魔法少女研究所(前編)

「お嬢様方、ようこそ、魔法少女研究所へ。ここでは私という老いぼれがひっそりと魔法少女というコンテンツについて、研究している。申し遅れた、私は伊月と申す。どうぞ、ごゆるりと……」









 随分と寂れたリゾート地だな、と今なら思えるこの場所には、S県のI市にあった。リゾート地と言うと、大体の人が椰子の木やら青い海を想像するのだろう。だが、そのどちらもそこにはない。あるのは約三十年以上前からある、ぱっと見はマンションにしか見えない貸別荘と、水は透明だが遠目から見ると茶色く濁った海水浴場だけだ。少し遠いところには動物園やレジャー施設らしきものがあったり、反対側に行くと美術館やヘンテコな博物館もあるが。その二つには行ったことがない。小さい頃はここに来るのが楽しみで仕方なかったし、海も釣りも楽しかった。海で拾える貝殻は変わったものばかり、中でも私の一番お気に入りはタカラガイの仲間だった。浮き輪で泳ぐのも私は大好きだった。ぷかぷか浮かんでいるだけでも、楽しいから。夕方や早朝からの海釣りも楽しいもので、大きなテトラポッドが岸を守る波止場で小魚を釣った時は野良猫にやっていた覚えがある。あの時は確か薄い茶色のトラだっただろうか、美味しそうに魚を齧っていた。別の日にはトラではない猫が、私が釣った魚を咥えてどこかへ去って行った。そんな楽しい思い出が沢山詰まっているこの地に、私一人で来たのは当然ながら理由がある。




 昔は車で連れて行ってもらっていたから、通り過ぎるだけだった場所を、今になって急に思い出してしまったのだ。崩れかけた小さな小屋のような場所だが、何の建物だったのかは余りよく覚えてはいない。少なくとも木の大きな看板が屋根の上に掲げられていて、白い絵の具かペンキで何か大きな文字が書かれていた筈だ。真相を確かめるべく、私は思い出の地を一人で旅することになった。




 家の近くの最寄駅から電車を乗り継いでいき、目的地へと向かう。車窓からは住宅街と青空、それとコンビニやスーパー、レストランが見える。行ったことはないものの、スーパーは地元にあるものとは違っていたし、レストランは昔ながらの小さな建物で、二階が居住スペースになっているようだった。通り過ぎたら過ぎたで、記憶には残らないのだが。




 大きな駅を過ぎ、一人また一人と乗客が降りていく。車両の中にいるのは最終的には私と一人になった。別の車両を覗いてみたが、吊り革が揺れているだけで、座席には誰もいなかった。優先席はおろか、普通の座席にも。目的地に着くまでの一時間半、私は窓の外を見ることなく過ごしていた。私は持ってきた黒いリュックの中から一冊の本を取り出し、ページをめくった。






「次は島谷海岸〜、島谷海岸〜。お降りの際はお忘れ物がないように〜……」

アナウンスが流れ、私は本を閉じた。目的地から程近い、ネットで予約していた民宿がある駅だ。ドアが開く前に席から立ち、抱えていたリュックを背負い、手すりに掴まる。季節は春、まだ海で泳ぐ人もいない。窓硝子の向こうには木が僅かに点在しているが、それ以外には海しか見えない。やがて、島谷海岸駅に着き、私は駅のホームに降りた。





 ホームの自動販売機はそこまで新しいという訳ではなく、すぐ近くにある備え付けのゴミ箱も傷などが目立つ。自動販売機のラインナップは定番の小さいペットボトルの緑茶に、オレンジジュース。紅茶や缶コーヒー、コーラなどもある。私はその中から大きなペットボトルの緑茶を選び、手に取った。フタを開け、六分の一くらいを飲み干すと、喉に冷たく苦い水が入ってくる。

「……ふう」





 予約していた民宿は駅から十五分近く歩き、漸く見えてきた。小さな家やコンビニが一、二軒あるだけで車通りも少ない道には信号一つなかったが、道端には数本のたんぽぽが顔を出し、そのうち一本は綿毛になっている。スマホでそれを撮影し、私は遠くにある縦看板に向かって駆けていく。近づくにつれて、書かれた文字がはっきりと見えてきた。スマホの時計は夕方の六時を指している。『茅ノ里』という名前の民宿らしい。漸くだ、漸く着いたのだ。私は心の中でガッツポーズをしながら引き戸を開けた。




「ようこそいらっしゃいました。まずはお食事になさいますか?それともチェックインになさいますか?」

「あ、えっと……。予約していた杉原です!ま、まずは夕ご飯お願いします!」

「かしこまりました」

私は受付にいた中年のおばさんに食堂へと案内された。




 食堂には既に数人いて、私は空いている席に座らせてもらうことになった。中年の男性が殆どで、女性は私と後の一人だけだ。私は彼女の隣に座った。滝沢と名乗る彼女から、私はこんな話を聞いた。

「この辺りに『魔法少女研究所』っていう怪しい小屋があるらしいよ。なんでも魔法少女もののアニメを研究してるんだってさ」

「あの変な小屋、『魔法少女研究所』っていうんですか?」

「そう。あたしが小さい頃からあるんだけど、中に入ったことはないんだ。噂ではキモいオタクが引きこもってるとか、本当に魔法少女モノのアニメのおもちゃとかグッズとかが展示されてて、地下では昔の魔法少女アニメの映画がやってるとかね。でね、展示されてるおもちゃの中には本物の魔法アイテムが混じってて、それが怪現象を起こすって噂だよ」

「そ、そうなんですか?」

「あくまで噂だからねぇ、本当かどうかはわかんないよ」

滝沢さんは半ば困り顔でそう言った。




 十五分後、食事が運ばれてきた。お盆の上には人数分の丼と湯呑みが載っていて、湯呑みからは湯気が出ていた。丼の中身はマグロやシャケといった刺身の上にイクラや錦糸卵、それと細かく刻んだ海苔が散らしてある海鮮丼。

「いただきます」

私は食前の挨拶をした後、醤油をかけてから箸を手に取り、マグロを口にした。





「『魔法少女研究所』かあ……。明日行ってみようかな……」

私の隣でそんな声が聞こえた。

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