したものは全て受け取っているので心当たりはない。


 訝しげに眉を寄せつつ上面に貼られている送り状に目を向ければ、送り主は”黒戸部和弘”となっており、父からのものであると分かった。


「……ん?」


 無意識にそうこぼしたのは受取人の欄にいつもと異なる名前があったからだ。


 普段荷物を頼んだりするのは僕なので受取人の欄は決まって僕の名前が記載されているのだが、これは違う。


 記載されている名は”黒戸部理亜”。つまり宛てだ。


 珍しく丁度リビングに理亜が居るタイミングだったので、何となく目を向ければ、ソファに腰掛けた彼女が視線に気づいたらしく、こてんと小さく首を傾げた。


「……どうしたの?」

「ああ、いや。これ、君宛てみたいなんだ」

「私、宛て……?」


 受け取った荷物をソファの前のローテーブルへ置くと同時に疑惑に満ちた声が返る。


 それはまるでそんなことはありえないとでも言うかのような響きで、思わず苦笑してしまった。


「父さんからだし怪しいものではないと思うけど」

「……」

「試しに開けてみたらいいさ。受け取るか受け取らないかを考えるのはそれからでも遅くは無いだろ?」

「……うん」


 小さく頷いた理亜は丁寧にダンボールを開封し、中身を取り出す。


 入っていたのは祝福のメッセージが書かれたカードと薄い直方体の箱。所謂和弘から理亜への誕生日プレゼントと言うやつだった。


 わざわざ手書きのメッセージカードを仕込んで送ってくるあたり、記念日関係に真面目な和弘らしい。


 理亜の誕生日当日に間に合わなかったのは配送の都合か何かだろうか。


「誕生日の、プレゼント……?」


 メッセージカードにじっくりと目を通した後で、理亜が呟く。


 ますますきょとんとした顔になった彼女は不思議そうに濃紺の瞳を瞬かせた。


「どうして……?」

「君の誕生日を祝いたいのは僕だけじゃなかったってことさ。父さんも君を祝福してる」

「そう……」


 メッセージカードをローテーブルに起き、続けて直方体の箱を手に取る理亜。


 艶消しの加工が施された高級感のある紙箱。プリントされているのは白いボディのスマートフォンだ。


 なるほど、と頷く。良い案だと思った。

 以前からいざという時のための連絡手段として携帯電話を理亜に持たせたい言う話は和弘としていた。


 しかし、彼女は性格上あまり施しを受けたがらないし、携帯電話のような高価なものとなると尚更だろう。


 父もそれを分かっていたから誕生日に乗じて渡すということをしてきたに違いない。


 もしこれが誕生日当日だったなら、プレゼントはいらないと言われて詰んでいただろうが、その話は片がついたし、僕が用意したぬいぐるみも受け取って貰えた。


 今ならばスマートフォンを受け取ってもらえる可能性も十分にある。


「携帯……?」

「そうみたいだね。使ったことは?」


 ふるふると理亜が控えめに首を横に振る。

 案の定と言うべきか、スマートフォンを使うのは初めてらしい。


 正直理亜の歳で使ったことがないというのも珍しいが、彼女の生きてきた環境を考えれば決して不思議なことでもない。


「これは必要……?」

「無くても生きてはけるだろうね。けど、いざという時の連絡手段としてはあった方がいい。君が持っていてくれれば僕は安心できるな」

「……でも私、使い方なんて知らないよ」

「教えるよ。もちろん、君が望むならだけど。どうする?」


 一瞬の沈黙。

 少しだけ迷いに揺らいだらしい理亜の瞳が下方へと逸れて、それからちらりとこちらを見やる。


「……お願い」


 そんな小さな呟きが僕の鼓膜を揺らした。




 結局理亜にスマートフォンの使い方を教える準備が整ったのは太陽が大きく傾いてからのことだった。


 色々と家事をしていたのもあるが、充電や初期設定、アプリケーションのインストールなんかをしていたら思いのほか時間がかかってしまったのだ。


 理亜はというといつもと変わらぬ様子だったが、初期設定を行うこちらの様子を隣でじっと見つめていたあたり、ある程度の興味は持ってくれているらしい。


「よし、できたよ」


 初期設定を施したスマートフォンを理亜に手渡す。

 ぱちりと彼女が不思議そうに瞬く。


「とりあえず使えるようになって欲しいのは二つ。このアプリと、電話かな」


 言って僕が連絡をとるためによく使うメッセージアプリのアイコンをタップすれば、数秒のロードを経てアプリケーションが立ち上がる。


 ホーム画面なるものが開かれるが、当然ながらアプリで友達を登録していないので表示欄は空白だ。


「これは何をするの?」

「何を、か……。簡単に言えばこれを使って遠くの人と会話をするんだ。他人に文を書いて送ることが出来て、相手はそれをいつでも見ることができる」

「……そう」

「まぁ、メッセージを送るにはお互いが登録をしないといけないんだけどね」


 僕はポケットから自身のスマートフォンを取り出して、同じメッセージアプリを開いてみせる。


「君は、僕と友達になってくれるかい?」

「……うん」

「そうか、それはよかった。」


 とりあえず断られなかったことに安堵しつつ息をつく。

 わざわざ尋ねたのは、勝手に友達登録するのが嫌だったからでは無い。


 やろうと思えば勝手に登録を行うことは出来たし、初期設定の段階で僕の連絡先を登録しておくこともできた。


 あえてそれをしなかったのは理亜の意志を尊重したいという思いがあったのと、それ以上に僕が登録するに相応しい人物かを彼女自身に見極めて欲しかったからだ。


 これからスマートフォンという文明の利器を使う以上、連絡先を交換する機会は常に存在する。

 大勢の人と繋がりを持つのは良いことかもしれないが、予期せぬ自体を招くこともある。ネットの世界であれば特にそうだ。


 連絡先を追加する前、それをするに相応しい人物かを考える癖をつけておくのも悪くはないだろう。


「……ともだち、どうやってなるの?」

「それは簡単さ。このマークを押して」


 教えながら理亜のスマートフォンに登録画面を表示させ互いのコードを読み取って友達として追加する。


 まだ何も名前以外何も登録されていない真っ白なプロフィール。


 僕自信メッセージアプリの友人を積極的に増やす方では無いというのもあるが、初期状態のプロフィールを見るのは久々なので、なんだか新鮮だ。


 試しに何か送って見ようと思い立ち、理亜のトーク画面に『よろしく』というメッセージとスタンプを送信する。


 ピロン、と真横で通知を知らせる音が鳴って、少し驚いたらしい理亜が瞳を瞬かせた。


「……よろしく?」

「ああ、今僕が送った。君もここの画面から打ち込めばメッセージを送れるよ」


 トーク画面にキーボードを表示させて軽く説明を入れる。


 早速キーボードを操作し始めた理亜だったが、慣れないフリック入力のせいか苦戦ているようも見える。


「あはは、それ、難しいよね。僕も最初はずいぶん苦労した」

「うん……」

「こればかりは慣れるしかないな。もしかすると、最初の内は電話の方が使いやすいかもしれない」


 慣れ、とは言ったもののあまりこんを詰めすぎるとやる気にも関わってくるので、話を変えて今度は通話を教えることにする。


 理亜にメッセージアプリ内の電話機能の使い方を教えてやれば、程なくして僕のスマートフォンが振動でもって着信を伝えてくる。


 僕は軽く自分の耳の辺りとスマートフォンを交互に指さして端末を耳に当てるよう彼女に伝え、電話に出た。


『もしもし、聞こえてる?』


 通話の音声が聞こえているかという意味で念の為聞いておく。


 正直なところ真隣にいるので直接の声は聞こえてしまっているだろうが、やり方を教えるといった手前、やって見せない訳にはいかないだろう。


 ちらりと隣を見やれば、じっとしたまま沈黙をしている理亜の姿。

 黙って無視をしていると言うよりも、想定外のことが起きて硬直しているといった様子だ。


『大丈夫かい?』


 不安に思って尋ねれば、我に返ったらしい理亜が長い睫毛に縁取られた瞳を瞬いてこちらを見る。


『……路惟の声がする』


 発せられた声音は安堵の息が混じったような、柔らかいものだった。


『路惟の、声がする……』


 わざわざ二度口にした理亜はどこか恍惚としていて、僕は困惑する。

 時折発する人を突き放すような冷たい声とはまるで違う、穏やかな口調。


 正直僕の声に彼女を聞き惚れさせるような影響力はないと思うのだが、いつも何を考えているか分かりにくい理亜が今は機嫌良さそうにしているので良しとしておくことにした。


「電話だからね。当然だよ」

「……そう」

「まぁ、今後困った時に近くに頼れる人が居ないなら、それを使うといい。連絡するのは僕でもいいし、父さんや文姉だっている。君の周りには力になってくれる人が必ずいるよ」

「うん……」


 こくり、と頷いた理亜は通話を終了したスマートフォンを両手で包むように持つ。


 大切そうに手の中のそれを見つめるその姿は、贈り物を貰って喜ぶ少女のそれで、僕は思わず微笑んでしまった。


 最初から受け取らないと言われるよりも貰って喜んで貰える方がやはり気分がいいし、思えば僕も和弘もこういう理亜が見たくて贈り物を渡していたのかもしれない。


 もし和弘がここにいたならきっと喜んだだろうなと思いつつ、僕は後で父に伝えておこうと心に決めた。

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