第2話

 オカルト研究部にとっては望外の幸運とも言うべきタイミングで入部したクラッシャア子はすぐに部に馴染んだ。

 鏑木はかいがいしくクラッシャア子に学校や街を案内し、黒岩もそれを咎めるどころか奨励し、自分でもこれまでの活動実績を積極的に説明した。

「――というわけで、落武者の怪異を調べに我妻山に行ったんだ」

 二人きりの部室で黒岩はクラッシャア子に前回のフィールドワークについて説明する。

 クラッシャア子はノートパソコンに表示された我妻山の写真を見るため、そっと黒岩に身を寄せる。彼女からやわらかな温度と甘やかな香りが伝わり、黒岩は内心の動揺を抑えるため銀縁眼鏡のブリッジをクイと押さえた。

「これが落武者が写っている写真だ。こいつに重松が狙われている。郷土史を漁るとあの落武者は我妻山あたりで趨勢を誇っていた国人ではないかと推測される。民草の生殺与奪を握り、贅の限りを尽くしていたとの記録が残っている。とりあえず有力な権力者であったことは間違いなさそうだ」

「へえ、そうなんですね。重松さん、大丈夫なんですか……?」

「写真の重松は段々と腐敗してきているがまだ落武者ほどではない。落武者と同じようになる、つまり落武者と重松の婚姻が成立するまでにはもうしばらく猶予があるだろう。必ずなんとかしてみせる」

「さすがです。私、黒岩部長みたいに責任感のある人本当に尊敬します」

 黒岩が断言すると、クラッシャア子との距離が縮まる。そうして視線を移すとしかと目が合う。彼女の瞳は黒瑪瑙のようにつややかでその奥にどこまでも引きこまれてしまいそうだと黒岩は感じた。

「あの、前の高校にはオカルト研究部ってなくて、それで転校したから、どうせなら新しいことやってみたいと思って。それで、だから、私もっと知りたいです」

「ああ。うちには色々資料もあるからな。気になるやつから読んでみるといい」

「はい! でも私」

 クラッシャア子は蜜のようにどろりとささやく。

「黒岩部長のことももっと知りたいです」

「俺のこと……?」

「はい、たくさん教えてください」

「あ、ああ。そんなことでよければ」

 いつの間にか黒岩の手は握られていた。さわりさわりとクラッシャア子の指が無骨な手の甲を撫ぜる。

たまき……」

「そんな他人行儀な言い方イヤです。クラって呼んでください」

「ク、クラ」

「はいっ、クラです」

 クラッシャア子の笑顔は強烈なまでの輝きを放っていた。







 黒岩には同じ部員としてまだ慣れないクラッシャア子に極力親切にするよう言われ、彼女は鏑木の理想を現実化したかのようにとびきり素敵な女の子なのだから、鏑木にとって彼女と一緒にいることは苦でもなんでもなく、むしろ喜ばしいことだった。

 二人で街を回るのはまるでデートみたいだと鏑木は思ったし、実際クラッシャア子も「デートみたいだね」とはにかんだ。そこですぐに「デートだろ」と切り返せなかったことを鏑木は悔やんだ。もしもこれが敬愛する黒崎だったら臆面もなく言えたに違いない。

 だからクラッシャア子に教科書の違いを確認したいから一緒に見ようと誘われた時、鏑木に断る理由は何もなかった。

 二人きりの教室で机の上に教科書を開き、肩を寄せ合ってはここは違うだとか、前の高校ではこうだったとか、お互いの出身だとか、そういう他愛のない話をする。

 時折クラッシャア子は控えめかつ鮮やかに鏑木にふれ、鏑木は己の情熱が徐々に煮え立っていくのを自覚した。

「あのさ、環さ」

 鏑木がそこまで口にしたところで、クラッシャア子が彼の唇にすっと人さし指をのばす。グラウンドで野球部が練習をする声が二人のいる教室まで響いた。

「クラって呼んで」

「クラ」

勝馬しょうまくん」

「クラ」

「勝馬くん」

 にへへと面映ゆそうに微笑むクラッシャア子を見て、鏑木の胸が高鳴る。もはやこの鼓動や緊張がくっきりと彼女に伝わってしまっているのではないかとすら心配になった。彼女から目が離せなくなる。

「ねえ」

 鏑木の耳に蠱惑的なささやき声が注ぎこまれる。

「勝馬くんは、どうしてそんなに優しいの?」

「どうしてって。他も優しいだろ」

「部長は少し言っていることが難しいし、重松さんは私の入部を歓迎してないようだから……」

「あー、そういう」

 クラッシャア子の言い分は鏑木にとって全く理解できないものではなかった。

 鏑木も聡明な黒岩の話を難解だと感じることはあったし、重松が不機嫌になることはわりとよくあることだ。

「ねえ、勝馬くんは他の人にもそうやって優しいの? 私、勘違いしちゃうよ」

「誰にもなんてことない。ク、クラだけだ」

 クラッシャア子のうるんだ瞳、上気した頬、かすかに震える唇。彼女の全てが鏑木を捉えて放さない。

「じゃあ勘違いじゃないって、そう思っていいの?」

「うん」

「嬉しい」

 クラッシャア子が静かに鏑木を抱きしめる。鏑木は夢から醒めるのを恐れるかのようにゆっくりと彼女を抱きしめ返した。

 野球部がバッティング練習する妙に高い音が鏑木の耳に残った。

 

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