第28話 アルバム

 乱暴に扉を開けたため、激しい開閉音が響き、部屋にいた全員の視線が、和葉に注がれた。


「私のおもらしが、なに?」

 見上げてくる和希に対して、敢えて不機嫌な態度でそう言うと、和希の顔がふやけた。

(何故、笑う……?)

「もう、和葉は仕方ないなあ」

 和希は素早く和葉の斜め後ろに立つと、両肩に手を置いてきた。


「一緒に遊びたいなら素直にそう言えばいいのに。寂しかったんだよね?」

「は? 何言ってんの? 違うに決まってるでしょ」

「それじゃあ、どうしてタイミング良く部屋に入ってきたのかな? 和葉の部屋は真向かいだから、こっちの会話は聞こえないはずだし、扉の向こうで聞き耳でも立ててないと、こんな丁度良く、和葉にとって都合の悪い話題が耳に入ることはないと思うよ?」

「……か、和希のくせに……」

(無駄に鋭い)

 和葉は無謀な自分の行動を呪った。


(違うといいたい。いや、確かに聞き耳は立てていたけど、決して一緒に遊びたかった訳ではなく、もっと根の深い理由がある訳であって……)

 いくら和葉の中に納得のできる理屈があろうとも、和希の友達の目の前で真実は口に出せないため、和葉は歯噛みするしかなかった。

「なんだよ、和葉、寂しいのかよ」と累が言った。「もう中学生なんだから、いい加減、姉ちゃん離れした方がいいぞ?」

「寂しいなんて、そんな訳ありません! 冗談言わないでください」


「そうだよ、累。姉離れなんて、そんなの寂しいよ。和葉、大丈夫だよ。姉離れしたいなんて気が起きないくらい、甘やかしてあげるから」

「和希は妹離れしろ!」

 和希から顔を背けると、扉から丁度正面に座っていたツインテールの女子――消去法的に絵美という和希の新しい女友達――と目が合った。

 彼女は上品にくすくすと笑った。


「一姫の言うとおり、かわいらしい妹さんね」

 真っ直ぐな物言いに、和葉は怯んだ。

 和希からも正面切って『かわいい、かわいい』とは言われているが、もはや『かわいい』の飽和状態である上、身内贔屓の言葉など当てにはならない。

 そのため、第三者の、しかも初対面の綺麗な年上のお姉さんからそう言われると、正直照れくさい。


「和葉ちゃんさえよければ、一緒に話さない? 私も、和葉ちゃんと仲良くなりたいもの」

 丁寧な物腰、静かな声、優しげな瞳。

 和葉の絵美に対する第一印象は、こういう姉が居ればいいな、と思わせるミルクのような浸透する甘さだった。

(良い女性ひと……。どっかの兄とは大違い)

 キッ、と和希を睨む。

 ニッコリ、と笑顔が返る。

(駄目だ、この兄)

 和葉は早々に諦めた。


「じゃ、じゃあ……、お邪魔しても、いいですか……?」

「ええ、もちろん。さっ、私の隣に座って」

 絵美はそう言うと、自分が使っていたクッションを隣に置いて、その上を手の平で二回叩いて座るよう促してきた。

(いいなあ、絵美さん。いいなあ)

 和葉が理想的な年上の女性を見るような目で絵美を見ながら、その隣に座ると、何故か和希が和葉に近づくようにクッションを移動して座ってきた。

(ウザいなあ、和希。ウザいなあ)


 累は勝手知ったる我が家のごとくクローゼットを開けると、上の方から普段は使っていないクッションを取り出して、「ほらよ」と絵美に放り投げた。絵美がお礼を言ってクッションを自分の下に敷いた。

「それじゃあ、自己紹介するわね。市原絵美よ。よろしくね」

「遠野和葉です。絵美さんってお呼びしますね」

「ええ。私も和葉ちゃんって呼ぶわね」

「それでは、絵美さん、私とお友達になってください」

「……ぐ、ぐいぐい来るわね……。なるほど、姉妹だわ……」

「姉妹……?」

 和葉は姉妹と言われて直ぐにはピンと来なかったが、和希と似ていると言われたのだと数秒してから気がついた。


「か、和希となんか似ていません!」

「似てるよ! 姉妹だもん!」と間髪入れずに和希の反発が返った。

(兄妹だろうが!)

 と思わず飛び出そうになったので口チャック。


「そうか? あんま似てねえぞ、おめえら。大体、外見からして違うだろ」

「そう! 累さん、流石です!」

「そんなことないよ!」

 和希はこれ見よがしにアルバムを引っ張ってきた。


「ほら、コレ見て、和葉が六歳の誕生日の写真!」

 アルバムの中では、峰不二子のように我欲に忠実な顔を見せた和葉が、プレゼントのインスタントカメラを手に持って眺めていた。

(……私って、こんな顔できたんだ)

 自分の表情筋の可能性を見いだした和葉だったが、それを絵美や累に見られるのは、中々に恥ずかしいことだった。

「これが、どうかしたの?」

 絵美が写真を覗き込みながら聞いた。

「かわいいでしょ?」

 と和希は明後日の回答。


「いや、似てる似てないの話はどこ行ったんだよ!」

「和葉はこんなに小さい時からかわいかったんだよー」

「おい、和葉。おめえの姉ちゃん、日本語通じねえぞ」

「も、もう、写真はいいでしょ、和希! アルバムなんて閉じてよ!」

 と和葉は羞恥の回答。


「おい、絵美。妹の方も日本語通じねえぞ」

「姉妹だから仕方ないわよ」

「やっぱ似てんのか……」

 気がつくと結論が出てしまっていた。しかも、忌まわしい結論が。和希を見ると、ほらやっぱり、と言わんばかりの顔をしていて、どつきまわしたくなった。


「あら? こっちの男の子は……、親戚の子かしら?」

 そう言って、絵美が指さしたのは和希の写真だった。一姫に手を引かれて、市民プールのタイルの上を歩く、八歳の頃の姿。

 思わず、和葉も和希も黙った。

「ああ……、一姫の兄ちゃんだな」

「あ……、亡く、なったのよね……。ごめんなさい。無神経だったわ」

(……違う)


 そう、口にしたかった。

 未だ生きている人を過去の思い出として消化し、目の前に実在するその人を殺したくはなかった。

「ううん。大丈夫」と和希が答えた。「和希が亡くなったのは、六年も前のことだから、もう、吹っ切れてるよ」


 瞬間、全身の血液が沸騰したように、体が熱くなった。

(吹っ切れてる……?)

 なら、どうして未だに一姫のふりをしている。何故今を以て尚、皆を騙しているのか。家族を、友達を、クラスメイトを、教師を、カウンセリングの先生を。

 まだ何も吹っ切れていない。

 未だわだかまりは、この家に、家族の中に残っている。


 その元凶が……、

「……お前が……、言うな……」

 耐えきれず、口から憤りが零れた。

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