第七話 心配の価値


「君、いつも僕が学校に行っている間は何をして過ごしているんだ?」


 夏休みが終わってから二度目の金曜日となった日の朝。僕は沈黙の続く朝食の席に花を添えるべく向かい側の席に座る理亜へと問いを投げた。


 理亜が自分から挨拶をしてくれた日から既に一週間以上。

 あの出来事から彼女が心を開いてくれたのではないかと少し期待したのだが、どうやらそれは気のせいだったらしい。


 特別だったのはあの日だけで、基本的に用がなければ自室に篭っているのは変わらないし、食事のときも無言のことが多い。


 むしろ先日より言葉を交わすことが減った気さえする。

 今回の問いはそんな現状を少しでも改善出来ればという思いから生まれた一つの策だった。


「……別に、何もしてない」

「暇を持て余さないか?」

「平気」


 抑揚の無い声でそう返して、再び朝食のトーストを囓り始める理亜。


 浅く息を吐きつつ、僕はあらかじめ用意していた数枚の千円札を取り出して彼女の食卓の傍に置く。

 直後、怪訝そうな視線がこちらに向けられるが、そんなことは想定内だ。


「そんな目で見ないでくれよ。君がこういうのを受け取らないことは知っているし、今回はそんなつもりでお金を渡しているわけじゃない」

「……それなら、どうして?」

「これを渡す代わりに一つ頼みたい」


 僕は現金と共に用意していた一枚のメモ用紙を理亜に差し出す。


「家の日用品が色々無くなってきたから買いに行ってくれないか?」

「……」

「全て近くのスーパーで揃うものだし、店の場所と買って欲しいものはメモしてある。どうかな?」


 沈黙。

 ただ黙ってメモ用紙を見つめる理亜は迷っているようにも、困惑しているようにも見える。


 しばしの時間を置いてから彼女はメモ用紙を受け取ると改めてこちらに目を向けた。


「……分かった」

「助かるよ。何なら余ったお金で君の欲しいものを……いや、この言い方はよくないな」


 途中まで言いかけて、僕は口を噤む。

「買ってきてもいい」と口にしようと思ったが、どちらでもいいという言い方ではきっと理亜は何も買わずに戻ってくることだろう。


 もともと彼女に買い物を頼んだのは少しでも暇持て余さずに済むよう小遣いを渡そうと思ったのが始まりであり、そのためにお金も多めに用意している。


 後から余ったからと返されてはこちらも困ってしまうというものだ。


「余ったお金は君への駄賃にしよう。最低でも何か一つ君の欲しいものを買って帰るように」

「……欲しいものなんて、無いよ」

「何かあるだろう? 食べてみたい菓子があるならそれでもいいし、暑いからアイスもありだな。食べ物じゃなくても構わない」

「……」

「どうしても無いと言うなら、そうだな。この前本屋で本を買っただろ? あの時みたいに直感で気になったものを買ってくるといいさ」


 僕の言葉に理亜は押し黙る。無言で目を伏せてしまったことから、相当に困ったらしいと察する。


「……そんなの、意味ないよ」


 少し時間を置いてから理亜がか細い声で反論してきて、対して僕は薄い笑いを返した。


「そうでもないよ」

「……?」

「所持金で購入できる範囲で欲しいものを一つ選ぶっていうのはそれだけでいい経験になる」


「父さんの受け売りだけどね」と苦笑しながら付け加える。


 以前、僕も父である和弘から同じことを言われて買い出しに行ったことがあるが、和弘はそれを教育の上で大事なことだと語り、欲しい物が何も無い時も、逆に複数ある時も、必ず一つだけ選んで買ってくるように言っていた。


 今になって思うとそのおかげで多少の決断力とお金を管理する力が身についたように感じる。


「今回のことは父さんも許可してくれてるから、心配する必要はないよ。それに、買い物を頼んでるのは僕の方なんだ。余りのお金を少し使ったってバチは当たらないと思うが?」

「…………分かった」


 理亜は納得しきれていないようだったが、最後には渋々といった様子で首を縦に振った。





「路惟。お前最近バイトでも始めた?」


 学校での昼休み。ふと思い出したとでも言うように琉晟がそんなことを言ってきた。

 学食で頼んだ醤油ラーメンをすすっていた僕は、唐突の質問に思わず硬直する。


「いやしてないけど。なんで?」

「あれ、違うのか? 最近やけに帰りを急いでるからてっきりそう思ってたんだが、てことは別に理由があるのかね?」


 妙に冴えた琉晟の発言に冷や汗をかきつつ、苦笑する。

 昔からではあるのだが、琉晟は常に人を見ているのでたまに今のような鋭い質問をしてくる。


 それが彼のすごいところではあるのだが、いきなりの質問となると心臓に悪い。


「……」

「黙るということは図星か」

「いや……まぁ、早く帰らざるを得なくなったというか……」


 夏休み明けの登校初日に起こった出来事以来、僕はなるべく早く家に戻るようにしている。


 以前のように理亜が学校に来る事態は避けたいし、それにずっと一人で留守番をさせているのもなんだか申し訳ない。


「やっぱ女?」

「いると思うのか?僕に?」

「思わん」

「そうだろ」

「しかしねぇ、俺としては勘ぐらないわけにはいかないのだよ」

「よく喋る」


 溜め息を吐きつつ頭を抱えた僕を見て、琉晟はけらけらと笑う。

 きっと要らぬ邪推をして楽しんでいるのだろう。


 一応理亜が関係している以上、琉晟の推測は間違ってはいないので、こちらとしては冷や汗が止まらない。


 出来る限り隠し通すつもりではあるが、隠し事というのは言葉にせずとも気づかぬうちに態度や行動として表に出てくるものだ。露見するのも時間の問題だろう。


「んで、実際のところどうなんだ?」

「さぁ、どうだろうね」

「うわ、ケチくさ」


 たとえいずれ露見するとしても、今は口を割る気はない。

「何とでも言えよ」と答えた僕は会話を流す意味も含めて軽く笑った。




 さて、朝の会話の後いつも通りに学校へ行き、そして六時限分の授業を受けてから帰宅した僕だったが、さっそく今朝理亜に買い物を頼んだことを後悔した。


 話を持ちかける以前から危惧していたことではあるが、世間知らずな理亜が面倒事を引き起こさないはずがない。

 案の定彼女は僕が帰宅した時には家におらず、そして日が落ちてからも戻らなかった。


――いったいどこまで買い物に行ったって言うんだよ。


 重い溜め息を吐きつつ、リビングの壁掛け時計に目を向ければ時刻は既に二〇時になろうとしている。


 僕がメモに記したスーパーはここから徒歩十分程のところにあるので、どんなにゆっくり買い物をしたとしても二時間はかからないはずだ。


 にもかかわらずこれほど時間がかかっているということは行き帰りの道中で道に迷っているか、あるいは――。


「途中で何か……」


 思わず口を継いで出かけた呟きを殺して、額を抑える。再び溜め息が漏れた。


 頭の中にある色々な考えが渦を巻いて、自分自身が混乱していくのがはっきりと分かる。


「……僕のせいだ」


 そう呟いた途端、居ても立っても居られなくなって、僕は慌てて家を飛び出した。


 *


 時間は数時間遡る。

 朝食の席で買い物に行くように頼まれた私はその言いつけ通り、スーパーマーケットで買い物を済ませ、買い物袋を片手に店を出る。


 右手に下げた買い物袋は重たくは無いけれど、ボックスティッシュなどが入っているせいかそれなりの大きさだ。


 私は改めて袋の中身とメモを照らし合わせて足りないものがないかどうかを確認してから帰路に着く。


 買い物に時間をかけたせいか家を出るときにはまだ高いところにあった太陽も大分傾いてしまっている。


 本当はもう少しばかり早く帰宅するつもりだったが、自分の欲しいものとやらを選んでいたらかなり時間がかかってしまった。


 欲しいものを一つ買ってこい、と彼は言ったが、いきなり言われて簡単にできるはずがない。


 今まで一日一日を生きていくので精一杯だった私には陳列されている菓子や玩具を眺めていても“無くても生きていける物”が並んでいるようにしか見えなかったのだ。


 結局、自分が欲しいものを決めることは出来ず、こうして帰路についている。


 叱責を受けることを覚悟しつつ、同時に謝り続ければ許して貰えるだろうか、などと考える。


 前の家では、身体を差し出すか、暴力に耐えていれば許して貰えたけれど、彼はそういうことはしないと言っていたし、そもそも怒っている所を見たことがないから想像がつかない。


――追い出されたりするのかな……。


 最悪の結末を想像して、目を伏せる。


 何故だか分からないし、そんなことを望む権利がないことは承知しているつもりだが、少しだけ今の家から離れたくないなと思ってしまっている自分がいる。


 居候の分際で哀れなものだなと自嘲しつつ、宛もなく視線を彷徨わせた私だったが、ふとあるものを見つけて足を止めた。


 たまたま通りかかった小さな公園。遊んでいた子供は帰ったのか、それとも元々いなかったのか、閑散としたその場所の角のベンチに幼い男の子が一人で腰掛けているのが見える。


 最初は遊んでいるだけかとも思ったけれど、ただ何となくその男の子の寂寥を孕んだ横顔がいつかの自分と似ているような気がして、だから柄にもなく声を掛けてしまった。


「何を、しているの……?」


 声をかけられて初めてこちらを認めたらしい男の子は、その円らな瞳を一度瞬き、そしてこちらに目を向ける。

 若干眉を顰めているのはこちらが何者なのか計りかねてのものだろう。


「あなた、一人?」

「……うん」

「帰らないの?」

「かえりたくない。おかあさんとけんかしたから」


 そう吐き捨てて拳を握る男の子。どうやら親と折り合いがつかず、逃げてきたということらしい。


 贅沢だな、と思った。

 幼い頃から親戚とやらの家をたらい回しにされてきた私には帰る家などありはしなかったし、当然両親の顔など覚えてもいない。


 帰るべき家があって、血のつながった家族もいるというのはそれだけで贅沢なことであり、それなのに帰らないというのは目の前の少年の傲慢というべきものだろう。


「帰った方がいい」


 気づけばそう口にしていた。少し威圧的だっただろうかと言ってしまってから後悔する。


「帰って、仲直りをした方がいい」

「……」


 男の子は押し黙り、そして目を伏せる。握り締めた小さな拳は微かに震えていた。


「おかあさん、どこにいるかわからないもん」

「……家は?」

「わかんない」


 その瞬間、男の子が迷子であると悟った。同時に最初に少年が纏っていた寂寥はこれが原因だったのだと理解する。


――どうしよう……。


 途端にどうしたらいいのか分からなくなって、硬直する。

 声を掛けたとはいえ相手は赤の他人、逆もまた然りであり、男の子にとって私は部外者だ。けれど、このまま少年を放って帰るというのもおかしな事のように思える。


――彼なら、どうするんだろう?


 彼、黒戸部 路惟ならこのまま少年を放って帰ることはしないだろう。


 何せ嵐の中、赤の他人であるはずの私を探し出して家に連れ戻すという奇行を平然とやってのけるような人だ。そんな彼が少年を見捨てるような事をするはずがない。


 彼ならきっと……。


「一緒に、お母さん探そう」


 ゆっくりとそう口にする。

 呆気にとられたらしい男の子がその円な瞳を二、三度瞬いた。





悠真ゆうまっ!」


 男の子の母親が見つかったのは、それから一時間半程辺りを歩き回った後の事だった。

 唐突に後方から知らない名前を聞いて振り向けば、男の子の母親らしき女性の姿が見える。

 抱っこ紐を身に付けた彼女は赤ん坊を抱いているようだったが、それでも駆け足でこちらに近づいてきた。


「どこに行ってたの?! 心配したんだから!」

「……おかあさん」


 震えた声で呟いた男の子。

 恐らく寂しさを我慢して強がっていたのだろう。母親に触れられたその瞬間に涙を零した少年は、その小さな手で母親の服の裾を握り締めて泣き始める。


「ごめんなさい。ごめんなさい」

「もう。ちゃんとお母さんの言う事聞かないからでしょう」


 そんなことを言いながらも男の子の頭を撫でている母親をただ黙って見つめていれば、ふとした瞬間に目が合った。


「あの、息子を送り届けて下さりありがとうございます」

「……私は、何も」

「とても助かりました」

「……そう……ですか」


 思わず目を逸らしてしまったのは、男の子の母親から微笑みを向けられてどうしてよいか分からなくなってしまったからだ。


“ありがとう”。それは最近知った言葉で、相手に尽くして貰った時などに見返りや代償としてではなく、感謝として相手に伝える言葉だという。


 先日になってようやく初めて言うことが出来たその言葉。ろくに使い方も知らなかったというのに、いきなり言われても対応できるはずがない。


「おねえちゃん。ありがとう」


 子供特有の高めの声で言われて、反射的に目を向ける。

 見れば、先ほどまで泣いていた男の子が泣き腫らした瞳でこちらを見上げていた。


「これ、あげる!」

「……」


 差し出された、というより強引に押し付けられたものをおずおずと受け取れば、それは小さな棒付きのキャンディーだった。

 包装紙に子供向けキャラクターのプリントが施してあるのが見える。


「……ありが、とう」


 ぎこちなくそう口にする。男の子が「うん!」と答えて満面の笑みを浮かべた。


 別段、私がこの親子に対して何かをしたわけではない。声を掛けて来たのは母親の方からで、私が男の子を送り届けたとは言い難いし、感謝されるようなことは何一つしていない。


 けれど、ただその一言を言い合うだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 見返りでも、代償でもない、感謝というものを伝えるたった一言の言葉。

 その言葉の使い方が少しだけ分かった気がした。




 少しして、改めて礼を言った親子が帰るべき場所へと帰り、私は再び一人になる。


 当然、帰宅という発想に思い至るわけなのだが、最初に男の子と出会った公園から随分と歩いて来てしまったし、周りは似たような住宅ばかりが並ぶ通りで歩いて来た方向も分からない。


「ここ、どこだろう……?」


 私は周りを見回してからぽつりとそんなことを呟くのだった。


 *


 家を飛び出した僕は理亜を探して近所を走り回った。


 自宅の周辺から理亜が買い物に行ったであろうスーパーマーケット、それから駅の周辺など心当たりのある場所を一通り探してみたが、彼女の姿は何処にも無い。


 電車で移動した可能性は考えたくないが、ゼロではない。もしそうであれば僕にはもう追いきれないだろう。


――何やってるんだろうな。僕は……。


 走り続けて上がった息を整えるべく立ち止まり、滴ってくる汗を拭いつつ深呼吸をする。


 日は落ちているとはいえまだまだ夜も熱い。湿度が高いせいか全身が汗でべたつき、心地の悪さが際立っているように思える。


――何も知らないのに……。


 ふと手に握り締めたスマートフォンへと目を落とす。連絡を取るために持ってきたが、理亜の連絡先が分からないためにただの重石になってしまっているそれ。


 そもそも彼女は携帯を持っているのだろうか。持っているとしたら連絡先は。

 そんなことすら、知らない。


 それが何故なのか、理由は自分でも分かっている。僕自身が何も知ろうとしなかったからだ。


 特に連絡先は聞き出して気があると思われても嫌だったので、あえて聞くことを避けていた。

 もっとも、それがあだになるとは夢にも思っていなかったが……。


――結局、何か“してやってる”気になってただけか。


 結局はそういうことなのだと理解して軽く自嘲する。なんて自己中心的なのだろう、と。


 僕が理亜に構っていたのは自身が満たされるためで、そのために彼女を利用していた。


 だから自分に都合のいい会話ばかりして、本当に知っておくべき情報を得ようともしなかった。


 それは今まで彼女を預かってきた者達がしてきたことと変わらない行為で、むしろいい顔をしようとしている分こちらの方がタチが悪い気もする。


――バチがあたったのかもしれないな。


 そっと溜め息を吐く。

 なんの情報もない今の状態で、理亜を見つけ出すのは難しいだろう。


 以前一度だけ、嵐の日に理亜を探し出して家に連れ帰った事があるが、あの時彼女を見つけられたのは偶然で、そんな奇跡が今回も起こってくれるとは限らない。


 このまま宛もなく彷徨い続けるのは得策では無いように思えた。


「……一旦戻ろう」


 一度きちんと身支度を整えてから出直すべく、僕は一度自宅に戻ることを決めた。




 落ち込んでいるせいか、それとも底知れない不安からか鉛のように重たくなった足で自宅へと向かった僕だったが、消してきたはずの自宅の照明が点灯しているのに気づいたときは思わず駆け足になってしまった。


 走り回って溜まった疲れをものともせず全速力で自宅の玄関を抜けて、リビングへと駆けこむ。


「……おかえり」


 途端に最近になってようやく聞き慣れてきた声音が鼓膜を震わせる。見れば最近定位置と化しているソファの端に腰掛けている理亜の姿がった。


 大きく安堵し、深く息を吐く。一気に身体から力が抜けたせいで手にしていたスマートフォンを取り落としそうになったのは秘密だ。


「帰って、いたのか」


 こくり、と理亜が一度頷く。


「随分と遅かったね」

「道に、迷って……」

「……そうか」


 あくまで淡々と返す。

 スーパーから自宅までは大通り沿いを進むだけなので迷うような道でもない。何か別の理由があるのではないかとも思ったが、それを直接訪ねる勇気は無かった。


「ならそういうことにしておくさ。……けど、君の行動一つで人を不安にさせることが出来るというのは、覚えておいてほしいな」

「どういう、こと?」


「今回は何事もなかったけど、もしかしたらたまたまそうだっただけかもしれない。もし仮に君の身に何か良くないことが起こって、それに気づけずに最悪の事態になってしまったら?」

「……」

「そしたら僕は絶対に後悔する。君に買い物を頼んだことを一生悔やみ続けると思う。そういう風に思う人が周りにいるということは知っていてくれ」


 きょとんとした顔でこちらを見つめる理亜。

 おそらくこちらの言っていることが理解できずに困っているのだろう。


 我ながら伝えるのが下手だなと溜め息を吐く。

 僕が本当に伝えたいことは何なのか、またどうすればそれを彼女に伝えられるのか、静寂に包まれた空間の中で必死に思考を掻き巡らせる。


 やがて、導き出した答えは至極単純なものだった。




「心配した。……次は無い」




 要約して一言でそう告げると、今まで無表情を貫いていた理亜の表情が少しだけ崩れた。


 どうやら驚いたらしくほんの僅かに目を見開いた彼女は一度その濃紺の瞳を瞬いて、それから気まずそうに目を伏せる。


「……どうして?」


 ぽつり、と理亜がか細い声で呟いた。


「私が帰って来なくても何も変わらない。元の生活に戻るだけ。困ることなんて、ないはず……」

「……」

「私に心配する価値なんてないよ……」


“家族じゃない”。いつか理亜が言っていたその言葉をふと思い出す。


 確かに僕と理亜に血が繋がりはないし、数週間前までは互いの顔すらも知らなかった間柄だ。彼女の言っていることも決して間違いではないのかもしれない。


 しかし、仮に理亜が戻ってこなかったとして、それで元の生活に戻れるかと言えば答えは否だ。


 数週間前まで赤の他人だったとはいえ、数週間は共に過ごした身、その記憶をすぐに消し去れるほど器用ではない。


「価値なんてない? それを決めるのは君じゃないんだよ。僕はそんなこと思っていないし、勝手に決められちゃ困る」


 ぶっきらぼうにそう言えば理亜の瞳が分かりやすく逸らされる。


 そう、彼女に心配する価値があるかどうかを決めるのは僕を含め彼女と関わりのある人々の役目であり、彼女自信では無い。勝手にそれを決められては困るというものだ。


「だからさ。あんまり自分を貶めるなよ。君の無事を望む人はちゃんといるよ」


 沈黙。

 しばらく何か考え込んでいた様子の理亜は、やがて少しばかり震えた声で「……ごめんなさい」とだけ返し、それ以上何も言うことはなかった。




【あとがきっぽい何か】

お読みいただきありがとうございます。

路惟くんの通う学校の学食では毎日日替わりで様々な料理が提供されています。

路惟は醤油ラーメンを頼み、琉晟君はチキン南蛮定食を頼みました。

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