第3話



 「田井中太一と申します、頑張っていきますのでこれから宜しくお願いします!」


 新しい仕事場での初めての顔合わせである。

 俺の挨拶のあと、太一の挨拶が終わると、拍手で出迎えられた。

 太一はあの後、美知留さんとのお見合いが上手く運び、結婚を前提として付き合う事になった。

 お付き合いする事の決め手は、美知留さんの趣味も釣りであったらしく、意気投合したらしい。

 美知留さんはシングルマザーで、父親を頼る事なく娘を幼稚園に通わせてる間、仲居として働いていたのだとか。で、それを助ける事にした熊谷は、月に二三回泊まりがけであの宿を利用していたらしい。

 熊谷の奥さんは、畑をやっているらしく、毎日忙しく楽しみながら農地を営んで、安く野菜をあの宿に卸しているのだとか。夫婦揃って泊まりに行く事は余りないが、娘と孫娘を大事に見守っていたそうな。

 そんな折に俺が突然お見合いなんて始めたばかりか、それがうまく行っちゃったもんだから熊谷だけが、今回のやらかしに未だに不機嫌さを醸し出していて、挨拶の終わった俺達二人に冷たい視線を送っていた。

 ちなみに太一は、元々都内で鳶職をしていたのだが、美知留さん恋しさに熊谷に拝み倒して仕事を斡旋させた。

 熊谷も熊谷で、今まで趣味の釣りを封印して娘の為に働く美知留の姿をみていて、心苦しい所があったらしく、太一と見合って結婚前提で付き合う事になった後、嬉しそうに楽しそうに釣具の手入れをしている姿を見てしまい、如何にかしたくなってしまったのだとか。

 憎々しげにその時の事を話す熊谷だったが、週末になると一人娘を連れて太一と釣りに出かける姿に奥さん共々ニコニコ笑顔で手を振って送り出すのだそうな。


 太一はこれから、木を間引きして切った材木を加工業者に売ったりする仕事に付くらしいのだが、先ずは現場で仕事を覚えるらしく、早々に先輩方と出て行った。

 俺はといえば、何故か所長のはずの熊谷が指導者で、軽トラに乗って狩猟禁止区域の巡回をする為のルートを地図で確認し、今から向かう為に運転席に座っている。


 「おい、早く車出せ」

 「いやいや、なんで所長のお前が俺の指導なんてやってんだよ! おかしいだろ!」

 「うるせー! お前は放っとくと碌な事しやがらねーだろ! それに登紀子さんからもお願いされたんじゃ、俺以外の適任者はいねーんだ! 分かったらとっとと大人しく運転しやがれ!」


 「まったく、いつの間にか登紀子さんを口説いて落としたかと思ったら、娘まで……やってらんねーぜ! くそがっ!」


 「お前だって喜んでたじゃねーかよ……」

 「娘が幸せそうにしてんのに、喜ばない親がどこにいる⁉ 早く車出せよ」


 「いや、初めて走る場所なんだから教えるなら、指導する所長が先ではないのですか?」


 そう言うと「あ……」と、マニュアルにある指導方法を思い出したらしく、運転席から俺を追い出すと、助手席から席を移り、ハンドルを握る。


 「さっさと乗りやがれ! ド新人!」


 「はいはい、よろしくお願いしますね先輩」


 そう言うと、扉を閉める前に走り出す。

 「おまっ! シートベルト閉めてねーぞ!」

 「うるせぇ! 山ん中じゃ警察なんていねーよ! しがみついとけ! 惚気野郎が!」


 「何だよ惚気野郎って!」


 ガタガタと揺れる車内、吊革みたいな物に掴まりながら、片手でシートベルトを締める。

 そして、訳の分からない事を言い出した熊谷に文句を言うと何故か涙声でその理由を語りだした。






 太一と美知留を部屋に残し、熊谷と一緒に肩を掴まれた俺達は、妻の登紀子に説明する為、ロビーに来ていた。

 そこで、詰め寄る登紀子を宥めつつ、巧い言い訳を考えていたが思い付かず、正直に自分のこれ迄の辛い日々を告げると、登紀子は泣き崩れてしまった。

 そんな俺達を見ていた熊谷は、人目も憚らず泣いてる登紀子を俺に宥めるようにと目配せすると、席を外していなくなった。

 登紀子は、俺が定年を迎えて仕事を辞したら、一緒に旅行に行って楽しく老後を過ごせるように、釣りの出来る場所を探していたのだそうだ。

 今まで我慢して趣味を楽しめなかったのだから、海外の海で思う存分楽しんで欲しかったのだそうな。

 それと、俺に弁当を作るのを趣味にしていたそうで、もう少ししたら終わると思うと悲しくて、それが15年も増えると思ったら嬉しくて、俺の辛さに気付けなかったと謝ってくれた。

 そんな事を言われた俺は、残りの十五年を妻の顔を見ずに過ごせると思っていた自分が恥ずかしくなり、その場で土下座して謝ったあと、片膝を付いてプロポーズし直していた。


 そんなシーンを熊谷は間近で見てしまったらしく、件の惚気野郎と罵ったのだそうな。

 因みに熊谷は、俺達の為に……というか、登紀子の為に部屋を追加で借りてくれたらしく、そのまま俺達は年甲斐もなく愛し合った。


 その声が少し漏れていたらしく、熊谷は美知留と和気藹々で歩いていた太一に八つ当たりして、美知留を仕事に戻した後、二人で飲みに出かけたらしい。


 その事を涙ながらに語られた俺はなんと言ったら良いのか分からず、頭を掻くしか出来なかった。


 妻は翌日、太一と一緒に帰っていったが、週末の初デートの日に一緒にやって来て、俺を伴って源流釣り場 忍人牧場へ行き、太一達とは別の場所にキャンプを張った。

 妻曰く「ダブルデート」らしい。

 俺はといえば、初めての釣り堀デートで盛り上がり、太一達も交えての釣り勝負を行ったのだが、ズタボロに負けた。

 一番は妻の登紀子で、2番目が美知留さん。3番目が太一で、4番目が美知留さんの娘の由佳ちゃんだった。


 流石にこの結果にショックだった俺は、楽しい筈の釣り堀デート中にもかかわらず、しょげかえっていた。


 妻曰く「私って昔から何でも上手くやれてて、実は釣りも二三回桜井さん達と行ったのよ。あ、結婚前の話ね? 浮気じゃ無いわよ! やーねー! で、その時から一番釣れてたのは私だったのよ、だからってことも無いんだけど、あなたって勝負事にはめちゃくちゃ弱かったでしょ? だから遠慮というか……その……唯一の趣味を辞めてほしくなかったのよ」


 つまり、釣り堀に一緒に行ったとして、俺よりも釣りが上手かった場合、俺が釣りを辞めてしまうんじゃないかと心配になり、太一に頼んで一緒に送り出し情報を後から聞いて、老後の構想を練ったらしい。


 で、今回は色々と話しをして愛し合ってもいたし、今更自分と釣りに行っても大丈夫だろうと思って、ダブルデートを決行したのだそうな。


 そんな事を聞いたら、しょげかえってる自分が恥ずかしくなり、照れながら釣り勝負で一番になった妻を祝福して、思わずキスをしてしまった。


 太一はウワァって顔をしていたが、美知留さんは羨ましそうにしていて、その温度差に二人で笑ってしまった。


 その話しをルートを廻りながら熊谷に言うと、益々車の運転が荒くなり舌を噛みそうになった。


 「お前は! 本当に! 昔から! 苛つく野郎だ! バカヤロー! 俺は!登紀子さんに振られてから! 登紀子さんに似た今の妻を見付けたんだ! だけど、そんな惚気を聴いたら羨まし過ぎるだろがー! わーっ!登紀子さん可愛すぎる! 俺に寄越せー!」


 とか、叫んでいたのは聞かなかったことにした。





 そんな初日だったが、二ヶ月も過ぎれば笑い話になる。


 今日は、指導者の熊谷は本職の所長の仕事があるらしく、隣には座っていない。そして、代わりに座っているのは息子だった。


 「安全運転でお願いしますねー」

 「うーい」


 太一と一緒なのには理由があって、間引きする木を探していたら、妙に拓けた場所があり、其処に畑があると聞いたからだった。

 ここは国有林であり、勝手に山に入っては行けない場所である。それなのに、切り拓いて畑まで作っているとなると、大問題だった。

 その場所は、俺が巡回するルートから少し奥に行った場所だったらしく、俺は太一を案内役にして、確認しに行くことになったのだ。


 「太一、本当に畑だったのか?」

 「雑草が生えていたけど、絶対人の手が入ってると思うよ?」

 「じゃあ、畑を作ってるって訳じゃないのか?」

 「先輩が言うには、畑みたいだったらしいけど、俺が見た訳じゃないから」

 「そうか、取り敢えず行けばわかるな」


 そう言って車を走らせ、件の場所に付いてから歩いて向かう。


 一見何の変哲もない山林が続いていたが、突然切り立った場所に出たかと思ったら、そこだけぽっかりと開けていて、本当に誰かの手が入っている様に見えた。


 俺達は一応警戒して、辺りに目を配りながら誰か人がいないか確認しながら歩む。




 「ねぇ、父さん」

 「なんだい? 息子よ」

 「あそこで鍬を持って畑を耕してる人、見えてる?」

 「ああ、見えてるぞー」

 「じゃあ、その人がウサギみたいな姿にも見えてるよね? 見間違いじゃないよね?」

 「息子よ……俺にもそう見えてるから、安心……していいぞ?」

 「安心していいの⁉ 本当に⁉」


 俺の肩を掴んでガクガクと揺する息子を止めることなく、俺は如何しようかなーと悩み、一度持ち帰って熊谷と相談の上、ヤツも必ず巻き込もうと心に決めて、その場をあとにした。


 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る