第47話

 「ちょっと待てよ。品川は違うだろ?」

 西園寺が怒鳴った。

 「品川は、本気で霧隠才庫を緑川のものにしたんだ。」


 「許せなかったからです。」


 が、つかみかからんばかりに怒鳴る西園寺の言葉を、緑子の静かな言葉が遮った。


 「霧隠才庫。その作品は桜子さんにあげました。名前とともに。ええ私は満足です。その成果が桜子さんのものになっても、霧隠才庫が霧隠才庫である限り、私は全然満足なんです。・・・でもそれは私の分身で、その作品には思いが詰まっています。」

 にっこりと緑子は笑う。

 「霧隠才庫の作品はすべて私が書いてます。ええ、すべて。なのに彼女は言ったんです。BLをそういうものの専門レーベルに霧隠才庫の名前で出すつもりだ、と。それが、私には許せなかった。霧隠才庫はそんなのは書かない。桜子さんの作品を混ぜるつもりはない。


 何度目かの驚愕。

 が、今度は違う。

 殺人の自供。


 「だから、お二人の申し出はありがたいけどお受けできません。私は、あなた方の娘さんを殺しました。そんな私が、あなたがたの子供になることなどありえません。」


 そう言うと、桜子の両親に向かい、緑子は深々と頭を下げた。



 「でも、あなたは花瓶の水を水差しに入れてテーブルに置いただけですよね。いつものとおり、緑川先輩のために、水を用意した。」

 重い沈黙の中、陽介が静かに言う。

 「ええ。それを飲んで、桜子さんは死にました。」

 「そうですね。そうかもしれません。」

 陽介はじっと緑子を見つめる。

 「だけど、そうじゃないかもしれません。」

 「え?」

 「最近、桜子さんは変わりませんでしたか?あなたに対する態度とか、注意を聞くようになった、とか。」

 「それは・・・そうかもしれません。」


 陽介は頷いて、須東から借りている季刊誌を取り出した。

 「これ、分かりますか?」

 「季刊誌?」

 「ええ、このサイン、これ品川先輩が書いたんじゃないですか?」

 キムに別人が書いた物、と言われた冊子を見せる。

 「そう、かもね。いつものサインに似せて書いて、と言われたことがあったから。」

 「これは最新刊です。これはどうですか?書いたのは緑川先輩ですか?」

 「ええそうね。だけどこれが何?」

 怪訝そうにするのは、皆一緒だ。

 だが陽介は満足そうに頷いた。


 「だと思った。たぶん、品川先輩にサインを書いてもらった頃に、何か心境の変化でもあったんでしょうね。もしくは、あなたに霧隠才庫を返すつもりになったか。」

 「どういうこと?」

 「この品川先輩のサインと次の最新刊の緑川先輩のサインだけ、他のサインと変わってるんですよ。」

 言いながら、陽介は他の季刊誌を見せた。


 「緑川先輩って、右とか左とか書くときに、両方横棒から書き始めるんですよ。知ってました?」

 「ええ。」

 「でも、霧隠才庫はそんなことはしない。字の成り立ちを大切にする彼女なら、書き順は間違えない。僕が霧隠才庫が緑川先輩じゃないって思ったのはそこからでした。」

 「そんなことで?」

 「違和感が半端ないですから。で、サインを見たらどう考えても桜の字の女って字、横棒から書いてるんですよね。女は書き順もでしょう?何度も小説の中でその解説みたいな台詞が出てくる。横棒からはないな、って思いました。」

 「確かにないわね。」

 「あ、これ僕だけじゃなくてその道の専門家にも見てもらったんですけども、最新から2つめのは別人がくノ一の順に書いていて、最後のは本人がくノ一、って書いてるんです。ほら、よく見れば書き順分かるでしょ?」

 「・・・ほんとだ・・・」

 「きっとこの前後で何か心境の変化があって、いつまでもあなたにゴーストライターなんてやらせちゃダメだ、って思ったんじゃないですか?まずは作品を真摯に取り組むことから。あなたのように、文字を言葉を大事にしよう、そうとでも思ったんじゃないかって思うんです。」

 

 緑子がジッと見るそのサインを、桜子の両親が、そっと撫でた。


 「春休みに部長さんに、小説を出版社の人に渡すな、なんて言ってたそうですが、それは自分の事でもあったんじゃないでしょうか?たとえば、さっきのBL。ご本人の名か、その本当のペンネームででも見てくれ、と言って出版者の人に渡してないですか?」

 「・・・分かりません。」

 「これは僕の妄想です。霧隠才庫の名がどんどん大きくなって、彼女も困ったんじゃないでしょうか。自分は何も出版してないのに人の作品でちやほやされる。悔しいやら情けないやら、その内心では複雑だったんじゃないですか?そこでちゃんと自分の作品を書籍化してもらおう。そうすればあなたに引け目を感じることはなくなる。だけど、無名のペンネームでは歯牙にも掛けられなくて、結局、霧隠才庫の名を使ってトライしたんじゃないでしょうか。そうしたら、出版社から打診が来た。違いますか?」


 「私には、何も・・・作品の内容以外は、私は関わっていませんから。」

 「その辺りは、部長さんに聞いたら分かるかもしれませんね。ちなみに部長さん。あなたは霧隠才庫が品川先輩だって知っていたのでしょう?」


 「ぼ、僕は・・・ああ。知っていたさ。作品の推敲やなんかの話もしなきゃならなかったからね。当然、あれが品川のもんだって分からなきゃ話になんないさ。で、BLね。BLの話は、その手のレーベルが霧隠才庫の作品を出そうと動き出していたのは本当だ。その前の別名云々は分からん。」

 「そうですか。そこはあくまで妄想ですから。でも、そうなら、霧隠才庫から独立しなければ、と思っていてくれてたとしたのなら、違和感はなくなります。もう一つ聞いて良いですか、品川先輩?あの日あなたは花瓶の水をどこでどうやって水差しに入れました?」

 「え?普通に台所で・・・」

 「やっぱりね。」

 陽介は、にっこりと頷いた。


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