第24話 漂着物に籠もった想い

 累が学校の昼休みの間に海浜植物園に電話をかけると、奇跡というべきか、松さんが流したような小瓶は漂着物アートには使われておらず、海へのゴミ捨て禁止を呼びかけるための展示品として残されているようだった。

 その中に、松さんのプレゼントの小瓶があるかまでは分からなかったが、可能性はぐんっと高くなった。


 一姫と絵美と累は、放課後、早速、海浜植物園に向かおうとすると、再度、いや再々度、校門のガードレールに腰掛ける護の姿が目に入った。

「まーつ」と護は累に言った。「どう? 空手止める決心はついた?」

「……護にぃ。せっかくだから、これからデートしないか?」

「え!? 松から誘ってくれるなんて珍しいじゃん。行こ行こ!」

 そう言いながら、護は一姫と絵美をちらりと見た。

 空気を読め、ということだろうが、そうも行かなかった。


「私たちも丁度、お二人の行く先に用があるので、ご一緒させていただきますね」

 と絵美はちょっと恐い顔で言った。

「……まあ、いいや。デートの邪魔だけはしないでね」

 累の手を握った護は、累に先導されながら歩いて行った。

『玉浜駅』まで電車に乗り、バスで海浜植物園まで行くと、護は物珍しそうな顔をした。


「そういえば、近くまで来たことあったけど、小学生以来来たことがなかったなあ」

 海浜植物園はコンクリート造りの二階建ての大きな建物で、円錐状の形をしていた。ところどころガラス張りで、施設の広場も大きく開け、誰でも自由に利用できる開放感があった。


 ぼぅっと。

 ガラス張りの両開きの扉の前に、誰かが立っていた。

 護は目を見開いて、その人を見て、一歩退いた。


「あ……、あ……、ま、松……?」

 一姫は、昨夜のトゥイクの話を思い出していた。

 漂着物に想いが籠もり、それが亡霊化や怪奇現象を起こしやすいのだとすれば、この施設はまさにそうした場所だ。

 逢魔が時ではないが、松さんの亡霊……いや、想いがこの施設のどこかにあるのだとすれば、彼女の亡霊がこの施設に、そして護や累の前に現れるのは、必然のように思えた。

 亡霊は背中を向けて、施設の扉を通り抜けて中に入っていった。


「……ま、松?」と護は言った。「デートは別の場所にしないかい? そうだ。浜辺でも散歩して、喫茶店にでも……」

「駄目だ。ここじゃなきゃ駄目なんだよ、護にぃ」

 累の強い手が護を引っ張り、ずいずいと施設へと歩いて行く。


「……あれ? 松? 松はここにいる……? じゃあ、あの松は……誰だ……?」

 護はうわごとのように、混乱した様子で口走りながら、累に引きずられるように施設に入っていった。

 一姫と絵美もそれに続くと、施設の中に受付があり、累が受付の人に話をしていた。


「お昼に、お電話をいただいていた方ですね。ただいま、館長を呼びますので、少々お待ちください」

 受付の女性が内線電話で館長を呼び出すと、ほどなくして、朗らかな表情をした痩せた六十歳ほどの男性がやってきた。薄いベージュのセーターを着て、黒いパンツを履いている姿は、『館長』と書かれた名札がなければ、スタッフだと分からないだろうと思われた。

「はいはい。ここで館長を勤めております、三浦です。なんでも、ブレスレットと手紙が入った小瓶を探しているとか?」

「はい」と累が答えた。「多分、二年ほど前に『玉浜』に流れ着いたと思うんですけど」

「まあ、そういうのはたくさんありますよ。中に手紙が入ったりしていると、処分するのも忍びないんで、そういうのはしばらく保管することにしているんです」


 館長の案内に従って、幅の広い階段を登り、一つの狭い展示スペースの中に入った。絨毯がしかれたそこは、足を踏み入れると、どこか物寂しさを感じた。

 平日で人がいないせいもあるが、展示されているものが漂着物だけなのだ。


「ここはね」と館長は言った。「海や浜辺にゴミを捨てないようにって、みなさんに分かってもらうために、あえて漂着物を飾っているスペースなんですよ。多くはそれらを使ったアート作品ですけど、現物をそのままを置いているものもあるんです」

 館長が立ち止まったのは、一つのガラスケースだった。


 そこには、『海からのメッセージ』と題された、たくさんの瓶が並んでいた。それぞれの瓶の中には手紙らしき紙や、何かアクセサリーのようなもの、貝殻など、色々なものが入っていた。

 手紙の何枚かは広げられて、中身が読めるようになっている。


「こういった瓶の持ち主が、たまにここを訪ねてくる時があるんですけど、持ち帰る人もいれば、そうでない人もいる。中にはもう亡くなってしまった人もいて、そういう人たちの手紙は、許可をもらって、こうして展示させていただいているんです」

 館長の説明を聞きながら、累は目をこらして瓶の数々を念入りに見ていた。

「あの、この小瓶」

 累が指さしたのは、コルク付きの小さなガラス瓶だった。中には小さな紙と一緒に、チェーンブレスレットが入っていた。

「これですかな。お探しの瓶は」

 館長が鍵を開けて、ガラスケースから瓶を取りだした。


 累は受け取って、ブレスレットをしげしげと眺めた。ブレスレットは金色のチェーンに、カットされたオリーブ色の透明度の高い石が一粒だけ付いているものだった。

「護にぃ。これ、読んで」

 累はブレスレットと一緒に、護に手紙を渡した。

 護は暑いはずもないのに汗をかいていて、首を横に振った。

「い、いや、いいよ。俺は」

「護にぃが読まないと駄目なんだよ。これは、松ねぇが護にぃにあてた手紙なんだから」

「何を言っているのか分からないよ」


 累は無理矢理、半分に折られた紙を護に握らせた。

 護は逡巡しながらも、恐る恐るといった様子で、その紙を開いた。


『護』

 その声が聞こえたときには、既に護の後ろに松の亡霊が立っていた。

『ごめんね』

 小さな、小さな、寂しい一言だった。

 一粒の言葉が落ちると同時に、亡霊もまた蜃気楼のように消えた。


「松!」

 護が叫んだ拍子に、手紙がはらりと絨毯の上に落ちた。

 悪いと思いながらも、何が書かれているのか見えてしまった。

 そこにはぶっきらぼうな大きな字で、


『大好き!』

 と書かれていた。

 そして、不自然に、あたかも後で書き足したかのように、小さな文字で控えめに、

『好きでいてくれて、ありがとう』

 と同じ筆跡で書かれていた。


「護にぃ」と累は護の手を離して言った。「そのブレスレットについてるパワーストーンは、護にぃの誕生石で、『ペリドット』っていうらしいんだ」

「……『ペリドット』?」

 今にも崩れ落ちそうな、弱々しい表情で護は聞き返した。

「心に希望を与えて、明るい未来に導くって意味があるらしい」

 累は護の手からブレスレットを摘まみ上げると、それを護の右腕に巻き付けた。そして、絨毯に落ちた手紙をその手に握らせた。


「松ねぇは、護にぃに幸せになってほしいって想っているんだと思う。だから……、受けいれて欲しいんだ」

 累は一呼吸を置いて、瞼をぎゅっと閉じて、そして言った。

「松ねぇが、もう亡くなっていることを」

 護は呆然とした表情のまま、手紙の中身を再度読んで、右腕のブレスレットに左手を添えた。

「……ああ、そっか……」

 護は目を瞑って天上を仰いだ。

「松は……、亡くなったんだ……。俺の、目の前で……」

 一粒の涙が頬を伝い、絨毯に染みを作った。


 護はまるで神父に告解するように俯いた。

「ごめん。ごめんな……、累……。累は、松じゃないよな。松は……、もう、いないもんな」

 絨毯に染みが増えていく。俯いた顔から滴がポタポタと落ちていく。

 累は顔をくしゃくしゃに歪ませたかと思うと、一気に笑顔を作り、護の丸まった背中をパンッと叩いた。

「いつまでもクヨクヨすんなよ、護にぃ。今度一緒に、墓参り行こうぜ!」

「ははっ」と護は顔を上げた。「相変わらず累は、底抜けに明るいな」

 作り笑顔で励ます累と、泣き笑いの護とのやり取りを見ながら、一姫はあることを思い出していた。


 それは、和希が亡くなった時に、湖に落とした帆船のラジコンのことだった。

(そういえば、あれは結局、どこにいったんだろう……)

 護は、直視できないほどの凄惨な現実を、累という存在のお陰で取り戻すことができた。

 深い傷を負い、まだそれは癒えないまでも、それは時間が解決してくれるだろう。


 ぞくり、と一姫の背中に悪寒が走った。

 もしも、あの帆船のラジコンに和希の想い――怨念が宿っていたらと考えてしまったのだ。

 いや、だとしても、和希が死んだのは一姫のせいではない。

 和希が和希のせいで死んだのだから。


 一姫は無用な心配事だと頭から振り払い、護と累のやり取りを見守っていた館長に、事情を話してあの小瓶と中のものを引き取らせて欲しいとお願いした。

 館長の許可をもらって、松の誕生日プレゼントは、二年の時を経て、護の手に渡った。


 もう彼が、累を松とかさねることはないだろう。

 そして、累も、もう二度と、松と自分をかさねることもないだろう。


 一姫はそう思うと、何故だか、急に孤独を感じたのであった。

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