登校したら下校しなければならない

 一日の授業が終わると各々が放課後を有意義に過ごそうと教室から出て行く。僕もその一人なのだが、僕の授業は終わらない。そう、ワクワクでドッキドキの課外授業なのだッ! 

「今更だけど早見さんってどうやって学校まで登校してるの?」

 僕は早見さんの机に近づくと当然の疑問を訊ねた。鞄に教科書や筆記用具をしまっている手をとめると、彼女は、「家が近いので自転車です。田中さんもそうですよね?」と小首を傾げながら答えた。

「ご名答。でもどうして僕の個人情報を?」

「ゆうみさんが話しておりました。お二人は幼なじみだとか」

「腐れ縁ってやつだよ。切っても切れない関係だね」

「そういうのって素敵で憧れてしまいます。お互いに信頼しあってるからこその関係だと思いますよ」

「まあつもる話もあると思うので、それは歩きながら語り合いましょう」

 多少の照れくささを誤魔化すために、僕は急かすように促した。早見さんは一つ頷くとスッと席を立つ。

 カボチャの魔法を解くために早見さんはこうやって僕と関わってくれているが、魔法が解けるとこの関係は壊れてしまうのだろうか。不意に浮かんだ疑問に胸がチリチリと痛んだが、そもそも解く方法すらわからないのが現状である。放課後にお喋りをしながら下校したり、動物園で遊んだりしても解決の糸筋が見あたらなかったらどうすべきか、というよりも解決する確率の方が遙かに低いといわざるを得ないのだから、些細なことでも見逃さずに尽力しなければならない。

 しかし早見さんの前では阿呆になってしまう僕でして、少しでも彼女の笑顔を見たいと思ってしまって先のことが考えられなくなってしまう。

 教室から下駄箱の並ぶ玄関入り口、そこから駐輪場へ着くまで僕は早見さんが笑ってくれるであろう「僕の考えたワンダフルな親父ギャグ百一連発」を披露したのだが、結果は……やれやれなんたるものか。早見さんはちっとも声を出して笑ってくれなかった。

 狙って笑いをとろうとすると壊滅的に面白くない。てか普段も全然だけどね、と誰かさんに罵られたことがあるのだが、それを痛感した瞬間だった。

 それともう一つ気づいたことがあった。早見さんと二人きりだと……会話がもたないのだ! 黄昏時の教室では何も感じなかったのだが、二人だけの時間を共有しているのだと意識してしまうと、思考をたくさん巡らしてしまい、頭に熱を帯びてしまうのだ。

 ああ、僕は無力だ。どうしたらいいのだろう。

「ちょっと待ちなさいよ!」

 肩で息をしながらゆうみが僕たちの背後に立っていた。膝に手を当てて呼吸を整えながら、「あたしも、一緒に帰っていい?」と口にした。

 僕は彼女の参上に戸惑いつつも、どこか安堵していた。第三者の介入によって沈黙が回避されるかもしれないという、情けない安堵だった。僕が彼女の華麗とは呼べない参上にツッコミをしようと口を開いたときだった。

「ごめんなさい」

 目を逸らしながら、早見さんは即答した。

 予期せぬ言葉を投げかけられたのだろう、ゆうみは口を半開きにしたまま固まってしまう

 どうして早見さんはムッとしているのだろう。そう疑問を感じた瞬間、僕の脳髄に衝撃が走った。

 もしかして……僕との二人きりの時間を邪魔されたから? そうなのか? そうだったのか? ジェラシーを感じちゃっているのか!

 リンゴーン、とどこからか鐘の音が聞こえた。ああ、この響き快感。

 と妄想してみるも、それは彼女の事情を知っていない場合に限って起こりえることであり、恋愛感情として見られていないとわかりきっているので空しくなるだけであった。だから中庭で僕がゆうみを押し倒してしまったことが彼女の不満を作った原因ではないし、他の思い当たる節もないので、僕の知らないところでゆうみと早見さんの間で何かが起こってしまったに違いない。

「それにゆうみさんは部活動があるじゃありませんか。こんなところにいても良いのですか?」

 静止画のような状態から一点、指先で頬をポリポリとかきながらゆうみはバツが悪そうに、「あはは」と乾いた笑い声を出した。顔は早見さんを向いてはいたが視線は地面に向けられている。

 僕はどうしたらいいものか判断が下せずに黙っていると、早見さんは呼吸を整えるように深く息を吸って、鋭利な刃物のような乾いた音をあげながら細い息を吐き出した。

「行きましょう」

 有無を言わせない冷たい声を出すと、早見さんは駐輪場から一台の自転車を引っ張り出してさっさと正門へと進んだ。僕は肩を落として弱々しい姿をさらけ出している幼なじみに声をかけるも、彼女は瞬きを繰り返すだけで反応しない。

 この場に放置できるほど僕とゆうみの関係は薄いものではないので、残念ながら早見さんの言葉に従うことはできない。

「何か思い当たる節は?」

 ゆうみは相変わらず視線を外しながら頭を横に振る。

「昼までは普通に話していたよね。それから放課後の今まで何かあった?」

 ゆうみは壊れた人形のように同じ動作を繰り返す。

「そうすると原因は昼休みの間に生じたことになるね。昼に起きたことと言えば……」

 あれ? これはまずい。僕が一抹の不安を抱くと同時にゆうみが声をしぼり出した。

「……あんたとあたしが中庭で重なり合ってたのが原因だったりして」

「それが原因で嫉妬してくれているのなら嬉しいけど、まあないだろうね」

「なんでそう言い切れるの。あんたたち……いい感じじゃない。一緒に下校するし動物園行くし、相談事だって……」

 ゆうみはゆっくりと僕に目を向けた。今度はこっちが視線を外してしまう。それはやましいといった理由ではなく、彼女の目の縁に溜まったものを見てられなかったからだった。

「なんで目をそらすわけ?」

「熱い視線をおくってくるからだよ。僕は恥ずかしがり屋なんだ」

「意味わかんないって、それ。嘘ついてるのバレバレだから」

「ごめんなさい……」

「あんたのごめんなさいは聞き飽きたわよ」

「すみません……」

「謝れば済むって考えが甘い」

「そうそう、昼と言えば」

「何よ」

「おにいちゃんCDの女の子、何となくゆうみに似てなかった?」

「ふふっ。殴られたい? 今関係ないでしょ?」

「だよねー」

 僕は思わず吹き出してしまった。それを馬鹿にされたと捉えたのだろう、ゆうみは僕の胸ぐらを締め上げた。

「おのれ、何が可笑しい?」

 僕の靴がアスファルトから離れて息苦しさに咽喉を詰まらせていると、空中で身体をガクガクと揺す振られた。

「しばいたろか!」

「しゃ、シャツの……ボタンが……飛ぶ……」

 しばらくして解放された僕は、アスファルトに女の子座りしながらゆうみを見上げた。

「いやん」

「キモい」

 周りの生徒の視線が集まってきていたので、僕は子鹿のように立ち上がると自分の自転車の鍵を外してハンドルを握った。

「よし、じゃあ行こうか」

 ゆうみが顔色を変える。

「あたしが一緒で……いいのかな」

「じゃあこのまま部活に行く?」

「……嫌よ」

「よし、走り出せ! 明日を向かいに行こう!」

「あたしの好きな山風の歌を引用してんじゃないわよ」

 校門の脇で律儀にも佇んでいた早見さんを捉えると、僕は彼女に手を振った。早見さんは僕たちを一瞥するとさっと姿を消してしまう。僕はゆうみに、「ほら、なんだかんだで待っててくれたんだよ」とニヤニヤしながら言った。彼女は唇を尖らせると僕のオンボロ自転車の前籠に手をのせて、ふんっと鼻を鳴らす。

「山嵐のこと興味なかったんじゃないの?」

「だってあんなにしつこく進められたら気になるだろ。あの映画だってしっかり観るよ」

 ゆうみは、「バカ」と呟くと自転車のベルを勢いよく鳴らし、少し照れた表情で先に歩き出した。

 僕たちが追いついても、早見さんは一向にゆうみを見ようともしなかった。僕は早見さんにこれからどうするか訊ねてみる。このまま帰路につくわけではあるまい。

「寄りたいところがあるのですが、ご迷惑ではありませんか?」

「全然迷惑じゃないよ。むしろご褒美です」

 さすがに歩道を三人並んで歩くわけにもいかないので、早見さんの後ろに僕とゆうみが追従する形になった。しかし会話は僕と早見さんだけでゆうみは黙ったままなので、端から見ると変な関係にしか見えない。

 早見さんの自宅の場所を訊ねると、ある特定の場所までは帰り道が一緒だったので、それほど一緒の下校に難儀する心配はないようだった。目的地は町中の一角にある行きつけの古本屋らしい。そこまでは見晴らしの良い大通りを歩くため、車の往来が激しいものの変質者に絡まれる心配もないので僕は安心した。余計な心配だとわかってはいるが、僕みたいな下心満載の男となんの疑いもなく下校してくれる天使な早見さんには、僕と同族の輩が近づいてくるに違いないからだ。

 そう思うと、あながちこの心配は冗談では済まされないのではないか、と不安になる。早見さんを他の男が黙って見ているわけがないではないか。

 よし、探ってみるか。

「いつも『男』と遊んでいるから、早見さんと一緒にこうやって下校するってなんだか新鮮でいいね。なんだかお花畑にいるようだなッ!」

 普段よりも僕は「男」を強調してみる。

「私は男性同士に見られる泥臭い関係というものに憧れてしまいます。小説でよくありますよね? 河原で殴り合って、最後は二人とも大の字になって空を見るという展開です。それって凄く素敵じゃありませんか?」

「『男』の友情を美化しすぎだよ。現実はもっと酷くて残酷だ。喧嘩に負けたら小指を切りとって相手に差し出さないといけないんだよ」

「それは本当ですか?」

「冗談です」

 僕の背中に拳が当たった。いつもはもっと勢いのあるツッコミが繰り出されるはずだが、早見さんが近くにいては怖じ気づいてしまうのだろう。おいおい旦那、ネコパンチですかい。

 とそれはさておき、今のやりとりでは早見さんが男子とどれくらい関わってきたのか推察することはできない。唯一わかったことは、僕は相手から情報を引き出す技術をまったくといっていいほど持ち合わせていないことだった。

「どうかしましたか?」

「こういう平凡な会話を交わせるって幸せだなあって思っていたんだ」

 早見さんは小首を傾げながら頭上にエクスクラメーションマークを浮遊させている。その愛くるしい姿を見て頬をゆるみそうになったとき、僕は自身の思慮の浅さに気づいた。早見さんにとって男子と女子の違いがあまり意味をなさないとしたら、過去の男子との交友にふれてもそれほど嫌悪感を抱くことはないはずなのだ。遠回しに探るのではなく、ストレートに訊ねることにした。

「ところで早見さんは、男子と下校はしたりするの?」

「なんなのよ、その質問は!」

 ゆうみの手の甲がツッコミとなって僕の頬に当たった。後ろから無理矢理ツッコミを入れたゆうみは、崩れた体勢を整えながら顔を歪めている。ツッコミ衝動を抑えきれなかった自分の不甲斐なさを嘆いているのだろう。ゆうみよ、まだまだ修行が足りんぞ。

 隣でクスッと笑い声がした気がしたので振り向くも、不自然な無表情面をしている早見さんがいるだけだった。うちに秘めた笑いを押し込めているのだろう。彼女はピクピク震える唇を、そっと開いた。

「男の人と一緒に下校ですか? そうで、ぷぷっ!」

 ああ、早見さん! 言葉を発するには早すぎですよ。変なところで吹き出してしまったではありませんか。

「だ、大丈夫?」

「大丈夫とはどういう意味でしょうか? わた……しは正常でしゅよ」

 気まずい空気が漂う。これはツッコミを入れたら負けなのか。どうなのか。僕が考えあぐねているうちに早見さんは言葉を続けた。

「私は正常ですよ」

「いったい何が、起こっているというの」

 ゆうみの戸惑った声が背中に聞こえた。

「下校の件ですが……男の人とはあまりな、ぶふぉッ!」

「あああ! あーあーあー」

 僕は笑い声を打ち消そうと大声を上げた。早見さんがお嫁に行けなくなってしまう。

「落ち着いてください早見さん。まずは深呼吸を」

 僕たち三人は足を止めて一斉に深呼吸をした。心が落ち着く。そして空気がうまい。

「あまりないですね、下校。男子と。元々一人で帰ることが多いですし」

「誘われたりはしないの?」

「大抵はお断りしていました。しかし稀に引き下がらない人もいますので、そういうときは、一緒に帰りますが」

「男子というのはゲスな生き物ですな。まったくけしからん」

「そんな。みんな優しく接してくれますよ」

 僕は、「いや、気をつけた方がいいよ」と頷くも、今のやりとりで彼女が酷い状況には陥ったことがないことを察したので安堵した。だから彼女が、「だけど」と続けても、別段身構えはしなかった。

「数日経つとみんなよそよそしくなって、一緒に帰ってくれなくなります」

 不意打ちだった。温かかった早見さんの言葉は、反則なくらい唐突に温度を失っていた。僕は言葉に詰まる。強がっているのか諦めているのかそれとも他のなんなのか判然としないけれど、言葉とは裏腹に彼女の面持ちが平然としたものだったことが僕を戸惑わせた。

「なんでだろう……ね。早見さんと一緒に帰れるって、それはもうご褒美だろうに」

「そんなこと言ってくれるのは、田中さんだけですよ。お気遣いありがとうございます」

 早見さんは口元に手を当てながら微笑んだ。言葉の温度は戻っていたが、先ほどの「温かくもなく、冷たくもない。まるで色のない温度」が頭から離れずに、僕の不安に絡みついてくる。

「でも、何となくわかります。きっと原因は私にあるんです」

「何となく原因は早見さんにないと、僕は思うんだけどね」

「いいえ、何となく絶対に私のせいです」

 何となくなはずなのに、これほどまで頑なに自分が原因だと言い切れるのは、何故なのだろうか。自分に非があると思い込むことでショックを和らげている、といった感じではない。本当に彼女が原因なのか。その答えは数日後にはっきりとするのか。

 もし仮に原因が判明したとしても、早見さんを悲しませることは絶対にしないと僕は強く思った。

「到着です」

 いつの間にか目的地である古本屋に到着していた。

 ただの古びた木造家屋が僕たちの目の前に佇んでいる、と思っても良いほど、その本屋は本屋たらしめる要素が外観には見受けられなかった。曇りガラスが埋め込まれた入り口の引き戸は見ただけで軋んでいるのが予想できるほど歪んでいるし、外壁の板張りは所々雨風によって腐食している。風化が進行して崩壊しそうな二階建ての木造家屋にしか見えず、それ以外で形容してしまうと、逆にこの家屋に失礼なんじゃないかと思えるほどの家屋っぷりだった。

「ここは本当に古本屋なの?」

 失礼ながら古いのは本ではなくて建物そのものではないのか、と感じずにはいられない。

「老舗中の老舗です」

 早見さんは勝ち誇ったように僕を見ていたけれど、何が彼女をドヤァとさせているのか察することができなかった。

 引き戸を開けると見渡す限りの本棚の列が僕の視界一面に広がる。それは本棚と本棚の隙間が狭くて人がすれ違うことができないほどなので、それほど店内が広くないにもかかわらず、古本の冊数といったら市で運営している図書館並はあるのではないだろうか。

 本棚の奥にはカウンターが設けられており、店主らしき割烹着姿のおばあちゃんが船を漕いでいた。商売ッ気ゼロである。

「いろんな意味で凄まじいお店だね、ここは」

 本棚の威圧感に思わず呟いてしまった僕に早見さんは満足そうな顔を向けてきた。ここにはどれだけ貴重な古書が眠っているのか彼女は蕩々と語り始める。この一角にはこんな内容のものがあって、自分のお気に入りの本はここで、と指示棒のように人差し指で示しながら楽しそうに早見さんは目を輝かせていた。

「ああッ!」

 早見さんが口元を掌で覆いながら叫んだので、僕は驚きのあまり飛び跳ねそうになる。

「どうしたの? もしかしてGが現れた?」

「なくなってる……」

 早見さんはがっくりと肩を落として、静止した。それは「早見さんと春の空」という言葉があってもいいくらいの変わりっぷりだった。僕は彼女の顔の前で何度か手を振ってみたが完全に電池が切れてしまっていた。微動だにしない。カウンターを見やるとおばあちゃんはボートを漕いでいた。たぶん夢の中でレガッタにでも出場しているのだろう。

 察するに前々から狙っていた本が売れてしまったようだ。早見さんがショックで放心状態になったので、僕はゆうみの姿を探すことにした。店内のどこにもいないので、いったん外に出ると軒下のベンチで休んでいた。訊ねると、膨大な量の古本に酔ってしまったらしい。本といったら漫画くらいしか手にしないゆうみにはこのお店は敷居が高いようだ。道路を挟んで向かい側に自動販売機があったので適当な飲み物を買って彼女に投げると、僕は店内に戻った。

 早見さんは一冊の古書を胸に抱えて、頬を蒸気させていた。

「これを見てください! 欲しかった本がありました!」

 僕の目の前に突き出された表紙のタイトルは「悪者は地獄へ行け」しかも赤い文字である。

「なんと物騒な」

「これは買うしかありませんね」

 値段がどれくらいするか訊ねると、想像を遙かに超える金額が返ってきて、僕は震えた。早見さんはお金持ちなのか。

 早見さんはご機嫌に鼻歌を歌い始める。ゆうみがいないので丁度いいと思い、僕はカボチャのことについて訊ねてみようと口を開く。

 しかしその前に早見さんが鼻歌をやめて、僕に言った。

「先ほどのことですが、気にしないでくださいね」

 なんのことかわからなかったが変に訊ね返すと早見さんに悪いと思い、僕は無言で彼女を見つめた。

「下校のことについて話してから……なんだか田中さんの口数が少なくなったような気がして。すみません。いつも私のことを気にかけてくださっているのに、余計なことを話してしまいました」

「違うよ」

 不覚にも少しだけ声を荒げてしまった。早見さんの「いつも私のことを気にかけて」の部分に、理不尽にも苛立ってしまったからだ。

「……違うよ」

 僕が早見さんと一緒にいるのは安っぽい正義感や同情などではなく、ただ一緒にいたいだけで。それは下心であって彼女が気にするものではないのだ。

 彼女の瞳にはカボチャしか見えていないのだと想像するも上手くいかなくて、それが無性に相手との距離を浮き彫りにさせる。速いな、と焦ってしまう。僕の中で彼女の占める割合が大きくなっている。広がる速度が速い。

 僕は我が儘な性格なのだと自分自身に呆れてしまう。

「早見さん、一つだけ知っておいた方がいいことがある」

「……はい」

「僕は変態だ」

 ふぉがッ! 奥の方からおばあちゃんの寝言が聞こえた。

「変態……ですか」

「ああ、変態というのは自分のことで精一杯なんだ。だから他の人に気を配る余裕など持ち合わせていないんだ。変態の行動原理は欲求なのだから」

 早見さんは僕をじっと見つめて、「変態」と呟いた。

 たぶんその「変態」は僕に向けた「変態」ではなくて、言葉の意味をかみ砕くための「変態」だと思うのだが、なんだか「この変態」と罵られたような気分にもなって、僕は新たな自分を見つけたような変な気持ちになった。

「しっかりと覚えておきます」

「大切なことだから忘れないように」

「承知しました。そういえば、何か言いかけてましたよね?」

「ちょっとだけカボチャのことで疑問に思ったことがあってね。ゆうみが一緒だと訊けなかったから」

「じゃんじゃん訊いてください」

 僕が口を開こうとしたとき背後から、「あたしの名前を呼んだでしょ」とゆうみの声が聞こえた。いつの間にか店内に入ってきていたようで、傍らの本棚に手をつきながら気分が悪そうに顔をしかめている。

「やあ。くしゃみでもしたのかい? ジーザス」

「何馬鹿なこと言ってんのよ。まあどうでもいいけど」

 ゆうみの顔色は依然として真っ青で、見ているこちらが痛々しく思えるほどだった。疑うように目を細めながら唇を尖らせている幼馴染みの両肩に手を置いて、僕は彼女の身体を半回転させると、そのまま入り口の方へと歩かせた。

「まだ顔色がよくないよ。ほら外へ行った行ったハウスハウス」

「う、うっさいわね。言っとくけどあたしはそんなにヤワじゃないから」

「買いたい物も見つかったことだし、そろそろ出ようか」

 早見さんは頷くと、会計をするためにカウンターへと向かった。僕はゆうみの肩から手を離して軽く背中を叩くと、「すぐ戻る」と言い残して会計中の早見さんに歩み寄る。

「先ほどの続きですが、疑問とはなんですか?」

「そのことは後でゆっくりと訊くことにするよ」

「そうですか……わかりました」

「今すぐに訊かないといけないほど時間がないわけじゃないしね。これから何度も一緒に下校、するわけだし」

 なんだか愛の告白じみた台詞になってしまい、少し恥ずかしかった。早見さんが何か言う前に、僕はゆうみの元へと戻る。

 早く外の冷たい空気を吸いたかった。まったくやれやれ頬が熱い。

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