第10話
緑川桜子の実家は、鉄道を中心にホテルや百貨店を経営する一族なんだという。
この清真学園という学校は、金持ちの子女が多く通う学校としても知られていて、裕福な者は多いが、桜子はその筆頭としても知られていた。
一方、品川緑子。
彼女の父は緑川の経営するグループ企業に勤めていたらしい。もともとその父もその企業に勤めていて、最終は役員にまで出世していたということもあり、二人の親同士も親交があったそうだ。
そんな中、緑子が中学生の頃、彼女の両親が事故死してしまう。どうやら会社関連の接待への道中ということで労災認定がなされたため、それなりの退職金やら弔慰金その他が出て、財産的には問題はなかったものの、親戚は誰も快く扶養を引き受けてはくれなかった。
そんな彼女を、桜子の両親が心配し、緑子の要望もあって雇用人として引き取ったのだという。
この話は、あやめの学年の内部出身生では公然の秘密で、緑子は桜子に影のように従っていたのは誰でも知るところだったようだ。
文芸部を訪れた帰り道、あやめからそんなことを教わった陽介。
それにしても、まるで貴族とその従者だな、などと、陽介は思う。
陽介は、ほとんどアメリカにいたが、特に高校や大学では、各国から優秀な人材が集まってきたこともあり、本物の英国貴族や何かとも親交がある。聞き及ぶ彼女の態度が、まるでその貴族と従者のようだ、などと思ったのだ。
とはいえここは日本。
無駄に、などと陽介なんかは思うが、平等を重視する国だ。
人はそれぞれ得手不得手があり、能力も違う。
素の能力も違えば教育環境だって違う。
これにより個人差が出るのは仕方がないことで、残念ながら裕福度に差が出てしまう。
これを極度に嫌う日本のありように、アメリカ育ちの陽介なんかは違和感を覚えてしまうが、それはお国柄だと達観するだけの頭を持ってしまっている。
ただ、金銭的に裕福なだけが幸福度に貢献するなどとも思ってはいないのではあるが。
ともあれ、こんな日本で、中学生や高校生の少女を住み込みのメイドとして雇う、というのはいささか違和感がある。
実際のところは、彼女こと品川緑子の矜持に沿う形で、緑川家が居場所を用意したのだ、とあやめは言っており、実際それが真実なのだろう。そもそもが桜子の遊び相手、という名の役職を与えられているところ、桜子が顎で使うようになり、本当のメイドのように仕えるようになってしまったらしい。
そんな話をした、その週末。
あやめに連れられて、陽介は緑川家を訪れていた。
同級生であり、それなりの親交があったあやめが、お参りをさせてもらいに来た、という体である。
緑川家は、さすがに豪邸であった。
大きな門をくぐると前庭があり、高級車が何台も止まるガレージがその庭に別邸としてある。
洋風の家ではあるが、庭や建材が、外国育ちの者には日本らしい家だ、と感じられた。
重厚な玄関まで行くと、彼らを迎えてくれたのは、桜子の母と緑子だ。
緑子は今日はメイド服ではなく、清楚なシャツとスカート。ただし、お下げ髪は健在である。
「よくいらしてくださいました。」
母親に迎え入れられたあやめたちは、まずは庭に面した応接室へと案内された。
広いその部屋には、ダイニングテーブルと、ソファセットが余裕を持って置かれていて、庭に面した壁は一面ガラス張りだ。
この庭は先ほどの前庭とは違い、全面が芝生に覆われていて青々としていて、なんというか淡くかわいらしい印象を受ける。
白や、薄い桃色の花が多いからだろうか。
感心して庭を愛でる陽介の視線に、ぽつんと母親が語る。
「あの子はね、桜のような花が大好きだったんですよ。自分の名が桜子でしょ?自分にふさわしいのは桜のような花だと言って、白や薄いピンクの花を好んでいましたの。」
そういった母親は。そっとハンカチで目元を拭う。
淡い色合いだ、と思ったのは確かにそのせいなのだろう。
正面の大きな2本の木は桜だ。
ほとんど散ってしまっているが、品種の問題だろうか、うち1本はまだチラチラとその白い花を残している。
他に目立つ木は木蓮か。これも白い花をつけるのだろうか。
そのほかは小さい花が美しい花壇を作っている。
白いスイートピー。
緑の中でチラチラと白い花が覗いてるのはカモミールか。
それにメジャーな感じで水仙、スズラン、チューリップ。
デイジーなんかもあるが、いずれも白、または淡いピンクの花ばかりが、緑の葉に縁取られて咲き誇っていた。
「あの子が好きでこんな風に白っぽい庭にしてしまったけど、今となってはなんだか寂しいわね。1周忌を終えたらこの庭をもっと華やかにしよう、そう主人と言ってるのよ。」
白とピンクと緑が揺れるかわいい庭だが、たしかに少々もの悲しくもあるのか。
そのあと、奥にある仏間に案内され、まだ彼女用に祭壇をしつらえたままの仏壇へと案内される。
ここにも、仏花とは別にきれいな花瓶に、白いスイートピーやらスズラン、マーガレットがたっぷりのかすみ草に彩られて活けられていた。
「みどりちゃんが活けてくれたのよ。生前からいつも娘の部屋には庭で摘んだ花を活けてくれていたの。」
優しいまなざしを品川緑子に向けて、母親は言う。
「本当にみどりちゃんには桜子がお世話になって。わがままな子だったのに、本当によくしてくれたわね。私はね、あなたを引き取ったときから実の娘として受け入れるつもりだったのよ。それなのにあなたも頑固だから・・・でもね、桜子がいない今、本当に・・・」
「奥様、そのお話はお断りしたはずです。お気持ちだけで十分でございますので。」
何か言いかけた母親の言葉を、しかし、緑子は遮った。
「はぁ。この話は追々ね。お客様の前でする話ではなかったわよね。でも、あやめちゃん、あなたからも説得してもらおうと思ってたの。」
「奥様。」
「はぁ。はいはい。ほんとうに頑固。ご両親と一緒ねぇ。でも私も頑固なの。時間がかかっても認めさせてみせるからね。フフフ、ではごゆっくり。」
「あ、すぐにおいとましますんで。わたしたち、品川さんと一緒に文芸部の合宿に顔を出すことになってるんで。」
「そうなの?」
尋ねられ、緑子が頷く。
「そう、なら仕方がないわね。でもまたいらしてね。えっと、あやめちゃんの従兄弟君だったかしら。あなたもまたいらしてくださいね。」
そんな言葉に送り出された陽介達は、合宿所となっているホテルへと足を向けたのだった。
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