第33話 家族の問題

「……整理をしよう。まずは、事実のみを、だ」

 意外と早く立ち直ったところは、流石に大人だと思った。

 主に絵美と累からの話をまとめると、こういうことになる。


 一つ、現時点において、和希に男性器は存在しない。

 一つ、現時点において、和希の胸は女性のように膨らみ、女性器の存在も確認できている(尚、触診による確認であるため、機能面に問題がないかは不明)。

 一つ、和希の体が女性に変化したことを確認できたのは、今日が初めて。

 一つ、先週の日曜日に、和希に男性器が付いていたのを確認している。

 一つ、いつ女性に変化したのかは不明(今日なのか、それとも日曜日から今日に至るまでのいずれかの日に女性になったのか不明)。

 一つ、原因は不明。

 一つ、(原因特定の要因となるかは不明だが)和希は今日、『山上池』に転落している。


「事実としては、こんなところか……」

 トゥイクが挙がった内容をポストイットにマジックペンで書き出して、模造紙を敷いたテーブルにぺたぺたと貼っていった。

「池に落ちたのが原因ならよ、もっかい池に浸ければ戻るんじゃね?」

「いやあ、パンダになるかもしれないよ?」

「それなんて二分一ですか?」

 だとしたら、お湯――シャワーを浴びた時点で戻っていないと変である。


「ま、冗談はともかくとして、どうすれば、和希は元に戻れるか、よね」

「冗談というのであれば、そもそもこの状況が冗談のようなものさ。お利口さんの頭で解決できる状況とはとても言えない。であればこそ、池に浸かったら女になった、なんて意見でも真面目に議論すべき対象さ」

「……ねえ、その前に……和希を、連れてくるべきじゃない……?」

 和葉がそう控えめに提案すると、三人とも渋い顔をした。


「和希の問題なのに、和希を蚊帳の外に置きたくない……。きちんと、話すべきだと思う。たとえ、理解を拒まれたとしても」

「……そうだね。問題は、和希くんが部屋から出てきてくれるか、だけど」

「大丈夫。最悪、最後の手段を使うから」


 和葉はリビングの椅子から立ち上がると、階段を登って和希の部屋の前まで来た。

 ノックをするが、返事はない。

「和希? もういじけてないで、出てきてよ」

『……いや』

 扉越しに和希の曇った声が聞こえてきた。

「勝手にひんむいて体を好きに触ったのは謝るから。和希にも、聞いてもらいたい話があるの。大事な話」

『…………いや』

 ややもすれば、既にトラウマになっているのではないだろうか。女子高生が、友達と妹と叔父から無理矢理脱がされて胸を見られて、妹からは胸と秘所をまさぐられたのだ。

(うん。私なら一週間は引きこもる)


 致し方ないため、和葉は最後の手段に出ることとした。

「もう! かわいい妹のお願いが聞けないっていうの? 和希お姉ちゃん!」

『……』 

「あ~あ、今日は和希お姉ちゃんと一緒にご飯作って、一緒に食べて、一緒にお風呂入りたいなあって思ってたのに。出てこないんじゃしょうがないな~」

 和希を『和希お姉ちゃん』などと呼ぶことに、自分で言っていて鳥肌が立ちそうになる。まして、一緒にお風呂に入るなど。そもそも、もう中学一年生なのだから、たとえ相手が本物の一姫お姉ちゃんだったとしても、一緒には入らないだろう。


 中々に無理がある煽り方のような気がするが、相手が和希であるからこそ、効果が出る……はずだ。

 祈りが通じたのか、和希の部屋の扉が薄く開いて、中から和希が覗いてきた。

「……ほんとに、一緒にご飯作って、一緒に食べて、一緒にお風呂入るの?」

「……ほ、ほんと、だよ……?」

 若干引きつった笑顔で肯首した。

(早まったか……?)

「……分かった。話、聞く……」

「じゃあ、行こ」


 決心が変わらない内に連れて行こうと、和葉は和希の手を取って階段を降りた。

 和希の手は冷え性のためからひんやりと冷たく、柔らかく、涙を拭ったのか少し湿り気があった。

(……一姫お姉ちゃんも、こんな気持ちだったのかな……?)


 一姫は産まれた順番的には和希の妹であったが、力関係的には、和希の姉だった。和希がアイティに怒られて部屋の隅で泣いている時、それを慰めて遊びに連れ出すのはいつも一姫の役割だった。

 一姫が元々そういう性格だったから、姉のように振る舞っているのかと思っていたが、実際に同じような立場になると、ああ、そういうことだったのかと思う。


 和希はどこか、放っておけない空気を纏っている。

 そして、その手を握ると、保護欲のような、心の奥まったところにある、本能にほど近い理性までも刺激し、手を離したくなくなる。

(ほんと……、手のかかる子供……)

 そう思いつつも、悪い気持ちではなく、むしろ、兄妹を感じさせた。


「連れてきた」

 廊下の電気を消してリビングに入ると、三人ともほっとしたよう顔をした。

 次の瞬間、トゥイクが驚いたように勢いよく立ち上がった。

「……まさか……」とトゥイクは呟いた。「ごめん、みんな。ちょっと、電気消すよ」


 トゥイクは返答を待たずに、リビングの電気のスイッチを押した。

 暗闇がリビングを満たし、光は、窓からカーテン越しに入る街灯だけだった。

「どうしたんですか? 急に明かりを消して……」

 絵美の当然の疑問に答えるように、トゥイクはスマートフォンのライト機能を使用すると、その光を和希に向けた。


「な、何? どうして私に向けるの?」

「……影だ……」

 トゥイクがぽつりと呟いて、ようやく気がついた。

 和希に、影がない。

 スマートフォンのライトの範囲に入っている和葉の影は、部分的に映っているが、和希の影だけはどこにも存在しなかった。


「影を取られる……? 『鏡池』……、湖面、つまり鏡に映ることを契機にして……」

 トゥイクがぶつぶつと独り言を呟いていた。


 トゥイクの呟きに反応できる余裕などどこにもなく、和葉はその現象から目を離すことができなかった。

 あまりに理解できないことが立て続けに起こったせいで、和葉の許容量は既に限界スレスレまで来ていた。


(影が、ない? あり得るの? そんなこと。あり得ないというのであれば、今の和希の体だって……)

 男性の体が女性の体に変態したり、光を受けて影が生まれないなど、あり得るのだろうか。男性も手術をすれば女性に近い体になれるし、影も特定の条件可であれば生まれないのかもしれない。


 だが、今のこの状況は、そうではないのだ。

 手術はしていないし、ここはただの普通の家だ。


 孔子様は、理性では説明がつかない怪力かいりょく乱神らんしんを口にしなかったと言うが、では実際にそれと対峙してしまったのなら、人はどうすれば良いのだろうか。


 語らずとも、向き合わねばならない。

 これは、家族の問題なのだから。

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