第2話



 嬬恋温泉で二泊ほどした後、宿を後にした俺は源流釣り場 忍人牧場に来ている。長年釣り堀で過ごしていた俺だけに、釣り堀巡りをするのは如何かと思ったのだが、キャンプに温泉が出来る場所を探した結果がここだった。


 折角キャンピングカーを誂えたのだから、利用しないで如何すんの?っという、息子からのメールを貰ったからではない。 全て俺の独断である。 最初から決めていた……訳ではないが、結構苦労して作り上げた物だったし、作り掛けのベッドや机などを作り足せば完成だったからでもある。

 作業中に息子から連絡を受け、駅へと迎えに寄る前に、近くのスーパー等で食材や酒なども買った。


 「父さん……母さんすっげぇ怒ってたよ? 大丈夫?」

 「言うな。 今は忘れたいんだ。 お前……行き先は伝えて来なかっただろうな?」

 「言う訳ないっしょ? 言ったら今頃、横に座ってるのは俺じゃなくて母さんになってるよ?」


 息子の太一は俺以上の釣好きで、海や川にと毎月忙しく遊び廻り、結婚のけの字も出て来ない。そこは、父親としても何か言いたくもなるのだが、唯一の趣味の釣り友達であるので、あまり強く言ったことはなかった。 息子であっても味方は多い方が良いのである。


 「横に母さんが居たら釣りどころではなかったな……」


 俺の妻は釣りが嫌いなのか、俺と一緒に釣り堀に行くのを嫌がった。

 だから今、横に座っているのが妻だったらと考えるとゾッとした。もし居たら、「温泉地に来ているのなら、温泉地を巡るべきだ」と言うに違いないからだ。


 「そうでしょ? だから感謝はして欲しいなぁ」


 息子の太一は、俺や妻と一緒の家に住んでいる。勿論生活費などを入れているので、文句は無い。

 妻に見付からずにコッソリ家を出るのは意外と大変だったらしく、キャンプで焼く肉の質をご褒美に上げてくれと頼んでいたので、ちょっとお高めの肉を2キロほど買って置いた。


 「分かってるよ」


 親子二人で今夜の肴の話に色めき立ち、釣り堀ではあったが色々楽しめる場所でもある様で会話は盛り上がって

行く。 色気はまるで無いのだが、お互いの趣味が釣りなので、到着するまで飽きる事なく話に花が咲いた。





 「へぇ、結構頑張ったんだ?」

 「まぁな!」


 キャンプ地へ着くと、キャンピングカーの中を開けて、バーベキューの準備をする中、俺が手掛けた机やベッド等を見ていた太一が俺を褒める。

 キャンピングカーの九割を息子である太一が作っていたからだ。

 勿論勧めてきたのも太一である。

 俺は別に前のジムニーでも良かったのだが、息子の勧めるがままに軽トラを買って、材料費を全額出しただけである。 多分だが、俺が仕事に行ってる間は自分が使う手筈だったのだろう。

 その予定が俺の単身赴任で御破算になると思ったので、今回の源流釣り場 忍人牧場でキャンプをしようと持ちかけたに違いない。

 コイツはコイツで自分が楽しむためなら手段を選ばない。 そういう奴だった。 実に妻によく似ている性格だ。 まぁ、俺に合わせて一緒に釣り堀にも行ってくれる優しい奴でもある。


 娘も昔は俺に付いて釣り堀にも何回か行ったが、小学校高学年くらいになると、「生臭い」と一言言ったっきり二度と行かなかった。 それからは常に息子と一緒に行っていた。多分、寂しそうにしてる俺を気遣ったんだろう。

 こんな良い息子なのに、彼女の一人も出来ないのは何故なんだろうな?

 毎週末から各種連休は釣り三昧だからだろうか? そこはかとなく心配である。


 「父さん? 肉焼くよ? ていうか、もう食ってるけど」


 「なっ! お前乾杯くらい待てよ!」

 「ははは、悪い悪い」


 そう言ってる割には焼けた肉を頬張る息子に、無理矢理ビールを持たせ"カツン"と、俺の持ってる缶ビールを無理矢理当てて勝手に乾杯し、息子の紙皿に乗っている肉を横取りした。


 「あ! それ俺の!」

 「良いだろ? まだあるんだから!」


 60間近のオッサンと30半ばのオッサンの笑い声は夜風に靡いて良く響き、釣り堀からぴちゃんと魚が跳ねた。

 「明日はどっちが多く釣り上げるか勝負な!」

 「そんなの俺に決まってんじゃん? やめた方が良いよ? 父さん勝負事に弱いんだからさ」

 「やかましいわ! 良いから勝負だ勝負!」

 「ハイハイ」


 こうして子供に戻った二人の楽しい夜は更けていった。






 2泊3日で楽しんだキャンプも終わり、息子を最寄りの駅に置いて別れた後、俺は再び温泉宿に来ている。

 因みに、釣り上げ勝負は息子の圧勝だった……──くそう。


 週末に来ると言っていた熊谷の為に、宿の人にも今夜だけ一人追加で泊まると告げる。

 この宿は俺が行く仕事場から近い場所にあるらしく、熊谷から教えてもらった宿だ。

 熊谷も頻繁に利用してるらしく、名前だけ告げれば直ぐに布団は用意された。


 「いらっしゃいませー! あ、熊谷さん お待ちしておりました!」


 「……おい、早くね? ちゃんと仕事してんのか?」


 宿に一人追加でと告げたのは数十分前だ。 こいつの仕事場は前橋であるので、いくら仕事を詰めて終わらせてから来たとしても、夜になると踏んでいた。 それが、まだ日も高い時間に来たということは……まぁ、そういう事だろう。


 「いーんだよ、俺の仕事なんて責任を取ることだけだからな、しかもある意味同窓会みたいなもんだろ? ちゃんとそう了解も取って来てるんだから文句言われることじゃねーよ。 それより酒酒!」


 「温泉宿なんだから先に風呂はいるんだよ」


 「何だよ、まだ入ってねーのか? 俺は入ってきたぜ?」

 「何で宿に泊まってる俺より先に入ってんだよ! てか、ここの温泉じゃねーのか?」


 そう、熊谷はこことは別の温泉を浴びてから来やがったのだ。

 本当に仕事してるのかと疑いたくなった。

 「じゃあ先に1杯やってるから、入って来いよ」


 「ブルータスお前もか!」

 最近は乾杯しないのが主流にでもなってんのか? 太一といい、コイツといい……。まったく、暫く呑みに行ってないとついていけなくなるな。

 これも時代かねぇ……。





 俺が風呂から出て、部屋に戻ると本当に一杯やってやがった。

 しかも何処から呼んだのか綺麗所まで侍らせて。


 「何だよ、本当に先に呑んでんのかよ。 てか誰だよその美人は? 浮気か? 奥さんに電話すんぞ?」

 「ばっか! 違うわ! 俺の娘だよ! ここで働いてんだって!」


 へぇ……。

 熊谷の癖に綺麗な娘さんこさえたんだな。

 太一に見せたら、多少女っ気も生まれるんだろうか?

 なので、娘さんと軽く挨拶をした後、娘さんに了承してもらってから太一に写メを送ってやった。


 返信はすぐに着たが、俺の顔は真っ青になった。


 「……どうした? 変な物でも食ったのか? 顔が真っ青だぞ?」


 赤ら顔で幸せそうな熊谷が、娘さんにお酌しながら言う。


 「やべぇ、酔ってたのかな……? 息子に送るつもりが、妻に送っちまった……明日俺、死んだかも」


 「お、登紀子さん来んのか? じゃあ俺も連泊するわ」


 お気楽に笑う熊谷を尻目に、俺は苦笑いで応える。


 「昔のアイツしか知らない奴は気楽でいいな……」

 「なんだよ? そんなに変わってないだろ? 昔から童顔だったんだし?」

 「ああ、顔の形はあんまり変わらず可愛いけどな……性格がちょっとな、見て驚くなよ?」


 そういったのだが、惚気かよ!と笑われ酒を注がれた。


 あんまり飲む気はなかったのだが、どうせ何か言われるのは分かっているし、ここは泥酔してやれ!っと、思いその日の夜は自棄酒になった。


 しかし、これは後々後悔することになるのだが、この時の俺は全く考えていなかった。






 「田井中様、お客さんがお見えになっておりますが……」


 という仲居さんの声で目を覚まし、痛む頭を押えながら玄関は行くと、苦笑いの太一が立っていた。


 「太一……? どした? お前だけか?」


 そう言うと、俺に返答する前に後ろからヌゥっと現れた女性に頭痛が激しくなっていった。

 妻である。

 妙に笑顔なのが余計に怖い。

 一瞬逃げようと思ったが、昨晩の酒のせいで上手く歩けず、床に突っ伏した。

 「あら、あなた。 土下座でもする気なの? こんな人目のある場所で?」


 怖ろし気な声がする。 多分太一もそう感じたのだろう。 奴は早々に玄関から退避して、奥の自販機の前で他人事の様な面をしながら買う物をじっくり選んでるフリをしていた。


 ──そんな種類なんてねーだろそこに!

 そんな無言のSOSを視線だけで伝えたのだが、伝わった素振りは見せず一向に戻っては来なかった。

 仕方ないので取り敢えず立ち上がって、止まってる部屋に案内した。

 勿論突っ伏したのは土下座する為ではないと伝えた。


 「年寄り臭いわね」


 そんな嫌味をはらんだ声も右から左へと流し、部屋でまだ寝ている熊谷を起こす様に気を使って襖を開ける。


 「ちょっと、あなた? 力加減を考えなさいよ、自分の家では無いのよ? まったく年を取るとこれだから……」等とブツブツ言ってる言葉も全力でスルーだ。


 「うー……ん? 田井中早起きだな……あれ? もしや……登紀子さん?」


 案の定熊谷は起きてきた。

 ──よしっ! 防波堤設置完了!


 「え、熊谷さん? アラヤダ私ったら。 てっきり主人だけかと……」


 そんな二人の挨拶合戦を尻目に、俺達の跡を付けてきた太一も部屋に引き入れて、仲居さんにお茶の用意をしてもらう。

 そして、お茶を運んで来てくれたのは熊谷の娘さんだった。


 挨拶合戦は早々に終わり、髪が爆発気味な熊谷と、その横に娘さんである美知留さんを呼び止めて座らせ、その対面に俺が座り、その隣に妻と太一を座らせた。


 「えっと……この構図はいったい何かしら? 熊谷さんの隣の女性はどちら様……?」


 全く分かってない妻と、何故か巻き込まれ感丸出しで、俺を睨む息子。

 そして、更に良くわかってない熊谷と、仕事の途中なので少しソワソワしてる美知留さんに向かって俺は言葉を吐き出す。


 「熊谷、それと美知留さん。こちら私の妻とその隣は息子の太一です。太一、それと……登紀子さん。 こちらは熊谷の娘さんで美知留さんです」


 そう言うと皆が俺に注目する。


 「実は熊谷と話しして、お見合いをさせようと思ってました!」


 そう言うと全員目を丸くして驚いていた。

 一番驚いていたのは、熊谷だった。

 正に寝耳に水である。

 バッと姿勢を正したかと思うと、一礼した後俺の肩を掴むと、引き摺るように部屋の隅へと向かう。


 『どういう事だ! おい! 聞いてねーぞ⁉ こら!』と、小声なのにドスの効いた声質で俺を脅す。

 『悪い、今考えた。 が、乗ってくれると助かる──本当に助かる』


 そんなやり取りを横目に睨み、一瞬で笑顔を作ると、対面に座って驚いている美知留に、妻の登紀子は話し掛けた。


 「初めまして、田井中の妻の登紀子と申します。 えっと……美知留さんでしたね……えっと、大変申し訳無いのですが、この話は事実かしら? 何か聞いてまして?」


 「え? いや、あの……初耳……です」

 「まぁ、そうでしょうね」


 そう言うと溜息を吐きながらも、美知留をよく見ている登紀子。


 ──背筋も通ってるし、受け答えは……まぁ、馬鹿な夫の巻き込まれなのだから、仕方ないにしても……随分と綺麗な方ねぇ。


 そう思って息子である太一を見る。


 鳩に豆鉄砲食らって更に散弾銃で蹂躙された様な顔で美知留を見ていた。


 ──我が子とはいえ、そんな顔を他所様の娘さんに見せるもんじゃないのに、この子ったら……。まったく誰に似たのか……。


 チラリと部屋の隅で未だに何やら話をしている夫をみる。

 絶対この息子は主人に似たのだと思っている登紀子は、再び美知留の方に顔を向けると、一礼する。


 「急ではありますが、お見合い……して貰っても宜しいですか? なにせ私も今聞いた話ですけど、美知留さんに思う所はありません。 もし、お嫌でしたらこのままお仕事に戻って貰っても構いませんが、いかがかしら?」

 そう言うと、構いませんとはっきりした口調で言う美知留とは対象的に太一は焦りだし、何を言えばよいか分からず、空いた口のまま母を見上げる。


 その姿に残念な気持ちになったが、顔には出さず、お決まりな台詞を後にしてその場を辞した。


 土壇場に異常なまでに強い胆力を持つ登紀子はこの場を仕切り始めた後、未だにコソコソとしてる夫と熊谷の肩をガシっと掴むと、二人を連れて部屋の外へと向かう。


 『どういう事か、きっちり話を聞かさてもらうわよ?』


 その声は熊谷よりもドスが効いていて、俺以上に顔を青ざめた熊谷は俺を睨むと、『聞いてないぞ!誰だこの人!』と、目で訴えていた。


 そんな訴えを見なかったことにした俺は、どんな言い訳をしようか今度こそ真剣に悩むのだった。

 

 

 

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