第七・五話 成果の華

 理亜に買い出しを頼んだ日の夜。


 お互いに帰りが遅かったせいか、食事や入浴などを終えて一通りの家事を終わらせる頃には十一時を過ぎてしまっていた。


 昼間理亜が購入してきてくれた日用品を収納へとしまい終えた僕は、空になったビニール袋を折りたたもうとして、袋の底にまだ物が残っていることに気づく。


 細長く、薄い長方形のビニールで封をされたそれ。取り出してみれば、どうやら線香花火のようだった。


 夏も終わりということなのか本来の価格を示した値札シールの上に追加で特価を記述したシールが重ねられている。


「これは……?」

「……あ」


 思わず声に出した瞬間、鈴の音のような声音が鼓膜を揺らす。


 見ればリビングのソファに腰掛けていた理亜が僕の手元の花火をまじまじと見つめていた。


「この花火は君が?」

「……うん」


 少し躊躇うように視線を彷徨わせた理亜が控えめに頷く。


「欲しいもの、ちゃんと選んできてくれたのか」

「えっと、それは……」

「ん?」

「……ごめんなさい」


 唐突の謝罪を受け、困惑した僕は花火を手にしたまま小首を傾げる。


 状況だけで判断するならば彼女は立派に勤めを果たしたと思うのだが、どこかに謝罪をする要素があっただろうか。


「選んだけど、欲しいもの無くて……決められなくて……それを選んだのは、たまたま目に入ったからで、えっと……」


 どうやら欲しいものが決められず、適当なものを買ってきたことに関して謝罪をしているらしい。


 確かに欲しいものを買ってくるように言いはしたが、咄嗟の思い付きで言ったことであったし、正直何も買わずに戻ってくるだろうなと思っていた。


 しかしながら理亜はちゃんと言いつけを守り、一つ物を購入してきたのだ。たとえそれが適当であったとしても賞賛に値する。


 自然と僕は理亜に微笑みを向けていた。


「よく頑張ったね」

「……え」

「正直期待はしてなかったんだ。君なら何も買わずに戻ってくるだろうと、そう思ってた。けど、この花火を見るに君は責務を果たしたわけだ。感心したよ」

「……でも」

「欲しいものを決めきれなかったのなら次に選べばいい。今回が最後じゃない。何度だって挑戦すればいいさ」


 そう、僕が幼い頃父に頼まれて何度も買い出しに行ったように、また理亜に買い出しを頼む機会もあるだろう。決して今回限りの話ではないのだ。


 いずれ彼女が自分自身の望むものを買ってこれるようになれば良いなと思う。


「それにしても線香花火とは、面白いものを選んできたね」

「……何を、するものなの?」


 一度瞬く。知らずに買ってきたのかと、思わず失笑した。


「言葉で説明するよりも見せた方が早いだろうな。なんなら、今からやってみるか」


 せっかく買ってきた花火が使われずに腐ってしまうのは勿体ない。

 理亜に庭に出ておくように指示し、僕は花火をするための準備をするのだった。




 水入りバケツやライターを持って庭へ出ると、先に外に出ていた理亜が目に入る。

 どうやら夜空を見上げていたらしい彼女は僕の姿に気づくとその濃紺の瞳をこちらに向けてくる。


「寒くはない?」

「……平気」


 いつも通りの抑揚のない声でそう返してきた理亜に「ならいいんだ」と返しつつ歩み寄る。


 夜もそれなりに暑いとはいえ、夏が終わりかけている今、昼間との気温差は日に日に開きつつある。


 風邪をひかれでもしたら困るので一応聞いたが、どうやら余計な心配だったようだ。


「さてと、準備も済んだことだし、そろそろやろうか」


 言いながらバケツを庭のタイルの上に置く。


 手本を見せるべく線香花火を一本手に取って見せれば、理亜の方はまだ花火が何たるかすら分かっていない様子で、一人きょとんとしていた。


 細い持ち手部分を持って吊るすように保持し、少し膨らんだ火薬の詰まった部分にライターで火をつける。たちまち花火の先端にほんのりと熱を持つ火球ができ、一拍ほど置いてから火花を散らし始めた。


 幾重にも重なって咲く火の華。それらは辺りを優しく照らし、同時に理亜の澄んだ瞳が同じものを移す。


「……!」


 いつも無表情な理亜。けれどこの時ばかりは確かに目を見開いていて、それから何度か瞬いた後にゆっくりと目を細める。


 目を細めるとは言っても嫌がっている様子は無く、どちらかというと美しいものを見た時の、うっとりしているような、そんな表情。


 正直、理亜がここまで感情を表に出すのは初めてのことで、少しばかり驚いてしまった。


――こんな表情かおも出来たのか。


 一瞬垣間見えた彼女の新たな一面に気を取られていると、力を使い果たしたらしい花火の火薬が地面へと落ち、一本の線香花火が寿命を迎える。


 突然輝きを失った花火。それを見た理亜が小首を傾げるまでにそう時間はかからなかった。


「……おわり?」

「そうだね。先端の赤い球を落とさないようになるべく揺らさないのがコツなんだけど僕にはこれくらいが精一杯だ」


 持ち手だけになってしまった花火をバケツに放り、新しい線香花火を取り出して理亜へと渡す。


「君もやるだろ?」

「……いい、の?」

「もちろん。物は試し、とりあえずこれ持って」


 半ば押し付けるように理亜に花火を握らせ、そして僕も同じように花火を手に取る。


 どうせならどちらが長く火球を保持してられるか勝負をしてみるのも悪くないかと思ったが、さすがに言葉に出すことはせず、大人気ない考えは胸の内に留めておく。


 まずは理亜の手元にある花火から火をつけ、続いて自分のそれにも着火する。


 やがて先端に出来た火球から華が咲き始める。柔らかな炸裂音を立てながら弾ける火花。


 思えば理亜のように初めてとまではいかなくても、僕自身も長いこと花火はやっていなかったかもしれない。


 そのせいか、今手元で光るそれがより一層美しく見えた。


「そういえば、久しぶりだな。こうして花火をするのは。……とても綺麗だ」

「……うん」


 呟きながら弾ける火の華を眺めていれば、僕の方の花火の火球が先に地面へ落ちる。


 あ、という声が漏れたのも束の間、花火の火はそのまま消えてしまった。

 一方で理亜の花火はまだまだ健在で美しい華を咲かせている。


「君、上手いな」

「……ありがとう」


 花火を片手に丁寧に足を揃えてしゃがんだ理亜。次々と弾けては散る華を見つめる表情は和やかで、それは間違いなく僕が初めて目にするのものだ。


 いつもは無表情な彼女。けれど本当は笑ったり、泣いたり、怒ったり、そういう人が持つべき様々な感情を表に出すことができるのではないか。


 単に感情を表に出すのが苦手なのか、あるいは表し方そのものを知らないのか。


 なんにせよ、いつか彼女が当たり前のように感情を表に出せる時が来れば良いなと、僕は心の内でそんなことを思うのだった。

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