第26話

 「一つ聞いていい?」

 「もちろん。」


 霧隠才庫の名が書籍化デビュー後に決まったこと、その前は本名の英語化GreenRiver=緑川だという。ファンならそれを知っているので、この部の季刊誌を手に入れた者は、すぐに緑川桜子こそが霧隠才庫であると気づき、その作風の差に感銘を受ける、らしい。作風の差ゆえに、さらにのめり込む者と逆に嫌悪する者に分かれる、というのは、その後のリサーチで知ったことではあるが。


 ともあれ。


 その場では、少し落ち着いた須東に、陽介は感じている疑問を投げかけることにした。


 「生きている緑川先輩を見たのは須東さんが最後だって聞いたけど、本当にそうなの?たとえばもう亡くなっていたり、とかはなかった?」

 「先生はお風呂で亡くなってたのよ。ちゃんとお風呂じゃ裸だった。私は服のままでベッドで寝てる先生を見たんだもの。まだお洋服のまま転がってらしたから、その後で脱いだんでしょ?だからそのときは生きてたに決まってるわ。」

 「ちょっと待って。服を着てベッドに転がってたってこと?寝息は?あと、胸が動いてたのを見た?」

 「はぁ?えぇ~。ようちゃんて、以外とエッチなんだぁ。フフフ。何よ、胸が動いてた?って。やだぁ。フフフ。」

 「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなエッチとかじゃなくて、呼吸は確認できたかってことを聞いてるんだよ!」

 「ええ、怪しいんだぁ。でもま、先生が寝息とか、そんなのないない。聞こえませぇん。乙女なんだからね。」

 「じゃあ確認してない?」

 「だって、ベッドルームの外から見ただけだもの。先生、寝姿見られるの嫌がるしぃ。なんかさ、ドレスだからか寝苦しそうにされてたから、入るか入らないかで迷ったんだけどね。」

 「寝苦しそうだった?うなされてた、とか?」

 「違う違う。静かだったわよ。こう、胸の辺りを抑えてたからドレスが苦しいのかな、と思ったんだけどね。」

 そう言うと須東は、胸というよりは、首元である服の襟をつかむ動作をする。祈るようにも見えるその手は、しかし、首元を広げようとしているようにも見えた。


 「えっと・・・苦しそうだったんだよね。」

 「そうだけど・・・」

 「助けようとか、その近寄って服をぬがすとかしなかったの?」

 「・・・はぁ。先生ってば寝姿を見られるの、本当に嫌がるのよ。乙女じゃない姿は、自分のである品川先輩以外見ちゃダメだって。一度、寝落ちした先生に布団をかけようとして、めちゃくちゃ怒られたことがあったから、部屋の外からこっそりと見ただけよ。」

 須東は口の中で、「ああむかつく。」と言ったのを陽介の耳は聞き取り、眉をひそめた。


 「むかつく?」

 「あ、いや、聞かれちゃった?えへっ。いやさ、ほら品川先輩だけOKて、なんかむかつくでしょ?なんであんな人にお世話させてるんだか?そりゃ自分とこの会社のパーティ行くのに事故死した従業員の子だって言うんでしょ?それを引き取って、て話は知ってるけどさぁ。だからってあの特別待遇はないわよね。先輩面してマジうざいし。」

 「品川先輩って、真面目で信頼できるって感じだけど・・・」

 「はぁ?今時お下げで、控えめで、ザ・大和撫子って?ええそうよ。あの人の言うことだって合ってるんでしょうよ。言葉を大切に。その言葉の起源を考えろ。左右って字は似てるようで全然似てない。横棒から書くのは左だけ?はんっ。そんなのどっちでもいいしぃ。」

 次から次に品川の悪口が出てくる。

 と言っても彼女の注意がいかに細かく、現在に合致してないか、そんな感じの主張なだけで、品川の指摘に関心こそすれ、クレームは筋違いだな、と陽介は思ったのだが。


 「まぁ、あのときも、寝ている先生の首元をちょっと緩めるかどうしようか悩んじゃってね。まぁ、結構な時間立ったまま見てたわけよ。でもベッドルームへ入って怒られたくないし、ほらこれで起きちゃったら、二度と先生の側で勉強できなくなるかも、って思ったら、ね。で、考えてるうちに品川先輩ならこんなこと悩みもせずに服を緩めるなり先生を起こすなりするんだろうな、って思ったらなんかむかついてさ。なんであいつだけ、って思ったらちょっと悔しくて涙が出てきたとかきてないとか?慌てて、目元拭って、部屋から出たけど、いやぁ、はずかったなぁ。まさかの延命先輩とぶつかりそうになったんだもん。」

 「そういや、須東さんが遅いからって延命先輩が見に行ったみたい、だよね。」

 「あー、みたいだねぇ。先輩が戻ってくるの待ってたんだけど、結局あの後戻ってこなかったんだよねぇ。あれは、ひっどい顔見られたんだろうなぁ。気まずくて戻ってこなかったんだと思うんだよね、アハハ。」


 苦笑いする須東。

 その様子を見ながら、(好意を寄せる女の子が、涙目で飛び出してきたら、一体、延命先輩は、そのとき何をどう思ったのだろう)、そんな風に陽介は思考の波に陥ったのだった。

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