黒い箱
我ながら素晴らしい商売を始めたものだと感心している。
そう自画自賛する男の商売の始まりはこうである。当時この男は父のあとを継いで始めた古美術商の仕事をしていた。ある時老婦人の依頼で死んだ主人が残したという諸々の品物を引き取りに行った際、それとは別にその家には、いわゆるいわくつきの品というものがあり、できることならそれも同時に引き取ってくれないかという頼みをされた。
老婦人の深刻そうな表情と、持ち出して見せてきた何の変哲もないよう見える皿らしきものとのアンバランスさに、どこかいたずら心を抱いた男は冗談のつもりで、他の品物の引き取り価格を半額にしていただけるならと神妙な面持ちを作って答えた。すると、元より金銭に困っている様子でなかった老婦人はこれを二つ返事で快諾した。
それから店にもどって商品を取り出している際、さすがに店先に例の皿を並べるのはまずいか、という気持ちになった男は気まぐれからオークションサイトへこれを出品してみた。どうしたわけかその値段は次々と高騰していき、結局その値段は老婦人から買い取った他の品物すべての売値を合わせたものを上回る結果となった。
それ以来、買取を希望する客にそれとなく尋ねる形で、そうしたものを所有しているのかどうか確認してみると、件数こそ少なかったが、時折そうした物品を手にしてしまい手放せずにいる古美術品の収集家などが存在していることが分かった。
そこでそれらの物品の引き取りを提案すると、大抵の場合二束三文で商品が手に入るだけでなく感謝までされ、またネットオークションでそれらを販売することによって店の売上は右肩上がりとなっていった。
やがて、男の店はそうしたいわくつきの品の引き取り場のようになってゆき、男はそれからは店内の古美術品はすべて売り飛ばしてしまい、先代から軒先にかかっていた店の名の書かれた暖簾も取り払ってしまい、それに変えて黒一色の丈の短いものを掛け、自身の服装にしても、それまでのスーツ姿から黒い作務衣へと変更し、営業へ向かうのもやめて訪れる客を待つだけに変更した。
ある日、男の店につばの広いハット帽をかぶりロングコートを着た長身の男が訪れた。
男は店に入り、席に着くとすぐに抱えていた風呂敷を広げて、包まれていた黒い立方体の箱を取り出して見せた。
「こちらの箱を……」
「箱、ですか……」
「ええ、ただ詳しいことをお伝えすることは……」
「いえ、かまいませんよ、そうした事情にまでは踏み込まないと決めておりますので」
「それでは……」
「はい、問題ないようでしたら、このままうちでお引き取りさせていただきます」
「あぁ、ああ、それは本当にありがたい。何卒、よろしくお願い致します」
そう言うと客の男は深々と頭を下げて去っていった。
男はテーブルに置かれた黒い箱をしばらくながめた後、思い立ったようにそのフタを持ち上げてみた。すると箱の中にもまた箱があり、繰り返してフタを持ち上げてもまた箱があった。
これまでの経験から、いわくつきと一言にいっても必ずしも心霊や呪いといったものに限らず、異様な意匠が施されたものや、理解困難な構造物や、おそらくは自作の言語で書かれた巻物などといった理解されないが故、気味悪がられる特殊な美術品もその中に含まれていることを理解していた。
そのため、この箱もそうした類のものではないかと考え始めて、天井のランプにフタを透かして見ると真っ黒な厚紙のようなものでできているかに見えたそれは、実際には大きな紙を折りたたむことにして出来上がっているようで、複雑な折り目がその内側に見て取れた。
折り紙でそのようなものがあることは知っていたが、目の前のものほど複雑であった記憶はない。ということは、この箱を形作っている折り紙の技術というのはどういうわけか現代には伝わらず、そのまま長年放置されてきたのだろうと考えるに至った。
連続した入れ子構造の箱の中には何かがしまわれているのか、それとも何もないのかという疑問が生じて、まじまじとフタの内側を眺めていると、ふと箱の中にはこれの製法が記された何かが収納されているのではないかという考えが浮かんできた。
(そうであればもうけもの、また何もなくとも結局いつもどうりオークションに流すだけだ)と、男は全ての箱を開いてしまおうと決めた。
そうして延々とふたを開けていくと、やっと最後の箱のフタを開け終えた。そこには、小指の先ほどの小さな巻紙のようなものが入っていた。
(やはり、思ったととおりだった!)と興奮気味の男がそれをつまみ上げようと指をそこへ向かわせると、目測を誤ったのか掴むことができなかった。何度か掴むのを失敗したのち、ようやく手が白い巻紙に触れた際には男の腕は肩まで箱の中の闇へと沈んでいた。
手が触れると、巻物だと思っていたものは急に男の掌にへばりつき始めた。男が慌てて腕を引き抜こうとしたが、うまくいかず、それどころか内へと引き込む力が強くなっていた。
またそうこうしていると、バサッ、バサバサバサッという音がして、先ほど開けた箱が折り目をほどくように展開されてゆき、まるで羽ばたくように動きながら、身動きの取れない男をくるみ始めた。
残りの箱も同じようにして、小さいものから順に前の箱をくるむということを繰り返していき、やがて元の黒い箱の形へと戻った。しばらくして箱のそれぞれの角の部分から赤い液体がしたたり落ちた。
カラカラカラという音がして閉まっていた店のガラス戸が開いて、そこに先ほどのつばの広いハット帽をかぶってロングコートを着た長身の男が入ってきた。
「理屈のわからないことに手を伸ばすべきではなかったな」そう言うと男は、箱を持ち上げて天井のライトにかざすと、「しかしまぁ、完成には程遠い」とつぶやいた。
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