第24話
緑川桜子。
クラブ活動としてのWEB作家活動で頭角を現し、霧隠才庫の名で多数の書籍化作品を持つ、天才高校生作家。いや、もとは中学生作家だった人。
資産家の一人娘として何不自由なく過ごし、しかも親譲りの美貌で憧れられることも多い。
霧隠才庫としてのマスコミ露出では、無口で控えめな深窓の令嬢。
が、実際は、傲岸不遜、まさしく女王様。
霧隠才庫としても緑川桜子としても、唯一無二、特別な存在としてたたえられた人生。
人と違う特別な存在。
彼女はそれを当然として受け止めたのだろうか。
それともそれを苦悩していたのだろうか。
田宮陽介は、ベクトルは違うものの、自分と同様に、"人とは違う"と思われていただろう、その人の心情に思いを馳せる。
自分は、ほとんど、人との違いなんて気にはしたことがない。
けど、あるときふと思うこともある。「なぜ?」と。
その答えは明晰な頭脳を持つ陽介であっても未だ出てはいない。
ただ、その解を求める手段として、今=高校生たる自分、がいるのかもしれない。
人とは違う自分。
それが個性というもの。
簡単な答え。
十人十色。一人として同じ人間などいない。違うからこそ価値がある。
こんな優等生的な答えは簡単に出せる。
だが、知っている。
その中でも、人は自分とカテゴリを同じくする者とその他とに分ける。
そのカテゴライズはTPOで替わるけれど、いずれにしても自分と他者、と分けるのではなくて、自分の所属する同族とその他、に分けるのが人間というものだ。
そして。
その他、とされた者との接し方。
違うけれど側で存在することを許してあげる者か否か。
許すのであるならばそれは上位者としてか、下位者としてか。
前者としてなら、憧憬なり尊敬なり、その者のもたらす利益をいかに享受できるかが重要で、後者としてなら、被虐の対象として価値を見いだす。
いずれにしても、自分たちとは違うけど側にいてもいいよと感じる者に対しては、その存在価値の故にその許諾が存在する。
人は「そんなことはない」というだろう。だが結局本音はそんなものだ。
逸脱した者は、そのことを本能的に理解する。
人という存在が、群れの中でしか生きられないが故に、逸脱した者にとってそこの理解は必須なのだと知っている。
そうした逸脱者である自分、田宮陽介。
彼は、自由奔放にその頭脳の示すまま生きることで、その居場所を獲てきたのだろう、と、分析する。
そんな風にわざわざ考えることなど普通はないが、ふと、寂しくなるのは自分が逸脱者だと、同じような人が周りにいない、と、思ってしまうが故、なのだろう、と。
そして、同じく逸脱した者であったであろう、緑川桜子。
彼女はどのように感じていたのだろうか。
自分と同じようにふとしたときに寂しさを感じていたのか。
それとも、期待を裏切って、彼らの側にいることが許されなくなることを、恐れていたのだろうか。
そんなことをつらつらと考えながら、同時に、緑川桜子の記録動画の再生を始めた。あやめから時系列のメモとともに新たに獲たものだ。
それは、初めて文芸部を訪れたときに流していたビデオの元になった映像で、西園寺がいろんな場面で撮りためた記録画像なのだという。
主に文芸部の参加したイベントごとの記録が多数。
特に、文芸部では彼女は本名の緑川桜子として活動をしており、そのことはイベントに参加するようなファンは知っていたのだろう。
「時代もの作家霧隠才庫」としてよりも「BL作家緑川桜子」としての自分に誇りを持っていたようで、イベントで、霧隠才庫の作品を称えられるとなぜか機嫌が悪くなる。
「だって、そんな泥臭い作品、わたくしにふさわしくないでしょう?」
そんな風に傲然と言い放つ。
だったらなぜ書いた?そんな疑問にも答えている。
「商業としてならそちらが受けるのが分かってるからよ。私が書きたいBLは、いろんな指定が入るでしょ。それに今は転生ものばかり。わざわざ転生して泥臭い人生を送る主人公なんてのを書くのは、私、生まれながらの耽美の化身、緑川桜子にはふさわしくないでしょ。だからですわ。だから別人格を立ち上げて、とりあえず売れると分かる作品を書いたんですの。あれは計算。クレバーな私の計算された物語ですわ。オホホホホ。」
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