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「で、依頼を放り出して俺の所に戻って来た……、と」
やや小柄で小太りな男はため息混じりに状況を纏めた。
今、酒場のカウンター越しにいる彼の名はビリロ。表向きは人気のある酒場のマスターだが、その裏の顔はあらゆる秘密を知り仕事を斡旋する情報屋だ。
五年前に師匠が姿をくらませる際、ミデンはこの中年男性に預けられたと言っても過言ではない。わずか十歳にして一流の剣士として知られていたミデンでも、子供なのは間違いない。つまりはどこぞの見知らぬ子供の世話を押し付けられた人物である。
「いや、一応は馬車の受け渡し場所に行ったけど誰も来なかった」
「誰か来たら来たで斬っていたんだろ?」
「まあな」
「はあ……」
ビリロが先ほどより深いため息を吐く。あの老人に育てられただけあって一癖ある子供ではあったが、根は優しく実直で素直なはずだった。いや、根底にあるその性格は変わっていないのだろうけど、今や反抗期を迎えた少年になり自立心も強くなった。仮の保護者であってもそういった成長は喜ばしいことではあるが頭を抱えてしまう。
「まあ、依頼者の反故ということで片付ければ良いか……。それで、反英雄とやらになった気分は?」
「全然実感は湧かないな。何か変わった感覚もあるけど、特段変わった気はしない」
「らしいですけど、お嬢さんの意見は?」
「誰がお嬢さんじゃ。もっと敬え」
ミデンの背中にしがみついているアルカが不機嫌さを露わにした。
しかし、敬えというにはその格好は不釣り合いであった。どう贔屓しようとも兄におんぶをしてもらう小さな妹にしか見えないからだ。
何故そのような状態なのかは、アルカの両手が手錠で繋がれているせいである。ひとりで歩けばバランスを取りにくいのかすぐ転ぶ。それを見かねたミデンが背中に乗せたというわけだ。ちなみに、いつも背負っている大剣は二つの片手剣に分離させ、無理やり体の前に留めている。
そんな威厳のない姿ではあるが、アルカの尊大な物言いは変わらない。
「それもこれもこの手錠のせいじゃ。こいつは我のテオスとしての力をほぼ無にしておる。じゃが、完全に封じられたわけではない。時間とともに力が馴染み実感できるであろう」
「なるほどねえ……。鍵開け屋なら知っているが、こいつはどう見ても普通の手錠じゃなさそうだしなあ。そもそも鍵穴がない」
ミデンの胸の前にある手錠を見ながら情報屋らしく分析し呟いた。
「鎖は切れないのか?」
「落ちていた大斧で試してみたけど無理だった。傷の一つも付かない」
「かっかっか、信用しているとは言え、目と鼻の先で斧が振り下ろされた時はさすがの我も肝が冷えたわ」
酒の席でも語れそうな話にビリロは肩をすくめる。どうしようもないことを理解したらしい。
「とは言え、その手錠は誰に掛けられたんだ? まさか自分で掛けたわけではあるまい」
「それはまだ言えん」
有無を言わせぬ声が急に場を引き締めた。追及しても決して口を割らないという強い意志が存在した。
もちろんビリロは怪しんだが一番関わりが深くなるミデンに気にした様子はない。テオスの力を得て復讐できるなら何でも良いということだろう。
利害が一致し本人たちが納得しているなら、外野がとやかく言う必要はない。
「……それで、これからどうするんだ?」
「テオスヘキサを探したい……、ところだけどテオスの力が使えないなら時期尚早だろう。とりあえずアルカの言うように力を馴染ませたら、その力を試す場が欲しい」
「それで試す場とやらの仕事を俺に取って来いというわけね……。まあでかい仕事ほど儲かるから文句はないけど」
場数を踏ませてやってくれ、という師匠の依頼通り、ビリロはこれまでミデンに様々な仕事を与えてきた。今回の馬車襲撃のように小さな仕事から、国同士の戦争に関わる傭兵であったりと。今ミデンが所望しているのは大規模な戦闘となる戦争の傭兵だ。
「適当に見繕ってやるよ。で、いつアルカ様の力がミデンに馴染むんだ?」
「くっくっく、そうじゃなあ」
敬称に〝様〟を付けられてアルカは上機嫌に笑う。ただの皮肉なのだが御しやすい神もいたものだとビリロは呆れた。
「ひと月も我と共に過ごせば片鱗程度なら扱えるようになるじゃろう」
そう答えると、少女はすぐそばにある耳に囁く。
「この手錠がある状態でどこまで力を引き出せるかは汝次第じゃがな」
「……使いこなして見せるさ」
決意に満ちたミデンの声を楽しむかのようにアルカは不敵な笑みを浮かべる。その二人のやり取りにビリロは不安を覚えた。
生真面目なミデンの性格が仇とならなければ良いが、と。
しかし、これまで面倒を見てきた少年に長年の悲願を達成する機会が訪れたのは間違いない。それに自分が水を差すわけにもいかないとビリロは頭を切り替える。
「話が纏まったようだし、俺は店の準備をするよ。すぐに用意できるものがないから昼食は外で済ませてきてくれ」
「わかった。一度部屋に戻ってからそうする」
そう言うとミデンは酒場の二階へ登る。そこに普段過ごす自分の部屋があった。
扉を開けると、最低限の家具しかない狭い部屋の空気はこもっていた。まずは窓を開けて換気をする。それから体の前に着けている片手剣を外して壁に立てかけ、最後に背中に乗せた荷物をベッドに転ばせた。
「わっ! だから雑に扱うのは止めよっと言っておるじゃろ!」
荷物――、アルカの怒声は開かれた窓を抜けて店の前の道まで響いた。しかし、その反応を予測していたミデンは素早く両耳を塞いで鼓膜へのダメージを防いだ。
そして、少女の気が済んだのを見計らって今ある問題点を洗い出す。
「さて、他に空き部屋がないからアルカもここに住んでもらうわけだけど、ベッドがひとつしかない」
「そうじゃな」
「部屋が狭いからもうひとつ置く場所もない」
「そうじゃな」
「だからアルカは床で寝てくれ」
「そうはならんじゃろ」
少年が導き出した結論に少女はすぐさま異を唱えた。完璧な論理のはずなのに、とミデンは首をひねる。
「我は同衾でも構わんぞ。それともあれか? 年頃の男らしく我の美貌に欲情してしまうかもしれないと危惧しておるのか? 可愛いところもあるんじゃな」
「いや、職業柄かあまり近くに人がいると寝れないだけだ」
「前言撤回じゃ。汝に可愛いところなんてありゃせん」
そう吐き捨てるとアルカはごろんと転がって背を向けた。
「おい、飯は食べに行かないのか?」
「我はテオスじゃ。食事は必要ない」
「ここは王国内でも栄えている都市だから美味いものがたくさんあるぞ」
「いらん」
子供のように意固地になってしまった。それを口にすると火に油なのは明白なので、口をつぐみぽりぽりと頭を掻く。
どうしたものか。
ふと、戸棚に目を遣るとこの状況を打破できそうな良いものを見つける。この間よく声をかけてもらうご婦人の家で庭の手入れをした礼としてもらったものだ。
瓶の蓋を開けて中にあるカラフルな粒たちの一つを手に取る。
「アルカ、上を向いて口を開けてくれ」
「なんじゃ藪から棒に。ほれ」
訝しむことなくアルカは顔を天井に向かって口を開けた。
この少女は聞き分けが良いのかひねくれているのか謎である。
しかし、今は素直に応じてくれているので文句を言う必要はない。
ミデンは小さな口に先ほどの粒を放り込んだ。
「んんっ⁉ 何を入れふぁ――、むっ、むむむ!」
異物の侵入に戸惑いを見せたアルカであったが、すぐにその美しい二色の目が見開かれる。
「なんじゃこの感覚は……! 我は一体どうなってしまったのだ……! 確かなのは、口の中にあるこいつに我は快楽を与えられておる……!」
「そんな大げさな」
予想していた以上の反応にミデン自身も困惑してしまう。どこにでもある飴玉を一粒食わせてやっただけだというのに。
「汝! 我にこんな中毒性のある物質を食わせてどうするつもりだ! あれか? これなしでは生きられぬまで精神を侵し、我を下僕のように扱うつもりか? テオスである我と対等なだけでは飽き足らぬと申すか! テオスヘキサを殲滅すると豪語するだけあって豪胆な奴め……。所詮はただの人間と侮っていた我が愚かであったわ……!」
あらぬ方向に思考を飛ばしながらアルカはミデンを睨みつける。いつもの尊大な物言いだが、飴玉をもごもごと転がしながらなので威厳の欠片もない。
「飴っていうただの菓子だ。それと、アルカが感じている味覚は〝甘い〟というものだ。街に出ればもっと色んな菓子があるぞ」
「なんと、これを〝ただの〟と言うか。このような快楽物質を当たり前のように存在させるとは……。テオスヘキサよりも人間文明の方が余程脅威なのでは……」
「それはないから安心しろ。それで、もっと色んな種類を食べたいのか、ここで寝ているのか、どっちだ?」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
契約者とはいえ人間ごときに二択を迫られるとは。苦悩し力が入ったことにより飴玉を噛み砕いた音が部屋に響いた。そして、一気に押し寄せてきた甘みにアルカは屈した。
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